• 「ウサン臭い」組織構造論を考える。権威に騙されないように -ソモサン第179回-

「ウサン臭い」組織構造論を考える。権威に騙されないように -ソモサン第179回-

ショートソモサン①:組織構造はどこまで問題を解決するか?

皆さんおはようございます。

分析を商売とする学者さん達は、本当に様々な角度から組織や組織行動を研究しています。そして理は立っても実践としては荒唐無稽な提案をしてきます。そして学者信奉の強い日本人はそういった文献を読んで、妙に得心した気になり、心理的な溜飲は下げるのですが、結局は何の動きも取りません。と云うよりも学者の理想論では動きが取れません。こうして問題は相変わらず棚上げされ、放置されて非生産的な状態なままに日々は過ぎ去っていきます。

例えば最近出版された組織に関する文献でこういった序文が出てきます。「次々に起こって来る『人と組織の問題』にどんなに真摯に一生懸命に取り組んでも、組織の構造が変わっていなければ、必ず揺り戻しにあう。それはメンバーが悪い訳でも、誰か悪いリーダーが邪魔をしているわけでもない。構造が問題なのである。」

そう、この書は組織を構造論的角度から分析した文献です。この書には「学習する組織」で名を馳せたピーター・センゲ博士も推薦文を送っています。

この本で著者はその問題に対するアプローチ方法を示しているのですが、その書評を読むと、それに対し、これまで流行ってきたマネジメント論に期待をかけて取り組んできた人達が憤っている反応とか、本当は心の底ではわかっていたことを指摘されたので良かったと得心する反応を示す姿が目の当たりにできます。

 

<文献要約>

この文献で著者は、企業が「創り出したい成果」と「現在のリアリティ」の間にギャップがある状態を「緊張構造」と呼び、その緊張を解消し「均衡」をもたらすために企業は行動すると切り出し、このとき「成果」と「リアリティ」が正しく明確に認識・共有されていれば、水が低いところへと流れるのと同様に組織行動は「最小抵抗経路」を辿って成果へと行き着く、と説いています。しかし組織が相矛盾する複数の目標に階層や優先順位を付けないまま行動した場合、一方の目標を達成して緊張を解消すると、もう一方の目標に対する緊張が高まることとなり、今度はそちらを解消しようとして「揺り戻し」が発生してくる。これを組織行動の「葛藤構造」と呼ぶが、多くの企業はこの構造状態に陥っているが故に問題が解決しないでいる、と話を進めていきます。そして全ての組織行動は必ず「緊張構造」と「葛藤構造」のいずれかによって支配されるが故に、企業は「葛藤構造」の解消を解決すべき問題と捉えるよりも、むしろ新たな構造をリデザインすることの方が早道であると論ずるのが主旨になっています。最終的に著者は、リデザインを行うには、リーダーが短期的利益vs長期的利益といったトレードオフを克服する意思決定力を持ち、その上で目標・現状・行動計画といった個々の要素をこれまでにない精度で研ぎ澄ませることが不可欠になってくると主張します。書評では「シンプルだがパワフルな概念的枠組みであり、「知ったつもり」になっている企業のマネージャー層に、もう1段階深い思考を促す一冊である」賞賛の声も上がってます。

また著者は、リーダーシップとチーム行動としての組織のパフォーマンス発揮を、オーケストラの演奏に例えます。いかにハイレベルの演者が集まっても、本番前の練習での音の集まりは単なる騒音に過ぎない。ところが、指揮者のもとで演奏が始まると、一転して素晴らしいシンフォニーになる。組織でも個々がバラバラに活動すれば、組織のパフォーマンスは上がらないが、リーダーシップを発揮して全体を統制し、同じ方向に向かわせれば、最大限のパフォーマンス発揮が行われる、というわけです。

 そしてそれを為すためには、リーダーとしてトップが目指す姿を定め、正確な現状認識を行い、そのギャップを解消する力を緊張構造として組織の推進力を生み出すことが必要だと説きます。だからこそリーダーはまず目指す方向を明示しなければならないが、その目指す姿は問題解決思考で決めるのではなく、自分たちの組織は何を生み出すかべきか、創造すべき付加価値は何か、というところから定めなければならない。そうすることで、組織は相反する目標を同時に成し遂げようとして、結果的に互いの成果を打ち消すような揺り戻し構造を脱し、ギャップ解消に向けた緊張構造により自然と前進を続けていくことができる、と主張を続けます。

 

こういった文献に対して、ある人は「専門職の個人事業主として、個人、中小企業をクライアントにしてきたが、もう少し大きな組織、チームと一緒に仕事をしてみたいと思っていた中、組織についてシンプルな分析をしている書籍である」とか、他のある人は「これまで、自分は(大規模な)組織に対して、意思決定が遅く、個々人の技量、考えが生かされず、内部での利害対立が生じることが多いものだと思い込んでいましたが、しかしこの本で、どうして葛藤的状況が発生してしまうのか、シンプルな原則(揺り戻し構造)で解き明かし、組織がどうすれば達成したい成果を実現できるのかについて、実際に企業で使われた例を示してその方法、原則(緊張構造)を示してくれています」と評しています。中には「目標実現のための構成員の情熱が足りない、企業内の勢力争いがある、上司部下、部門ごとの軋轢がある、だから、こうした、目に見える問題を解決しなければならないというやり方には、やりがいが見いだせず、不毛なことではないかと感じていましたが、その疑問に見事に応えてくれる書籍でした」といった評を述べる人までいる状態です。

皆さんは、ここまで読んでどう言った感想をお持ちでしょうか。

私的にはパーツ的に見る限りでは「内容的におかしい」とは思いません。しかし全体を見通すと何だか違和感を強く感じるわけです。まず第一に書評の中にもあるように、内容がシンプルが故に「今更感」が拭えません。しかしそれよりも強く疑問に思うのは、これは果たして構造論で云々する問題でしょうか。

「成果」と「リアリティ」のギャップを正しく明確に認識・共有すれば組織は最小抵抗で動く、などと云うのは当たり前のこととして、それがなぜか正しく認識・共有されないから組織は難儀しているわけです。また組織が相矛盾する複数の目標に階層や優先順位を付けないまま行動した場合、片方の緊張を解消すると相矛盾する方の緊張が高まり、揺り戻しが起きるなどは「葛藤構造」などとネーミングする以前の常識的話題と云えます。ここで著者は「葛藤構造」を解消するよりも構造をリデザインすることの方が早道であると主張するのですが、この研究者は本当に組織の構造的な側面が持つ意味を分かっているのでしょうか。甚だ疑問を持たざるを得ません。組織構造とは本来は指令系統の一元化を目的に統制として生み出された存在です。組織の本質は効率性の追求です。ですから組織は巨大化すればするほど、指示統制としての縦系統と事業連携としての横系統の整合性に困難が生じるわけです。

ショートソモサン②:組織活動の現実から目を背けるレトリックになっていないか?

例えば製造の使命は生産効率の追求です。テーラーの科学的管理に代表されるように標準化、簡素化、単純化が最適解です。一方営業の使命は顧客第一、複雑性の追求です。もとより正反対の使命を担う両者が葛藤状態から脱するには、両者間での調整と妥協しかありません。どんなに構造論を弄しても、リデザインしてもどうにかなるものでもありません。そもそもマネジメントとはその調整をするために生み出された存在です。リーダーシップ論もマネジメントを機能させるべく生まれてきた概念です。この著者もリデザインだとか構造問題と言いながら、結局最後はリーダーによるトレードオフを克服する意思決定力の発揮や目標・現状・行動計画といった個々の要素をこれまでにない精度で研ぎ澄ませる必要性といったマネジメント問題に依拠した展開になっています。具体的には欧米が大好きな、最大限のパフォーマンス発揮には、リーダーが全体を統制し、同じ方向に向かわせればならない。それを為すためには、まずトップが目指す姿を定め、正確な現状認識を行い、そのギャップを解消する力を緊張構造として組織の推進力に転換していくことが必要だとまとめています。

そしてこれまた欧米のマネジメント論の王道を用い、リーダーが目指す姿は問題解決思考で決めるのではなく、自分たちの組織は何を生み出すかべきか、創造すべき付加価値は何か、というところから定めなければならない。そうすることで、組織は相反する目標を同時に成し遂げようとして、結果的に互いの成果を打ち消すような揺り戻し構造を脱し、ギャップ解消に向けた緊張構造により自然と前進を続けていくことができる、といったビジョン・マネジメントに論を持ち込んでいます。

はてさて構造論はどこに行ったのでしょうか。原因を構造論だとしてマネジメント論を牽制しながら、結局解決策はマネジメント論に因っているわけです。

それでもセンゲさんが推奨しているのでビジネス書としては結構部数も伸びている様です。おいおいセンゲさん本当にこの本読んでから推奨したの?といった念が湧いてきます。

このような矛盾だらけの本ですが、先に述べたように私にとって最も気にかかるのが、日本のビジネスマンの書評です。組織の状態をシンプルに分析しているといった評は同意ですが、どうして葛藤状態が起きるのかが分かった、単なる利害ではなかったとか、情熱不足や勢力争い、軋轢といった目に見える問題を解決しなければならないといったやり方ではやりがいを感じないといった評に関しては本当に唖然とする思いがしました。この文献がいう組織の葛藤は論理的な世界です。一方読者の意見は感情的な葛藤です。この違いを見極めない問題解消はあり得ません。この認識がないこと自体マネジメント論への無知であり、マネジメントへのバイアスです。だいたいこの文献の内容自体に組織の感情的側面への瑕疵がある、バイアスがかった論の展開があります。

それにしても私は組織論の専門家だから日々当たり前の様に思っていることが、現場では意外なくらいに理解されていないと云うこと、また如何にマネジメント論のバランス取れた世界観が殆ど浸透していないということ、引いては教育自体が欠陥だらけであるということを改めて、しかもつくづく内観するところでした。そして未だにこの様なレベルで組織問題が論じられている学術領域、それも欧米での論戦にも改めて憂慮を持ったところでした。組織は元々異なる価値観や使命に基づいて構成されている有機的集団です。そこに葛藤や相克が生じるのは前提中の前提です。だからこそその軋轢を解消するには合意形成が必須です。合意の意は理と情が噛み合った世界です。いかに不毛と感じようが、実際の現場には情熱不足や政治的な勢力争いや感情的な軋轢は存在しています。組織の感情的な側面を無視して論理的に組織を語るのが構造論ですが、実存する感情的世界を無かったものには出来ません。

組織の葛藤状態を低減させるのは情報の非対称性を低減させることです。それには議論や対話といった情報交流が不可欠です。

ショートソモサン③:私たちはどれくらい情報交流ができているのだろうか?

正しい議論とは勝ち負けではありません。折衷案を作っていくことです。互いにぶつかり合いながらお互いの色味をつけて行くことです。それにはこの文献が書くように「議論を閉じる方向」を分かり易く示す必要があります。そのためにビジョンや目的の明示は大事です。しかし同時にお互いの価値観を尊重し合う姿勢や何よりも感情的な対立を軽減させるファシリテーションが重要な役割を果たします。これこそがマネジメントの肝といえるでしょう。価値観から導かれる感情は個人のものもありますが群集が作り出す特有の規範的な世界もあります。多くの人が共通に快適と思う価値観を見出すと集団はそれを維持させようと働きます。この力は個々の判断や意志を軽んじ、それを無効化しようとする惰性的な働きをします。群集はその集団化によって自らに暗示を掛けます。そういった複雑な感情的側面も葛藤の大きな要素になっています。安易に論理や構造的な見方で解消に導ける世界ではありません。だからこそ皆マネジメント問題で悩み苦しんでいるのです。

学者は基本個人です。組織行動を体感している人は少数です。だから組織の感情的な側面を実感している人は稀有といえます。そういう人たちの見解は一定の距離を持って見ていないと危険です。

マネジメントを傍目で論理的に接しているだけの人やマネジメントの全体像を把握していない人からすれば、普段目にしない構造論を展開されると目から鱗とか刮目といった評が出てくるのもあながち悪いとはいえないかもしれません。しかしマネジメントはそんなにそこが浅い世界ではありません。

実際に仕事の現場に赴くと、上から下までそれこそ縦にも横にもまず情報交流が為されていません。自分が分かるのだから相手も分かるだろう、こんな程度の情報要らないだろう、なんか言われたくないし、そもそも面倒臭い、一を知って十を考えろ、これくらい分かるだろう、察しろよ、忘れてた、理由は様々です。でも本当にきちんとコミュニケーションする人は少ないのが実際です。特に人の感情に配慮したコミュニケーションを取るような品格高い人は本当に少ない。情報は出して損することはないのに、何故出来ないのでしょうか。そして誤解曲解が横行し、そういった隙間に本当に政治がかった輩の調略や奸計が入り込み、葛藤状況を苛烈化させていく。組織がポジからネガに転換されていく。

私が実務で経験する組織の葛藤構造は、論理的な齟齬よりもそういったコミュニケーションの無さ、リーダーシップの無さによって組織の感情がマイナスに働いていることが主因になっていることの方が圧倒的です。もしも皆さんも共感する面があるのでれば、まずは先週のブログに記載した具体的で丁寧なコミュニケーションのやり方を参考に、まず実践してください。それ以上に何よりも自分の最大の問題はコミュニケーションのズボラさにある、ということをしっかりと内観してみてください。沈黙は金ではありません。ギリシャでその言葉が発せられた頃、そこは銀本位制でした。雄弁は銀。これこそが真の意味なのです。管理者は雄弁になってください。上に行けば行くほどに。そうして言行を磨いていくのがリーダーシップの啓発の王道です。感情を察し感情を見極め、そして感情を操る。これが組織の葛藤状態を解消する一矢です。

皆さんもぜひ実践してみてください。

さて皆さんは「ソモサン」?