• ~リーダーとマネジャー④~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-151

~リーダーとマネジャー④~ 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-151

ザレズニックが主張するところのリーダーとマネジャーの違い、今回で最終回です。

では、4つ目の人格特性の違いを見ていきます。ザレズニックは、ウィリアム・ジェームズ(アメリカ、心理学者)の「生まれ落ちたままの人」と「生まれ変わる人」を土台にして、マネジャーとリーダーの違いを述べています。前者は、日々の生活に順応し、程度の差こそあれ比較的穏やかな一生を過ごす。一方後者は、しんどい人生といえる。ある意味、安定を求めて、絶えず悪戦苦闘する。彼らは何事にも凝り深い。ジェームスによると、このような人たちは、たいてい独自の世界観を持っていると言います。

マネジャーは、環境に調和することを大切にして、自分自身を秩序の維持者あるいは調停者と考える傾向があります。その秩序があるからこそ、自分は一個人として正当化され、報酬にあずかることができると考えます。組織を維持し末強化することは彼らの責務であり、その役割果たすことに努めます。ジェームスは、このような心の中の調和、すなわち外界と自然に触れあい、一体化できる自己愛を「生まれ落ちたままの人」と定義しました。

一方でリーダーには、「生まれ変わる人」、つまり自分は周囲から孤立していると感じ傾向がみられ、彼らは組織の中で働いていても、決して組織に帰属することはないと言います。世俗的な物差しなど意に介さないようです。

リーダーシップの育成について考える場合、二つの異なる生活史について考えなくてはならないとザレズニックは言います。第一は、社会化を通じての成長です。すなわち、組織について教え、人間関係におけるバランスを維持する。第二は、人格の発達を通じての成長です。すなわち、内面的変化と社会的変化に向けて格闘させるのです。マネジャーは第一を通じて育成され、リーダーは第二によって登場します。ここに、マネジャー育成とリーダー開発の大きな違いがあります。

結論から言えば、ザレズニックは、リーダー開発には優れた師の存在が不可欠であると言います。以下はザレツニックの見解を端的にまとめたものです。マネジャーであろうとリーダーであろうと、その成長パターンは幼少期の経験とは無関係であり、むしろ他者による影響が大きいと言います。マネジャーの適正は、いろいろな人から適度に愛情をかけてもらった経験が大きく影響するようです。一方、リーダーの場合は、強力な1対1の関係の中で、あるいはその関係が壊れてしまった場合に生まれてきやすいと言います。若いころ凡庸だった人が、偉業を成し遂げることはよく知られていることです。気づきを持っていない人を目覚めさせる唯一かつ確実な方法は、優れた師、あるいは才能ある人材を理解し、かつ意思疎通できる人が目をかけてやることです。本当の自分と向き合わせるような人生経験によって、人と人との関係はより実りあるものになるのです。

ザレズニックは、その例としてドワイト・アイゼンハワーの例を挙げています。若い陸軍士官のアイゼンハワーは埋もれていた人材だったそうです。第一次大戦後、彼はかねてから私淑していたフォックス・コナー将軍がいるパナマへの転任を申し出ましたが、最初は叶わなかったそうです。そして、悪いことにこの時期アイゼンハワーは長男をインフルエンザで亡くしています。当局も彼を不憫に思ったのか、その後パナマへの転属が発令されます。アイゼンハワーは、この機会を逃しませんでした。彼は、コナー将軍から軍隊のイロハを徹底して学ぶのです。

後年アイゼンハワーは、コナー将軍について次のような文を書いています。「コナー将軍と過ごした日々は、兵法と人文科学を学びに大学院に通うようなものだった。私は、人間と人間の行動に関する彼の知識の深さに大いに感化された。彼にはいくら感謝しても足りない。(中略)彼はいつも私の心の師であり、その感謝は言い尽くせない」

このパナマ勤務以降、アイゼンハワーの躍進が始まります。陸軍指揮幕僚大学の入学を許可され、彼はこの機会を最大限活用し首席で卒業します。そして、第34代アメリカ合衆国大統領にまで上り詰めるのです。

師となる人は若手から逸材を見つけ、その人物に賭ける。そして、この弟子と肩を並べて働き、あえてその内面にも踏み込む。このような努力が必ずしも報われるとは限りませんが、そのような決意があるかどうかが、リーダー育成の決め手になるとザレズニックは言います。日本でいえば寺小屋式教育でしょうか。松下村塾のような形態を現代の企業で取るのはなかなか難しいでしょうが、そのような師と弟子の関係を結んでいくことは現代のリーダー開発でも必要なのかもしれませんね。

 

※この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株) 波多江嘉之です