• 組織が開発されるとは③~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【122】~

組織が開発されるとは③~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-【122】~

組織が開発/発達する(Development)ということについて、ODメディアでは、それは以下の3つではないかということに言及しました。

①自分のことをよく知っている。

②思慮深い行動・オープンな議論ができる。

③潜在能力の発揮・絶え間のない改善を実施する。

今回はその中でも、最も大切でDevelopment(発達、開発)の土台となる「自分のことをよく知っている」ということについて深堀してみます。

 

アンコンシャスバイアスの話を持ち出すまでもなく、私たちは誰しもバイアスを持って世の中や他者を見ています。最近はバイアスから語られることをナラティブと言ったりします。

例えば、あなたのナラティブと私のナラティブは違いますね、という言い方をしたりします。どちらの説明であっても、それは「私が持っている世界観で、世の中を、あなたを理解している」ということです。

2月の初めに舌禍騒動となったオリンピック組織委員会の森会長が持っているナラティブは、そのことに対する多くの人が持っているナラティブと違ったんですね。悲喜劇は、ご本人はそのことに対する自己認識が徹底して不足していることでした。

ですから、その後の一連のプロセスを見ても、このことに対する「思慮深い行動・オープンな議論」になっていないようです。やっぱり思慮深い行動・オープンな議論ができるには、自己および自分たちに対する気づきが深まる必要があるのですね。

O.シャマーのU理論を借りるまでもなく、ダウンローディングのレベルではより良い議論にならず単なる言い合い、主張に主張をぶつけるだけの勝ち負け議論になるんですね。

でも、これまで自分の信念みたいになっていたことを手放すのはやっぱり不安なんですよ。森会長だって、ラグビーワールドカップ招致への貢献やその大成功、オリンピックの招致と資金集めへの貢献などを見れば、多分この方が居なければラグビーワールドカップも東京オリンピックの招致も実現しなかったのでしょうね。

だから、ご本人の自負は大変なものだし、周囲(身内)もさすがだったとみているわけです。

このような中で生成されてきたナラティブや周囲との関係性を見直したり、手放したりすることは、そりゃ難しいのですよ。だから、歴史的には、価値観がぶつかり合うときには新旧の間で権力闘争が起こり、闘争の結果として政権が交代するということが至る所で頻繁に起きるわけです。

民主主義の本家本元みたいなアメリカでも、一方のナラティブから見ればとんでもないトランプさんの主張するナラティブに魅かれる人が沢山いるんですね。そして私たちは、それを、世界・全人類レベルでうまく対処するまで成長していないのです。

だからこそ、少なくとも自分が所属する組織やコミュニティおよび集団では自己認識を深め、思慮深い行動とオープンな論議ができるように成長していきたいのですよ。組織(Organization)が開発(Development)されるとはそういうことなんですね。

 

では、自分のことをよく知っているということは、どのような内容を含むのでしょうか。

それは例えば、以下の5つの内容です。

①私の考えの側面

―私が持っている思い込み、先入観、信念、価値観はどのようなものか。

②私の感情の側面

―私はどのような感情を抱きがちか。例えば、嬉しい、悔しい、悲しみ、肯定感、否定感、不安、恐れなど。

③私の欲求の側面

―私が抱いている願望、期待、意図、動機、計画、目標は何か。

④私の行動の側面

―私の欲求に対して、私がとりがちな言動(言い方、行動)はどういうものか。

⑤私の感性の側面

―私は何から感じ取るのか。見ること、聞くこと、味わうこと、触れること、嗅ぐこと、直観的になど。

 

このような自分自身への気づきは、私が自分をどのような人間とみているのか、つまりSelfの自己認識にも関係します。Selfは様々な要素から構成されます。例えば、以下のような要素です。

①専門的な知識・スキル

②アイデンティティ:性別、人種、文化、職業などを含む

③性格要因:習性、特徴、嗜好など

④スタイル:仕事のやり方、他の人との交流仕方、あり方など

⑤態度:規則的な感情および根底にある価値観や信念

如何でしょうか。皆さんはどのような要素からSelf(自分自身)を捉えているでしょうか。

 

いずれにしても、私の捉え方と他の人の捉え方は同じではありません。また気づきのレベルも様々です。だからこそ、認識を深め、互いの違いを認め合い、そこから共有できる世界と目標を構築していく必要があるのです。

組織が開発されるためには、その組織の当事者が自分たちの組織をどのように見ているのかということを共有するところから始めなくてはなりません。それは、何か客観的な基準ではなく「私の組織に対する見方」という主観をぶつけ合うことから始まります。これこそが、組織開発(OD)が構造改革と異なるところではないでしょうか。

 

※この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株) 波多江嘉之です