• ナラティブ(物語る)の重要性~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-㊾~

ナラティブ(物語る)の重要性~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-㊾~

~現実の理解の仕方が変わるとは

対話型ODが提唱する重要な変革プロセスの中に「ナラティブ(物語る)」というものがあります。私なりの解釈は「語る言葉が世界をつくる」という事です。つまり、自分たちの行いをある特定の言葉にして理解しているというようなことになります。

例えば、「成功するリーダーとは」といったことに対して、ある人は自分の経験から「統制的な、場を仕切る、強いリーダーシップ」をイメージし、そのような見方から物事を理解し語るかもしれません。このような人にとって、例えば「サーバント・リーダーシップ」みたいなリーダーは軟弱で頼りにならない人と映るでしょう。

要するに、「認知の枠組み」によってものごとを認識する仕方(文脈的依存)が生まれ、それによって思考と行動のレパートリーが選択されるのです。ちょっと難しく書いていますが、私たちにとって「ある事象や事柄」を「どのような言葉で理解し語るか」はその人の思考と行動にものすごく大きな影響を与えるのです。

 

例えば、鉄道会社では昔から「現業」という言葉がありました。これは、運転士、工事、保線、電気、指令や駅舎などで仕事をしている人たちを指します。要するに私たちが鉄道サービスを利用する際に最もお世話になる人たちのことです。皆さんは「現業」という言葉からどのような仕事や立場をイメージされるでしょうか。

JR九州でSS運動を支援した時、「これ、やめましょう」と提案したことがあります。それでどうしたか、「現業はフロント・スタッフ」、「本社はプランニング・スタッフ」にしました。どうでしょう、使う言葉によって仕事や立場のイメージは変わりますか。

今風のOD手法でいえば、現業と本社の人たちが集まり対話の中で新しい言葉と世界観が生まれると理想なんでしょうが、当時は第三者で決めちゃいましたね。これはJR文化として原案を出して関係者がそれを叩く、そして承認するというプロセスがあったからです。

変化は起こりましたが、組織開発(OD)であったかどうかは疑問です。

 

当時JR九州はハイパーレディという人達がいました。特急列車に乗務している客室サービスの女性たちです。ある時JR九州で、前職百貨店出身のサービス改革担当者から「飛行機にはキャビン・アテンダント(CA)がいるなら、列車にもCAがいてもいいよね」という発案で、1992年にハイパーレディが発展的に解消されCAという名称になりました。

発案は他所からで、最初の教育は航空会社のサービスマニュアルを基に実施されましたが、その後JRの幹部はCAの仕事に口出しをせず彼女たちが自主的に仕事を組み立てていったのです。これは後々の「クルーズトレインななつ星」のサービスに繋がっていきます。このプロセスは組織開発(OD)とは言われていませんでしたが、まさに対話型組織開発(OD)の実践でした。

 

もう一つ、あるメーカーでの話。ここで支援したA事業部門が事業を営む業界は数社の寡占業界で、A事業部門は長らく2番手のポジションにありました。2番手のポジションにいる時の目標は「シェア」でした。この会社の当時の考え方に「トップ=シェア」という考え方が強くあったのです。とにかくトップ企業をシェアでいつかは追い抜くというものですが、これがなかなか追い越せない。そして利益は出ているもののそれ程誇らしいものではなかったのです。

この事業部に対してお付き合いが始まったきっかけは、この会社が従来の業績管理プロセスを見直すというものでした。そこで、業績管理プロセスを見直すのであれば「作って売る」という事を「一気通貫でやっている事業部がいいね」という事でA事業部門に白羽の矢が当たったのです。業績管理プロセスの見直しですから、最初にやるべきことは、A事業部が事業戦略をどのように考えているかから紐解きましょうという事で、私自身のA事業部門に対する理解促進とメンバーの戦略認識を確認するために事前に戦略に関するインタビューを実施し、主要幹部15名程で2日間の戦略ミーティングを実施しました。

ここでのアウトプットは「新しい戦略ステートメント」と「それに基づく課題設定」です。この戦略ミーティングの中で議論された事の一つに「シェア」という目標はどれほど適切かというものがありました。結論から言えばシェア目標は捨てられ、「利益と総売上数量」が目標になったのです。

で、何が変わったか、一番変わったことは競争相手を意識しなくなったことです。徹底して顧客と自社の関係を中心にした戦略展開になったのです。結果は、どちらも目標達成し利益はこの事業部門が会社の稼ぎ頭となりました。今考えてみればA事業部の戦略ミーティングは「対話型OD/ナラティブ・アプローチ」をやったのですね。これをきっかけに新しい世界観が生まれ、創造的破壊が行われたのです。

現在はこの会社とのお付き合いはないのですが、対話による問題解決という事に対して「一般化」できていなかったので、その後はどのような活動プロセスが定着しているかは分かりません。OD介入をやったというのなら「問題解決は対話による新しい世界観づくりだ」という問題解決に対する新しい認識ができていれば、それは「組織開発(OD)」をやったと言えるでしょうが、残念ながらそうではなかったのですね。

~メンタルモデルを変える

「組織開発(OD)をやった」というからには、当該組織の人々のメンタルモデル/思考の枠組みが変わり、その上で変化していく状態であるというポジティブな思考と行動が身について時に初めて「組織開発(OD)をやった」と言えるのでしょうね。ウォーナー・バークは以前、「組織開発(OD)をやった」と言えるのはその組織の文化に何らかの変化が起きた時だと言っていました。

この2つの事例は、アプローチの仕方は異なりますが、語ることで言葉の持つ意味を捉え直し、新しい言葉を持ち込むことで新しい世界観を生成させ、従来の組織に創造的な破壊を生み出すという事をやったのです。ただ、いつも思うのはこのプロセスを一過性のものにせず当たり前のマネジメントプロセスとしてどうやって定着させるかです。

JR九州のフロント・スタッフやプランニング・スタッフも今では単なる名称になっているかもしれません。私たちの頭の中は知らず知らずのうちに固定化しますから。フロント・スタッフやプランニング・スタッフという名称がなぜ生み出されたのかという事を語る人も、多分、いないでしょうね。だから、時には「問題がないように見える状況でも、わざと揺さぶってみる」という事が必要かもしれません。Growth Mindsetって難しい。

 

  • この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。