• 力の場に潜む群集心理という世界~組織開発の中核~ -ソモサン第178回-

力の場に潜む群集心理という世界~組織開発の中核~ -ソモサン第178回-

ショートソモサン①:あなたの職場にはどんな「群集心理」が働いていますか?

皆さんおはようございます。

組織開発は「力の場」を手がけることです。力の場とは「人間(じんかん)に働く影響力、東洋的は「気」の様な存在です。

行動心理学の祖と称されるドイツのクルト・レヴィン博士はこれを「周辺環境」と称し、人は個人の意思だけで行動するわけではないという公式を確立しました(ご興味ある方はゴルゴ13の中に「破局点」という話がありますので一読して下さい)。

人の行動に多大な影響を与える「力の場」ですが、実はこの場という概念に対して纏まった研究論文は未だありません。集団主義をモットーとする日本からそういう発表があっても良いとは思うのですが、今のところ目に止まることはないのが実際です。

しかし別の角度からこの概念に迫った研究があります。それは「群集心理」という概念です。「力の場」は群集心理と非常に近似した心理世界です。これまで群集心理を最も詳しく研究したのは、もう1世紀以上前のフランスで書かれたル・ボンの「群集心理」で紹介された内容です。

群集心理とは「ある一定の状況において、かつその状況下においてのみ、そこで集団を形成した人間は、そこに構成された各個人の性質とは非常に異なる性質を備えた思考や行動をとる。意識的な個性が消え失せて、あらゆる個人の感情や観念が、同一方向に収斂される」といった世界観です。群衆とは特定の心理作用を起こした人々を云います。先に述べた「個性的意識の消滅」と「感情や観念への同一方向への収斂」という作用が働いている集団状況をいいます。社会の中で単に大多数を占めているというだけであるならば「大衆」という言い方になります。またたまたまそこに集まっただけの状態ならば、それは「集団」と呼べば十分です。群集は必ずしも大勢である必要もありませんし、一ヶ所に群れ集まっている必要もありません。重要なのは、ある集団に属している人々が心理的にシンクロしている状態ということです。まず集団による場が形成されていて、そこに何らかの力が存在し、構成員はその影響下で自分の意志よりも力に従って動いているという状態があるのが「心理的群集」です。

俗にいう「規範」という概念や「風土」「慣習」そして「文化」という世界観もその範疇に入ってきます。

群集真理は個人の精神や意識とは異なる次元の集団心理現象です。群集心理的に見た「力の場」とは、個人に内在する感情や権力欲求といった心理が集合する過程の中で相互作用し、そこから創発的に産み出された力によって群集という「場」が出現する環境状況と云えるでしょう。

では具体的に「群集心理」にはどういった特徴が見られるのでしょうか。ル・ボンは、その一つとして「群衆は暗示を受け易く、物事を軽々しく信じる性質を持つ」と述べています。皆さんも一人一人ならば上品で節度的な人が、一旦徒党を組むと突然平気な顔で下品な振る舞いをする情虚を目にすることがあると思います。たった3人でもそうなる人がいます。そこには無意識の相互依存や権勢意識が作動して、気が大きくなったり、思考や判断が急降下すると云う心理の働きがあります。時にこれを酒などのせいにする人がいますが、勿論これは酒など関係ありません。酒は単なる促進剤でしかありません。

さらにル・ボンは、群集心理における力の場では、集団は情動的、衝動的、移り気的、極端な判断、浅慮、自己抑制の喪失、付和雷同的、高い非暗示性、シナジー的苛烈化、そしてネガティブ優位になるといった特徴があると述べています。これは先の理由による理性の沈滞化の影響もありますが、そこに感情面でのマイナス的シナジーが加わることによる作用もあります。いずれにしてもマイナス・スパイラルが苛烈化するのは間違いのないところです。

また群集における「力の場」はその結びつきの不安定さ故に未熟な心理しか持てず、非合理な行動を取ると云うことも見逃せないことの一つです。相互依存が働くのに、その依存先にあるのは実は不安定で空虚な世界であるという闇の世界。

場における集団は、集団的浅慮に陥りますので、「暗示された意見や思想や信仰」を「絶対的な真理」か、「絶対的な誤謬」と二値的にみなす傾向にあります。そして極端思考に走ります。それによって荒唐無稽な陰謀論ですら信じ込んだりします。特にその集団に共通する背景に権力や権威といった力が働くと集団的盲信が生まれます。時にはそれによって暴動が引き起こされることもあります。最近では米国議会への襲撃や香港の騒乱がありますが、身近ではネットでの誹謗中傷の嵐も同質といえます。権威は政治だけではありません。マスコミなどの報道力もその一つです。極端思考は昨今の不倫や離婚報道などに見られます。私は男女間の問題は両者の間で10対0のような責任関係はないと思っています。確かに浮気は良くないかもしれませんが、そこに至る経緯として、片方が相手の尊厳を潰すような振る舞いをし、その結果として逃避に出た場合もあって、一方だけを責め切れないような、外側からは窺い知れないことが山ほどあると見ています。ですから安易に判断して、しかも立ち入ることではないと考えます。ところが、あの風潮はどうでしょう。一方的に善悪を決め込んで、一旦悪と決め込むと、まあ叩くは叩くは。そして片方はまるで神様です。面白いのはその神が悪魔とやり直すといえば、今度は自己正当化で関係もないのに離婚せよとばかりに一斉砲撃をするありさまです。この軽薄さや妄信こそが群集心理における力の場の典型例です。しかもこれを煽っているのは政治家ではありません。マスコミです。まさに言葉の暴力です。そして残念なことにマスコミ自身に認識が欠落していると云う現実です。これも権威の悪行の一つです。

皆さん如何でしょうか。群集心理と力の場の関係はご理解頂けたでしょうか。この「力の場」こそが、組織のパフォーマンスを生み出す上で個々人の持つ意識や能力と双璧をなす重要な領域であり、しかも個々人の意識にも強く影響する存在なのだと云うことを、皆さんにもここでしっかりと認識して頂きたいと念ずる次第です。

ショートソモサン②:群集心理を活用するためのエッセンスは?

個々人としては如何に善良で良識的であっても、場に入るとその力の影響によって誰でもが容易に群集心理に陥ってします。特にアイデンティティがない人は容易に場に染まってしまい、思考停止や浅慮に陥り、情動的になり、粗暴で偏狭になってしまいます。昨今の日本はアイデンティティ養成の場や教育を軽視し、無機質な受験的な知の教育に偏重した歴史がもう80年近くになってきており、すぐに扇動され群集心理に陥りやすい社会風潮になってきています。当然企業のような組織体も例外ではありません。

そのことは皆さんも見渡すと必ず目に入って来る様々な事象を通して認知するところだと思います。

ではどうすれば群集心理をうまくコントロール出来るようになるのでしょうか。少し具体例の一端をご紹介いたしましょう。

ル・ボンは群集心理の特質を以下のように纏めています。その中に統制のヒントが隠れています。

①人は群衆化すると単独でいた場合の個性や知性を消失する。

②群衆は暗示を受け易く物事を信じ易い。

③道義力が無くなった時に民衆は群衆になる。

④群衆は弱い権力には常に反抗するが、強い権力には卑屈に屈服する。

⑤人は分かりやすさ、単純化に支配される。

⑥希望的なことや云ってほしいことを補い始める。

⑦人は一人よりも30人の方が騙し易い。

⑧群衆は心象、イマージュによらなければ物事を考えられない。また心を動かされもしない。心象のみが行為の動機となる。群衆に推理する力はない。

⑨意味が曖昧で望まれている好ましい言葉、標語そして真実よりも幻想が群衆を動かす。

⑩場の力は2人の状態でも起こり得る。例えば不安や共通の外敵の認知などがあると容易に結託して同質化を起こす。

更には、群集心理はマイナス面ばかりではない。力の場はそのシナジーにおいて既成の行動規範から逸脱する力を持っているが、それは新たな行動規範や社会秩序の創出というプラス面を内包している、持って行き方次第である、ともいっています。

このような特質を逆手に取りますと、

まずは個々人に対して群集心理に巻き込まれないようなアイデンティティを形成するということが浮かび上がってきます。それには、

①群衆の一人にならないためのアイデンティティ(自分の考え)を持たせる。それには最初に問題意識とそれに対しての明確な意志を持たせる。

②さまざまな情報に対して、それは自分が本当に考えていることなのかを常に自分に問わせる。

③対話を通していろいろな考え方があるという認識を持たせる。

④感情をきちんと認識して流されないようにさせる。感情的な理解をさせないようにする。

 

といったアプローチをすることです。そしてそれよりも重要なのがマネジメントの啓発です。

例えば、「断言と反復と感染で群衆を操るような力を啓発する」といったアプローチです。ここでのポイントは個々人ではなく、群集という力の場に対峙できる意識と能力を持たせるということです。ル・ボンは、群集の心理特性として、

①群集はたとえ、断言的に言っても、断言の結果はシビアには問わない。

②群集は正直さよりも断言に感情として動かされる。

③大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、忘却力は大きい。

④アイデンティティに乏しい人は、理性ではなく感情的に理解できたものに対して反応する。だからリーダーはただ論理をひけらかすだけの人間に疎い理論家になってはいけない。

といったことも述べています。これを活用しますと、

 

①個人ではなく、チームに話す。チームには感情的で誇張的で、単純に話す。

②効果的な話は重点をうんと制限して、これをスローガンのように利用し、その言葉によって目的としたものが最後の一人にまで思い浮かべることができるように継続的に行う。

③実現します。絶対やります。と言ったように、断言を繰り返し反復する。人は何度も反復されると不思議と疑いを持たなくなる。

④一旦信じこむと真偽を問わず固くそれを信じるようになるので、とにかく導入部分を念入りにやる。好感を重視する。

⑤ある断言が十分に反復されて、その反復によって全体の意見が一致したときに、いわゆる意見の趨勢なるものが形作られて、強力な感染作用がその間に働く。意見や信念が伝播するのは感染の作用であって、推理のような思考の作用ではない。例えば現在民衆の抱く考えは、酒場やネットのようなインフォーマルな場での断言、反復、感染の結果形作られるのである。だから感染を重視する。インフォーマルな場を軽視しない。

⑥威厳が群衆に思い込みを作る。自分に威厳を持たせる。人は外形で判断するから形から入っていくことも重要である。自信は行いの結果に生み出されるものである。モノによっては作為的に選んでいるのに世の中のスタンダードのように見せかけるというのも、威厳のように演出する一手かも知れません。

といったアプローチやその能力の啓発が大きなポイントになってきます。

次回はより具体的に啓発へのアプローチに踏み込んでいきたいと思います。

さて皆さんは「ソモサン」?