• 組織が持続的に成長するために欠かせない能力:チームの活用(2)~組織開発(OD)の実践って、どうするの?㉑~

組織が持続的に成長するために欠かせない能力:チームの活用(2)~組織開発(OD)の実践って、どうするの?㉑~

~コア・コンピタンスの眼目はチームにある~

前回、組織開発(OD)はチームで進めるのが効果的であるという事を書きました。

 

※前回の記事はこちらから

「組織が持続的に成長するために欠かせない能力:チームの活用~組織開発(OD)の実践って、どうするの?⑳~」

 

※関連記事はこちら

組織開発(OD)の実践って、どうするの?⑱~ODはやってみないと分からない~

 

ところでチームという単位は、1990年代に米国産業界でとても注目された単位です。もちろんそれは日本的経営が参考になっています。コア・コンピタンスで有名なC.K.プラハラード氏が今から15年ほど前に慶応ビジネススクールの招きで1週間ほどの合宿勉強会を実施した際に、以下のようなことを言っていました。

コア・コンピタンスは3つで成り立つ

①    マルチプル・テクノロジー(複合技術)

–      単一の技術やディストリビューションのようなものではなく、複数のテクノロジーでなりたつものである、微細化技術も一つの技術だけで成り立つわけではない、様々な多種多様なものをまとめたものである。

②    ラーニング(学習)

–      コア・コンピタンスを創り出す為に多くのひとが共に働き、共に一つの集合体として学ばなければならない、暗黙には+-のトレードオフはある。

③    シェアリング(共有)

–      ビジネスユニット間で共有すること、組織の再構築に伴ってコア・コンピタンスも再構成されなければならない。

上記の3つの中で、組織開発(OD)的な視点でいうと重要なのはラーニング(学習)とシェアリング(共有)です。この土台となるのがチームや横のコミュニティです。

また、プラハラード教授は以下のようなことも言っていました。

『日本人は理論を開発するのに非常に苦労している。何故、これはこううまくいくのか(Why)と聞くと、現場でこうなっているからという答えか、ちょっと高次元な我社の文化ですといった答えが返ってくる、これでは学習も共有化もできない。成功の源泉を明確化しなければならない「コンテキストを理解する」中間段階の理論がいる。良い悪いに関らず必ず理論がある。理論があるからいろんな所へ展開できる。これがあると他者にも説明でき、学習も共有化も簡単にできる』というものです。なかなか耳が痛いところがあります。

さらに、畳みかけるように『日本は1990年代に、チームということを忘れてしまったようだ』とも言っていました。プラハラード教授は組織開発(OD)の世界の教授ではありませんが、目の付け所はさすがですね。

~分かっているだろうで済ませない~

このODメディアでも書きましたが、日本は共同体文化が強い社会です。長く同質のメンバーでチームを組み、そこでは以心伝心に代表されるように、考え方やモノの見方にそれほど差がないことを前提としたコミュニケーションがとられてきました。

文化人類学者のエドワード・ホールが、コミュニケーションの在り方について「高コンテキストのコミュニケーション」と「低コンテキストのコミュニケーション」という分類法を提案しています。

高コンテキストのコミュニケーションとは、いわゆる以心伝心のコミュニケーションのことで、「言わんでも分かってるやろ」という感覚のコミュニケーションです。低コンテキストのコミュニケーションとは、明確に言葉にしてコミュニケーションをとるスタイルのことです。低コンテキスト・コミュニケーションの前提には「みんな異なる考えや意見を持っている」というのがあります。ですから、「口に出して言う」「聴く/確認する」というやり取りがなければ、コミュニケーションが成立しません。

高コンテキスト(あいまい型)と低コンテキスト(ハッキリ型)のどちらが優れているというわけではありませんが、多様性が前提となる社会では、自分のあたり前をちょっと脇において「確認していく」という作業が欠かせません。働いている人たちの多様性が増すということは、コミュニケーションの仕方に大きな変化をもたらします。いずれにしても、「分かってください」という受動的な態度では効果的なコミュニケーションにはなりません。自分から自分の考えを明確に伝える努力や、相手が言わんとすることをよく確認するという関わりが大切になります。

多様性を取り入れていこうとする日本の企業でも、以前のように「分かってるね」で念を押せば分かる人たちが多いという前提で仕事をしていると、それこそ「分かってないじゃん」という目に遭いかねません。また、「分かってる」という事を前提にすると他者に「意味をかみ砕いて伝える」という手間を惜しんでしまいかねません。

となると、チームという重要な単位が「単なる人の集まり」となり、学習という機能がすっぽりと欠落するという事態になります。そして管理者は、自分の思うように成果が出ないと「もっと頑張れよ」と発破かけをしてしまいかねません。これではいつまでたってもチームの中に学習する規範が生まれないのです。私たちは今一度チームという単位が持つ機能や特性を効果的に引き出すマネジメントを学習し直す必要があると思うのです。組織開発(OD)の実践はそんなところから始まるのではないでしょうか。