「読解力と人材を考える」

「読解力と人材を考える」

近年、日本人が著しく能力を低下させていると憂慮されているものに「読解力」があります。

読解力とは主に思考力、判断力、表現力という3つの能力を掛け合わせたものですが、これは文部科学省が示す学習指導要領の国語力における根幹を為す能力でもあります。

世界ではPISAと呼ばれる学習能力の程度を示す調査を数年おきに実施していますが、この中でも日本人は読解力が年々落ちているという結果が示されています。

PISA或いは学習指導要領では学習能力を4つの角度から見ており、その一つが読解力です。この他には演算処理力、情報処理力、問題解決力といった能力があります。日本では演算処理力を数学的リテラシー、情報処理力を科学的リテラシーと称しています。調査データによると他の3つの能力は先進国に相応しい高さを持っているのですが、読解力だけが低くなっている状態です。

さてこの読解力の低下ですが、具体的にどのような現象や齟齬が発生しているのでしょうか。私が体感する限り最も顕著な状景は、「人の話を額面通りにしか受け止められない」ということです。冗談が通じないというのもその一例といえます。最近若い人たちと話している中でつくづく感じるのが、一々事細かに説明しないと話を理解することができないということです。時には何処まで噛み砕けば良いのか嘆息することすらあります。この傾向は年を下がるにつれて強くなってきています。最早「一を聞いて十を知る」といったことは夢物語に近いかもしれません。

 

読解力とは言葉を通して人の意図や気持ちを考察する思考力です。その思考力が言葉のままにしか受け取れないようなレベルですから、人の言葉の裏に隠れた真意や思いを受け止めることなど出来ようもありません。そう、今の日本は人の気持ちが理解できない若者が増えるばかりの状況に陥っているわけです。

さらに読解力は、その延長として入手される異なった様々な情報を解釈し、意味づける作用の基点も担っています。つまり読解力のない人は状況を判断したり、場を読んだりすることが出来ないということにも繋がっています。

 

では何故日本はそのような事態に陥ってしまったのでしょうか。様々な処理能力には長けているのに読解力だけが落ちてしまったのはどうしてなのでしょうか。言わずと知れたことですが、処理能力とは与えられた命題に対して演繹的或いは帰納的に論理を押し進める直線的な力であり、そもそもの命題は受動的に与えられる存在です。そして殆どの処理的命題は要素還元的に分析していけば既知の解に辿り着ける題目です。要するに処理能力は、自発性や仮想性といった無から有を生み出すような思考力を必要としない思考能力ということです。既知の情報を解析する世界は処理速度が勝負になります。まあ何れコンピュータが全てを担うことになる世界です。ところが日本の、人材に対する評価尺度はこの処理能力に過重に傾倒した見方になっています。その典型が受験の内容です。この受験を中心とした日本の人材養成の在り方が読解力の乏しい機械的な人間作りに一役買っているのは間違いのないところです。また、そこから生まれる学歴主義に安易に乗っかって採用をしている企業群が自縄自縛に陥るのも道理と云えるわけです。

 

意と読解力

ともあれ未来を紡ぎ出す想像力や創造性を発揮させたり、単なる処理能力では追いつかない対人間に発生する思惑を解釈したり判断をしたりする、お互いの噛み合わせをスムースで迅速に行うのに必須となる読解力が育成過程で野放しの状態になっていることが現状の結果に繋がっているわけです。

今の日本ではお家芸とも云われた「おもてなし」や「勿体ない」といった、思いやりや配慮に溢れた行為は望むべくもない状態になってきています。読解力がないわけですから当然の帰結と云えます。

今の日本においてうつが蔓延するのも此処が要点と云えます。気持ちが分からない人材と気持ちを持てない人材、人との関係の取り方が分からない状態に陥っている人々が自己防衛的に人への無関心に逃げ込む社会を肥大させる。たまに人に関心を持つ人がいるとそのエネルギーを大勢たる利己心の輩に吸い取られてしまう。こういった殺伐とした状況は全て基点に読解力の低下があるわけです。

これからグローバリズムの名の下に、多様性を持った情報によって思考する人々との交わりが増加する一方となります。これからの日本人はそういった人たちと上手く噛み合っていけるのでしょうか。明治時代には知はなくても世界で賞賛された人材が一杯活躍していました。

読解力は知による処理力ではなく、意による哲学性やアイデンティティ、そしてそれを根元とした想像力や解釈力および判断力がないと機能しません。

今企業に最も必要なのは自分の意志と哲学性を備えた読解力を持った人材です。おかしな新興宗教に傾倒する知的エリートがいる中、知と意の違いをしっかりと識別し、意のある人材を育成しなければ明日の組織は諦めるしかありません。

意を育成する、については我が社の「LIFT」プログラムを参考にしてみて下さい。ホームページに概要を掲載しております。

 

LIFTの考え方について

Liftとは

 

LIFTをベースにした支援例

ラインナップ(コンサル・セミナー)

 

さて皆さんは「ソモサン?」。

解力」の低迷