• ソモサン第170回 「組織道を実践する。コンパッションクライメイト(Climate)という環境を醸成していく」

ソモサン第170回 「組織道を実践する。コンパッションクライメイト(Climate)という環境を醸成していく」

ショートソモサン(1)「論理」的に信頼関係は醸成されるか?

皆さん、おはようございます。

唐突ですが、先週NHKの「チコちゃん」で第○回目という言い方は間違いだという指摘が名アナウンサーの森田美由紀さんから為されていました。題も目も順番を表す語なので重複するから同時に使うのは誤りなのだそうです。

ということで今回から「目」は外すことに致します。弊社のスタッフは大学受験模試で国語の成績がよかったそうで、校正などは全て任せているのですが、「もう、注意してよ」と言ったところです(笑)。

さて今回はお約束のセルフコンパッションの具体的なプログラムに踏み入っていこうと思います。

これまで何回かご説明させていただいて来ましたが、セルフコンパッションは目的ではありません。セルフコンパッションは「自己肯定感(セルフ・アファメーション)」を高い状態に維持させるための手段です。自己肯定感は「レジリエンス(立ち直る力)」や「利他心」、あるいは「セルフ・アウェアネス(気づく力)」の根幹となる心理状態です。最近手法論に偏り、表面的になりがちですが、さまざまな組織体で取り沙汰される「ダイバシティ(多様性)」「インクルージョン(企業内すべての人間が仕事に参画する機会を持ち、それぞれの経験や能力、考え方が認められ、生かされている状態)」もその根っこはこの自己肯定感に辿り着きます。しかし「言うは易く行うは難し」といったところで、いきなり自分に「はい、自分は自己肯定感が高いです」と言ってすぐに高まるモノでもありません。それを導く何らかの心構え、助力的なエンジンが必須となってきます。それがセルフコンパッション(慈悲心)の果たす役割なのです。

ところで組織開発を手掛ける私としては、組織活性化の要は人と人との忌憚のない関係づくりにあると考えています。一般にはコミュニケーションが円滑に為されている状態ということになりますが、私的にはそれでは不十分で、明確には「情報や思考の非対称性がない状態」の実現と認識しています。これはなかなか深淵なテーマです。もしも人がコンピュータのように感情なく、あくまでもデータと論理だけでやり取りできれば非対称化は実現可能になることでしょう。実際にそれを目指して取り組んでいる組織体もよく目にするところです。ロジカルシンクとかロジカルコミュニケーションとかいったプログラムに多くの投資をする企業も幾多とあります。

しかし少しでも希望像に向けて近づこうとする取り組みや努力は千金に値しますが、人から感情という要素を排除することは不可能です。また忘れてならないのは感情は果たしてノイズなのかということです。これまでも取り上げて来ましたが、論理を司る「知性」と意志を司る「意性」は違う領域にあるということです。知性としての情報や思考を幾ら積み上げても意志には到達しません。意志を構成するのは知性だけではなく「気持ち」とか「感情」と称される情性という存在があるからです。知性と情性の関係は「静と動」「冷と熱」の関係に近いと考えられます。現在AIの研究が盛んに行われていますが、その中で没頭する学者たちはコンピュータの性能を高めれば限りなく人間の脳に近づくことが出来、いずれは心や意志を持ったロボットを作ることは可能であると主張していますが、こういった人たちは感情という要素をどのように捉えているのでしょうか。ロボットに意志を持たせられないのは私は感情が組み込めないからであると見ているのですが、興味深いところです。

さてこの感情ですが、私は人に自発性や未来に向けての創造性をもたらしてくれる、知性とはまた違った意味を持つシグナルと見ています。知性はあくまでも過去のデータを有機的に組み上げた静的な産物です。しかし人の行動や意志はこの有機的な情報や知恵によって自発されるものではありません。そこには起動源となる動機という熱エネルギーの発露が求められます。火付けのような存在です。これが感情の持つ機能であり役割です。

ともあれ人の活動に感情は必要不可欠です。そのことは組織における関係作りにも大きな影響を及ぼすことになります。まず先に挙げたような論理だけでの関係は、少なくとも現在時点までのルーチン稼働や保守的な活動においては一定の効果が生み出されることでしょう。それはそれで重要な面も多々あります。しかし環境とは変化が常態です。またその変化は予測不能なものも一杯あります。人や組織はその変化に合わせて柔軟に対応していかなければなりません。そこではルーチン稼働がマイナスに出ることも頻発します。

ロジカルシンクやロジカルコミュニケーションを極めた世界は、ルーチン稼働や過去の繰り返し変化には最適です。しかし新規や変異的な変化には致命的になるということも見落としてはなりません。そういった意味において感情が組み込まれたコミュニケーションや関係づくりは必要悪のような存在になっています。感情はコミュニケーションや関係づくりにとって諸刃の剣と云った方が適切かもしれません。しかし組織における人間関係においての肝ともいえる「信頼関係」という言葉は、明らかに感情が組み込まれた関係性であり、寧ろ必要十分条件の存在になっているのは間違いのない事実です。

ショートソモサン(2)ポジティブな人間関係になるとどんないいことがあるのか??

にも関わらず、対称化が極めて稀で、それに応じて取り扱いが非常に難しいが故に組織開発や対人関係づくり、コミュニケーション開発において導入や関心が遠ざけられる傾向にある感情的要素を抜きにして真に生産性向上に相応しい組織開発はないというのが私の帰結点になっています。

では人によって繊細にズレや温度差が生じる感情という要素を組み込んだ中で、忌憚のない関係づくりを行うにはどのような生成過程を辿れば良いのでしょう。

少なくともまずそこで求められるのは人間相互における「ポジティブな人間関係」の創出です。人間にとって感情の想起は論理的な思考よりも俊敏かつ直接的に作動します。そのため論理的な思考は感情の影響をモロに被ることになります。感情がネガティブに発動すれば思考の組み立てや流れもネガティブを基調としたものとなりますし、それがポジティブなものであれば思考も同様な基調となります。

従って組織において生産的な関係づくり、信頼関係の創出には、何よりもポジティブな関係、状況作りが先決であるということが明白になります。ロジカルなやり取りにはロジカルになり得るための情報提供や思考の流れといったお膳立てが必要不可欠です。それには関わる人がそういった姿勢でなければならないということは言うまでもありません。ロジカルであるためにはまずポジティブでなければならないというのが前提条件なのです。

即ち有効な組織開発を行うためには、そこに関わる人たちがまずポジティブでなければならない、少なくとも集団力学的に6割以上のパワー所在がポジティブな人たちで営まなければならないということが命題になってくるのです。これは理論で遊んでいる学者さんたちの目線ではなく、実践者として携わる立場としての実感です。実際組織開発が実務として成功して来ない真因はここにあると見ています。

組織開発を有効なアプローチにし、実務として使えるものにするには、コミュニケーションを生産的なものとし、信頼関係づくりというアプローチを有意なものにするには、論理としての情報の非対称性の解消の前に感情的な共振、つまりポジティブ心理のベクトル合わせが先取の取り組みであるということは確かです。人の話をポジティブに聞く。

人の話をポジティブに受け止め考える。人に対してポジティブに話す。物事の解決や進展をポジティブに協働し取り組みを進めていく。こういった心根を関係者が持った時に始めてそれぞれが持つ論理的な側面が有機的な組み合わせとなり、有効な世界が生み出されるというのが組織開発の本質といえます。

因みに「ポジティブな人間関係」という概念の指標の一つとしてWell-being(良好状態、ポジティブ意識)を研究している学問として「ポジティブ心理学」という存在があります。

ポジティブ心理学ではA.バンデューラ氏が「自己効力理論」、E.L.デジ氏やR.M.ライアン氏が「内発的動機付け」研究を行っていますが、ここにおいて「ポジティブな人間関係」と「自己肯定感」が密接な関係というよりも表裏の領域にある主題であることが示されています。そうポジティブな人間関係を生み出すには、自己肯定感の向上が切っても切り離せないアプローチとして求められる、ということになるのです。

だからこそ組織開発やチームづくりを主業とするJoyBizとして、個人開発である自己肯定感の向上に対するアプローチは、是が非にも取り組まなければならない領域であるということになるわけです。

ポジティブ心理を生み出す自己肯定感は「自らの存在やあり方を前向きかつ積極的に評価できる感情」ですが、自己存在感や自己効力感(合わせて自尊感と称します)の様に他者との比較によって外発作用によって生み出される感情ではありません。あくまでも内発的に「あるがままの自分」を認容し、「それ以上でもそれ以下でもない独立した自分、地に足が着いた揺るがない自分」によって創出される感情です。

こういった感情の創出が出来る自己概念を持つ人は常にブレず、冷静かつ客観的なものの見方をしますし、論理的で公平な判断をします。そうそう他者からの感情に揺り動かされることはありません。かといって感情がないわけでなく、感情の制御によって必要な時にはエネルギッシュでアグレッシブに自発活動をします。自信に満ち溢れていて、人に寛容ですから人に好かれます。またポジティブな影響を与えますから人から信頼もされます。

ユニークなのは歴史的に見てもこういったレベルにいる人は総じて利他的であるということです。今回は紙面の都合で利他論は致しませんが、自己肯定感と利他心が一対であるということの証もここに潜んでいます。利己的な人がすぐに他人と自分を比べたがるのか、それとも他人と比べるが故に利己に拘泥するのか、どっちが先かは分かりませんが、何にしても常にかつすぐにネガティブな心理状態に陥って面倒臭いのは間違いのないところです。

こう云った人は周りも巻き込んでネガティブな感情を伝播するので全体が暗くなり疑心暗鬼が蔓延るので全く良いところがありません。感情は思考を凌駕します。ネガティブ人材はある意味腐った林檎の理論の如く、チームや組織全体を席巻してマイナス方向に引き摺り込んでいきます。集団力学によれば、リーダー人材はそのパワーからしてたった一人で組織を壊していきます。リーダーがポジティブかネガティブかは死活線です。頭の良し悪しなど二の次な話なのです。

ショートソモサン(3)「自分を受け入れる」という感覚を邪魔するものは何か?

このように組織や集団、対人間を最初に定義づけてしまう自己肯定感ですが、これはどのようにセルフマネジメントして行けばいいのでしょうか。

理想は何らかの経験や成功体験によって高い自己肯定感を確立することです。少し歪な事例ではありますが、一つ例をあげてみましょう。日本では自己肯定感をあげる一つとして学歴があります。日本では人間評価の中核が学歴という偏った文化があります。今回その是非は論外とします。現実としてありますし、事実として至る所でそれで評価されます。それ故日本人は誰しも信奉の如く非常に学歴に拘ります。

特にユニークなのは学部といった専門性ではなく、学校名といった組織単位の包括性で論じるところです。まさに日本の集団主義の真骨頂です。このレベルよりも集団のレベルを優先するのです。これによって集団依存の高学歴(高学校歴)を専門レベルの高学歴よりも重視する私大もある位です。旧帝大卒よりも幅を利かせ、かつ自信満々の私大卒の存在というのも面白い話です。

本題です。私の経験からすると、結構高学歴の人ほど自己肯定感が高い人が多いということです。いわゆるコンプレックスが薄く、話が論理的で感情移入が少ないと同時にとてもポジティブな人が多いのです。話に歪みや曲解がないことに加え、何よりも感情の波長が前向きに増長されるので、私的には非常に話し易く意見が進展するという実感があります。

ただ人としてのきちんとした自己肯定感といった見方からすると、学歴といった偏った自己肯定感の場合、もっと人生観に基づいた他の否定感が混じり合うことが多く、どちらかと云うと自己肯定感が高いというよりも一部の自尊感が満たされているといった場合が多く、自己肯定感的には未達というか不安定といった方が相応しいように私は見ています。

例えば高学歴なのに痴漢のような犯罪に走ったり(モテなかった?)、人を貶めてでも金に走る人がいたり(心理学的には仮託愛と云います)、利己心に拘泥するなど歪な人が多いのも事実ですから、一概に高学歴が高自己肯定感とはいえないのは確かです。これは経済的な成功者も同様といえます。人間として卓越するというのは中々ハードルが高いようです。

このように悟りの境地に至るには大変ですが、少しでもそこに近づいて、精神を安定させ、感情に左右され難くポジティブな気持ちを維持できる境地を得ることは出来ないのでしょうか。自助努力で自己肯定感を高めつつそれを維持させるアプローチはないのでしょうか。

ポジティブ心理学ではレジリエンスというアプローチを持って自己肯定感の向上や確立に向けた研究がなされてきました。そういった取り組みの中で、特に有効な作用をするアプローチとして見出されたのが禅の概念から取り入れられた哲学観や体幹技法でした。これらは元々は精神医学の治療法として導入され、相応の効果を示したアプローチを健常人にも応答した切り口でした。

そういった実践学の中からさらにブラッシュアップを重ね、それぞれがバラバラだったアプローチを統合した概念がセルフコンパッションというアプローチに一本化されました。このアプローチはまさに仏教における禅のごとく、じんわりと自己肯定感向上に染み込んでいく取り組みだといえます。

セルフコンパッションとは「自己慈愛する」というアプローチ概念です。慈愛とは何でしょう。自愛ではありません、慈愛です。慈愛とは「自分の悪いところ、良いところ全てに目を向け、それを受け入れ、自分への温かくて優しい感情を高めていくポジティブな行動」です。ここで着眼するのは「思考や感情の根拠や反証となる事実を探して、これまでの考えや捉え方を修正する」といった修正的なアプローチではないということです。二値的に物事を見るのではなく、多様に物事を見るということが重要です。また「原因追求ではなく、問題解消を目的とする」ということです。

更に「頭の中での理屈ではなく、心の中での気持ちの昂揚を大切にして、心のエネルギーを充填する」ことを重視して、安心感や安定感によって肯定的な感情を生み出すように「現在自分にあるものをそのまま受け入れる」ことを心身で体現させるということです。

セルフコンパッションのアプローチは、マインドフルネスのアプローチと密接な関係があります。マインドフルネスは、まず「自分の内面にある考えや感情の起伏を感覚の変化の如く受け止め、それをメタ認知として達観する」ことから「自分の考えが気になったり、感情の衝動性に支配されて感情の抑制が上手くいかない状況を治める」アプローチです。

マインドフルネスではこのような過程を「瞑想法」で常態化させようと取り組みます。医学的に瞑想法は「雑念によって疲れやすくなる脳機能が平静になり、身体的な部位や内臓で生じた反応も穏やかになる」ことが分かっています。

そもそも人は集団的存在として、関係の中で安定性を見出すように作られています。ですから人は「自己と他者の苦しみを感じ、それを取り除くべく他者に愛情を示し助けようとすることで、内面の強さが増し恐れをなくしていくという心根を持っている」ということが知られています。これは世界中の宗教でも皆が上げていることです。

当然他者に何かをしようとするならば、まずは自分自身が安全で健康的でなければそれは成し得ませんから、その状態を得るためには、「まずは自分が他者と優しく繋がっている感覚に気づくことから、そういった優しさを自分に向けることによって内面にある恥や否定的感情を和らげることが最優先である。

それによって自分自身を安定させることからすべては始まる」ということがセルフコンパッションの真髄です。

セルフコンパションは「自分の内面に浮かび上がる否定的な思考や感情を、もう一人の自分が優しく丁寧に自分の感覚に気づくように促していき、恐怖や怒りを感じている自分を観察することからその思考や感情そのものに気づ苦ことからそれを達観することで内面のネガティブを是正する」というステップを取りますが、その入り口に辿り着くには、その前に自分の思考や気持ちをニュートラルにする必要があります。

人が自分の歪みや偏りを知り、心をニュートラルにするには幾つかのアプローチを組み合わせる必要があります。

ショートソモサン(4)セルフコンパッションを高めるための方法は?

人が自分を測るためのアプローチ技法は大きく内観法(自分で自分を見つめる)、そして他者対話法(人からの多様な見方を知)、科学的分析検証法(診断やテスト、モデルによる解析)、体感法などがありますが、これらのアプローチ技法を状況に応じて幾つか組み合わせるわけです。例えば体感技法の一つにマインドフルネス法があります。マインドフルネスは内観法の一種ですが、体感的な技法も織り込まれた効果的なアプローチ方法です。

マインドフルネスではネガティブな声は「音」として、自己批判的な思考は単純に「考え」として、怒りのような感情は「感情の昂揚や起伏」というように感覚として捉え、現実をありのままに受け止めます。そして自分の欲求に気付き、生じてくる感情に支配されないように、平静でいられる状態を作るように集中に徹します。

マインドフルネス法を単独で行うと、集中することから確かに心は平静になりますし自分の感覚に気づくことも出来ます。そして日常感じない感覚があることにも気付きます。しかしそれによって自分のネガティブさが修正されたり慈愛心が湧き出てくるという領域にまでは達せれません。そのため禅でも宗派によって様々な補完のアプローチを織り込んでいます。例えば臨済宗の看話や様々な説法や講和などの学習です。

体験学習では体験と知的理解の組み合わせがセットになって初めて効果があるとしています。いくら体感や体験をしてもそれが学習的に一般化しなければ持続的な状態にはならないからです。一方体験もないのに幾ら知的な刺激を受けても、暗黙知(例えば火の熱さは触れなければ分からない)が習得出来ないので、絵空事になってしまい、やはり身にはなりません。有効な学習には両者の組み合わせが必須なのです。

マインドフルネスによって一旦ネガティブな感情を鎮めることは出来ますが、それを持続的にするには、どうしても意識の変容が求められます。そこで効果を発揮するのが認知調整アプローチです。これは精神的な病を治療するにおいても効果を見出している認知行動療法の技法を健常人のメンタルヘルスに応用したアプローチです。ここでいうところの意識とはまさに認知のあり方を指しているので、その調整に適応しようというわけです。

セルフコンパッションにおいては、マインドフルネスによって平静となった状態を起点に、まず浮かび上がってくる否定的でネガティブな思考や感情を、もう一人の自分が優しく丁寧にそれは単純に「自分の感覚の世界である」として気付くように促していきます。恐怖や怒りを感じている自分をもう一人の自分が冷静に観察し、当事者として独話的に拘泥している自分の感情や思考の状態を優しく客観視できるように心の中で対話をしていくのです。こういったアプローチを心理学ではメタ認識と称します。達観という言い方をする人もいます。

その際に認知の幅を拡げるべく2つの質問を想起させます。一つは「自分の状態は自分が作り出しているのであり、自分で自分を狭めている」ということ。もう一つは「困難に直面した時に起きる苦しみやネガティブな思いは万人に共通した感情や思考であり、それ自体が悪いものではない。また失敗や困難自体が人間である以上誰にも共通しているものであり、自分だけの話ではない」ということです。

その上で「自分も人間である以上他の人同様艱難辛苦はあるし、大事なのはどう受け止めるか、どう考えるかの方である。自分には悪い面もあるが良い面もある。悪い時もあるが良い時もある」と自己批判よりも自己賛美をするように心掛けるのです。

その際、なぜ自分がこれまでのような思考をしたり、感情的になるのかを探索するために「ライフライン」といった人生を探索する技法を取り入れるのも効果的ですし、今の思考や感情のままで生きていくとどうなっていくかを探索するために「墓碑銘」といった今後の人生を見つめる技法を取り入れることも有効です。

また精神的な病に陥っている人たちのようにすでにネガティブの嵐に巻き込まれている人の場合は、自助努力では脱出が困難な場合もあります。これは健常人も同様で、幼少期からのトラウマに近い思考や感情レベルにある人の場合は、対話法による他者からの刺激(他者を見る、他者の声を聞く)、特にポジティブな刺激で新たなる自分を見出す技法も有効な一手になります。人は思い込みレベルに陥ると自分を見つめること自体が怖くて、なかなか内観ができませんし、またメタ認識がしずらいものです。そういった場合は他者の見方という力を借りてテコ入れして貰うことは大切です。

ショートソモサン(5)組織全体にポジティブな関係を生み出すためには何が必要か?

そうしてセルフコンパッションによって自己肯定感が向上してくれば、ストレスは徐々に減少し、否定的な思考が抑制されることになります。レジリエンスも高まってきます。そして何よりも冷静さが保てるようになるので合理的思考が出来るようになります。ロジカルシンクはそういう状態になってこそ有効なアプローチです。

論理的思考ができない人はメタ認識や自己の探究が上っ面になりがちなのも確かです。だからといっていきなりロジカルシンクは「糠(ぬか)に釘(くぎ)」です。そもそも幼少期からの学習力で基盤的に論理力が足りていない人は一杯います。そういう人たちにロジカルシンクを教えてもまずロジカルシンク自体が分からない、使えない人の方が多いのが実状です。

ロジカルシンクで自己を探求する合理思考的アプローチ(原因追求修正)の技法が今一つ自己肯定感向上に効果がないのはそれが理由です。それよりもセルフコンパッションで論理的には稚拙でも、まず自分をポジティブに見れるような状態にし、体感や体験を通じて自己肯定感を上げていく方が実践的で効果的です。

ところで、ではこのセルフコンパッションは組織開発やチーム作りにどのように役立つのでしょうか。

ミラーリングという言葉があります。「人は自分の鏡を他人の中に持っている。人は他人を通して自分を見ている」という考えです。実際最近では人は「ミラーニューロン」という因子を持って他者と共感したり繋がりを持っているということも脳科学的に実証されてきています。

確かに人は自分で自分を見る見方で他人を見ようとします。現実には相手は何も考えていないのに、自分が相手を見ている思考や感情で相手も自分をそう見ていると思い込んだり、防衛規制の中でも投射といって自分が相手を嫌いなことを、相手が自分を嫌っていると合理化する反応があったりします。

よくある話としては、自分が持つ力を相手にも要求する思考です。「これくらい分かるはずだ」とか「これはできて当然だろう」といった思い込みによる亀裂やハラスメントは至る所で見られます。

この典型が「自己肯定感が低い状態では、自分に対してネガティブなだけでなく、相手もネガティブに見えたり、反射的にネガティブに対応してしまう」ということです。そうしてそのネガティブは特に感情的な流れを中心にまるで波のように相手に伝わり、やがてそれは口をついた思考的な流れとなり、チームや組織全体を覆っていきます。これが続くとそれが規範となり風土文化に定着していくことになります。

特にチームや組織において影響力の強い人がネガティブですと目も当てられないことになります。自己肯定感の低いリーダーの元は本当に悲劇です。どんなにポジティブな人でもネガティブな力に凌駕されていきます。自覚のないハラスメントやヘイトが横行します。ネガティブにパワーが乗っかると始末に負えません。

ではどうすれば良いのでしょうか。セルフコンパッションの次は「コンパッションクライメイト」を醸成することです。セルフコンパッションでは自分をポジティブ化するようにまず「自分の良いところや悪いところを客観的に捉えた上で、自分の良いところや自分がして他者が喜んだことを思い出して、肯定的な気持ちに自分を置きます」。そして「自分が安全で幸福で健康で悩みや苦しみが無くなるように、感覚を受け止めながら言い聞かせをしていきます」。

これを日々繰り返すと徐々に慣れが生まれ、心理的に穏やかになっていきます。またポジティブが心に浮かぶようになります。このアプローチは瞑想法と共に毎日行うと有効です。これは行動科学理論でも証明されているアプローチですが、古来よりあらゆる宗教や宗派で礼拝などを通して行われている人類の知恵です。念仏、お題目など皆根っこは同じところにあります。

この手法を他者に向けて行うのがコンパッションクライメイトの作り方です。無論セルフコンパッションが出来ている人程有効に作用します。

コンパッションクライメイトでは、チームや組織で関わる人たち(できれば一人一人を想起するとより効果的です)やその集団に対して「相手やその集団の良いところや相手やその集団が他の人や自分達を含めて他集団に喜ばれたことを思い出して、肯定的な感覚を感じ取ります。そしてものごとを相手の立場に立って感情や思考などを考えてみます。更に相手を助けようという気持ちで関係を想起させていきます。

ここで重要なのは自分達の集まりの意味や意義、そして目標です。何のために自分達は関係を持っているのかです。そうして「まずは隗より始めよ」。能動的かつポジティブ基調に発信し、相手の反応や発信を受け止めるように働きかけていきます。

特に気を付けなければならないのは、「物言い」です。人は内容よりも言い方や雰囲気でまず感情的に受け止める習性があります。「口の利き方」で歪みが起きないように細心の注意を払ってください。

私たちはこれまでの空気を自らなかなか変えられない、動かせないということで膠着しているチームや組織にきっかけを作る場を演出しています(研修などもその一つです)。また影響力の強いリーダーやマネジャーの意識改善(正確には認知改善)としてのアプローチもおこなっています。

何れにしましてもアプローチは様々ですが、JoyBizが考える「ポジティブ組織開発」の趣旨はまさに「コンパッションクライメイト」の醸成であり、願うは「LIFT」の実践です。因みにこれまでの経験でこのアプローチがより効果的な集団は、「頭でっかちで対人が苦手な」理系集団や工場などというのが実感するところです。

さて皆さんは「ソモサン」?