• 無駄と思える中にも意味がある~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-㉒~

無駄と思える中にも意味がある~組織開発(OD)の実践って、どうするの?-㉒~

~無駄は本当にダメなのか~

「無駄」という言葉はマネジメントの世界ではネガティブな言葉の代表格です。よく「3無の排除」といって「ムダ、ムリ、ムラを無くせ」ともいいます。「無駄なことをせず、やるべきことに集中しろ!」というのもマネジメントの常とう句です。

その文脈の中で行きつくところは「効率」です。「効率」はマネジメントではポジティブな言葉として使われます。効率的に仕事をするとか、効率経営はコストマネジメントにおいて不可欠なものです。これを疎かにしますといくらお金があっても足りない、という状況になりかねません。だから、効率的に仕事をするのは競争するうえで必要なことなのです。しかしながら「効率」がもたらす弊害も多々あります。例えば、人間性が阻害されるとか。

ですからプライベートな世界では、私たちは結構「無駄や遊びが持つ余裕やゆとり」を楽しんでいます。リトリートと称して「ボーとしている時間」とか。

そこで一見無駄に見えることについて考えてみたいのです。これ、”Don’t sleep through life!”ってチコちゃんに叱られるかも???

成人学習に関する様々な理論が共通して述べているのは「内省する」という行為です。つまり、一旦立ち止まり自分の内に入る。そして「感情や考え方」を自分なりに点検してみるという行為です。「う~~~~ん。」と唸ってお終いという場合もあるかもしれませんが。

U理論で有名なオットー・シャーマーもUの谷のところで「立ち止まって内省すること」と言っています。リトリートという表現も使っています。

また、「心理的安全性」で有名なハーバード大学のA.エドモンドソンは、チームが絶えず学習していくには「チームの中でリスクを取っても大丈夫だという、チームメンバーに共有される信念(これが心理的安全性の意味)」がとても大事だといっています。

E.シャインもプロセス・コンサルテーションの中で「本当の変化は人々が心理的に安心したと感じるまで起こらない」と言っています。

禅の世界でも「瞑想」はその修行における重要な位置を占めています。

いやまったく、内省はとても重要なんですね。特に、リーダーの姿勢はとても大切です。イケイケどんどんもいいですが、下手をすると「生物の定向進化」と言われるような、ある特定の方向にのみ自分たちの強みを伸ばしていく偏った活動になりかねません。ですから、リーダーこそが内省をする必要があるのです。

~無駄と思われることの中に機会がある~

組織という集団レベルで考えると、そもそも組織は目的志向的集団であり、論理的な思考を求められる集団です。そしてそこにいるリーダーはそのような「タイトな集団」を一歩一歩登ってきた人たちです。このような集団の特徴は、「過去の学習内容に忠実であり記憶力という点で優れている。妥当性が検証された因果マップに依拠した思考パターンが存在する」という事です。そもそも組織目的に逸脱するような余計なことは考えない修正が身についてしまっているのですよ(無意識に)。ただ例外もいます。それは、創業者や創業者一族のトップですね。

で、このよう目的志向のイケイケ集団にも「いや~~。ちょっと待ってください。それおかしいですよね」という、時間を浪費するような無駄な発言をする奴がいるんです。そうすると、ちょっと上からの覚えめでたい人が「空気読んで」と合図する訳です。で、無駄なことをする奴も「大人対応」を学習していきます。世の東西の賢人は「これではだめ」と言っているのです。

A.エドモンドソンが「心理的安全性」がとっても大切だとして取り上げている事例に「スペースシャトル・コロンビアの空中分解事故」というものがあります。

事故原因は、発射の際に外部燃料タンクの発泡断熱材が空力によって剥落し、手提げ鞄ほどの大きさの破片が左主翼前縁を直撃して、大気圏再突入の際に生じる高温から機体を守る耐熱システムを損傷させたことだったといわれています。

コロンビアが軌道を周回している間、技術者の中には機体が損傷しているのではないかと疑う者もいたそうですが、NASAの幹部は仮に問題が発見されても出来ることはほとんどないとする立場から、調査を制限したのです。特に当時のプロジェクトリーダーは、スタッフの意見を抑え込んでしまったのです。

この結果、問題についていろいろな角度から検討できる機会を逃してしまい、結果空中分解を招いてしまいました。リーダーや上級管理者の方針に面と向かって逆らうのは、普通はないのです。なぜかって? 後の報復人事が怖いからです。このような事例は世の中に五万とあります。

日本で思い出すのは、2002年の西宮冷蔵株式会社社長が行った牛肉偽装告発事件ですね。世の中はメディアを含め「よくぞ言った」と持ち上げたのですが、利害関係者からは取引停止処分を食らってしまったのです。

集団が心理的安全性を実感し、いろいろチャレンジしてもいいんだという気持ちを持つためにはどうしたらいいか? そのベースが「対話(dialogue)」です。

対話するには時間がかかります。当事者みんなが一堂に集まる必要があります。リーダーからすると「え~~、そんなことも分からないの!!」とイライラすることもあるでしょう。要するに「効率的」ではないのですよ。でも、これをやらないとみんなの「不安や懸念」が解消しないことが組織や集団の中には「いっぱい、イッパイ」あるんです。

一見「ムダ」「非効率」と言われ評価の対象にならないようなところにこそ「新しい挑戦の芽」「学習の種」が隠れているかもしれません。