組織開発とマネジメントの相克的関係

恩田 勲のソモサン:第十三回目

私はコンサルタントという仕事と出会ってかれこれ35年を経過しましたが、その内20年はいわゆる「組織開発」と云われる分野に傾注した日々を費やしてきました。しかしながら日本においては未だに組織開発という取り組みが浸透していきません。現在東京理科大で教鞭を取られている野中教授は「組織開発」への取り組みを「組織戦略」という言葉によって表現しておられますが、それでも日本においては組織活動が戦略的な取り組みであるということが今一つピンときていないようです。
そういった日本ですが、世界においては最も熱心な教育国ですので、学校教育のみならず企業においても研修会は幹部から新人に至るまでかなり熱心に取り組まれている実状があります。特にマネジメントという概念においては強い執着を持っています。それにも関わらず同じ人材の活性化に関する組織開発が浸透しないのは何故なのでしょうか。
どうやらこのマネジメントという概念にその秘密が隠されているようです。組織と云えば必ず双子のように取り上げられるのがマネジメントです。一体マネジメントとは何者なのでしょうか。マネジメントは日本では「経営管理」と訳されています。「マネジメントの父」と称されるドラッカーは、マネジメントを「組織に成果を上げさせるための道具、機能、機関」と定義しています。日本においては、具体的な意味づけとして「組織の目標を設定し、その目標を達成するために組織の経営資源を効率的に活用したり管理をしたりすること」というように理解されています。
面白いことにドラッカーはマネジメントをあくまでも「組織が特有の使命を果たすために事業の力を集中させること」そして「その組織に属する人材が従事する仕事を通して自己実現できるための機会を与えること」と、経営を重視した視点に立った説明をしており、「組織の目的を効果的かつ能率的に達成させるために組織そのものの維持や発展を図るために物事や一定の事務を管轄し取り仕切ること」いった管理には殆ど触れていません。

つまりマネジメントは、「環境変化に対応させる経営が主体であり」、「現状保持を中心に見た管理が主体ではない」ということです。では何故日本ではマネジメントが管理になってしまったのでしょうか。マネジメントを管理と最初に訳したのは福沢諭吉だと聞いていますが、明治維新を機に始まった日本の経済発展はほぼ100%に近く欧米の模倣であり、教えられたことを忠実に保守することが発展の軸足だったといえます。またその後も1990年代の失われた十年に突入するまでは、経済基盤は需要が供給を上回る右肩上がりを前提とした経営活動が営まれたのが現状であり、変化対応とか創造といった活動は必要なかったどころか、組織的には寧ろ邪魔と見ていた風潮があり、マネジメントの概念を単に「管理をする行為」といった解釈にしてしまい、大半の組織従事者がマネジメントという概念を偏った認知に陥らせてしまう結果になってしまったことが原因のように思われます。

欧米では1980年代位からマネジメント概念の見直しが行われていますが、そのうねりは徐々に強くなっているようです。最近ではドラッカーの跡継ぎと云われるカナダのマギル大教授であるミンツバーグ氏が、マネジメントの概念を再定義しています。
1:人が自然に持つエネルギーを引き出すこと
2:自分以外の人も重要な存在として活かすこと
3:僅かな人が持つ問題を、相互にネットワークとして活動する中で大きな課題としていくこと
4:当事者の問題を当事者で解決すること
5:リーダーシップは他者への敬意による信頼の供与であること

非常に「ポジティブ意識」や「エンゲージメント」の考えが強くなっています。これまでの特に日本人がお好きな「縦関係」を中心としたネガティブ意識による「統治」の考えとは真逆とも云える動きになってきているようです。もちろんこの前提は、グロバリゼーションやダイバシティ、アジャイルといった複雑で俊敏な変化への対応に向けての創造性や新規性、迅速性の促進といったイノベーション的な動きへのマネジメント要請以外の何者でもありません。要はこれまでのようなマネジメントを引っ張れば引っ張るほどイノベーションからは遠ざかるということを意味しています。にもかかわらず日本の人材開発は、イノベーション創出に向けて必死でマネジメント強化を図り、研修を行っています。そしてその内容は旧来からのマネジメント・プログラムなわけです。実際こういったピント外れな施策がイノベーションの弊害になっている(最早遠因とも云えない)のは悲しい限りです。全く経営(経営者、人材開発担当者)の怠慢としか云えない所作です。

さてこのようにマネジメントの概念が昨今大きく変わってきているようですが、実は組織開発の実践家から見ると非常に不可思議な感があるわけです。組織開発はもとより「変化的な活動を前提とした組織の変容を促進する」アプローチです。ですから昭和世代においてメジャーな存在になりにくいのは理解できます。先述したように当時は漸進的な成長(従来の延長線的な取り組み)を求める組織が大半だったから、わざわざ流れに余計な竿を指す行為は、余程の問題意識を持つ人しか感心を持たないのは「通り」だったからです。しかし今の世は変化対応、それも不連続な変化へのイノベーション的な対応が迫られる組織が殆どです。にもかかわらず組織開発が従来の概念に囚われるが故になかなか注目され、普及しないのです。
組織開発の本質・組織の発展は、
1:組織において人は置き換えが効かない存在であり、
2:ベストな人達がベストな関係を持つ
中から相乗的な世界を生み出す仕掛け作りです。そして目指すのは社会を含めた利害関係者全ての富の蓄積(ディグニティー)であり、その人たちの意味ある幸せ(ウェル・ビーイング)の創出です。これは冒頭に紹介したドラッカーが定義するマネジメントの本質とほぼ同一です。
組織開発の具体的な切り口は「変革推進者」の養成です。今の日本の組織で云えば、ミドルアップダウンの運営風土を鑑みるに、中間管理者層の管理者から推進者への変容が得策となります。具体的には、
1:率先垂範的行動の促進
2:ポジティブ意識、ポジティブ思考への転換
3:ヒューマニティック(自慈心と利他心)による関係作り
です。
これは日本のお家芸である「禅」のマインドや取り組みと同じ考えですが、こういった意識や行動を持った影響者を組織内に多く作り出すことによって組織全体をポジティブで創造的で、信頼的な風土、まさに創業期の活性したうねりを持つ組織の空気に再生しようというのが活動の基調になります。そうして組織を人間の行動面、計画ではなく実践面で変革させようとするのが組織開発の本質なのです。
今の日本の企業や組織は組織開発をきちんと理解しているでしょうか。最早マネジメント研修という個人レベルでの強化策、それも偏ったアプローチ(特にMBA的なアプローチ)では、組織は却って沈滞や疲弊に向かって突き進む結果に繋がっていくということを押さえておく必要があります。欧米では常識的な組織開発という概念が、何故か日本の大学では教授されていません。教科書にも載っていません。そして企業内にもそれを扱う部署が存在していません。果たして日本の企業は真剣にイノベーションを考えているのでしょうか。私には不可思議に写っているのが本音です。

さて、皆さんは「ソモサン」?