• 「失敗の本質」から学ぶ組織論②~182 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

「失敗の本質」から学ぶ組織論②~182 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-~

日本軍の「失敗の本質」は、日本軍の組織特性にあるという視点は、組織開発をやっている輩からすればとても興味あるところです。まずは戦略上の失敗要因分析から見ていくことにします。

① 曖昧な戦略目的
戦略目的が曖昧では、実戦部隊は的確な意思決定ができないことは明らかです。日本軍は、正規軍の大規模な作戦展開に際しても「察し」を基盤とした意思疎通がまかり通り、大本営の意図、命令、指示は曖昧で成り行き主義が多かったといわれています。戦略は、持てる資源をどのように活用していくかということと、また将来に向けてどのように資源を確保するかに帰着していきますが、特にグランド・ストラテジー(目的とそれを実現させる戦略)がなければ、資源の活用と確保は行き当たりばったりになります。日米開戦自体がグランド戦略なしに始まったといわれますが、ノモンハン、ミッドウエー、レイテでもそれが露呈したのです。そしてこれを助長したのが艦隊決戦という思想であり、現場任せの大まかな作戦計画であったといわれます。

② 短期決戦の戦略志向
日米開戦に際しては、もともと勝つ見込みがないとの認識があったことは、当時の首脳部の発言によって分かっています。例えば、山本五十六は近衛首相から海軍の見通しについて問われた時「それは是非やれと言われれば、初め半年や1年は、ずいぶん暴れ回ってご覧に入れます。しかし2年3年となっては、まったく確信が持てません」と言っています。つまり、長期戦になればそれを戦い抜く力がない、なんとしても短期決戦で終わらせなければならないと考えていたのです。このような短期決戦志向は、個々の作戦とその実行にも反映しています。例えば、すでにいろいろなところで取り上げられている日本軍の兵站軽視、戦艦や戦闘機などの防御力の貧弱さ、情報・諜報の活用力の無さなどは、その典型です。

③ 主観的で帰納的な戦略策定:空気の支配
空気が支配するということについては、山本七平を代表として、現在もいろいろな人が言及しています。「失敗の本質」ではこの原因を、「おそらく科学的思考が、組織の指向のクセとして共有されなかったことにあるのではないか」と言っています。インパール作戦、沖縄戦における「大和」の海上特攻作戦などはその最右翼でしょう。インパール作戦では軍の補給参謀が、補給問題に責任が持てないと答えたのに対して、牟田口軍司令官は「なあに、心配はいらん、敵に遭遇したら銃口を空に向けて3発打つと、敵は降参する約束になっている」と自信ありげに述べたといわれています。主観的現実が客観的現実に勝るとはまさにこのことでしょう。それが、情報軽視という態度にもつながっていきます。日本軍のエリートには、概念の創造ができた者はほとんどいなかったともいわれます。これは、いまから15年程前にコア・コンピタンスで有名なプラハラード教授が来日した際の勉強会でも「日本のビジネス界では、自分達の強みを語るときに、現場で実践している細々とした事柄の説明か、顧客志向のような抽象的な言葉で語ることが多く、その中間にあたる概念化ができていない」と同じようなことを言っています。山本七平は、日本軍の最大の(負の)特徴は「言葉を奪ったことである」と言っています。筆者が40代前半にサンフランシスコでエンカウンターグループを受講した時、日本から参加した同僚が参加者の一人にフィードバックする時「俺の眼を見ろ‼」といって、相手(アメリカ人)の肩に手を置いてじっと見つめたが、相手は何をされているのか分からず、唖然としていたことを今でも覚えています。気だけではダメなんですね。

④ 狭くて進化のない戦略オプション
日本では昔から初戦の決戦で一気に勝利を収めるという奇襲戦法があり、それは日本軍の好む戦闘パターンでもあったようです。戦略概念が極めて狭いということは、第一線のオペレーションを極限まで高めるという道を選択することになります。例えば、夜間の戦闘は、8千メートル先の軍艦の動きを識別できるという見張り員の驚異的な透視能力に頼るとかということです。しかし、このような猛訓練による兵員の練度の極限までの追及は、必勝の精神主義とあいまって軍事技術の軽視につながったといいます。このようなことになった経緯は、多くの人が指摘するように日露の日本海海戦の大勝利にあり、秋山真之の「海軍要務令」にあります。しかし、海軍要務令を作成した秋山は、その当時の状況に基づいて作成したのであり、それを唯一絶対視するものではないのです。現に秋山自身が「海軍要務令が虎の巻として扱われている」と嘆いたほどです。狭くて進化のない戦略オプションは、コンティンジェンシー・プランの欠如にもつながり、本来の計画からの堅実性と柔軟性を奪うことになったのです。

⑤ アンバランスな戦闘技術体系
近代戦は、組織の戦闘であると同時に、技術体系の戦闘であるといわれます。例えば海軍であれば、戦艦・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦などの艦艇に加えて、戦闘機・爆撃機・偵察機といった航空機が密接な連携のもとに戦闘を展開します。その為には、通信機器・レーダーなどの索敵システムが有効に機能し連携する必要があるのです。こうした点からして、日本軍は全体としてバランスが取れているとはいいがたい状況でした。その代表が「大和」と「零戦」です。大和は説明するまでもなく、当時の造船技術の粋を集めた巨艦です。対するに米軍の戦艦は大西洋のドックで建造されるため、太平洋に行くにはパナマ運河を通過しなくてはなりません。従って排水量3万5千トン、艦幅33メートルという大きさに制限されます。その為に、標準的な艦をデザインすれば、それを大量生産するという発想になります。対零戦用の戦闘機であるグラマンF6Fも、徹底した標準化による大量生産が行われます。逆に零戦は、例えば軽量化するために超々ジュラルミンを使用したため、その入手と加工が極めて困難であり、大量消耗に伴う大量生産が確立されませんでした。そもそもの発想と土台が違いすぎたのです。アメリカでは、1920年当時にはフォードが大量生産システムを確立していますし、そのような科学的管理法の生産システムと技術は当然軍にも採用されるのです。一点豪華主義と名人芸は、国宝としては良いかもしれませんが、平均的軍人の操作が容易な武器体系には向かないのです。(続く)

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。