モメンタムをマネジメントする ~ソモサン第280回~

唐突ですが、今週3月13日にモメンタムに対する書籍が上梓されます。

 

「クヨクヨし

ない、すぐやる人になる、心の勢いの作り方」

 

という少々長い題名になります。私は

欧米のようにシンプルな題名が好みですが、最近はこのようにきちんとイメージが出

来る題名が主流(アニメなどもそうですね)で、ましてモメンタムなどといった新語

に近い言葉はそれそのものでは社会的な関心は全く得られないようです。

 

さてこのモ

メンタム、直訳的にはまさに「勢い」ということで、今や4万円台に突入した株価

領域ではなじみある単語です。しかし株価のように乱高下するような意味と捉

えるのはこの文脈では違います。心理学的な領域でのモメンタムは、スタートアップ時の

「ダッシュ」のような存在です。或いは良くアニメで出てくるような何かが「リバー

ス」する時のシーンでのそれにも近い存在です。皆さんもオリンピックの短距離走な

どで「オンユアマーク」という掛け声とともにピストルが「パン」となった瞬間をイ

メージしてみてください。あの瞬間が「モメンタム」のいう「勢い」です。

 

モメンタムの鍵は「動き」です。良く

 

「モメンタムはやる気とか動機とどう違うの

か」

 

といった問いを受けますが、「やる気」といった「気」にまつわる考えは「静的

な領域」に対する見方です。「空気」や「大気」もそうですが、気はそれ自体で動き

を起こしません。気流は地球の自転や海流の状態に従って気圧配置が生じ、その高低

差によって発生します。つまり空気はそれ自体で動きを起こすのではなく、他からの

影響で動き出すということです。これはやる気も同様です。

 

よく「やる気を出せ」と

軽く云いますが、人は誰しもやる気の種は持っているものです。人は生来自分には肯

定的です。つまり人の本性はポジティブな指向性だと云えます。そしてその指向性は

推進しようとする力を内包しています。そういった指向性を持った気持ちを一般には

やる気と称しています。

 

それが「動き」として現れないのは、それを規制する力が働

いているからです。ということはその規制する力を弱めるなり除けるなりをするとか

規制力を上回る推進力を加勢しない限り動きは起きないということになります。力の

均衡を変えるには何らかの別の力の作用が求められるわけです。ですから「自助努

力」で「やる気」を喚起させるのは容易なことではありません。安易な発言は反作用

を起こします。

 

更に皆さんは「凍結状態の理」ということをご存じでしょうか。氷をイメージして

みてください。凍結した氷をいきなり動かすとどうなるか想像できますでしょうか。

 

そう割れて壊れてしまします。

 

これは心の状態も同様です。固まった気とは固体のよ

うなものです。いきなり動かそうとすれば嵐のように乱れ狂ってしまうことになりま

す。まあ精神疾患もその一例ですね。

 

凍結した氷は一旦解凍して流動化させないと動かせません。無理すると先のよう

に壊れるだけです。これは「やる気」の場合も同様です。「やる気」をだすには、ま

ずその気にさせなくてはなりません。

 

固まった「心気」を溶かすことが第一義になり

ます。

 

このように巷では簡単に「やる気」という言葉を用いて、それを自助努力に持ち込

んだり、安易なアプローチで結果が得られなかったり、酷い場合不信感を煽ったり

で、結局やる気という考えそのものに対しての関心を低めてしまっている状態を生み

出してしまっているようです。

 

やる気を高めたいという考えに間違いはありません。

しかしどうせそれにタッチするならば、もう少し

 

繊細にかつ科学的にアプローチする

ことが肝要です。

 

モメンタムは現実に「やる気」を「動かす」ことに焦点を当てた動的な領域でのア

プローチです。「やる気」には二つの「気」が絡んでいます。一つは「活

性した気」と「沈滞した気」という「気の状態」です。今回出版する本のタイトルにあるように「クヨクヨするし

ない」「すぐやるやらない」といった領域です。もう一つは目が届きにくい「固まっ

た気」と「柔らかい気」という「気の状態」です。心のフリーズ状態という領域で

す。前者が活性度合いと後者は固さとでもいえるでしょうか。

 

もちろんモメンタムは動的な概念として、この二つを明確に分けて捉えながら、一

つ一つに対して丁寧にアプローチしていくことを念頭にしています。活性させるため

のアプローチと解凍させるためのアプローチです。

 

この時両者のアプローチ共にとても重要な手順があります。それはせっかくポジ

ティブ推進のためにアプローチを行ったにもかかわらず、それが逆効果にならないよ

うに手順的に手を打っておくということです。

 

まず「活性した気」に対してです。沈

滞を活性化する時に着目

するのは、必ず推進的働きを充填する前に規制的動きの軽減や除去を先行させるということです。少し

想像してみてください。上に重しがある状態で下から煽られたらどうなるか。閉塞的

な圧力が増します。ある程度ならばそれは効果的に作用する場合もあります。適度な

プレッシャーは動きを加勢します。しかしやり過ぎると、そのエネルギーは爆発する

か、違った方向に勢いが噴出し始めます。そう「やる気」が歪普段は結んだ動きとし

て噴出することになってしまいます。これでは逆効果です。そうならないためにはま

ずは規制的な動きへのアプローチが必要です。規制的な動きとは例えば「過度な期待」「無

茶な目標」「ネガティブな競争意識」などといったものです。

 

そして凍結状態の解凍作業に対する方向づけです。溶けるということは瞬間どこに

流れ出すかわからないということです。例えば心が固まった一つに「孤独感」という

ものがあります。「寂しい」という感情を解凍するのは「連帯」「絆」ですが、人間

「ほっとした時」などにこういった感情を与えられると、思考以前に感情として「な

びいて」しまう時があります。これを利用して勧誘活動をするのが一部の「宗教団

体」です。孤立化した人に一見思いやり(勧誘者は本気で思いやりと思っていますか

らややこしい)に接すると心が救われた、満たされた気分に陥ります。そこに仲間

的な場を提供すると入り浸ってしまします。特に自律心が低くて依存的な人はイチコ

ロです。こうやって入信した人は、その宗教の理念など分かっていません(ともする

と最後まで分からないままで居る人もいます)。こういった人は宗教理念よりも孤独

感からの離脱が動機になっています。教義は後からの理屈付けです。宗教関係の難し

さは、この寄り合いが同じ感情を持つ人の相互関係で成り立っているという結束に対

してアプローチしなければならないということにあります。いずれにせよ、人は心が

流動的になった瞬間は簡単に他からの作用に影響される場合がありますのでケアが必

要です。私の会社の人間も、普段は結構頑固で疑い深いのですが、難関大学に合格し

た瞬間に声掛けされて、思わず宗教団体の勧誘に連れ込まれてしまった経験があるそ

うですが、人間油断した時に心に付け入られ易くなるのは誰しも同じです。

 

ということで心の解凍作業をする場合には、同時に心の安定を仕掛ける必要があり

ます。ではどうすればよいか。人は心が柔らかくなった場合、その流動的な気分が

なかなか安定せずに激しく揺れて感情的になることが多々あります。昔はこの感情的

な揺れを利用して、あえて感情を激しく揺さぶって柔らかくさせるアプローチもあり

ました。感受性訓練というのがそれですが、時には揺さぶり過ぎて制御を利かなくさ

せてしまい、自殺者を出したり、ネガティブ攻撃で人を傷つけてしまう場合もありま

した。こういったことが極力起きないように生み出されたのがマインドフルネスで

あったりナラティブといったアプローチです。これらは固まった心を解凍しながら、

同時に解放された心を自己制御させるアプローチです。

「心の四つの窓」(ジョハリの窓)という理論があります。人は誰しも「自

分にとっても他人にとっても認識された領域」、「自分は認識していても他人はそう

でない領域」「他人は認識しているのに自分はそうでない領域」そして「自他ともに

認識していない領域」があるという考えです。「認識している」とは「制御できる」

ということです。この理論に則れば、自他ともに認識されている領域が広ければ広い

ほど自他ともに気が自由であり関係も良好になれる(つまりは心が柔らかい状態)

が、逆であれば不自由で疎遠になる(心が固い状態)ということになります。そして

柔らかくなるにはまず「自らの認識を自覚」し、次に「その自らの認識を開放して伝

え」そして「他人からの認識を受け止め」れば、自動的に自由領域が拡がるというこ

とになります。このことは自己制御の在り方と比例するということになります。

 

端的に云えば「まずは塊より始めよ」ということです。具体的にはどうすれば良い

のでしょうか。直言すれば「自己との対話」ということになります。でも雑念やそも

そも固まった気持ちの状態で「自己と対話」したところで、自己概念の枠組みから逃

れられていない中、暗中模索、五里霧中に陥るのは火を見るに明らかです。最も良い

のは(信頼できる、ポジティブな)他者との対話による動機付けですが(ナラティブ

など)、それを効果的に成しえるということが実証されてきたのが5千年に及ぶ実践

に裏付けられた瞑想法です。この瞑想法を中心に開発されたのがマインドフルネスと

称されたアプローチでした。一旦心を中立にして、生来あるポジティブな心理状態を

回帰させ、自助力によって心を解きほぐして感情を上向きに解放させていくことから

心の解凍を行います。多くの場合はそれで徐々に「やる気」は起動し始めます。

 

しか

し先のように長い間に心が固まった状態にいた人や深く淀んでいた人、或いはどう

やって先に進んで良いかが見えて来ない人も世の中には結構います。そういう人たち

には「後押し」が必要になってきます。それがモメンタムです。最初は無意識的にで

も動きを起こすことです。五感的な躍動を起こします。人は意思があって動く面もあ

りますが、まず無意識的な行動が起きて、それを追従するように意思が働くというこ

とも確認されています。ですから動きが止まった人、動きが止まっていた人には、と

にかく感覚を刺激して、応じた動きを起こさせることも重要なアプローチです。実際

行動的な人は「考える前にまず動く」といった人が状況打開しているのが現

実です。人が「その気」になるには、とにかく「気」を動かすことが不可欠になりま

す。動きがなくては気は方向付けも勢いづけもされません。そういった心理現象も考

えずに簡単に「やる気」を出せというのは世迷い言に等しい言動と云えます。

 

そしてその上で次は意識的な動きになります。思いを対話的な揺らぎで刺激してい

きます。ここで忘れていけないのは規制力の緩和と除去が先であるということです。

このアプローチの中心となるのはやはり「自己との対話」です。但しここでの対話は

「覚悟」のための対話になります。「マインドセッティング」、心構えというインフ

ラを確固とさせるための対話です。これも一つのマインドフルネスです。先のマイン

ドフルネスが気分を整えて安定させるためのアプローチであるのに対して、このマ

インドフルネスは、意識的である「思い」を整えて「立志」し「不惑」させるための

自己との対話になります。このように「やる気」を瞬間的にも持続的にも高めるに

は、モメンタムだけではなく、マインドフルネスというアプローチが必要十分条件の

ような存在として求められます。

 

さて、モメンタムには二つの領域があります。一つ目

は全く未知な世界に足を運んだ瞬間での「勢い」です。これはいわゆる「思い切り」

と云われる感情を沸き立たせる「動き」です。これを「着火モメンタム」と云いま

す。「心に火を灯す勢い」です。もう一つは一歩目を歩んだ瞬間に感じた気分を更

にグッと高める「勢い」です。初めての一歩は「不安」の克服が大きいのですが、二

歩目は一度感触を得た上で沸き立つ気持ちです。それは時には「恐怖」を伴う場合も

あります。その場合一歩目よりも気分が少し後ろ向きになる時があります。その気

持ちを持ちながら三歩目に進むには、一歩目の時よりも強い押しが求められます。そ

の時に押しとなるのが「思い」です。思いとは「決断」とか「覚悟」のように意志を

伴った「動き」です。これを「燃焼モメンタム」と云います。「火種を燃え上がらせ

て焚火にする勢い」です。モメンタムは時には「着火」だけで動き出す場合もありま

すが、多くの場合は二つがセットになって「動き」を起こさせます。

 

ところでここまででもあちらこちらで言及しているのですが、そもそも自己概念というの

はなかなか自身では気が付きにくいものです。特に嵌まっているといった状況の場

合、感情的にも集中してしまっているので自分に目を向けることなどは困難の極みに

なります。皆さんも「バイアス」という言葉を聞いたことがあると思います。バイア

スとは「心の偏り」のことです。一般には「思い込み」とか「決めつけ」と云います

が、人は自分には肯定的な存在ですから、殆どの場合「自分は正しい」と想起してい

て、その自分の想念が「偏っている」などとは思いもしません。むしろ他人から指摘

されると「防衛」的に反応して攻撃や逃避といった機制行動に出るのが通例です。他

人の声など「今日耳日曜(聞く耳を持たない)」とばかりに耳を閉ざして聞き入れようとはしません。これ

が、ましてや自分にとって不安とか嫌悪といったネガティブな感情を惹起させる内容で

あったり、言い回しであれば猶更反発するばかりです。先ほどの宗教に嵌まっている

人などが好例です。そうです、これが人間の日常の心構えというものです。このよう

な人という存在が自身で自身を見つめて心構えや気持ちを変えるなどというのは本当

に至難の業になります。簡単に内観とかメタ認知とかいう人がいますが、実践となる

とまことに大変な話になります。自分の自助努力で「やる気」を出すというのはそう

いう世界観での行為です。本当にコールタールの中で足を進めるようなもので、一定

の技でも持っていない限り力尽きてしまいます。

 

その技の供与としてマインドフルネ

スとかモメンタムのような技法があり、それを紹介しているわけですが、その技法を

どのような形で使えばよいのかといったツボやコツは経験的に身に着けるほかには手

立てがありません。また気持ち的にエネルギー自体が枯渇状況にある場合、自助努力

的には何ともなりません。そこではどうしても本当の意味での手助けが必要になって

きます。エネルギーの補填をしたり、歩みのナビゲートをしたりといったアプローチ

が必要になってきます。具体的にはコーチングとかファシリテーションとかメンタリ

ングとかカウンセリングとかトレーニングといった様々な切り口がありますが、それ

らを総称してマネジメントと云います。具体的には

 

気付きを促すための場を設けた

り、

気分を高揚させる声掛けをしたり、

思考の方向付けや転換を促す対話をした

り、

歩みの介添えをするための同行をしたり、

目標を目指すための灯台的に範を示し

 

といった動きを起動させ、活性させる加勢的な動きを添加する関りをしていくこと

です。これは個人に対してのみならず、集団単位に対して演出していくことも含みま

す。ポイントは関わるということです。

 

マネジメントとは外的に動きを支援し加速させるという勢い付けをすることです。

 

諄いですが、もともとくよくよしていたり、パットしていない人は「自分がそうなっ

ている」ということ自体に自覚が乏しいわけです。また自覚していたとしても、トー

ンダウンしている状態で自力更生などは困難の極みというのが現実です。それには外

からのきっかけや加勢が必須になります。例えば無意識に対しては「気付き」の場や

「動き」の場を与えることです。火付けへの支援をすることです。そして意識面に対

しては「思い」へのエネルギー充填をすることです。せっかく点いた種火が消えてし

まわないで本火になるようにふいごで焚き付けて、火が熾火的に持続的に燃焼するよ

うに仕掛けるのが本来のマネジメントの仕事です。

 

特にマネジメントとして重要なのは、「思い」に対しての演出です。人は基本言語

によって自分の意思を生み出しています。対話や声掛けによって人のエネルギー状態

は加速も減速もされます。気分は外見や態度といった表現に影響されますが、思い

は一定の理屈によって営まれます。そして人は社会的存在として他との関わりで自分

の存在を顕示している以上「他からどう思われるか」が最も大きな現動力になってお

り、その他たる他者の関わり方次第でエネルギー状態は強く上下します。

 

その最たる

影響力がマネジメント的な関りになります。何故ならば人にとって自分の存在が他者

や社会に最も強く顕示されるのが「権力」という影響力である以上、権力から受ける

やる気や動機を生み出すエネルギー操作の影響は絶大だからです。そして組織社会に

とってその権力的影響を最も醸し出すのが上司であるマネジャーという存在だからで

す。

このようにやる気やモメンタムといった心に関わる動きやそこから生み出される活

動を俯瞰する限り、現実的な視点で捉えるならば、素地としての自覚や自助努力は必

要条件ですが、本当に実現性を生み出すのは他者からのエンパワーが十分条件であ

り、中でも鍵となるのがマネジャーのマネジメントの在り方ということを銘記するこ

とが求められます。実際世の中を見る限り、これとは真逆になるアプローチの姿と深

刻な心の状態を生み出している現場の実態を目にします。

そういった危機感を踏まえて、次回からは「モメンタムのマネジメント」「モメン

タムリーダーシップ」を視点の中心にモメンタムの世界観をご紹介して行く予定にし

ています。最初は「着火モメンタムと感情のマネジメント」についてです。

それでは来週もよろしくお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?