集団状況の中の感情。LIFTプログラム ⑪~ソモサン第192回~

ショートソモサン①:証明される「人は感情の生き物」という事実

皆さんおはようございます。

皆さんは「エモーショナル・ネットワーク」という言葉をご存じでしょうか。日本的には「情動的共感」といった観点で語られる場合が多いように思われます。共感にはある程度他者の心の有り様を推論して、意図的にオンオフできるような認知的共感と、自動プロセスとして無意識に感情移入が為される情動的共感がありますが、前者は同情という解釈されるのが一般のようです。

心理学者のランゲ博士は「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである」と、感情が意思由来の存在ではなく、無意識的な自律神経による反応由来の存在であると提唱しました。つまり人の感情は意思によって惹起されるのではなく、感情が意思を惹起させるということが最近の研究結果と符合してきています。近年では他人の感情を神経的に察知するミラーニューロンという細胞の発見などで、人の感情は模倣的に伝染するという仮説も出てきています。

このことはこれまで私が説明してきた、人の感情や行動は知性やそれに依拠する意図によって為される以上に感情と行動の相互作用によって為される、つまり感情は思考や意識に勝る行動誘因の根っ子であるということを裏付ける内容です。

感情が意図のあり方や思考のあり方を決するということは、集団や組織において情動的共感が作り出す影響の大きさを軽視する取り組みをしていることに対して警鐘を鳴らします。それは「組織に感情を持ち込むな」という従来の認知や組織姿勢が形骸的なものであるということを浮き彫りにするからです。名目的にそういうのは構いませんが、本気でそれを盲従している限り、現場の問題解決は覚束ないからです。

私は「組織に感情を持ち込むな」ではなく、「情動的共感を前提として手を打て」というアプローチこそが害を少なくする一手であると考えています。

そこで情動的共感(エモーショナル・ネットワーク)です。知的領域である「相互理解」や「認知的共感(同情)」といったコミュニケーションは、発信者と受信者の間に「思考プロセス」「弁別決定」といった間やフィルターが掛かります。しかし情動的共感はダイレクトに気持ちの波動が伝播します。間もフィルターも入り込む余地がありません。だからこそ人と人の関係は論理的なコミュニケーションよりも感情的なコミュニケーションの方が先行的に行われることになります。特に喜怒哀楽のような二次的な感情以上に快不快、好嫌といった感覚的な一次感情は素早く伝播してその後の二次感情のあり方や思考のあり方、そして意図のあり方を方向付けてしまいます。

ショートソモサン②:「学習的ネガティブ感」~ネガティブであることも学習する~

具体的に考えてみましょう。人は元来はポジティブを希求する存在であることは前にお話しさせていただきました。例えばネガティブな感情が基調になっている集団環境に入り込んだ場合、普通の人はどういう気持ちになるでしょう。まずは違和感を感じます。そして居心地が悪くなります。一方自身がネガティブな心情の場合はどうでしょう。生理的に居心地が良いとは云えないでしょうが、何となく心理的安全感を抱く人は結構います。同類相哀れむというか、類は類を呼ぶというか、波長が合う場所は自分の存在が正当化されるので安心感が出てくるのです。

しかしポジティブであれ、ネガティブであれ、一定時間以上にそういった環境に晒されると人はその環境に同化していきます。次第にネガティブな環境が当たり前になって判断基準や思考のあり方が歪んでいくわけです。それが情動的共感の作用です。

時に認知的共感と齟齬が生まれて葛藤状態に陥る人も出て来ます。これが「認知的不協和」です。そしてそういう人はストレス状態に陥ります。ここで2つの選択が生じます。信念に準じて精神的疾患に陥るか、恭順して染まるかです。これはその人の原体験での学習的刷り込みが大きく影響します。現実的に見ていますと、多くの場合は学習的無能力的に順応していきます。そして判断基準や思考パターンが集団思考的に犯されていくわけです。これが以前お話しした群集心理として情動的共感が集団感染する力が持つ恐ろしさです。そこではもう知性とか賢明さなど吹っ飛んでしまいます。

人は過去体験での本人の事由(主に劣等感) によってネガティブな人もいますが、悪気はないが集団的な情動的共感やそこからの学習によって機軸がネガティブになっているという人が大勢います。セリグマン博士の云う「学習的無能力感」の派生ですね。「学習的ネガティブ感」です。こういう人は自分はネガティブだと思っていないから始末に負えません。集団主義が基軸である日本はどうもこういった形でネガティブな人が溢れているように感じるのは、それこそ私がネガティブなのでしょうか。

 

実際私自身が長い間ネガティブに苦しめられました。私は50歳で会社を辞めて創業したのですが、そのきっかけがネガティブからの脱出にありました。幼少より公務員の親から「人の価値は世のため人のためにある」と教えられてきた私は、それを信条として「働くならば、理論と実践とが融合される学際的な仕事によって世の役に立ちたい」という考えを持っていました。それがコンサルタントと云う生業を目指したきっかけでした。たまたまある夏のNHKのドキュメンタリー番組において「オイルメジャー(今や懐かしい響きです)の復活」というテーマで、アメリカのコンサルタントが英国石油の未来戦略にアプローチしている内容を放映していました。一緒に見ていた親友からそこでマッキンゼーと云う組織の名前を教えてもらったのです。私は物理学を専攻していたのですが、ある理由でそれを断念せざるを得ない状況となり、そこから未来が見えなくなっていたのですが、ようやく光明が見えた感がありました。そこから漸く就職活動を始めたというが本当のところです。

そうして見つけた会社は「人や組織の状態を健全化することから活動の活性を行う」という触れ込みで、迷わず身を投じることにしました。しかし現実は甘くありません。創業間もなく社会的認知も低いその会社は、経営者の薫陶とは裏腹に生き残りに向けてかなりの業績主義で、育成どころか人はどんどんと辞めていく状態で、周りのメンバーも一攫千金意識によってまさに弱肉強食状態です。壮大なるネガティブ環境だったのです。私は新入社員研修段階からウツ的になってしまいました。

しかし親の教えや持ち前の負けん気が逃げることだけは許しませんでした。私は「絶対この組織で勝者になって、その力でまずはこの会社自体をポジティブな組織に改革する」と意気込みました。

そこからは破竹の勢いの感がありました。入社初年度は同期トップでした(全国組織で新設の新潟という地域から東京や大阪という大都市を抑えてのトップは初めてのことでした)。表彰でハワイ旅行に行ったりしましたし、翌年もその翌年も同期では3位以内、全体150名の中でも20位以内と健闘し、3年時には首都圏の営業所長に任ぜられるほど八面六臂で活躍したのです。会社でも後輩からも期待され、非常にいい気分でした。

さあここからが着目点です。会社のネガティブ基調の空気は変わっていません。相変わらず全ては勝者の論理です。まさに勝てば官軍です。一杯人は辞めていきます。ところが私はいつの間にかそれをポジティブに受け止めるようになっていたのです。明らかに顧客企業よりも自社の業績中心で動いているのに、それよりも社内での評判に酔いしれるようになっていたのです。人は誰しもポジティブを求め、ネガティブを嫌うのは性です。ところが思考では明らかにネガティブだと認知しているにも関わらず、気持ちがポジティブになれる時、人はそれに溺れてしまう。そしてそれから抜け出せなくなってしまいます。自分にとって何がポジティブで何がネガティブかが分からなくなってしまうのです。

私の場合、4年になる時に出会ったあるお客さんの言葉が自分としての正気、社会通念としてのポジティブに戻るきっかけでした。それは大手の民族系石油会社でした。元々私は新潟配属でしたので、その会社とはご縁がありました。地方の良いところは東京の本社では敷居が高くても、地方ではざっくばらんと云うことです。特にその会社では新潟は出世コースと云うことで、その通り本社では重職になっていらっしゃいました。

その方と面談したときに云われたのです。「君だから云うが、内は百年を超える歴史ある会社で、社会的責任も大きい。見据えているのも百年の計での企業使命と社会貢献だ。君の会社は同業と比べてノウハウは優れているが、残念ながら志が低い。君の会社は常に単年度しか見ていない。そういった考えの会社は内には相応しくない。地方では君との関係だったが、本社では会社と会社になる」。これは堪えました。「ああこれまで自分は何をやっていたのだろうか、企業の在り様はこの方の云う通りだ」。この時自分の中にある違和感がむくむくと浮き上がってきました。

それからは常に顧客企業のあるべき姿を念頭に活動し始めました。そうすると心情とは違うリアルな違和が発生し始めたのです。顧客との関係は問題ありませんし、業績も突出はしませんが上位で推移しました。しかし社内での存在がみるみる変わっていったのです。まずコンサルタントとの意見が合いません。顧客のためという提案が、悉く損得で切られます。これは同僚との関係も同じでした。お前は「こねくり回す」だの「変わり者」だのといってつま弾きにあいます。顧客に則した資料を作れば「勝手に独自な動きをする」。顧客が求めている情報やノウハウ資料を自分自身で独自に開発し、相談しても「勝手なことするな、会社のテンプレを使え」です。会社的にクレームが多いような面倒な顧客、売上が上がりにくそうな顧客、ニーズが複雑で問題解決が一筋縄ではいかない顧客を回せとばかりになっていきました。労あって功はなし。私は違った意味でネガティブになっていきました。一方で顧客からはありがたい評判です。

結局何とか真摯にやっていれば若手などが理解してくれるだろうと頑張りましたが、その若手がどんどんと会社に染まっていく中で、変人たる私は残りの人生はポジティブに行きたいと50歳を前に退職し、創業した次第です。

ショートソモサン③:ネガティブの基底にある「劣等感」と「影響し合うパワー」

その後創業後の組織はどうであったか、まあその前職の人材で構成したことがまた新たなるポジネガを生み出すのですが、その話はまた後日に譲りましょう。大切なのは集団圧力によるポジティブとネガティブです。何がポジティブで何がネガティブか。皆さんはこういった事例をどう受け止めるでしょうか。

振り返って一つ言えるのは、ネガティブの大きな一因として「劣等感」があることです。前職の会社は会社自体が劣等感の塊のような状態した。日本は学歴社会です。何と云おうと学歴で評価する習癖があります。そのために高学歴の人はそれなりに優等感があります。では優等感とは何でしょうか。日本では「実る穂ほど首を垂れる」と云います。欧米では「ノブレス・オブリージュ」と云います。とにかく捉われず、ニュートラルで平静であるということです。最近ではクールという言葉が流行っています。

私の師でもあった経営者は、「上品に寒門なく、下品に勢族なし」とか「上品とはデリカシーであり、下品とはバイタリティーだ」と云っていました。そして組織にはどちらも大切だと云っていました。確かに創業期や復興期には綺麗ごとではなくバイタリティー、つまり多少の下品さは必要だと思います。今の落ち目企業は採用時点でバイタリティのない人材が集まり、なかなか勢いが生まれないところに課題があります。一方バイタリティばかりで社会的な認知として求められてくるデリカシーさが生み出せなく、類は類を呼ぶかの如く、一定線から上昇できない会社が多いのも確かです。良く云う中小企業レベルという言い回しにその揶揄が潜んでいます。私の前職もこれで一部は社内政治に明け暮れて個人的に裕福になっていますが、多くは隷属するような風土が変わりません。そしてもう創業50年近くにもなるのに、創業者が統治する30年前の規模や状態から一向に成長する兆しもありません。

上品も下品も品格として主に意識面を表す言葉のように映りますが、実は気持ちの在り様を示す言葉です。下品とは情動的な風体を表し、多くはセルフ・コントロールが出来ない様といった比較的ネガティブなイメージが強い言葉です。一方で熱量の高さを表す言葉でもあります。エンジンを回すには油まみれで駆動を賭ける強い熱量が要ります。そういった意味で初期には重要な位置エネルギーの在り様となります。生きるにおいてガツガツも大切です。

しかし人は生きる側面だけで存在するのではありません。生かされている側面があります。全ては関係の中で成り立っている中で、存在が認められた段階からは、関係を良好に維持していく動きも必要になります。それには相手と歩調を合わせたり、相手を立てることも重要になってきます。そこでは俺は俺はとかガツガツが弊害になってきます。そう上品さが求められてくるのです。ところが惰性によってこの切り替えが効かない組織が一杯です。前職の会社でも経営者はそのシフトを始終口にしていました。しかし行動は変わりません。

何故なのでしょうか。これには二つの観点があります。その一つは人が持つ気持ちの中で好嫌以外に働く感情力の存在です。何れも原点は快不快感なのですが、好嫌ではありません。それは政治行動と密接な関係を持つ権力(有力無力)意識によって相互に営まれる感情の存在です。心理学者のマズローは人間の欲求として多発的なものに2つの領域があると説きました。その一つは帰属欲求です。好嫌はここに根差す感情です。もう一つが支配欲求です。ここでは好嫌といった感情ではない気持ちが働きます。闘争か逃避といった感情です。それが支配感引いては万能感や逆に従属感、時には加速して隷属感を生み出すのです。これは優等感や劣等感の一因にもなっています。

行動科学の父と云われるレヴィン博士は、人の行動は個人の心情と環境との関数で営まれると説きましたが、その心情に最も影響する集団真理という環境要素、その中でも集団内での権力的せめぎ合いによって勃興する権力からの感情が最大の環境要素になることは研究結果から明らかです。要は権力者が与える影響が気持ちや動きに最も大きく作用するわけです。

もう一つが仕組みです。スキナーは、人は条件付けと応報との関数で行動すると説きました。条件付けとは期待に対する可能性の有無、そして応報とは評価と報酬です。結局前職では経営者の口とは裏腹に仕組みは全く変わりませんでした。相変わらず業績偏重の評価と内部政治での好嫌的評価です。実力や内容はいざ知らずで全て数字です。これでは行動が変わるわけもありません。未だにそれは変わっていないようですが、成長がないのも仕方のない話です。

鎌倉時代も室町時代もそして江戸時代も、必ず武断主義から文治主義に仕組みや空気を換える努力をしています。そして文治が行き過ぎると怠惰になり、再び武断が求められ始めます。上品と下品はそういう関係にあるのです。でも当事者本人がそれを自ら変えるのは非常に難しいのです。自分にとって居心地が良い状態を自ら捨てるには勇気が要ります。しかし松下さんや稲盛さんなど本当に組織を成長させた功労者は皆この自分との戦いに打ち勝っています。結局はトップの器以上に組織は育たないわけです。

ともあれ人は集団圧力の影響を多大に受けること、そして最大の集団圧力は統治者であるということ、皆さんもこれは骨身にこたえる経験を為さっている人も多々いらっしゃると思います。前回のとある調味料メーカーや北条政子の事例などあるべくしてある話です。

ショートソモサン④:集団の相互作用を活用してポジティブを作り出す~ナラティブアプローチ~

さてでは、そこにネガティブという感情の話を取り込んでみましょう。冒頭に話しましたが、人のコミュニケーションは論理よりも感情の方がダイレクトで俊敏に伝わります。感情的にネガティブになったらそれ以後の思考や意志もネガティブ基調になってしまうのです。それを無知蒙昧な経営者、統治者レベルがやったらどうなるか。これは自明の理ですよね。

だからこそ上に立つものはポジティブさ、上品さ、徳を身に着けることが求められるのです。

ではそういった下品な経営者によって初期設定された集団、組織風土はどうすれば良いのでしょうか。最初はどんなに清廉潔白で実直な人材も、そうであればあるほど染まっていきます。また気概あるものは辞めていきます。悪循環が始まります。これも着眼点は感情のポジティブ化にあります。全ての行動は思考も言動も感情に機を発しているわけですから、理屈や理解では変容はできません。感情の転換、集団的なシフトを相互作用を活用して行うのです。それがポジティブ組織開発の要諦です。そしてその道具性が形から入れるボンズ・アプローチなのです。まず人の気持ちを汲む動きをする。シグナルマネジメントです。そして相手をポジティブにする口の利き方や言動をする。ペップ・トークです。そしてポジティブな発想をする。ブリコラージュ思考です。そうして相手のリアクションから自分もポジティブ化を促進する。ボンズ・アプローチは、まず「やってみなはれ」です。

さて部分アプローチの集合体であるボンズ・アプローチですが(もともと社会科学はミニ理論の集合で行うのが原則。自然科学のような絶対的な理論はない)、それを融合したアプローチとして前回対話法(ダイアローグ)をご紹介させて頂きました。この対話法には更に集団のポジティブ化に有効なアプローチがあります。それがナラティブ・アプローチです。

「ナラティブ・アプローチ」とは、相手の語る「物語(narrative)」を通して気持ちをポジティブ化し、先行きの糸口を見出していくアプローチ方法です。ナラティブ・アプローチの中でも、特に病的状態の人の自主的な語りを重視する実践的な心理療法は「ナラティブ・セラピー」と呼んでいます。

ナラティブ・アプローチにおける「物語(narrative)」とは、発信者の解釈のことです。アプローチは「発信者の言葉から、発信者自体の解釈を理解するため」に行います。

発信者が自分について語るとき、それは主観であり事実とは限りません。自分なりの脚色が多く含まれていることもあります。しかし解釈そのものに着目し、発信者の解釈を、受信者との共同作業で新たなものに更新することができたとき、発信者の気持ちが大きく変容されるということをナラティブ・アプローチは行います。

<ナラティブ・アプローチの基本的な手法>

  1. イズ(ドミナント)・ストーリーを聞く
  2. 問題を外在化する
  3. 反省的な質問をする
  4. 例外的な結果を見出す
  5. シュド(オルタナティブ)・ストーリーを構築していく

 

という流れになります。例えばこれを「部下に嫌われていると悩んでいる上司」を例に見てみましょう。

 

<各ステップの詳細>

1.イズ・ストーリーを聞く

イズ・ストーリーとは、困ったり、悩んでいる人が思い込んでいる(イズ)物語のことです。多くは自分に対してネガティブなものであり、悩んでいる人はその物語に支配されて(ドミナント)、変えることができないと信じ込んでいることもあります。この上司の例でいえば、「自分は部下に嫌われている」と思い込んでいることが、イズ(ドミナント)・ストーリーにあたります。

しかし、このイズ・ストーリーは、あくまでも悩んでいる人が信じている「物語」です。物語であれば、全く違う別の物語(シュド/オルタナティブ・ストーリー)に置き換えることも可能です。

ナラティブ・アプローチでは、イズ(ドミナント)・ストーリーをシュド(オルタナティブ)・ストーリーで置き換えることを目標に、まずは悩んでいる人の話をじっくりと聞きます。悩んでいる上司は、自分が部下に、なぜ、いかに嫌われているかを打ち明けるでしょう。その際に重要なのは、悩みを打ち明ける人を否定したり、アドバイスをしたりしないことです。

悩んでいる人の打ち明け話を、予断をまじえずに聞くことで、悩んでいる人が思い込み、こだわっているイズ・ストーリーが見えてきます。

2.問題を外在化する

次に行う「問題の外在化」とは、悩んでいる人から悩みの原因となっている問題を引き離し、悩んでいる人が問題を客観視できるようにすることです。

問題が自分と切り離せずに内在化しているときは、問題を自分の一部と捉え、「ダメな自分」と自分を否定する方向に向かいます。そこで、問題に対して「名前をつけてもらう」などすることにより、問題を外在化させます。

「部下に嫌われている上司」の例は、以下の通りです。

利き手:「このお話に名前をつけると何になるでしょう?」

話し手(上司):「『部下の指導をきちんとできないダメ上司』でしょうか」

3.反省的な質問をする

「反省的な質問」とは、悩んでいる人が抱える問題に「誰が、どんな出来事が、どんな経験が」関わっているのかを、悩んでいる人に質問し、一緒に考えることです。

以下のような質問をすることになるでしょう。

「具体的に誰があなたを嫌っているのですか?」

「部下に嫌われる原因となるような出来事があったのですか?」

「部下に嫌われるとは、具体的にどのようなことがあって感じたのですか」

4.例外的な結果を見出す

質問し、悩んでいる人がそれに答える中で、悩んでいる人が思い込んでいるイズ・ストーリーから見て「例外的」とも思えることが見つかることがあります。上司の例であれば、例えば「部下は自分によく相談してくれている」ことがわかったとすれば、それがここでいう例外的な結果となります。

5.シュド(オルタナティブ)・ストーリーを構築していく

例外的な結果が見つかったら、さらに質問を重ねたりしながら、例外的な結果を補強していきます。例えば、以下のように指摘することで、悩んでいる人に気づきを与えます。

聞き手:「相談されているということは、部下はあなたを信頼しているのではないですか?」

話し手(上司):「言われてみればそうかもしれないですね」

このような問答を繰り返していきながら、「実は部下に嫌われていたのではなく、信頼されていた自分」というシュド・ストーリーを、悩んでいる人と一緒に構築していきます。

 

ナラティブ・アプローチが生まれたのは、聞き手がアドバイスすると云ったコーチングやカウンセリングのあり方に、専門家たちが限界を感じていたからです。困難に陥って弱っている相談者と、情報と知見を持った支援者の間には、大きな力の差があります。そのことを考慮せず、支援者が持論をぶつけてしまうと、相談者の気持ちが抑え込まれてしまう事態も起こり得ます。

そのため、ナラティブ・アプローチでは、聞き手が話し手の問題点をあえて見ないようにすることがポイントとなります。ただでさえ価値観が多様化している現代。その人にとって最も良い解決策が何なのかどうかは、本人にしかわかりません。支援者が専門性を手放すことで、相談者にとっての「最善」を引き出すことができるナラティブ・アプローチは、今の時代らしいアプローチなのかもしれません。

ナラティブ・アプローチの効果は、端的に言えば「対話の重視」と「組織の活性化」です。経営学者である宇田川元一氏は、ナラティブ・アプローチとは、「討論」や「説得」ではなく、「対話」を重視することだと語っています。

組織内での対話が欠けているために、上司と部下が反目し合うことは、往々にしてあるのではないでしょうか。ヤフー株式会社では、組織内の対話を促進するために、フリーアドレスの環境をつくりました。その結果、オフィス内の交通量(人の往来)が以前と比べて3倍になり、コミュニケーションが2倍になったという結果が出ました(リクルート)。

「対話に時間を費やすことは、生産性が下がってしまわないかという懸念もありますが……」との問いに対して宇田川氏は、「そもそも対話をしないから生産性が上がらず、忙しいのだと思います」と答えています。ナラティブ・アプローチはコーチングの新しいアプローチだけでなく、会社組織内で集団的に活用することにより、ポジティブな組織開発につなげることが出来ます。

次回からは少しツールをご紹介していきましょう。

それでは次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?