禅・精神医学とリーダーシップ②:「気づくこと」と意思決定

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禅・精神医学とリーダーシップ①
禅・精神医学とリーダーシップ③

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心幹の弱さは世代間伝達する

(竹本)
自己の心幹が持てず、マイクロマネジメントから抜け出せない上司の部下が健全な自己愛を持てずにますます心幹が形成できないというのは、幼少期の成長が家庭環境から大きな影響を受ける話と似ていますね。

(川野先生)
幼少期教育などを見ると、パターナリスティック(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援する姿勢)な両親から育てられると本人の自由意志を封じ込める体質が定着してしまうことがわかります。親が決めた通りに大学、就職という道を進み続けると、本人の中では、いつまでたっても自分の存在を肯定できない。そしていざ自分一人で何かをやるとなった時に、依って立つものがなくなっていることに気づきます。このような状況になると非常に不安定な足場で支えが何もない状態のようなもので、人間は立ち続けることができません。そしてちょっとしたトラブルが起こった時に立てなくなった自分を見て、完全に自分を否定してしまうのです。

世代間伝達という現象があります。ある概念や事象が世代を超えて、伝達していくという考え方です。ここの文脈では、正確に言うと葛藤の世代間伝達と言います。児童心理学の概念では、親から虐待を受けて育った子供は大人になると自分の子供を虐待してしまう傾向があることがわかっています。虐待の連鎖がなぜ起こるのかを紐解くものとして出てきた概念です。もともとは児童心理学の概念だったものが、最近では社会においても言われてきました。つまり心幹を持てずに、自分のやり方を部下に押し付けて潰されそうになった部下は、それが嫌だと感じながらも、自分が上司になった時に同じことをしてしまう。部下を育成する関わり方が伝達していくということです。

(竹本)
そういえば、私も若い時教えられたことに「自分がやられたようにしか教えられないよ」と言われたような気がします。

(川野先生)
そうですね。反面教師というのは実は非常に難しいのです。この人のここが悪いとわかっていても、そのやり方を変えるのは実は非常に難しい。嫌だと思っていた上司と同じようことしかできない、切羽詰ると同じような解決策しか出てこない、というのは往々にしてあることです。ただしここで重要なのは、自分が同じようなことしか思い浮かばないということにアウェアネス(気付き)を持っているということです。その状態にアウェアネスの状態であれば、瞬間的に「お前、そんなわけないだろう!」と部下の提案に対して抑えつけたい衝動が湧き起こってもひと呼吸おき、一旦やらせてみる、という選択肢を持つことができます。こうして自己への気づきを得て、行動を変えていくことができるのです。葛藤の世代間伝達の中に自分がいると気づくことが大切です。そう気付けるかどうかは自分と向き合えるかどうかにかかっているともいえるでしょう。

(竹本)
対人関係のあり方から問題解決を志向する「U理論」という有名な考え方もありますが、そこにおいても、「思考を一度保留する」ということがスタートだとありますね。

(川野先生)
非常にマインドフルネスの領域と親和性が高いです。ようはそこに気づきがあるかどうかが大切です。

保留というのは気づいて対処するよりももっと手軽にできることだとも言えます。例えば判断力が欠如している中でも、いったん保留というのはできるでしょう。これも新しい行動の仕方で行動変容と言えます。アディクション(依存症)の治療にもよく使われていますね。例えばアルコール依存症の場合ですと、「今お酒を飲む」という選択肢しかない時に少し保留してみる。「ちょっと待ってみよう」と。20秒くらい呼吸を整えながら待ってみるのです。それだけでも依存症にともなう飲酒衝動が少し和らいでいくことがわかります。人間は条件反射の生き物と言われています。条件反射の定義を作ったのはパブロフですが、実は第1信号系、第2信号系の2つの概念を整理したのが画期的だったと感じます。第1信号系は本能レベルです。つまり言葉を介さない信号系で、犬の実験でメトロノームと餌を関連づけて、音が聞こえたらよだれが出てくるという反応です。しかし人間は犬ではありません。もう一つ大脳皮質に由来している高次の脳機能があります。進化の過程で表面に出てきたこの脳機能に第2信号系があります。それは言葉で認識するのです。メトロノームと餌の反応は変わらず生じます。しかし一旦言葉によって解釈し、訓練によってそれを止めることができるのが人間の特徴です。

例えば、最近の若い人は上司に誘われても食事にもいかない、などという話もありますが、上司の立場で考えると部下に誘いを断られてカッとしている自分がいるのです。それは昔からそうだったのだから、という流れで条件反射が出ているのですが、一旦立ち止まると、よくよく考えれば今の時代だと、そうした部下の行動も当たり前だし、家庭も大切だ、ここでカッとなるのは今の考え方とは少し違うのではないか、という気づきが得られます。気づくというのは、そこに目を向けるかどうかです。そういう風に考えていくと、まずは、こういった理論や知識を知っているかどうかが非常に大切になってくるでしょう。

リーダーとして持つべき姿勢 〜自己理解と意思決定〜

(竹本)
難しいのは、特に歴史のある企業の中には、良い伝統は下に伝えていきたい、伝えなければならないという側面もあると感じています。企業ではバリューマネジメントとして価値観を合わせていくことがブランド力やチーム力を高めるポイントとしても重要です。そのために各社非常に多くの努力を割いているようにも見えます。それを伝えようといったときに、これはよくて、これはダメでというのが非常に難しい気がしますが・・・
(川野先生)
そうですね。そうした文脈でまさにリーダーシップが求められていると思いますが、「これは良い、これはダメだ」という二元論で考えていると危ない気がします。本当に良いことはグレーゾーンにあったりします。禅の世界では「中道」といいますが、これは良いものだ、こちらはダメなものだとして、対立させてしまい、曖昧さを認めないと、逆に本質が見えなくなってしまうのではないかと感じます。もともと文化的にも日本人は二元論的な考え方をしてきたわけでもないので、中道の考え方を認められると日本人の良さも出てくるのではないかと思います。

やはりグレーゾーンを無くしてしまっては人生は成立し得ません。それをいかに受容できるのか、ということが一つのキーポイントのように思います。こうしたアンビバレンツな感情、AもBもどちらも成り立つよね、という感覚。このアンビバレンツな感覚をうまく自己処理できると人間の人格はまとまっていくと言われています。ところが、アンビバレンツな感情をどららか一方に無理矢理ねじ込もうとすると、そこに矛盾が生まれ、ストレス状態を作り出してしまうのです。

(竹本)
確かにそうですね。一方でビジネスの現場でリーダーは意思決定しろ、と言われています。そしてその期待はますます強まっているように感じますが、そうしたことはどのように考えるべきでしょうか?

(川野先生)
最終的には、どちらかの答えを出さなければ問題解決ができないので、選択するということはもちろん必要です。一方で、それを意思決定するまでに、様々な葛藤が起こるはずです。それに向き合い受容した上で決めていく、ということが大切だと感じます。「今回はこのような決定をしていく」という決定を自覚する自己の内的な過程が大切なのです。それは自分が十分に考えて出した結論だ、という感覚に繋がって行きます。気づきを得ない状態でのある意味安易な意思決定は、そうした感覚に繋がらないものです。そうなるとその意思決定が、たまたま成功につながっても自己効力感に繋がっていかないのです。

苦渋の選択という言葉がありますが、本当に苦渋したのかというのは非常に難しいところですね。自信を持って「これは苦渋の選択だった」と言えるような意思決定をしていくことが大切なのだと感じます。本当に自分で考え抜いたものを大切に扱うということでしょう。

(竹本)
そういう意味で考えると自己理解は仕事へのオーナーシップ(主体性)ともつながると思います。仕事をたくさん抱えて他の人に任せ始めるとついつい当事者意識を失いがちな時も正直あります。自分がやろうとしていたことを手伝ってくれる人が現れ、その人に任せた途端にオーナーシップを失ってしまうというか・・・

(川野先生)
なるほど。それはまさに自己効力感にもつながる話ですね。自己効力感と自己責任は1対1の関係にあります。その双方を含めた概念がオーナーシップだと思います。例えば上司や先輩から仕事の一部を担当させられた場合、他人の考えで仕事をしても本人の自信につながらないという側面と、それで失敗しても本人は責任感を感じないという2つの面があります。責任を持つことはすなわち、自分の意思で物事のやり方を選択するということであり、その上でその物事を成し遂げることで自己効力感が高まるのです。このプロセスを経ることが大切ではないでしょうか。自己効力感を感じる体験が積み重なると自己肯定感は上がっていくのです。

例えばよく言われることですが、大手企業は仕事が過度に細分化されすぎているケースがあります。またエンジニアの業界では、このプログラムのエラーを探せと言われて1日中画面に向かっているが、何に使われるのかがわからない、分かってはいけない(守秘義務など)というケースさえあります。そうなるとやりがいなどは非常に持ちづらいですね。しかし何かあれば責任は取らされてしまいます。まさにオーナーシップが生まれづらい状況といえるでしょう。しかし振り返ると以前に比べれば、異常なまでの細分化社会になっているような気がします。本来は自分で判断する代わりに、結果も全て自分のものです。責任と自己決定の両方が大切ですね。それは考えてみると一人の人間が大人になる過程で当たり前のように身につけるものだったのですが、社会のシステムが過保護になりすぎたり、細分化されすぎたりしているので、あえてそうしたことを強調して教える必要が出てきたということなのでしょうね。

(竹本)
リーダーという文脈で考えると自己効力感を高められる経験を部下に提供できることが非常に重要ということですね。

(川野先生)
少なくとも、人間は自分のことを信頼できないと他者を信頼できないようにできています。自分は、これくらいのことはできる人間だと見極められていないと他者に任せることができません。自分を信じられて初めて他者を信じることができるのです。しかしそうした感覚がないと人を信じることを全く理解できません。するとマイクロマネジメントの上司が生まれてしまいます。他者を信頼できないために、全部自分で指示を出さないと気が済まなくなってしまうのです。そういう人に限り、失敗するとお前(部下)が悪い、と責任逃れをしがちなのもまた事実でしょう。失敗すると人のせいにしてしまうのです。自分自身を受けれいていないために、自分の器が広がっておらず、小さすぎて責任を取れないのです。すべて口を出しながら、責任は全く取らない上司が増えているという話もよく聞きますが、ある意味時代が作り出してしまっている側面もあるのでしょう。そういう人の元で適応障害になった方が続々とクリニックには来院してきます。

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