• やる気・モチベーションとモメンタムは何が違うのか ~ソモサン第220回~

やる気・モチベーションとモメンタムは何が違うのか ~ソモサン第220回~

ショートソモサン①:よくよく考えると、「モチベーションを高める」といわれても打ち手があいまいになる現実

皆さんおはようございます。

JoyBizでは現在LIFTというプログラムの中でも特に「モメンタム」という領域に注力して展開しています。これまでもモメンタムについての概要は何度かご紹介してきました。それでも「分かり難い」というお問い合わせがあります。その筆頭が「やる気」と何が違うのか、というご質問です。

「やる気」とは英語では「モチベーション」と云います。「意欲や動機につながる感情的刺激」です。まあ「きっかけ感情」という言い方でも良いでしょう。いずれにせよ「状態」を示唆する言葉です。ではその状態はどうすれば出現するのでしょうか。或いはどのようにもたらされるのでしょうか。世の中には「やる気を上げる」とか「モチベーションを高める」という内容の指南書は沢山出ています。しかしどの指南も「やる気」という感情の状態に対して、その都度、きっかけを得るための方法論が中心で、そもそも「やる気」や「モチベーション」とは何かといった観点から、その感情を発動させる普遍的な原動力に対して、きちんと説明している紹介にはなかなか出会えません。人は「自分が何を、どう感じて、どのように対処できているか、を説明できたときに始めて自分の状態を統制できるようになる」というのが真理です。それがないアプローチは非常に場当たり的な策になってしまいます。何故ならば、人間はある行動を起こす際に必ず思考系と感情系という2つの脳のシステム情報を参照しながら意思を働かせますが、これは両論の関係で、そのどちらが欠けても自己の統制や啓発は為しえないからです。このことは、人の行動や思考を真に理解するにはそこに密接に絡み合う感情を理解することなしには成し得ないということも意味しています。

人がパフォーマンスを高めるには、自分の感情や感覚に注意を向け、それを思考的に理解する必要が欠かせないのです。実際何かを極める人は、総じて必ず自分と向き合い、深いレベルで自分の思考や感情、感覚を捉え、自律を高め続けています。理屈だけでなく、感覚や感情にも目を向けているのです。

感情を統制できるということは、常に感情を安定させ、プラスに導くことが出来るということです。ここで重要な働きをするのが「メタ認知」です。「メタ認知」とは「自分を客観視した認知状態」のことです。世の中では「自分のことは分かっている」という思い込みから意識的に自分を見ようとしない人が多くいます。でも現実は常に自分を見つめて自分をしっかりと捉えている人は少数です。特に感情や感覚というシステムにおいて自分を客観視できている人は殆どいません。人は意識的に自分に注意を向けない限り、自分自身についての情報を更新させて「自分を持つ」ことを自律的に維持させ続けることは出来ないといわれていますが、確かに感情の起伏を制御できなくて、すぐにマイナス感情に陥ったり激烈な情動に駆られる人を多く目にします。

こういった人はモチベーションに対しても自己統制ができず、感情が乱高下したり、ネガティブな方向での刺激に左右されて、体調や行動が荒れ放題になってしまうだけでなく、他者に対しても暴言や失言したり、最悪見境なくケンカを売ったり手を出したりといった悪行に振り回され、挙句の果ては自分を追い詰めることになってしまいます。

モチベーションと括る限りにおいては、モチベーションにおける刺激は外的なものも含まれますので、偶然によるものや時にはマイナスに導くような存在もあるということ。更には内的にも無意識的に発動されるものが含まれているということをしっかり理解しておくことが大切です。モチベーションという言葉は非常に曖昧で広い範疇を含んだ概念と云えます。

ショートソモサン②:パッとしない状態からやる気状態に変わるときに、私たちの中で起きていること

では具体的な話に移りましょう。

例えば今「パッとしない。やる気が起きない状態である」としましょう。それが誰かから「昨日の仕事で褒められた」というきっかけによって「よしやろう」と変わるとき、その行動の直接原因が「褒められた」なのかどうかということを考えてみて下さい。一般的にはそうかもしれません。しかしその褒め方がどうであれ、本人が「よしやろう」という心理状態にならない限り動くことはないでしょう。そう実は「褒められた」は間接原因で、直接原因は「どう認知したか」にあります。

この状況をきちんと区分けすることがモメンタムを理解する上で非常に重要になります。つまりやる気を捉えるにおいて、

①原因となる「刺激」があり、

➁それを受けて(認知して)心の中の「感情」が変化することによって、

③「行動」が起きる。

行動に直結しているのは認知です。つまり①は間接原因、②が直接原因になるわけです。

この間接原因は外的刺激もありますが、自分の内面で何かを想起することから生み出される刺激もあります。外的刺激においては「自分をグッとさせる刺激」と「自分をグッと来ていると認知する感情」が異なる場合もありますが、内面に何らかの欲求があった場合、それに対して自分を「グッ」とさせる無意識な反応としての刺激は①と②が混然一体」となって作用します。モチベーションは刺激が内外(それも偶然的なものも含んで)に関わらず、また意識無意識に関わらず、それを「認知する状態を指す言葉であると同時に、そこには①と②の区分けもありません。モチベーションはあくまでも状態です。「スイッチを押す」のように動態的な言葉ではありません。一方モメンタムは、内的な意図によって①と②を同時一体的に生み出して自発的に行動を喚起させる原動力、「刺激要因」の生成という「動態的な活動」と云えます。一体的ということは、刺激を認知できる力を高めると同時に、高く認知できるような刺激を自らで生み出したり操作できるようにするということでもあります。これは「鶏と卵の関係」と同じです。

また、モチベーションという範疇で見る限りで重要になるのは、他人と自分のモチベーションの在り方は異なる場合が多々あるということです。モチベーションにおいては外的刺激も範疇であり、定義も「認知の状態」を意味しているからです。皆さんもご存知のように自分がモチベーションが高まるからと云って同じ要因で他人も高まるとは限りません。しかし人は自分と同じことを他人にも当て嵌めたがると無意識に捉える傾向があります。モチベーションで「やる気」を語るとこの違いの点にもきちんと言及する必要が出てきます。

ショートソモサン③:脳科学的な見地から「モメンタム」~ドーパミンを活用する~

モメンタムは、「内発的動機」となる「刺激」を「自発的(意識的、認知的)」に喚起させて、内面の「感情」を変化させて、意図的に「行動」を起こさせる「力」の「行使」のプロセス、と云えます。ですからそこに自他の違いといった関係性は意味を為しません。あくまでも自己完結的な動きだからです。

さてではモチベーションが高まっている状態とは一体どういう状態なのでしょうか。少し脳科学的に触れてみましょう。脳科学ではモチベーションが働いている時、脳内ではドーパミンが大量に生成されているということが推定されています。モメンタムではこのドーパミン活性をうまく利用します。

①自分のドーパミンが大量発生されていることに気づく。或いは意図的に大量発生させる。

➁このエネルギーをどこに活用するかを考えて意識的に誘導する。

③いきなりでマイナス作用にならないように日常の体勢を整える。

例えば空腹感を利用した集中などがそうですが、ドーパミンが空腹によって大量分泌されることの応用例です。

これは集中力という意識で現れますが、現在これは訓練で可能であるということが証明されています。ドーパミンが大量に分泌されると、注意力や記憶定着率が高まったり、創造力が増大することが知られています。

意図的としては、「お気に入りの名言」や「映画やアニメ、小説の名シーンや一節」「気に入った音楽」などを再覧したり再聴したり、つぶやいたり、鼻歌することで映像や音を思い描くという方法があります。

ドーパミンの分泌としては、ハイテンポなものや感動的なものがベストです。心を大きく動かされたとか揺さぶられたといった状況をリトレースするのです。自分のハイパフォーマンスを参考にするのも手です。いずれもダラダラせずに短くコンパクトであるのがコツです。感情の起伏は瞬間的なものです。長いと却って反作用となるということもあるのには注意が必要です。モメンタムが「心の瞬発力」「心の着火剤」と云われる所以でもあります。

更にこのアプローチは、身体的な動作を付加すると効果が倍加するということも知られています。これは自分がモメンタム・ハイの時のパフォーマンスをパターンとしてルーティン化させる技術です。野球選手やサッカー選手の独特の動作パターンや所作が好例です。同様に自分特有の癖を作るわけです。

先週もご紹介した「姿勢や動作が心の在り方に作用する」も同様の考え方に立っています。感情と行動(身体)は一体的だからです。

ショートソモサン④:脳は体にだまされる~怒りのメカニズムを例に考える~

ここで感情の一つである「怒り」を例にとってこの関係を少し深掘ってみましょう。怒りの基本は「縄張りを守る(壊されることから守る/不自由になる/侮辱される)ことへの反応」と云われています。ですから怒りは本来ネガティブなものではありません。怒りの本質は、相手との関係の中で永続的に平和共存をしていくための自己主張行動、必要行動と云えます。ですから怒りは常に相互における一線への理解が前提になっています。一線とは境界線のことです。皆さんも動物の世界で境界線を越えた怒りや必要以上の怒りが起きている姿を見たことはないと思います。このことは怒りには常に和解行動がセットになっているということを意味しています。前提はお互い一線は越えない。境界線は越えない。超えそうな場合は怒りによって一線を警告する。そして和解で納める。これが怒りという感情の発露です。そこには一線を越えないという統制が存在しているわけです。このことは、統制できない怒りはネガティブである、ということを意味してもいます。一線を越えた怒りはネガティブなわけです。怒りにはルールがあるのです。

ところで動物は一線が越えられそうだと(無意識にでも)認知すると、まず偏桃体が反応します。それを前頭前野が統制します。ですから前頭前野が成熟していないと統制できません。いわゆる「バカ」と目される人が野放図な怒りを発散する理由はここにあります。すぐにカッとなる人が知的とは云えない理由です。

さて、怒りは偏桃体を刺激しますが、それを押さえようと前頭前野の中でも左前頭前野が活性するということが分かっています。脳と身体の反応は交差していますから、左前頭前野が活性すると身体的には右側の身体が反応します。皆さんご存知のファイティングポーズの原理です。このことは逆に右の拳は怒りを増す作用を促す。右手を握ると怒りという勢力が増大させるということに繋がります。一方で心を落ち着かせるには、左手を握ります。右手を開いて握らないようにすると効果的になります。人にとって右は攻撃のアクション、左は逃避のアクションなのです。

そう、脳は身体の動きに騙されるのです。脳が錯覚するわけです。これも感情と行動をうまく統制する技法の一つです。因みに心を落ち着かせるには寝転ぶのもよいと云われています。反対に立つ(立ち上がる)と元気になります。

更に、心を落ち着かせるには、「怒りを切り離す」という方法もあります。これは感情を言語化して論理に持っていくやり方です。それは、

①怒りの感情を紙に書く(出来る限り具体的に描く)。

➁しばらくそれを眺める。

③そして、ぐしゃぐしゃにして捨てる(手放す)。

という風に進めます。そうすると脳が錯覚するのです。

少々余談に流れました。

今週は最後にモメンタムやモチベーションと目標概念との関係に触れてから紙面を括ろうと考えていたのですが、これは来週に廻させて頂くことにしようと思います。ここでもドーパミンの活性分泌が大きく関与してきます。人は自己の予測に反することはポジティブであれ、ネガティブであれ自己学習のため必要になるので感情的に強く反応する。ドーパミンはこの予測に対する「予測差分」への認知反応によって強く刺激されて放出される、といったくだりになっていきます。

是非ご期待ください。

では次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?