• 持続モメンタムと着火モメンタムの繋がりと活かし方を知る ~ソモサン第266回~

持続モメンタムと着火モメンタムの繋がりと活かし方を知る ~ソモサン第266回~

データから見る今の高校生の「モチベーション低下」 ~なぜ不安になるのかを紐解く~

皆さんおはようございます。

NHKが全国の200人程の高校生に取った「モチベーション」に対するアンケート結果によりますと、93.5%の人が「やらなければならないのにやる気が出ない」「モチベーションが上がらないことがある」と答えています。理由としては、「嫌なことだから」というもので、97.7%を占めていました。内訳としては「テスト前」というのが圧倒的で、準じて「登校前」「部活前」が上がっていました。前2つはさもありなんですが、最後の部活前は、自分が選んだものであるにも関わらず「嫌なこと」と見ているのは不思議に思うところです。

そして92%は問題を先送りにする、ということで、日々をズルズルと過ごすという何処か勿体ない青春を送っている人が多いという実態を浮き彫りにしていました。

人間が自分の意志とは関係なく、本能的に厄介なことから逃げたがるのは習性で、一時的にでも心の安定を求めたがる性を持っています。しかし、この不安からの逃避は不安を先送りにすると、問題解決しないどころか返って追い詰まることになってより大きな不安を招いてしまう「不安の悪循環」に陥ってしまうので、心はどんどんとモチベーションがダウンしていくという深みに嵌っていって行きます。

ですから、モチベーションを上げていく第一歩は、まずは不安を和らげることに目を向けることが鍵になってきます。

アンケートでは「何故不安になるのか」という質問があって、そこにモチベーションを上げていくことについての重要な回答が示されていました。その回答は大きく3つに絞られていました。

①目標がないから

②やっても出来ないから

③やることが整理出来ず、膨大に感じて逃げたくなるから

中でも③を回答した人が最も多く85%を占めており、具体的には「何処から手を付けて良いか分からず、途中で諦める」というものでした。

これは端的に言えば、「全体像が見えないこと」への不安ということです。「木を見て森を見ず」という諺がありますが、人は全体像が見えないと「何時までやれば良いのか」「何処までやれば良いのか」といった「達成点」が想定できず、それに伴い。「目標」も見いだせずで、大きな不安状態に陥ります。そして不安になるとネガティブな感情に支配されて、ますます冷静な思考や判断ができなくなります。

ということは、そこからの脱出方法は一つです。一旦落ち着いて「全体を見渡す」ことです。そして当面の目標や段取りを論理的に掴むことです。混乱して何も出来ないよりも少しでも一歩を進めていく方が何かを得る上では得策といえます。

その第一歩は、冷静になること、そしてポジティブな感情に方向づけることです。心をリセットすることです。

その上で、その像を構造的に掴み、論理的に何処から手を付ければよいか、何処までやるのか、どういった段取りでやるのか、などを決めていくことです。

私達が関わっているマインドフルネスとは、このようなプロセスを身に着けたり、磨いたりするアプローチを意味する言葉です。マインドフルネスにおける「メディテーション法」は古くからインド宗教に根ざす「瞑想法」に由来していますが、この中にある「サマタ」と称される瞑想は「集中によって心を冷静にし、人本来が持つポジティブ状態を調律させる」アプローチですし、もう一つの「ヴィパッサナー」と称される瞑想は「自分を包み込む全体像を俯瞰して、自分の立ち位置を自覚させる」アプローチです。

このように集中することで冷静さ(クール)を醸し出し、その上で全体像を把握するという二段階のアプローチによって知情ともに安定させて一歩を踏み出すことが不安払拭の最も有効な解決といえます。

そして全体が見えたならば、その中から「やること」を棚卸し、「やれること」や「やれそうなこと」で優先順位や段取りを考えて予定表を作り、ともかく歩み始めるのが現実的です。ここでのポイントは「出来そうなことから手を付ける」ことです。「これならば出来そう」という期待値によって意欲を高めるドーパミンを出させるのです。だから大事なのはとにかく「出来そうなこと」を少しだけ決めてやる。そして少しだけやる。それによって達成感を味わってドーパミンの分泌を促進させることです。

自分の中に目標が持てないのは何故? 意味を感じるための「経験不足」と「利他の理解不足」

高校生の38.5%は「目標が持てない」「将来に希望が持てない」ことに対する不安を上げていました。目標に対する不安の声は、目標が持てないことに対してネガティブなのではなく、焦燥を訴える声といえます。つまりポジティブ意識が為せる不安といえます。

この中で特に強い声が「やる意味がわからない」というものでした。やはり人は意味を求めて生きる本性を持っているという証です。この元凶には2つの世界観があります。一つは「経験不足」です。

人には生来2つのモチベーションが背中合わせにあることが知られています。一つは「接近モチベーション」。そしてもう一つは「回避モチベーション」です。接近モチベーションとは「好奇心」という言葉に代表されますが、自分の進化や成長のために色々なことに近づいていってそれを試し、自分の知見に変えたり、快楽を増強しようとする欲求行動です。一方回避モチベーションは自己保護のために、危険回避を旨にして色々なことを遠ざけようとする欲求行動です。人は経験とそこから来る知見を元に様々な「意味」を醸成していきます。ですから経験不足ではその意味付けは応じて弱いものとなっていきます。また生存本能は好奇心に上回りますから、どうしても自発的な行動は回避に傾きがちになるのが大勢です。そのために経験不足は「ネガティブファンタジー(否定的幻想、妄想)」を生み出しやすく、それによってますます経験回避を招き入れ、ネガティブ意識を増強していくことになります。ここでも悪循環が起きます。そして経験不足は「意味づくり」の希薄化を生み出していくわけです。バーチャル世界がリアル世界での経験機会の時間を奪い去ったり、また自分にとって都合や居心地の良いヴァーチャル世界がリアル経験からの逃避に繋がり、リアル経験での意味創出の障害となっていることも確かです。

次にあるのが「利他心が醸成されていない」ということです。進化は生物に良い意味での依存心を醸成しました。弱肉強食の世界において弱い立場にある牛や鹿といった動物は生まれてすぐに立ち上がるのに対して肉食動物はよちよち歩きです。また動物には本能的に可愛いと判断させて危害から逃れようとする特徴もあります。そのような中で人間はかなりの年月自立できません。また最初はそう可愛いともいえません。これは明らかに親の庇護が前提になった反応と成長です。そうして人間は親の振る舞いや反応を通して脳を成長させ、言葉を覚え、そして感情を醸成していきます。その中で親の庇護が「利他心」の種にもなっていきます。ですからネグレクトされた人や愛着障害の人(幼少期に親が構わなかった経験の人)は「人とどう接して良いのか」「人の距離感が掴めない」という様相を呈します。特に強く出るのが「利他心の未成熟さ」です。経験的に「利他」を感じていないのですから致し方のないところといえます。それでも人は社会的存在ですし、その社会で様々な愛情を後学しますから、「利他心」がわからない人でも「愛着心」は芽生え、それが強い承認欲求となって表現されるため、その自己中心的な思考故に相手を思いやることが出来ず、人との相互性が成り立ち難くなって、周りからは人一倍利己的に捉えられやすくなります。こういった人はその利己的な発想によって他責な思考展開が基軸になりがちで、自らを内省することによって自らを鍛錬するという経験を積んでいないので、応じて浅慮な人が多く、また心が脆く傷つきやすく、心のバランスが他者との関係で持ち難いが故に今流でいえば「メンヘラ」に陥り易くなります。

こういった利他心が脆弱な人は「社会貢献」といった概念や感覚を持ち難いので、社会的に生きていく上での「意味付け」が想起できない状態となります。これも経験によって利他的な喜びを得る以外に方策はないのですが、何せ現代はヴァーチャルに逃げ込んでしまうので、なかなか開発には手間がかかるのが実際です。この問題は親自体がメンヘラで、子供に当たるので子供もメンヘラになるという悪循環にも繋がっています。

私も実際に対人関係上の問題を実際体験したケースがあるのですが、その方は、いわゆる「性的マイノリティ」と称される方だったのですが、、個人的に違和感を感じたのは何でもジェンダー問題に結びつけて物事を解釈することです。いわゆる自分自身の事情にしか目がいかず、周囲の状況への視野が狭い、悪く言えばメンヘラ状態です。。人の話を歪んだフィルターで受け止めて反応されるのですから非常に困った記憶があります。具体的には、成長や改善を求めてのフィードバックや批評が全て自分の悪口としか受け止められない、などの事例がありました。自分に対しての甘言しか耳に入らず、客観的には明らかに人から利用されているように見える状況でも、相手が表面的にいいことを伝えてくれる人であれば簡単に信頼してしまう。因みにこの方は高校生などではなく、30代を超えて社会的な経験を積んだ方です。

どうすれば前向きに行動を起こすことができるのか? その答えが「モメンタム」

さてさて、それではどうすれば行動を起こす手立てとなるのでしょうか。そうその答えがモメンタムの発動なのです。

人には内発的モチベーションといわれる「自発的な動機」と外発的モチベーションといわれる「他発的な動機」があります。内発的モチベーションは、例えば「これを実現したい」とか「この様な人になりたい」といった目的と意味付けです。一方外発的モチベーションとは、一言で言えば「報酬(ご褒美)」です。非常に動物的な本能にアプローチする方法です。「千里の道も一歩から」ではありませんが、不思議と人は一歩が出ると二歩目も踏み出そうとするものです。そして一歩目の達成感が強ければ、二歩目はまずます容易に踏み出そうとします。

内発的なモチベーションはそのきっかけ自体、たとえば目的の所持といったことに対しても尻込みしてしまうことが課題になっている人がいるわけですから、いきなりそこを刺激するというのは非常にハードルが高いといえます。ですからまずは条件反射的な感覚的感情面に訴えて、まずは心の満足感や達成感を得させ、その体験をテコに動きを起こさせようとするアプローチを仕掛けることは有効な一手となります。

これをマインドフルネスの中では、メディテーションの次のステップとして「着火モメンタム」と称しています。人の持つ本能的な欲求とそこに接する感情にアプローチして、動機の導火線に火を付けるわけです。その鍵は「快楽」、楽しいとか嬉しい、気持ち良いといった感覚に動きを起こすことです。

しかし着火モメンタムには弱みがあります。それは「感情の動きは刹那的で移ろいやすい」ということです。持続するには影響が短いのが難点です。そこで着火したらすぐにそれを持続させるように続けざまに次の一手を打つ必要が出てきます。それが内発的モチベーションを外発的モチベーションに関連付けて揺さぶるというアプローチです。例えば、最初は外から褒められるとか褒美を貰うといった外発的モチベーションがきっかけだったが、それが達成感に繋がり、今度はその達成感が得たいがために頑張りだすといった内発的モチベーションに繋ぎ渡すアプローチ、仕掛けを講ずるのです。これを持続モメンタムと称します。持続モメンタムは人の意志や思考面に影響するモメンタムです。そしてモメンタムはこの着火と持続という二つの起爆手段がセットになって初めて有効なものとなります。

ところでこの持続モメンタムですが、思考面で同機付けの壁として「目的が描けない」「将来に希望が描けない」「意味づけが持てない」といった「閉塞感」に次いで顕著に現れるのが、「どうせやっても出来ない」という「無能感」です。先のアンケートでも39.5%の人が理由に挙げています。欲求理論的にみた場合、「目的」などの達成欲求よりも「有能性」などの所有欲求の方がより本能的なので、この「無能感」に対する壁の方が動機には強く影響があるとも考えられます。「出来ないからやる気が起きない」「やらないから出来ない」というのはネガティブ・スパイラルの典型です。

「何もやらないのに」初めからやれる筈もありません。これは道理中の道理です。にも関わらずこういう落とし穴にどうしてハマるのでしょうか。俯瞰する限り、こういった轍にハマりやすい人は、思い込みが強く完璧主義の人に多いようです。完璧主義の人は物事を二値的に捉え、何でも白か黒か、ゼロか百かといった極端思考で判断しがちな傾向を持っています。そして完璧でなければ全てが無駄だと考えがちです。

だからと言って、いきなり「考えを変えろ」といったところで、習性はそう変わるものでもありません。だからこそこういった人こそ先ずは感情的にならずに冷静になって、自分ややることを俯瞰し、やることを順序立てて、当面の目標を「できる範囲」にし、それをスケジュール化して、少しずつ制覇して行くことが大事になります。百でなくても五十でも二十でも「やらないよりはマシ」「ゼロよりはマシ」という思考習慣を身につけていくことが一歩となるのです。完璧思考の人も人生経験的に未熟な人が多いのが顕著なパターンといえます。こういった人は思考の轍にハマる前にまず少しでも経験を積んで、小さな成功体験を得ることが突破口になります。そして動き出すには、「案ずるよりも有無が易し」の例えの通りで、考える前に着火モメンタムで動き出すことです。

「行動は少しずつ」「やれることの積み重ね」とは「過ぎたるは及ばざるが如し」といった塩梅に「やり過ぎは返って弊害となる」ということを意味しています。例えば人間の脳の働きには一定の容量や限界があります。例えば人間の脳は同時に二つの指令は出せません。聖徳太子の話は脳科学的にはあり得ない話です。この脳の限界容量は「楽しいこと以外に一つだけのことを徹底してやるという動きは、返って効果がマイナスになる」ということに繋がってきます。人間は記憶や処理能力的に容量限界があります。それを少しでも是正できるのは「楽しい集中」だけです。いわゆる「フロー」とか「ゾーン」といわれる心理状況にいる時です。この時は「楽しい」という感情が後押しをするので脳の活動限界を多少引き上げます(代わりに後で非常に疲れます。代償付きです)。普通は集中時間は40分が限界といわれています。それ以上長く集中しても、結果的には「最初と最後と盛り上がったところだけを覚えている」というのが実際です。これをブロック学習効果といいます。これを少しでも引き伸ばすには、似たものをセットでやるとか、小休止して時々場所を変えてやるといった方法が有効になります。場所を変えるという行動は、やろうとする目的に向かってお膳立てするということですから、それ自体が行動として着火モメンタムを刺激します。

着火モメンタムと持続モメンタムをどっちもあげられる魔法の方法!? ~歌詞が持つ威力~

これまでも着火モメンタムとして「音楽を聴く」。特に「好きなアーティストやお気に入りの曲」を聴くことが有効であるということはご紹介させて頂いてきました。キャッチーなメロディーやサビは着火モメンタムを燃焼させるには非常に力強い働きをします。

このリズムやメロディといった感覚に刺激を与えて着火モメンタムを発火させながら、瞬時にその熱を持続モメンタムに繋ぐのが「歌詞」特に「前向きな歌詞」です。最近ではメロディよりも歌詞の方を強調した音楽として「ラップ」がありますが、今これが全盛期になっているのも、時代がモメンタムの世界観を求めている証なのかも知れません。

着火と持続を繋ぐ歌詞。今回はペップ・トークと並んで持続モメンタムを引き出す音楽における歌詞についてご紹介していきましょう。

持続モメンタムに関わる持続性の鍵は「思い」という思考の世界です。では思いとは何か。それはズバリ「アイデンティティ(自己存在)」です。一般には「自分らしさ」とか「存在意義」と表されてもいます。人間にとっての動機源は「(自分としての)意味」の存在です。人はその意味を具現化しようと、意味に対して「目的」を描いて行動をしていきます。その意味がアイデンティティです。それが明確になり、社会から承認され、許容されることに人は動機付けられます。人は自分を受け入れてくれ、正当化してくれる、そして認めてくれるところにエネルギーを感じ、それをものにしようと行動するわけです。

ではそういった前提で「歌詞」を見ていってみましょう。人気のある歌やモメンタムとして好まれる歌の歌詞は、

① 自分に対して自分自身を思い出させる歌詞、そういった問い掛けをしてくる歌詞が挙げられます。それも自分が過去に乗り越えたことを思い浮かべさせてくれる歌詞です。

②自分は正しいとか自分の選択は間違っていないという風に自分の考えや行いを応援してくれる歌詞もそうです。特に誰か身近な人に否定されて不安な時や落ち込んだ時に自分を勇気づけてくれる歌詞です。

③また、あなたはそれだけで充分だと自分を肯定化してくれる歌詞。そして一歩を踏み出すための背中を押してくれる歌詞です。

④自分をメタ認知できる世界観を提供してくれる歌詞です。どこか笑えるなど、共感を得られる歌詞です。

総じますと、皆「自分を基軸で語られる歌詞」といえます。確かに今の社会では、その生活上常に他人との対比で、「自分はどう思われるか」「自分はどう見られるか」と他人を基軸にした思考に支配されています。どうしても自分を見失いがちになります。そうして活力的なエネルギーがそこに大量に使われ、消費されがちになっています。そういった中で奮起しようにもエネルギー切れになっている人が溢れ返っているのが実際です。

持続モメンタムのエネルギー源となる「思い」を支えるのは、「自分軸を持って自分らしく生きるのが基本」という考え方です。そしてそれを取り戻してくれるのが「歌詞」の力です。

そしてその歌詞と合致して感覚を刺激するビートやリズムといった発火材が着火モメンタムを盛り立てていけば出力最大になります。

もちろんその楽曲に合わせてダンスをする、つまり踊りによって身体を動かすと、脳よりは強く活性します。気分は大きく転換されます。鬼に金棒の心境です。

動画を見るのも同様です。動画の方がビジュアルという大量の情報量があり、持続モメンタムを活性するための刺激としては即効性があります。しかし音楽と違って動画は与えられる情報量が多く、思考が受け身になりがちになるが故に想像力や創造力が活性化する妨げになる場合もあります。音楽と動画はTPO的な使い分けが大事です。

 

持続モメンタムに繋がる内観的な要素を持った働きには、動植物との対話やフィギュアとの戯れ、実用を兼ねてはメイクなどの身支度をするといったものもあります。

持続モメンタム全てに共通するのは「暗示」です。そういう意味でモメンタムは催眠療法に近似するアプローチといえます。

最後にもう一度コメントしておきたいのは、持続モメンタムはあくまでも着火モメンタム同様の「勢い付け」であり、動的な働きであるということです。そしてそれはメディテーションとセットで陰陽の如く、マインドフルネスの陽の側面を担っている働きだということです。メディテーションによって自浄的にモメンタムが起動する人はわざわざモメンタムを意識する必要はないでしょう。しかし疲れている時、または自分を見失っている時などは、幾らメディテーションを続けてもなかなか立ち上がることは出来ないでしょう。そこを無理に立ち上がると、どこかでその反作用が生じてしまいます。我々はメンタルヘルスがしたいのであって、メディテーションおたくになっても仕方がありません。心の静と動の使いこなしこそがマインドをフルネスにすることに繋がってくる、ということをお理解して頂いた上でアプローチをしていって頂けますと幸いです。

ちなみにここ数週にわたってご紹介していたグリットはあくまでも動き出した人や動ける人が「やり続ける」ために押さえる概念です。心を対象にしたアプローチですから、その理論的背景には共通性があるのはある種当然といえます。これも含めてご関心を持っていただいた皆様には、ご理解して頂けますとありがたいと思うところです。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?