• 組織文化とOD②:組織文化の定義~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-200~

組織文化とOD②:組織文化の定義~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-200~

今回のODメディアから、ODの重要なターゲットである組織文化をテーマとして取り上げていきます。組織文化(Organization Culture)という概念は、1980年代から盛んに使われるようになりました。様々な言説がありますが、ODメディアでは、E.H.シャインの「組織文化とリーダーシップ」を土台として、その内容と影響および組織文化の変革を考えていきます。先ずは、組織文化の定義からです。シャインの定義をそのまま記すと次のようになります。「ある特定のグループが外部への適応や内部統合の問題に対処する際に学習した、グループ自身によって、創られ、発見され、または、発展させられた基本的仮定のパターンである。それは、よく機能して有効と認められ、したがって、新しいメンバーに、そうした問題に関しての知覚、思考、感覚の正しい方法として教え込まれる。」

シャインは、この定義には、表面的な行動パターンを含んでいないことを強調しておきたいといいます。行動パターンというものは、文化的要因(パターン化された仮定、知覚、思考、感情)と外部環境で生起する状況的な偶然性の両方から規定されるといいます。行動の規則性は、文化と同時に環境の反映でもあるから、したがって、それは文化を定義する主要な基礎とはならないのです。

一般に知られているように、シャインは組織文化を3つのレベルで捉えています。

レベル1.は「人工物と創造されたもの」です。これは、創り出された物理的・社会的な環境のことです。例えば、ある会社ではスーツでネクタイが基本のスタイルであるとか、別の会社ではカジュアルなスタイルであるとか、またある会社では就業時間中は皆同じ作業着を着ているといったものです。しかしレベル1.は、シャインによれば、それは見えるがその意味を解読することは難しいといいます。

レベル2.は「価値」です。シャインによれば、ある意味ですべての文化の学習は究極的に、ある人の原初の価値、すなわち「どうあるということ」からははっきりと異なる、「どうあるべきか」という感覚を反映しているといいます。そしてそれは、その文化の構成員たる人々の行動原理を導くものです。ある個人や集団が、経験がない新しい任務や問題に直面した時、それに対処するために提案される解答は、ある個人や集団が所属するもっと大きな組織や社会で当たり前とされている価値を前提とした解答になります。組織の場合は、通常は創業者が、現実についてどのように対処するべきかという確信を持っていて、その確信にもとづいて解決策を提案します。例えば、まだ経験が浅い未成熟な販売集団において、売り上げが伸びない問題に対して、創業者が「広告宣伝は常に売り上げを伸ばす」という彼の信念に基づいて「われわれは広告宣伝費を増やさなければならない」というかもしれません。そして、広告宣伝費を増やすという解決策が機能し売り上げが伸びれば、その価値が徐々に認知的変容の過程を開始し、集団メンバーに共有された一つの信念になり、究極的に一つの仮定になるのです。このように価値は、基本的仮定と密接に結びついています。ただし、それは価値の実践が継続的な成功をもたらす場合です。注意しておきたいことは、価値は、実際には実践されていない場合もあります。これはアージリスが「信奉された価値(信奉理論)」と呼ぶものです。例えば、ある企業が「従業員を大切にする」といっていても、それが学習に基づくものでなければ、真に従業員を大切にするという行動や制度が実践されず、従業員を大切にするということに関する実績は、言っていることと矛盾することはあり得ます。信奉される価値がその基礎にある仮定と一致するものであれば、経営理念にその価値を明確に表現することが、組織や集団を統合することに役立ちます。ということで、その組織における特定の価値を分析する場合、仮定と一致する価値と、そうではなく未来に対する希望的価値との違いを注意深く区別する必要があります。実際、その組織の構成員から聴きだされた価値をリストしても、それは「信奉された価値」である場合もあり、まったく辻褄の合わないリストを見ているような感じになります。それは分析者の感覚の中にしかありませんが、何故かしっくりこず、そのような価値のリストは、パターン化していない事が多く、相互に矛盾し、観察される行動と一致しないものです。組織文化を深く理解するには、やはり基本的仮定レベルに踏み込んでいく必要があります。ということでレベル3.は、基本的仮定です。

レベル3.は、ある問題に対する解決策が繰り返し機能する(うまくいく)と、それは当たり前のことと考えられるようになります。そうして、ある時期までは仮説でしかなかったものが、徐々に一つの現実として取り扱われるようになります。そうすると、それはもう基本的仮定となり、私たちはそのことを疑問にさえ思わなくなります。つまり、基本的仮定がある集団内で強く保持されれば、そのメンバーは、他の前提に立った行動など想像もできないのです。この基本的仮定は、アージリスによれば「実行上の理論(行動理論)」と呼ばれるものと同じです。そして、このような無意識の仮定はデータをも歪曲して認識します。例えば、マクレガーのX理論の仮定を持っている人は、ある人がただ机に向かっているのを見ると、それは何か難しい問題を考えているのではなく、ただサボっているだけと認識するのです。この認知過程は、認知行動療法で言われるところのABC理論と同じと考えれば良いでしょう。アージリスは、基本的仮定あるいはB(belief)の見直しをする学習をダブルループ学習といいましたが、これはかなり意識して、あるいは他者の協力のもとにやらないと難しい学習といえます。要するに、その人にとっての当たり前を「当たり前ではない」と認識させる作業になるからです。そして、この基本的仮定が異なる人たちのコミュニケーションのズレは、職場の日常の中に頻繁に出現するのです。例えば、上司Aは「仕事とは、問題解決が最重要課題である」という基本的仮定の中で育っている。その部下Bは「仕事とは、よい人間関係と上司の顔を立てることである」という基本的仮定の中で育っている。このような場合、上司Aの提案に対して、部下Bが有効でないと思っても、部下Bは上司Aの提案に異を唱えず、沈黙するかそれを何とか実行しようとするでしょう。結果がうまくいかず、上司Aが部下Bに「君だったらどうしたか」と尋ねると、部下Bは混乱の極みに置かれる。なぜなら部下Bにとって、上司の質問に答えること自体が、当初避けようとした「上司を困惑させる」という罪を犯すことになるからです。そして、部下Bは、この時点でもうそをつくか、上司Aの提案は正しかったが、運やコントロール不能な状況のためにうまくいかなかったと説明することになります。このような部下Bの思考と行動は、上司Aからすればまったく理解不可能ですが、部下Bから見ても結果が出た時点で部下Bの意見を聴くという上司Aの思考と行動は理解できないものです。それは、上司の自尊心の欠如を示すものであり、そのような行動は部下Bからすると上司Aに対する尊敬の念を失いかねないものとなります。上司Aと部下Bのズレたコミュニケーションを、シャインの事例を簡略化して説明しましたが、こんなこと「あるある」と思いながらも、一方で「面倒くさいな」と思ってしまいます。でも、現実はこんなことが至る所で起こっており、だからこそ基本的仮定(組織文化)の探求とその取扱いは、組織の効果性を高め、より良い組織を創造していく組織開発(OD)にとって重要なターゲットとなるのです。(続く)

参考文献 「組織文化とリーダーシップ;E.H.シャイン」

 

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。