• ポジティブ感情を導く「ボンズ・アプローチ」~LIFTプログラム②~ ソモサン第183回

ポジティブ感情を導く「ボンズ・アプローチ」~LIFTプログラム②~ ソモサン第183回

ショートソモサン①:私たちの意思は何によってできているか?~「無意識に近い意思」と「意識可能な意思」~

皆さんおはようございます。

世界で通用する人には共通点があるということが知られています。それは、常に笑顔で物腰がやわらかく、相手を言い負かすこともなく、それでいて自分の主張はきちんと押し通すといった振る舞いです。ポイントは、角を立てずに相手を操縦することです。相手の話をよく聞いている人なのはもちろんなのですが、ずっとお話ししていると、いつの間にか感情がその人のペースに巻き込まれていくといった状態になります。そうして話をしていると、その内にその人の考え方や方針も、何となく正しい気分になってしまいます。何故か心がポジティブになっていくのです。

日常のコミュニケーションにおいて、そのやり取りの基本となる意思の表出の90%が感情的な発露によって為されるというのは、これまでのコミュニケーション力開発において固定観念を持って望んでいた人たちには驚きと言えます。例えばコーチングという技術はビジネス界においてもニーズが高いのですが、そこでの手法が本当に役立っているかといえば甚だ疑問な面が大きいことなども浮き彫りになってくるからです。

コーチングにせよリーディングにせよ、重要なのは対象者との心のラポールです。ラポールとは「架け橋」、つまり信頼関係です。この信頼関係を最初に作れなくてはどんなに知的に構築されたアプローチ技法など意味を為さないからです。現代のコーチングの中核はカウンセリング技法を基軸にした「意志」の開発です。対象者に「自覚」を喚起させ、自己開発を促していくアプローチです。理屈は至極ご尤もです。

しかし、前回もお話ししたように「意志」とは「意識的意思」であり、人にはそのより深層に「無意識的意思」が存在して、それが大きく「意識」に影響しています。「意識的意思」は感情によって発露されることの方が90%な訳ですが、その感情を引き起こす「無意識的意識」が存在するわけです。こういった無意識的意識、潜在的意識のことを認知心理学では「自動思考」と表現したりしています。

果たして意識的意思と無意識的意思とはどう違うのでしょうか。無意識的意識たる自動思考とは瞬間的に湧き起こる反射的想念で、思考のみならず行動(態度や表情)や感情に直結して発動される存在です。

癖や習慣によって刻印される比較的修正可能な領域もありますが、欲求本能に近い領域もあります。例えばニューヨーク大学心理学部にいたシュネイルラが実験結果から得た、「あらゆる生物を結ぶ原理は、食物と安全な場所を見つけようという衝動、報奨への接近と、何かに食われないようにする衝動、危険の回避の二つに尽きる。これが動物行動の最大の動機付けである」という研究などがそれを示しています。一般にはこの反応を「接近モチベーション(動機)と回避モチベーション(動機)と表現していますが、この領域による自動思考はほぼ修正は不可能と言えます。

人はこういった動物的生理に近い無意識的意思から後天的に学習によって得られた意識的意思に近い人間ならではの意識まで多様な意識を有した存在です。

こういった意識群の中で人が最も影響されている欲求反応に基づいた潜在的意識群が「原体験」による意識です。「嫌悪」や「不安」「怒気」といった感情を沸き起こさせる殆どが幼少期に学習した初期設定における判断基準としての意識です。

集団的な繋がりを軸に生命を維持させ成長進化を遂げた人にとってコミュニケーション、中でも信頼関係は意思形成の柱ですが、この信頼関係を初期設定において構築できなかった、あるいは不完全な構築となった原体験を持つ人の無意識的意思は根底において「疑義」「怨念」的にネガティブな意識が刻印されます。人間にとって成長進化のために生理的にはポジティブを基調として産まれますから、初期にこの原意識が歪められると精神異常に近い意識を有する状態になることも多々です。

この原体験において雌雄を決するのが親の存在です。人の無意識的意思をポジティブ基調にするかネガティブ基調にするかを決めるのは幼少期における親の接し方です。これが心棒になります。親から愛情を得られなかったという場合だけではありません。どのような接し方をされたか、或いはその親自体がどういう待遇を周りから受けていたかといった環境が原体験となります。親自体がポジティブであったかネガティブであったかが大きく影響するわけです。

親や親を中心とした環境によって作られた原体験による無意識的意思はそう簡単に変わるものではありません。このレベルの意識を修正または転換するには、相当の自己との対話による内観や異なる体験が必須ですが、そうそう自力で転向することは出来ません。少なくとも知的理解での転向は不可能です。体感的、感情的、それも感動的なレベルでのインパクトによる心の揺さぶりが求められます。

 

ショートソモサン②:ポジティブなアプローチをしている人はどこにいる? ~ボンズ(坊主)アプローチ

「ずっと付き合う相手である自分を好きになる」ことはとても大事です。でも現実は自分でどうにもならないのが無意識的意思の発動なのです。唯一可能なアプローチがインパクトか継続による感情への刺激と言えます。内観や知的理解は感情的な揺らぎや体感があってこそ効果を発揮します。残念ながら、コーチングの技法にはそれがありません。実践としてのJoyBizは隔靴掻痒を嫌います。JoyBizが禅のアプローチを取り入れるのもそこにあります。禅で有名なのは瞑想法による内観ですが、禅とは本来体感的技法です。特に臨済における看話禅はそこに知的理解も加えられます。禅の本質は体感です。そして潜在するのが「まずは全てを受け入れる」というポジティブ・アプローチにあります。

私はJoyBizのLIFTにおけるIntentional Feeling Treatment(意図的な感情の調整)アプローチを通称「Bonze Approach(坊主アプローチ)」と呼んでいます。これは参考になった友人の僧侶に敬意を称して名付けました。

お気付きの方もいらっしゃるでしょうが、僧侶や司祭という方々は、裏は分かりませんが人に対してポジティブに接するのが基本です。時に厳しく喝を入れる場合もありますが、それはあくまでも信頼の原則が成り立っている場合においてです。私はこれは本来親の役目と考えています。しかし残念ながら昨今の親で信頼関係を前提にきちんと子供に喝を入れれる、優しさと厳しさのバランスを仕込める人たちを見たことが殆どありません。「家族を守る」とか綺麗事で子供を甘やかし、30歳を超えても自覚を持てず、自分をネガティブにしか見れない人材を続々と生み出している現実に閉口させられます。親自体がそうだからなのでしょうか。自分に言い訳して他責にして、患難辛苦に立ち向かう人材が本当に減ってきています。こういったことへの指導は親以外ではとても難しい活動になります。そこには信頼関係というハードルがあります。まして親がそれを育てず、信頼関係というものが分からない人に他者が信頼関係を作るのは至難です。そこにコーチングの限界もあります。

古来それを可能にしていたのが僧侶でした(最近は?が多々あるのも事実ですが)。それは社会において僧侶が人格者として尊敬される存在だったからです。誰もが一目置いたわけです。私的には今日において敬愛はさておき、その僧侶、特に禅がそうですが、のアプローチが社会の中で一定の精神的効果を出してきている現実を目の当たりにしてきました。その真髄が「ポジティブ・アプローチ」でした。その真価は、後述もして行きますが、アメリカで開発された「ペップトーク」の技術などにも同様の効果が示されています。そこで「ボンズ・アプローチ」です。

私は仕事上で、特にその必要を感じない近い関係の人たちを除いては、いきなり本論や論理からは入らず、まずはその場での信頼関係を構築することを求めてボンズ・アプローチをします。相手をポジティブにして相手が胸筋を開いて話を前向きに聞いて貰えるようなトークや態度を示します。やり方は単純です。相手をまずは肯定することです。相手の話ではありません。相手の人格や存在を肯定します。そして相手を肯定するための質問や相槌や受け答えをし続けることです。そして途中に相手を動機づける言葉を挟み込んでどんどん気持ちをハイに、そしてポジティブにする、いわゆる良い気分にしていくことです。

大事なのは乗せるとかおだてるといったことではないということです。乗せるとかおだてるとは相手の話だけ肯定する関わりです。単にその場凌ぎですから端から相手の話を聞いていません。何故ならば目的が単に感情的な場作りに過ぎないということだからです。そこに問題解決に対する発想はありません。ある意味上から目線的ないやらしさも窺えます。この場合は、はっきり言って相手の人格無視です。ボンズとは意図が全く真逆なのです。

何よりも乗せるとかいった下心あるアプローチには、必ず「嘘」が含まれています。まあ最初から自分の心に嘘をついた姿勢が「乗せる」といった自己都合だけの行為ですからさもありなんです。過去を紐解いたとき、世の中の優れた調略家に共通するのは「決して嘘をつかない」ということです。幾らポジティブな物言いでも嘘をつく様な人はダメですよね。これは人によって態度を変える日和見な人も同様です。

 

ショートソモサン③:物事を前に進めるために必要な2つの心構えとは?

ボンズ・アプローチの目的はあくまでも対話の効果性向上や問題解決の促進です。そのために相手の目線や波長にまずは自分を合わせるという行為です。ボンズ・アプローチでは共感はしても同意はしません。同意は相手をポジティブにすることとは別問題だからです。むしろ同意という合意点を模索し、折り合いをつける上で、相手に前向きな姿勢になって貰うための前振りがボンズ・アプローチの目的です。論理が論理として、持論が持論として相手に感情的なフィルター抜きでニュートラルに話せる、時には向こうからも好意的に解釈され、歩み寄ってもらえるような場づくりをするのがボンズ・アプローチです。

ボンズ・アプローチをするには2つの心構えと2つの技術が必要です。これからその一端をご紹介していきましょう。まずは心構えからです。

その一つは「目的意識と折り合いへの自己統制」そしてもう一つが「思いやりと気配り」です。

【目的意識と折り合いへの自己統制】

「アンコンシャス・バイアス」という用語があります。「無意識な偏見」という意味ですが、このバイアスという言葉、実は反意語がありません。何故ならば人の心は千差万別で、真の意味での正解はないからです。世の中に誤解という言葉はあっても、世界はありません。誤解とはある事象に対する解釈の違いであって、絶対的な誤りは存在し得ないからです。つまり人と人との交わりはバイアスとバイアスとのぶつかり合いがあるだけで、主観たるバイアスの中でもそれが集団の中で大勢となれば合意形成の中で客観として認知されるのが真理だからです。唯一バイアスがバイアスたる世界はファクト、事実における錯覚の世界のみです。

このように人は無意識、意識に関わらずバイアスを持って生きていますが、そういった人間が集団として協調したり共同するには個々のバイアスとバイアスを調整したり調和していく必要があります。それは折り合いをつけるということです。そして折り合いをつけるとは論理的な噛み合わせもありますが、同時に感情的な平静化も重要なポイントになります。一見すると論理は噛み合ったようで気持ちが入らず、落ち着かずで、結局行動に反映されなかったり、返って遺恨となって反作用となるという現象を始終目にします。

ボンズ・アプローチを行うには、何よりも自分自身の目的、問題解決ということへの自覚と感情のマネジメントが求められます。自分の感情の波風が抑えられない中で相手の感情を洞察するなど出来るわけがありません。

 

【思いやりと気配り】

そして思いやりと気配りです。「郷に入れば郷に従え」という格言があります。相手には相手なりの考えや気持ちがあります。相手がバイアスで自分がトゥルースであるという謂れなど何処にもありません。それを擦り合わせるにはまずはその土俵作りが先決です。野球とサッカーとではグランドが違います。条件や状況が違う中で話し合っても噛み合うわけがありません。特に感情的な歪みあいや対峙の中でまともな思考ができるはずもありません。その様な中で一番愚かなのは、「自分は平静だ」「自分は論理的だ」といった無意識的意思を発動させた感情的思い込みによる振る舞いです。その人が本当に平静か、問題解決を目的としているのか、は相手の思いやりや気配りといった歩み寄りの姿勢に如実に現れます。せめて万人的な対人への配慮や気配りくらいは働かせたいものです。

このような自己統制への心構えのやり方についてはまた改めて言及していきたいと思います。それよりも今回は人は嘘でも動かせる、といった行動科学的な技術を手始めにご紹介していきたいと思います。人は考えるから動くだけではなく、動くことから考えることもありますし、感情が論理を飛ばして行動を喚起することもあるわけです。そしてその行動が感情のあり方を動かすこともあるという複雑な関係にあります。ならば「論より証拠」まずは動きを出して行きましょう。

 

ショートソモサン④物事を前に進めるための2つの技術とは?

人をポジティブにする。あるいは人の信頼感を得るには、何よりも相手から味方であるとか自分を肯定してくれるといった心理状態に誘因する必要があります。それには大きく2つのアプローチが必要になります。「人を見て法を説く」における2つの極意です。一つは「人を見る」極意です。そしてもう一つが「法を説く」極意です。

 

【人を見る極意】

皆さんは「微表現」とか「シグナル・マネジメント」という世界をご存知でしょうか。これを一般に広めたのは日本ではメンタリストという名称で登場したDaiGoという人物です。一時期はテレビ局をまたがって大人気、引っ張りだこでした。

彼がやったのは被験者たるタレントの心を見抜く、といった心理ゲームで、その的中率に周りは圧倒され、未だにYouTubeでは大人気の様です。彼はアピールや目の付け所が良かったのでしょう。大成功しましたが、技術の世界ではそんなに目新しいものではありません。それが微表情に関する技術です。誰しもが練習で出来る様になります。というよりも対人に関心の高い人は無意識にこの技術を駆使しています。いわゆる「顔色を見る」という技術です。コミュニケーションを不得手にする人や対人に恐れを持つ人は、始めに苦手意識が先行し、幼少からこういった訓練をされないか、幼少から大人で甘やかされてこういった技術を磨かなくても苦労せず、のほほんとやってこれたかの何れかで、それが悪循環している人が殆どです。

苦手な人は一発で分かります。「まず持って人の顔を直視しない」「常に人の顔色を観察していない」につきます。最近「人の目線に気がつかない」鈍感人間が増えてきました。インターネットや学歴偏重で対人が磨かれる機会を得られていないのが主因でしょうが、人生これでは先が思いやられます。こんな人がマネジメントなど出来る筈がありません。まあその能力だけを頼りに生き延びて上になった人や問題解決という本質が出来ない人は全くもって論外なのですが。世の中偏った人たちばかりです。前回も話しましたが、人間が社会集団を維持するにはリレーションとソリューションの2つの能力を両刀使い出来なければなりません。

さて微表情についてです。微表情とは0.2秒だけ人の顔に現れる無意識の表情のことです。人は他人には嘘がつけても基本自分には嘘がつけない存在です。ですから心が抱いている真意や気持ちは必ず無意識の内に態度や表情といった振る舞いに浮き出してきます。この表情や態度から発せられるシグナルをキャッチして、その人の心理を読み、ポジティブな関係に導くのがシグナル・マネジメントです。

例えば、対話中に小刻みに口の片端が上がる様な表情の動きが起きた時には、その人の心理に侮蔑や軽蔑といった動きがある場合が大です。こういった場合、その人は上から目線で相手を見ていたり、策謀を抱いている場合がありますので、騙されない様な注意が必要になります。また話しながら眉を寄せる(眉間に皺を寄せる)といった場合、それは「悟られまい」といった心理から発せられる集中心が表情に出る場合が多く、嘘を話している証拠と見ることが出来ます。全ては瞬間的に出て瞬間で戻るのですが、注視していれば存外容易に見出すことができる様になります。反対に悟られない様にするには一貫した無表情が出来る様になることです。そうゴルゴ13の技術ですね。

心は振る舞いに出ます。行動科学で見れば、逆も真なりです振る舞いによって心を動かすこともできます。古くからの文化を持ち、かつ商業が発達した関西において「お笑い」というアプローチが場をポジティブにし、コミュニケーションを円滑で闊達なものにすべく生み出された技術であるというのは間違いのないところです。

 

【法を説く極意】

この微表情に対する「シグナル・マネジメント」が察したり、相手に非言語的な印象を与える技術とすれば、ペップトークというアサーションの技術は人の「不安や緊張」を解消し、ポジティブな心理状態に導くアプローチです。

ペップトークは、

 

  1. ポジティブな言葉を使う。
  2. 短い言葉を使う。
  3. 分かりやすい言葉を使う。
  4. 相手が一番いってほしい言葉を使う。
  5. 相手の心に火をつける様に本気という感情を出す。

 

といったポイントを駆使し、言葉に力を入れて(弊社の元会長は「言霊」と言っています)、相手を動機付ける技術です。ここで着目することは、同じ言葉でも、相手の立場や置かれている状況、その時の精神状態、そして性格や気質といった原体験によって、バイアス的にバラバラな受け止められ方となるやり取りを、如何に効果的なものにするか、です。従ってペップトークはシグナル・マネジメントやインテンショナル・フィーリングの知識が重要な鍵となって複合的に作用して来ます。

これらを一纏めのスキル・テクノロジーとして生み出されたのがJoyBizのボンズ・アプローチなのです。

さあ、それでは次回からはシグナル・マネジメントやペップトークなど細かな個々の技術の話に分け入っていきましょう。

次回もお楽しみにしていただけますと幸いに存じます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?