• ジョイに向けてモメンタムアップを図るポジティブ・ビヘイビア・マネジメント ~ソモサン第209回~

ジョイに向けてモメンタムアップを図るポジティブ・ビヘイビア・マネジメント ~ソモサン第209回~

ショートソモサン①:今の日本に足りないのは「個々への教育」なのか?

皆さんおはようございます。

日曜日の夜にNHKで最近の日本の労働環境について特集をやっていました。この30年間で生涯所得の平均が500万から300万に減り、しかも正規分布的には200万のところに山の頂点があります。

多くの人が家の支払いが出来ずに売り出すような状況下にあるというのが現状だということです。給与明細が30年で60万平均から20万円に落ち込んだ正規社員の方の明細を見るにおいては、唖然とする思いでした。グローバルな観点での経済成長率がグラフで紹介されていましたが、欧米が30%台で推移しているのに日本はそのほぼ十分の一です。

その理由として欧米では新しい技術やガジェットがどんどん生み出されるのに対して、日本では新しいビジネスモデルを作る知恵も努力もなく、単にコストダウンを軸とした生産技術の改善に終始するばかりで、ただただジリ貧に陥るばかり。儲けが出ないので給料が払えず、給料がないので消費は上がらず、子作りですら出来ない有り様です。少子化によって未来も尻すぼみで、その様な景気状況によってネガティブな風潮な中で創造的動きも起きず、応じて新しい動きが封じられるというデス・スパイラルに完全に嵌っているという内容には慄然とするかんがありました。それでも変えたくない、新しい取り組みはしたくないという保守的なマインドは本当に不可思議でなりません。ところで私がこの番組に一番関心を持ったのは、「このスパイラルから脱却するにはどうすれば良いか」かという下りでした。番組では「その中心は人材教育にある」ということで外資系のマーサのセミナーを写し出し、多くの大手企業の教育担当が受講する姿を紹介していました。その中でマーサのスタッフは「これからの教育研修の在り方は、これまでのような階層別とか管理職といったものではなく選択別とか今後に向けて創造性がある人材などを選別したやり方が必要になる」と述べていたのです。

これには私は非常に違和感を抱きました。この選別式のやり方は今更ながら、もはや20年位前から取り組まれ始めています。しかし現実には早々効果が出てきていません。何故ならば、元々端から創造性を持っている人材など全体のおよそ10%にも満たないのが実際だからです。というよりも創造性の種はあれどもその創造性を生かそうとモメンタム高くいる人材が極めて少ないのが組織内の実態になっているからです。

「衣食足りて礼節を知る」ではありませんが、情動的な欲求が満たされてこそ人は知的欲求が作動し始めるもの。現状のような組織的な風土や集団圧力、同調圧力においてモメンタム高く創造性もってリーチアウトする人材など余程の変わり者です。そのような情勢下でどう人材を選別するのでしょうか。何人が自ら手を上げるでしょうか。まして日本の70%を占める中小企業などでは何をかいわんやです。

これも日本の悪癖ですが、外資系といった一流企業だけを相手にしたような机上論のところに権威主義で取材するのもいい加減にした方が良いと思うところです。まさにNHKのスタッフの自己保身を感じると同時に、NHK自体が先の創造性やモメンタムのないということを露呈している実態がひしひしと伝わってきます。

ともあれ、私的には今重要なのは、かつての日本人の多くが持っていた創造性やモメンタム力を回復するような取り組み、スキルではなく、マインドの開発を真摯に行うのが大事であると考える次第です。

ショートソモサン②:「〇〇とモメンタム」~モメンタムを理解するためのあれこれ(モチベーション/レジリエンス/GRITなど)

さてモメンタムに関して、動機付け(モチベーション)と何が違うのか、という質問があります。動機付けは文字通り「動機」を与えることです。つまり刺激要因です。対してモメンタムは動機に内在する原動力です。それは感情的なパッション(情熱)が素材の場合もあるし、何らかの拘り(執着)や使命感、目的意識といった知的で自発的な心因が素材の場合もあります。また嫌悪や恐怖への回避や報奨や承認への接近といった他発的な心因が素材の場合もあります。

一般にはモメンタムは瞬時に自己の動機を奮発する原動力として捉えられています。原動力とはエネルギーを充填したエンジンのような存在です。ある意味モメンタムはハードな側面とソフトの側面を持ち合わせたコンピュータと類似した存在といえるでしょう。

モメンタムは動力源として、「リーチアウトするを引き起こす出力機関」と「奮起という感情に根ざす情動的エネルギー」の2つが一体的となった関係にあります。このモメンタムにおけるエネルギーの側面が瞬発的のみならず、持続的に働いて「やり抜く力」として働く場合に認知されているのがGRIT(グリット)であり、重圧に対しても「へこたれない力」として働くのがレジリエンスです。何れにしても日本的には心の強さとして認知されている内在力です。

このエネルギーには不愉快を理由としてネガティブな存在として作動する「怒り」と愉快を理由としてポジティブな存在として作動する「喜び」という大きく2つの存在があります。

義憤という言葉があるように怒りは負のエネルギーに基づいた力ではあっても操り方では生産的な作用をすることもありますが、中長期にみて、また他への波及をみた場合、相当にマイナス的な付加をもたらします。心的に内面でも大きくエネルギーを食いつぶすと同時に、他者とエネルギーの食い合いもする消費型の存在です。

一方「喜び」のエネルギーによる力は、相手を動機付けたり勇気づける正のエネルギーであり、それが自身に返って自分もエンパワーされてエネルギーチャージされる相互補完的な生産的存在と云えます。

時に必要悪として怒りを活用するのも悪くはないですが、出来うる限りモメンタム向上においては「喜び」のエネルギーによるポジティブな相乗性が生み出せる取り扱いが正道だと云えます。

ショートソモサン③:ポジティブシフトが難しい根本的な理由

さてこの「喜び」の気持ちを弊社ではJoyと称しています。そして人の気持ちをモメンタム・アップすることによってより高みのジョイに導くことから、内在するパフォーマンスを最大化させていくアプローチを弊社ではポジティブ・ビヘイビア・マネジメントと称しています。

19世紀に「人間は逃げるから恐怖を感じるのであって、その逆ではない」と云って、感情が行動を生むのではなく、行動が感情を形作るということを解明したのは、行動心理学の始祖であるウィリアム・ジェームズです。このことは前向きな行動を起こすには、最初としてまず気持ちが前向きでないといけないという多くの人の思い込みを打破してくれます。人は嘘でも良いから前向きな行動を取っていれば、自然と気持ちも前向きになり、それにつられて考え方も前向きになるというのです。昔の漫画の中で、「豚もおだてりゃ木に登る。ブブー」という一説がありましたが、それは本当のことだということです。しかし常日頃ネガティブに物事を捉える習癖を持つ人がいきなりポジティブに動ける道理もありません。

このことは人にとってネガティブ思考の方がポジティブ思考よりも力強いという研究結果を発表しているオックスフォード大のE.フォックス教授の考えからも裏付けれます。教授は「生存の条件として恐怖は快楽よりも強い力を持つ」。そして「人の心に悲観が強く働くのは、恐怖の回路が楽しそうな快楽への情報を二の次にして危険を満載した不安への情報にばかりスポットを当てることに起因する。日常ではマスコミを中心に連日ネガティブな情報を投げつける。そういった日々の状態が、悪いことに波長を合わせがちな脳本来の傾向と相まって悲観が圧倒的になっていくのである。そうして人はネガティブに強く引き込まれていくことになる。人がその本来持っている傾向を打破してポジティブに思考するには相当の意識と訓練がいる」と断じています。日々の暮らしの中で、恐怖への警告の刺激を受けすぎて、その回路が必要以上に強くなり、ネガティブ抑制への働きが弱まると、人は悲観的な思考形式へとどんどん押しやられ、ものごとを悪い方へと考えるようになる。そうしてネガティブ思考になり、バイアスが確立されていく。悪ければ不安障害になる、と警告しています。

確かに「人を怖がらすのは安心させるより遥かに簡単です」。また人の思考の領域では、ひとたび恐怖にスイッチが入ると論理自体が遮断されるという本能的な特性があり、それが輪をかける面もあります。前回「七人の侍」という例の中で、何故多数いる農民は決起しないのかということを話題にさせて頂きましたが、ここで云う「恐怖という情動は思考を停止させる」「論理が働かなくなる」といった特性も大きく影響しています。恐怖心は集団レベルでも「集団思考停止状態」に陥らせるのである。皆さんも恫喝された経験はないでしょうか。身体がすくんで動かなくなる経験は如何でしょうか。ということで「恐怖による不安感はなかなか払拭されない」わけなのです。それ位世の中においてネガティブの力は大きく作用しているわけですから、安直にポジティブな世界にシフト出来るものではないというのは確かなことと云えます。

ショートソモサン④:若手世代が持つ欲求の根底にあるものとは?親和欲求の先にある影響欲求

更に今は昔と比べてビジュアル時代で時代が下れば下るほど想像力に欠ける傾向にあります。様々な情報を一方的に過分に供与されるわけです。漫画の罪の一つは「人のイメージを画一的にし、多様性を狭めた」ことにあります。小説の文章によって様々なキャラクターを想像した世界を、メディアや漫画などは同一のフレームに置き換えました。そういった日々の中で人は徐々に推論したり、メタ認知的に思考する力を失いつつあります。

そうして直線的で短絡的に思考することしかできない人が多くなっています。真因を深堀したり、事実を積み重ねて演繹的に思考したりといった論理思考力が乏しくなり、上っ面の言葉に反応したり、裏を読み取れなかったりといった浅慮な人が増えてきており、応じてそのために価値観の幅も狭く、曖昧性への許容度も低いといった人がマジョリティ化しています。思考力が弱いということは即ち感情的になりやすいということでもあります。こうして社会の中で不安感が暴走し始めています。SNSでの○○狩りといった暴走などはその典型でしょう。

ともあれ全体が不安と云う感情に押し流されてネガティブ空気に傾倒する中でも、人の行動をパッとさせ、それによってリーチアウトや創造力の啓発を導き出すためには、そうして社会の空気感を明治維新のようなポジティブ基調に転換させるには、モメンタムアップとポジティブ・ビヘイビアが急務になっています。

ではどうすれば良いのか。それには2つの鍵があります。一つは自動車や飛行機などのエンジンの初動のためにセルモーターがあるように、自助努力がなかなか働かない状態に外から着火させる対人的アプローチ、ポジティブマネジメントの導入です。そしてさらにその中核であるモメンタムのハイオク的なエネルギー、「権力」という影響力の効果的な演出活用です。今の人は周囲からの評価を重視する傾向があるといわれています。そのことから、親和欲求以上に影響欲求に反応するということが分かります。現代はネット社会の発展や親和による生活の安全保持が一定数満たされてきており、欲求の水準が親和欲求から影響欲求へ深化してきているのです。その為に上下感や優劣感に非常に拘る人が増えてきています。時には歪んだ平等感によって影響を与えようとする人もいます。アメリカでは新たに白人至上主義が台頭してきています。ヨーロッパでもネオナチなど差別意識が鎌首をもたげ始めています。日本でもマウントといった言葉が取り沙汰される風潮にあります。非常に人に影響したいという欲求が目立ち始めている昨今と云えます。こういった感情の中核にあるのがパワー、権力への拘りなのです。自分が人に影響できると思えば気持ちはポジティブになります。そしてモメンタム・ハイになります。行動はリーチアウトの度合いが高まります。物事の見通しも楽観的になります。前回もお話ししましたが権力自体に良し悪しはありません。ポイントは場にあった権力の使い方になっているか、或いは受信側がそれによってポジティブな状態になっているかということです。パワーはあればあるほど自由度が増し、目的達成にも優位に働きま。重要なのはそれが最大公約数のジョイに貢献しているかです。影響力が最大公約数に対してよりプラスに働くように、使い方を演出するのがパワー・レンダリングです。この取り扱いがポジティブマネジメントの味噌になってきます。

それでは次回具体的アプローチの一端をご紹介させて頂きましょう。次回もよろし

くお願い申し上げます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?