禅・精神医学とリーダーシップ①:リーダーには自己の心幹が大切

精神科医・僧侶でいらっしゃる川野先生には以前からブログの記事を寄稿していただいていますが、今後もさらにコラボレーションし、よりお役に立つ情報をお届けできるものとして我々からのインタビューという形でもお話を伺うことにいたしました。今回は「禅・精神医学とリーダーシップ」がテーマです。

※この記事は3部構成です。続きは

禅・精神医学とリーダーシップ②(5/14配信予定)
禅・精神医学とリーダーシップ③(5/21配信予定)

をごらんください。

※聞き手はJoyBizマーケティング事務局の竹本です。

今ビジネスリーダーに起きていること 〜自己の心幹と自己愛〜

(竹本)
禅や精神医学の視点からビジネスにおけるリーダーシップとつながる視点は何でしょうか?

(川野先生)
私の研究テーマとして重んじていることでもありますが、リーダーシップにおいても「自己の有り様」が最も大切だと感じます。一企業人として、プレイヤーとしてはたらいている時には非常に優秀なのに、リーダーになった時に、バーンアウトしてしまうケースが非常に多いです。私のクリニックに来院される方を見ても、どうしてもマイクロマネジメント(人に任せるのではなく全て自分でやらないと気が済まず、仕事をやってしまう)から抜け出せずに、部下や周囲の方とうまくいかなくなるパターンが多いように感じます。結果として部下の方の能力も抑圧してしまうケースがとても多く見受けられます。

パラダイムシフトというか、自分でなんでもやって成果をあげて評価される。この構図から抜け出せないとマネジメントやリーダーの立場になるのは非常に難しいということではないでしょうか。

ここで非常に大切だと感じるのが、自己の有り様、つまり「自己の心幹があるかどうか」です。マイクロマネジメントから抜け出ることができないのは、ご自身の心幹が弱いため、自分が主として働くのではなく他人に任せる、ということができないのです。言い換えると「自分で自分が信じられない」ということだと思います。常に業績を出し、走り続けて評価され続けるという状況をもって、自分に対する価値判断をしている、自分の価値を感じるという状態になっていますので、自分で価値を生み出し続けていないと自分に対して価値を感じられない、という悪循環が生まれるように思えます。これがある面ではワーカホリック(仕事依存)などにもつながっていく事象です。こういう方が動きすぎると例え優秀であっても部下の方は潰れていってしまいます。

また部下の方々、特に若い方々は、これまでの教育制度の問題もあり、健全な自己愛を育めていないという傾向も持っています。つまり自己肯定感をあまり持てていない、という状況です。そうした傾向の方は、自分に自信を持ちたいが、傷つくのは嫌だ、という自己愛へのしがみ付きが非常に強くなりますので、先ほどのような自己の心幹が弱い上司や先輩の元でマイクロマネジメントの環境にさらされると、うまく自己肯定感を育むことができず、成長感を感じることもできずに、最終的にはその環境を去ってゆきます。そしてその結果、いろんな会社を転々としてしまうケースも増えてきています。

(竹本)
実際にクリニックに来院される方の傾向としてそうした方の比率はかなり多いですか?

(川野先生)
多いと感じます。こういう方々はひどい時には、適応障害(環境に対して適応することが過度なストレスを生み、心的・身体的にも不具合が起きる)という病気になってしまうケースもあります。環境をストレスと感じて鬱になってしまうんですね。しかし本人は環境のストレスと言いますが、そうした人はどんな環境で働いてもストレスをキャッチしてしまうことも多いのです。これは自己愛を傷つけられることへの過度な恐れから本人の認知に歪んだ枠組みができてしまうため、例え環境が変わっても本人の感じるものは変わらないということが起きます。例えば、初めて参加する仕事やプロジェクトなどはうまくできないのは当然だと多くの人が認めるところでしょう。しかし本人が持つ自己愛はそれすらも許せない状況になってしまいます。そんなことをやれば、恥を掻くのでやめたほうが良い、という具合です。かといってすごく楽で給料の少ない仕事でも満たされるかというと決してそうではなく、自分にはもっと色々できるはず、いろいろな可能性があるはず、というわだかまりがずっと心の中で残ることになります。

自己の心幹を形成するには自己の本分を知ること 〜人との比較では心幹は生まれない〜

(竹本)
そういう方は本人もダメだと感じつつも、どうしても抜けられないという感じなのでしょうか?

(川野先生)
いわば精神的な引きこもりと言える状態になってしまうのです。思春期に引きこもってしまうというケースがこれまで多かったのですが、最近では成人期に初めてなる引きこもりも意外に多いのです。職場で挫折し、適応障害となり休職し、復職にチャレンジするも戻れず、その後引きこもりというパターンが多いです。「社会に出て行くことは自分を傷つけること」という新たな定義を自分の中に持ってしまうからです。社会に出ると馬鹿にされる、誰も馬鹿にしていないのにそうした考えに陥ってしまい、勝手に自己評価を下げてしまうのです。一方で自己評価に対して人一倍過敏です。人の人生がうまくいくのがどうしても許せなくなってしまうという場合さえあります。ここまで自己愛の歪みが問題となる時代において、禅やマインドフルネスが当然のごとく注目されてきました。なぜ当然なのかといえば、禅は、人との比較の中ではない「自己の本質的なあり方に気づくこと」「それを受容すること」をその本質にしているためです。私は講演会などでもこの話を「アウェアネス(気づき)」と「アクセプタンス(受容)」という言葉でお伝えしています。禅の言葉では「自己の本分を知る」と言います。企業のトップの方は非常に禅的な思考をお持ちのかたがたくさんいます。経営者やリーダーになる人は自分の本質を知り、自己認知を高め、己を知った上で自分としてはこうあるべきだ、ということを持って、自分の達成可能な範囲内で目標設定し、努力しているとも感じます。自分の本質を知らず、能力の見極めもできずに、ただ年収や社会的ステータスなどの目標に向かって動くと自己の本分と結びついていないので、挫折体験を繰り返していくことになります。自己愛自体は悪いものではもちろんありません。ただ人によって、「健全な自己愛」と「歪んだ自己愛」があるのです。健全な自己愛とは自己肯定感に裏付けされています。それに対して自己肯定感なきままに肥大した、歪んだ自己愛は常に自己否定をはらんでいます。結果として自己はどこまで行っても満たされないのです。俺はダメだ、もっと評価されないといけない、もっと高めないといけない、そしてその努力は終わることはなく挫折経験として蓄積されてしまいます。

※この記事は3部構成です。続きは

禅・精神医学とリーダーシップ②
禅・精神医学とリーダーシップ③

をごらんください。