• 本質的な思考をできる人は構造的に減少していく ~ソモサン第269回 ~

本質的な思考をできる人は構造的に減少していく ~ソモサン第269回 ~

アイデンティティが薄い企業経営や人材は利己的になる

皆さんおはようございます。

前前々回位のメルマガで弊社の専務が若手を中心とした研修会の場で「今後をどうして行きたいか」的な質問をすると、与えられた課題に対しては相当に集中するにも関わらず、まるで時間が停止してしまったかの如くの静寂の場面に結構出くわすというような見解が為されていました。彼によれば、この要因は、欲求とか希望する姿を自身で考えたことがなく、瞬間的に思考が停止してしまい、更にそこに言語化する力も伴っていないので、そこに沈黙の世界が生み出されるのではないかというのが仮説だそうです。

メルマガのコメントでの注目点は次です。「こうした事を考えたことがないので、動機づけが外発的にしか発動されない状況にある。わかりやすく換言すれば、動機づけの一番にくるのがまzは給料という状況にある」。

彼はそれについて、更に「自分の欲求や思いに対する自覚がまだなく、発想や判断を外発的な意志に頼らないと物事を思考することがしづらい。そしてそれ故に、とにかく他者評価にも目が行きやすい。引いては自分自身の目標が評価されること、権限を持つことという表現になるのが若者の行動特性の柱になっている、こうした機会がなければ評価されることや権限を持つことそのものの目的を考える機会がますます減っていくのではないか、と見解しています。

実体験からくる彼のこのコメントはとても大きな示唆を呈しています。私なりに分析すれば、まず今の若者は「自発的な欲求による目的形成が出来ない」ということが窺えます。また「過度の承認欲求によって動機づけられる」「目的意識のない権力意識に執着する」ということも浮き彫りになっています。しかし最も注視すべきは、「アイデンティティがなく、自分独自の意志を持って考えることが出来ない」ということです。

弊社の専務は今アラフォーなので、対象を20代から30代に置いて見解していますが、私のような還暦オーバー世代から見れば、この現象は少なくとも50代前半のいわゆるバブル世代位から徴候が現れていて、それが経年によってどんどん増えているように見ています。私が前職に居たコンサル会社でも、現在の60代以上の層と以下とでは、野心も含めてこういった思想や哲学観のあり方が2極化していました。50代以下は、まずもって「こういう会社にしたい」とか「こういう仕事をしたい」といった考えはなく、ただ「ここに居れば良い飯が食えるから」とか「食いっぱぐれがない」からといった人材が増殖し、当然企業において要である「開発」や「開拓」といった思考行動は減退する一方でした。またガバナンスサイドも徐々に思想が薄まっていき、40年も前の創業者の思想に依存するばかりの経営でしたから、この流れに歯止めを掛けることは出来ない様相を呈していました。それ以上にアイデンティティを持つとか考えるという力が薄まるに連れて、そういった思想や哲学を持った人材を「彼奴は理屈をこねくり回すから」といった見方で牽制し、自分の立場を維持しようとする動きに傾斜する一方でしたから、その度合はますます悪循環に陥るばかりでした。

皆さんの会社は如何でしょうか。先の専務のコメントは、「経営をしたいから経営者になる」ではなく「経営者の立場になりたいから経営者になる」といった権力意識による動機で組織が動いていった状態への憂いが込められています。確かに私が居た会社でも、経営者に上がった人は、「自分が出したい世界観への目的がなくても、一番になりたいという目的があれば十分だ」と豪語して社員をオルグしていました。

先般たまたま機会があって、同じ時期に創業した別のコンサル会社の提案書を2社見る機会がありました。当然元の会社の現在の提案書を見る機会もあるわけですが、この3社の提案力を比較する限り、そのあまりのレベルの違いに、本当にため息が出る思いがしました。恐らく社員たちは井の中の蛙の状態に置かれ、せっかくの成長の機会も失くしているのではないでしょうか。全く残念な限りです。

そこでもう一度皆さんに問います。皆さんの会社は流石にこの様な経緯は辿っていませんよね。会社の目線が外部の市場に向かずに、内部の権力抗争や政治に向いてしまっているところは非常に危険な兆しとなっています。そしてこの様な問題は経年的な積み上げによって形成される組織文化に関わる内容なのでその対処はかなり難しくなります。ましてやそこには社会的な文化の風潮が深く突き刺さってきます。でもこういった会社の内部疾患が企業競争力を失う主因になっているのは確かなことです。目先の事業戦略やマーケティング論理を幾ら駆使したところで、組織が動かなければ全ては徒労です。そしてその組織が抱える内部的な疾患が風邪くらいであったならばまだしも、各所に転移したがん細胞のようなものでしたら事は致命的になります。

組織が「惰性」段階に入ると利己的な行動が組織を癌に陥らせる

では組織における癌細胞とは何でしょう。それは利己的な権力行動です。ポイントは「利己」です。利己とは文字通り「自分だけの利」です。注意すべきは「自利」との違いです。「自利」とは「自分を利する」ことで一見「利己」と同じように見えますが、「自利」は「本能的であり、「利己」は意図的であることが決定的な違いになります。人は生来「生存本能」や「安全維持本能」そして「快楽追求本能」を持っており、それは社会生活上「必要不可欠」な条件反射のようなものです。否定するものでもありません。「自利」とはその本能を満たそうとする行動ですから除外するものでもありませんし、除外できるものでもありません。大事なのは「自利利他」という意図で、「利他になることが自己の利に繋がる」ように行動を方向づけることです。そうして相互扶助の世界によって社会の維持を確固たるものにすることです。一方「利己」は「自分だけ」です。時には「周りの犠牲を伴ってでも自分だけに利を得よう」とする行動になります。がん細胞も同じです。体内で他の細胞を凌駕しながら自分の細胞の繁殖のみに専心し、やがては体全体を破壊していきます。この最たるものが「利己的な権力行動」です。平たく云えば「自分が頂点に立って、周りを意のままに牛耳りたい」という想念です。

それが「全体の発展に寄与する状態を生み出す」「市場に向けてさらなる成長や貢献を果たしてステークホルダーにメリットを生み出す」ような結果に対する目的や意図を持って為されているならば、それは「自利利他」ですが、ただ「牛耳りたい」のであれば、それは名誉欲という我欲であり、まさにがん細胞ということになります。

でもそこの組織や文化が健全であれば、それは自然淘汰されるのが普通です。ところが先に述べたように、組織が経年による慢心とか傲慢、増長、或いは保身などで不活性化し始めると、組織全体がどんどんと外発依存となり、思考停滞となり、がん細胞に侵食されるどころか、歓迎状態に陥り、免疫作用が働かなくなっていきます。これが「企業成長の危機の段階」における「惰性」の危機です。

組織内では徐々に「楽をしたい」という「快楽追求本能」が暴走し始めて、「考える」ことや「面倒と思う」ことを忌諱したくなってきます。成長期の組織では確かに「考えなくても」「面倒なことをしなくても」物事は持続的に推移していきます。そこにあえて何かを課するのは返って厄介を生み出すこともあり得ます。例えそれが未来への準備であっても感触は「厄介」です。「快楽本能」は強烈にそれを牽制します。これは理屈ではなく感情的な反応です。「今の儘が良い」「今の延長でもっと楽をしたい」。そもそも考えない人はそれが「快楽追求本能」の本質です。

私の経験的な意識では、この本質が社会的なレベルで醸成され、スタンダード化したのが「バブル期」だと見ています。それがその時期に社会人になった層の基準値になっています。またそこに拍車をかけるのが「学歴評価」です。学歴とは日本の場合専門性よりもどこの大学か、が評価基準になっていますが、それは18歳の受験的能力までの査定であり、また意志は度外視された人物像です。つまり今50歳として32年間の努力や能力は算定的にフィルターが掛かった中での社会権力構造になっています。更には良いところの坊っちゃんや嬢ちゃんと云った「苦労知らず」というフィルターも入ってきます。現状の学歴社会はある程度裕福でないと上位にはいけません。社会的な苦労を体感しないファンタジー型人材が社会権力構造に混ざっています。

皆さん如何でしょうか。苦労知らずの坊っちゃんが、18歳までの受験能力で、バブル期に社会的苦労も知らず、50歳代で年功的に、従来の延長的に立場的には権力者になる。私は今最も使えない人材は、マネジメントの苦労も知らないバブル期がGMとか本部長とか役員とかを名乗っている存在のように思うのですが。そういった人がかなり多くいるのを目にしています。そういった人に権力的にマネジメントされるバブル期以降の、今度は苦労してきている人材は溜まったものではありません。そりゃあマネジャー以下の社員は責任転嫁されたくないのでどんどんと辞めるでしょうし、そんな会社の業績が回復するはずも道理としてありません。まして今はグローバル競争での複雑な市場です。開発や開拓の力を失った、上が責任回避して保身に執心し、挑戦が出来なくなっている企業に勝ち目はありません。酷い会社になるとその戦力に金を出さないという思考停止の無能さがことをどんどんと悪化させているのがまさに笑止の状態になっています。

確かに上がそうならば、下はますますと萎縮して「何もしない」抵抗をすることは確かな話です。でも下も下で社会的にどんどんとアイデンティティを育む場も与えられず、無知無能が進行しているのも事実です。ではどうすれば良いのでしょうか。

アイデンティティが形成されずらい社会の中で私たちは何ができるのか?

まず大事なのは、ポジティブアップです。社会環境、仕事環境的に現場は隘路状態になってきています。考える力がないので問題解決ができずに低迷しているのは確かですが、同時に真面目な人ならば悩み、感情的には疲弊したり、マイナス方向に向かっています。こういった人に聞き耳を持ってもらうには、何よりも相手が聞こうとする導入が必須です。それは寄り添う言動や態度です。一旦相手を受け入れる度量が大事です。私は「相手が正気を取り戻す過程を辿る」と言っていますが、人は原体験でマイナスがない限り、殆どの人は真面目でプラスの思考や感情を基準的に持った存在であると見ています。これは心理学的にも証明されています。ということはそういった人がマイナス行動を取るにはそれなりの理由があるはずです。それは組織の場合、マネジメントサイドの責任です。能力がないのは教育の場を与えなかったからです。場を与えても学ばないのは、やらないのは、感情や思考がネガティブになっているからです。それは認めない、くさす、高圧的にするといった人を人として等位にしない(注意:ここでいう等位は職務的な等位ではありません、職務的には差がなければ組織は機能しません。)上の姿勢や言動です。また共感しない態度です。

例えば、学者の三浦瑠麗さんがバッシングされたのも、彼女の論理や内容ではありません。彼女の態度や物言いが共感を得られず、ある種の社会的権力があった時は、それを盲従したり、苦々しくても追従していた人たちが、事件をきっかけに心離れしただけの話です。もしも彼女が金を目的に割り切っていたのならばいざ知らず、何らかの影響を人に与えたかったのであれば、才は立つし、言っていることも良いことが多かっただけに残念な話です。才が立つ人材などそう居るはずもありません。多くの人は深慮遠謀は出来ませんし、応じて感情の抑制も未開発で、感情的存在です。幾ら利が立っても好かれなければ物事は動きません。共感力が重要になります。何よりも人の懐に入る能力も重要な才だと私は思います。まして感情的な人は比して権力という意図的感情の存在にも敏感です。権力者ほど感情の妙手でないと務まりません。

さてポジティブアップには二手のアプローチがあります。

①感覚的感情へのアプローチ

これは要するに、共感です。人として同じ目線に立つ。褒める、喜ぶ、協調するといった行為があります。でも本当に人の感覚的感情をポジティブに揺するには、その人の背景を洞察して、その人の琴線に触れるような寄り添いが不可欠になります。それには人への関心が求められます。また本当にその人をポジティブに見る自分の姿勢や態度が求められます。自分を内観して自分のネガティブな面や誤魔化している面や、逃げている面を見据えながら、意識して関わっていくことが必要です。つまりは相当の知的作業が必要になります。「自分は頭が良い」と錯覚している人は、「人への関心」が非常に浅いので見ていて情けなくなります。皆さんもこれを機にチェックして頂けますと幸に存じます。

 

②意図的感情へのアプローチ

これは「出来ること」や「やれること」に照準を当てて、まずは動きを出させること。そして見えることで評価して「自信を与える」ことです。組織開発において最も大事なのは結果の前に「動きを起こす」ことです。動きも出ないのに結果もあるはずありません。人に関心が薄い人や頭が良いと錯覚する人は、常に自分を基準に、「出来るはずだ」「それでは結果に繋がらない」といった具合にヘッドトリップばかりして、ネガティブ幻想に嵌ってますます組織を暗く隘路に嵌まらせ、何よりも自信を奪い取り、自ら組織をマイナス状態に導いてきます。私は仕事を依頼された時に心配するのは、どんなにコンサルが良い技術やアプローチをしても、依頼主が権力的に邪魔をするケースです。せっかく現場をやる気にさせても依頼主がちゃぶ台返しをすれば元の木阿弥どころか、専門的な力自体も否定され失う結果となり、以後アプローチが出来なくなります。これまで何度かそういった経験をしてきていますが、権力者は本当に権力という存在を真摯に見つけて、その持つ影響を認識してほしいと思うところです。「貴方の一言がすべてを破壊するのだ」という事実です。挙げ句それを権力のないコンサルに転嫁されても最早手立てはなく、未来は潰えます。最近コンサルが潰れる例がネットニュースに乗りますが、コンサルが潰れるのは成果が出ないからです。確かに能力の劣るコンサルも雨後の筍のように出てきている現状あり得ます。しかし多くは依頼主自体に足元を救われるケースであるという事実です。権力者が権力のないコンサルに権力依存をする依頼などは以ての外です(小企業や二世に多い)が、専門性という技術集団であるコンサルに実行面で権力的な応援をしない依頼主の権力というマネジメントの最重要な要素への無知さが主因になっているという事実への自覚を強く期待するところです。

 

このアプローチに関しては、前々回のメルマガで弊社の専務も触れています。ご関心があれば(info@joy-biz.comまで)ご連絡をいただければ(恩田のソモサンを見た、バックナンバー希望、など簡単に一言いただければと思います)、バックナンバーをお送りしますので是非合わせ読んで頂けますと幸いに思います。

先日もある経営者と懇談している時に、「自分は人を信頼したいので、常に困った人材は見放さずに手を差し伸べている」と一見は良い人のような発言を聞くことがありました。その手を差し伸べた人材を私も知っていましたが、その人は常に依存的で誰かが自分を助けてくれるとばかりにさしたる努力もせずに、人の好意を当てにしてホッピングするような生き方をする人でした。彼は人の権力にしがみついて小判鮫のような生き方ばかりしており、現実にはそういった人材を登用することで周りは登用した側の経営者に甘さや不信感を抱き、結局下からの支援なく、ある日に経営者自身が上位組織から糾弾される状況に追い込まれる羽目になってしまいました。上から見れば結果を出すのが経営で、私的には結果を出せないような人材にかまける甘さが自分を窮地に立たせることに繋がったと受け取れました。実際彼の親切は「温かい親切」という奴で、それは最終的には「自分が嫌われたくない」「孤立したくない」という「利己」から出ているもので、本当に相手の人生を考えるならば、そいつに気付きを与えるように「時には突き放すよう」「厳しさを体感させるような」親切、「冷たい親切」が出来ないと見て取れました。

「利己」が心中で、見せかけ的に親切な行動をする人に賢い人や厳しく優秀な人は従いてきません。彼が追い込まれたのは彼自身にある「甘え」が見透かされたからだ、と私には映りました。私は本当の親切は「冷たい親切」が出来る人で、「温冷」の使い分けは、それこそ人に常に関心を持って、人それぞれを洞察する姿勢や思考力に基づくと考えています。経営者には自分自身へも含めて「冷たい親切」が出来る能力が基盤として求められます。

皆さんは如何思われますか。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?