• Z世代の気持ちを高め、思いを高めるため、最初の火をつけるアプローチを考える ソモサン第254回

Z世代の気持ちを高め、思いを高めるため、最初の火をつけるアプローチを考える ソモサン第254回

マネジメントの新しいアプローチを模索する

皆さんおはようございます。

先週は甲子園で躍進した慶應高校を例に、グローバル時代でのマネジメントの在り方、というよりも人材育成における本来的に最善なアプローチの在り方についてコメントを書かせて頂きました。でも残念ながら人は自分が持っている経験値や情報の範疇で判断し行動を選択するという性を持っています。要は教えられた様に教えるという習性です。ですから理屈は分かっていても、また頭では批判的でも、実践は条件反射的に動くので、一旦作られた風潮はそう簡単に変わらないのが現実です。むしろ今回の多くの大衆反応の如く、それがやっかみと云うかこれまでに対する自分の選択を未だに正当化しようとする顕著な反応としての応援叩きに吐口が向いているのが実際で、変化に対して容易に受け止められない姿に人間の受容力の困難度が見て取れます。

但し、慶應高校のやり方が今後のマネジメントの指針を示すからといって、それを丸呑みするのも危険です。はっきりいって自主独立は「頭の出来」と連動しているからです。私は高校時代に関西から東京に転校したという話は以前させて頂きましたが、地域的な文化の違いというカルチャーショックだけでなく、レベル格差からくるカルチャーショックも同時に味わいました。私が最初に入った高校は、その地域ではいわゆる進学校に部類される旧制中学上がりの高校でした。毎年旧帝大に何人も入るところで、高校の気質も質実剛健。いわゆる「ワル」と称されるぐれた連中は殆ど皆無でした。一方東京では期中の転校ということもあり、同レベルの高校には空きもなく(というか誰も転出しない)、ワンランク低い高校への移籍となりました(それでも転校審査はやたら難しい問題をやらされたのが不思議でしたが)。このランク差による校風の違いは激烈でした。いわゆるワルも一定数いましたし、もう日常の生活体系が全く異なります。これは単に東京という地域特質だけの問題ではありません。軽度の鬱になった位の環境格差でした。

私が通っていた最初の高校は「制服はなく、完全自由化」でした。通学も自転車や許可があればバイクも可能でした。ですから普段はTシャツでGパン、スニーカーで通っていました。一方東京では学ランで革靴が基準(一応推奨とされていましたが、誰も自由服など着ていません)。最初は推奨というので前の高校のままに登校すると、それが目立ったので目をつけられる始末です。ポイントはワルに、ではなくて教師に、です。この学校は裏表があり、実際は監視主義だったわけです。転校以来の2年間は様々な規則や指導で監視される学校生活でした。それで進学は国立二期に2名といった塩梅です。私と同時に転校した仲間が7名いましたが、上位は彼らで占められていたのが現状です。よほどの気持ちがあったのか、彼らの中の多くは以後の同窓会にも顔を出しません。

もう50年も前の話ですが、私のこの経験は人生の一つの学びとして礎になっています。因みに両校とも当然人間性に問題がある人間は少なく、ほとんどは良い奴ばかりでした。どちらにも親友はいます。

でも私の後輩で今年愛知でトップクラスの高校に進学した子がいるそうで、その母親が周りから高校合格に際し「制服が大変ね」と問われたのに、「うちはどうやら基本は要らないようだ」と返したら、一発で「えっあの高校に受かったの」と言われたそうで、このプロセスからして現代でも全国で風潮は変わっていないのではないかと推察されるところです。いずれにしてもここで見えてくるのは、自主性とか自主独立といった世界は、「人間性における頭の出来」に準ずるという実態です。そして高校生ぐらいだと経験学習は乏しい段階にあり、「人間性の頭の出来具合」は結構思慮の深さ、つまり知力に比例した面が強いといえます。そういった観点で慶應高校はかなりのハイレベルな学校です(だからそういう学校が運動でも覇者になったら、癇に障ってやっかむ輩が出てくるとも云えるわけです)。人間性における頭の出来が優れている人は共通して自己統制力が高いのも確かです(全てとは言いませんが)。だからマネジメントもその成熟度に合わせて委任型にしても問題は起きません。

しかし人間性における頭の出来が良くないレベルの学校で自由化をし、委任型のマネジメントをしたらどういう結果となるでしょう。私の高校でも一定数いたワルを見る限り、応じた統制は重要と思います。野放しにすれば他の生徒に悪影響を及ぼします。成熟度に合わせて見れば、どうしても教示型にアプローチすることも必要の様に思えます。

でもだからといって幼児やまして動物を躾ける様なアプローチは如何かなと思います。かつてPL学園という高校で「練習中は絶対に水を飲むな(今これをやったらパワハラで大変です)」という命の元、(生徒が陰で暗黙裡の約束として)トイレの一室だけを使用禁止としてそこの便器から水を飲んだということがあったとOBが知恵として語っていましたが、このような話は武勇談にもなりません。それで優勝が出来たと思っていたら、それこそ知性はともかく、人間性の頭の出来は歪められている様に思えます。これは慶應高校を模範に頭を切り替える必要があると思います。

思慮が足りずにまだ未成熟と思われる人たちにはある程度の規律は重要です。理非分別が躾られていない人は、見通す力が弱く、目先や感情に突き動かされやすく、それ故に自分に甘いのは事実だからです。しかしそれが暴走的にヤンチャに走ったり道を外したりするのは、教育不足やネガティブで信用されないことからのストレスも大きく影響していると思えます。この問題は人の質だけの視点だけではなく、どう扱っていくかという視点とのバランスで見ていかなくてはなりせん。私的にはマネジメントアプローチによる歪みの側面が大きいと見ています。

前回も取り上げましたが、これは単なる年齢では見れません。幼児の頃からの教育的接触がポイントです。きちんと人間性としての知性や知恵を教育しなければ、日大のような問題を生みますし、相撲業界のように親方にまでなっても人間性としての知恵遅れを生み出します。

山本五十六は「やって見せ、言って聞かせて、させて見て、褒めてやらねば人は育たず」と言いましたが、まさに最初はやって見せ、言って聞かせてで、まずは範を見せねば、背中を見せねば、そしてそれを言って聞かせて、納得するまで刷り込まなければ指導とは言えないわけです。またさせてもちゃんとそれを見る(チェックする)、最後は褒める、ポジティブに動機付けなければ人は成長しません。そういったきちんとしたプロセスがあるならば教示型も成熟度によっては適正だと思います。でも私的には現状は過去からの型を何も考えずに励行して当て嵌めているだけで、指導者や管理者自体が人間性の頭の出来が悪いことを露呈しているのが実際のところだと見るところです。そう言った観点からすれば今回の慶應高校の事例はきちんと正面から受け止めるべき事案だと思います。これはどこの組織体にも言えることです。

Z世代へのアプローチを森保監督、栗林監督から学ぶ

こういった事例は過去から一杯見られます。維新を導いた山口萩藩における松下村塾も一例です。これまた藩校である明倫館ではなく、私塾というのが特異なところですが、私的には塾長の吉田松陰のどこか発達障害的な性格や行動が現行体制にブレークスルーを作ったのは確かですが(そういう意味ではソニーの井深さんのような事業家や発明家気質の方です)、それ以上にその動きを論理的にマネジメントに落とし込んで人を育成した塾頭である久坂玄瑞(ソニーの盛田さんの様な経営者)に傾倒しています。革命初期に蛤御門で命を落としたので松陰に比較すると知名度が低いのですが、間違いなくその後の維新の志士たちを人としての動きとして、人間性の頭の出来として育成したのは彼であることは間違いのない事実です。その死を持って後輩の軽挙妄動を諌めたのは凄いことです。企業にとって創業である松蔭のような存在は前提として、それを組織化した久坂の様な人材がいるかどうかは組織成立の命運を担っていると思っています。

今回の慶應高校の場合はまさに上田前監督がその人であり、今回の森林監督がそれを継いだ桂小五郎といったところでしょうか。大分の福澤が作った学校が維新の志を盛り上げ、松下村塾出身の山田顕義が作った日大が不祥事を起こす。世の中はままならないものです。

さて「人間性としての頭の出来」の一つが志、つまり人としての原点である(生きる)目的の有無、生き方の方向づけの在り様ですが、このクールモメンタムにも関わる領域が課題になって来ているのがZ世代です。上田前監督と森林監督はこのZ世代に対するマネジメントに成功した人たちであるとも言えます。

このZ世代に対するアプローチに成功して頂点に登り着いた先鞭の人として、サッカーの森保監督と野球の栗林監督がいます。彼らのマネジメントを例に動機付けを考えて行ってみましょう。

Z世代の若者は、他の世代と比べて「承認欲求」が強いといわれています。その第一の原因は少子化です。それによって常に親から見られ、大事に育てられてきたため、「自分を見てほしい」という欲求が特に強いのだそうです。そんな世代に対し、「上から目線」でモノを言うのはご法度でになります。まして人格を否定するような言葉は、絶対に口にしてはいけません。Z世代は言葉に敏感な世代でもあるからです。この時点でこれまでのスポーツ界の指導は脱落です。

元日本代表キャプテンの吉田麻也(34歳)は「いろんな監督とやってきたけど、間違いなく一番尊敬できる監督」と言っているそうです。彼はZ世代の上のY世代(’80年代前半から’90年代半ば生まれ)ですが、それでもこの様に評価しています。

若い選手の承認欲求を充たす上で1対1の関係構築は欠かせません。1対多ではなく、あくまでも1対1です。選手ファーストを標榜する監督は少なくないのですが、言葉通り選手ファーストを実行する監督は少ない様です。例えばサッカーU-23日本代表として’04年アテネ五輪に出場した森崎浩司(42歳)が、心身症になった時、自らの体調を森保監督に打ち明けて、「ストレスで思う様にならずにまわりが自分のことをどう思っているかが分からない。それが気になって仕方ないので、朝、一緒に走ってもらえませんか」と頼んだ時、監督がそれを「二つ返事で引き受けてくれ、今日は顔色がいいね、とか走りのペースがいいねとか言いながら一緒に走ってくれた。それも1回や2回じゃなく。

森保さんはいつも練習場を最後に出るような人だった。次の日の練習メニューも考えなくてはいけない。それなのに、また次の朝が来ると、僕の側にいてくれる。涙が出るほどありがたく感じられれた」と述懐し、自分が復調した恩人と答えています。それを森保氏は「まずはサッカー選手というよりも、ひとりの人間としてどのように平穏な日々を送ってもらうか、安心の日々を送ってもらうか。そのことを考えた。サッカー選手としてどうするかは次のアプローチだった」応じています。「とにかくこの病気はわからないことだらけなので、彼を追い込まないことだけを意識しました。何気ない一言で追い込んでしまうと、取り返しがつかないことになりますから」。「目の前に苦しんでいる選手がいる。僕はそれを見捨てることができなかった。サッカーはピッチの中だけでなく、ピッチ外でも、たくさんの問題が起きている。僕はその部分に対しても逃げずに対応してきたつもりだ」。まさに「人間性の頭の出来」に由来する話です。

森保氏は、自らの趣味を「ピープル・ウォッチング」と言うほど、よく人を観察しているそうです。それは言葉や行動だけに留まりません。選手に対しては、人間的成長の歩留まりにまで目を凝らしているのだそうです。

また野球の栗林監督と言えば、デジタルネイティブ時代の選手だからといって、連絡や指示はメールやLINEで行えばいいというものではない。栗山監督はWBCの本番を迎える前、選手ひとりひとりに対し、便箋に自らの思いをしたためたのだそうです。この直筆の手紙は、Z世代の選手たちにとって自らの「承認欲求」を充たして余りあったそうです。「僕が一番伝えたかったのは、日本代表として誇りある行動とプレーをしてくださいということ。そこで強調したのは、あなた自身が日本代表ですよということ。たとえば、村上なら、彼自身が代表なんだと。その意識が誇りある行動やプレーにつながると思った」と振り返っています。こうしたメッセージの送り方自体が栗山監督らしく、「代表の一員として」ではなく、「あなた自身が代表」とは書くのが彼の人間性です。やって見せですね。栗山監督が直筆の手紙をしたためた時点で、代表選手は30人いました。もし「代表の一員として」という記述なら、選手は「30分の1の役割を果たせばいい」となるところです。チームへの誇りやロイヤルティも30分の1になり、とりあえず自分の仕事さえやっておけばいいんでしょ、となりかねない。その先には利己的判断が待っています。WBCのような短期決戦では、チームの結束力に勝る戦力はない。それを直筆の手紙でメッセージしたと言えます。昨今何でも若者に迎合しようとする「日和見マネジャー」が増えています。でもZ世代にそれは逆効果です。「言って聞かせ」も感情に訴える肌感覚でなければなりません。

さらにZ世代はフラットな関係を好みます。一般的に人を上にも見ないが、下にも見ません。ポイントは舐めているのではないということです。これまでの人は下に見ないは気にしませんが上に見ないに強く反応します。これまでの風潮で上意下達や権力意識マウント的な動きを重視するように強く教育されてきたからです。しかしZ世代は早くから多様性やジェンダーレスに関する教育を受けたことにより、属性に対するこだわりが薄いと見られています。

スポーツ選手はグローバルに活躍します。そう言った彼らにとって日本のスポーツ界に根強く残る上意下達のシステムは、嘲笑の対象でしかありません。

サッカーの森保氏は監督と選手の関係を「砂時計」になぞらえています。「僕はミーティングで、できるだけ選手に自由に議論してもらうようにしている。そこでいい意見が出れば採用する。実は、そうしたアイデアは僕たちコーチ陣も持っている。しかし、こちらから押し付けるのと、選手たちの中から出てくるのとではまったく異なる。いくらこっちのアイデアのほうが優れていても、やる側が納得してくれないと効果を発揮しないんです」。ここでの鍵は納得です。人はいくら説得してもそこに感情的揺らぎがない限り絶対に受容しません。大事なのは自分の内面に息づくこと、納得意識なのです。森保監督の言う砂時計とは、意思決定プロセスの双方向化を意味しているそうです。議論をして選手の主張に分があれば、それを素直に受け入れます。でも森保氏は、「コーチたるもの、選手が出してくるアイデアくらい、事前に準備しておけよ」とも同時に示唆しています。A案、B案、C案……常に最悪の状況を想定して最善のカードを切らなくては勝てませんから。 森保氏は、自らの仕事を「監督係」と呼んでいるのだそうです。かつての名監督である野村克也氏は、「男で生まれ、なってみたいものは、オーケストラの指揮者と連合艦隊の司令官、それとプロ野球の監督」とまで語っていたそうですが、今の森保氏の言葉を耳にしたら、どう反応したのでしょうか。その下にいた栗山氏の監督観も、森保氏とほとんど一緒なのだそうです。「僕は監督なんて偉くも何ともないと思っています。僕の中での監督は、あくまでも”決める係”です。皆の意見を聞いて、誰かが最後は決めなきゃいけない。それを担っているだけです」そして下に対しては、「僕に決定権があるからといって、知らん顔で強引に”こうします”とは言えません。説得しても納得してもらえない場合は、”本当にごめん。頼むからやらせてくれ”とお願いするしかないですね」と言っています。もはや「俺に付いて来い」の時代ではありません。そう教育されて権力奪取を人生の目的意識に刷り込まれた世代においてはまさに青天の霹靂と言えるのでしょうね。

Z世代の特徴とアプローチのポイントまとめ

では人材教育会社のアルー社の情報を活用して、Z世代の特徴をまとめて見ましょう。

①自意識・発信欲求・承認欲求が強い

Z世代は、LINEやTwitter、Instagramといった発信型のSNSを積極的に活用し、「いいね」を集めることを好みます。そしてこういった発信型SNSに慣れ親しんでいるため、Z世代は自意識や発信欲求、承認欲求が強いという傾向もあります。SNSでのいいねをはじめとした承認がグループへの所属意識の源泉となっているため、承認欲求が満たされないと帰属意識が低下してしまいます。

②コスパ・タイパを重視する

コスパとはコストパフォーマンスの略語で、払った金額に対するパフォーマンスの高さを言い表し、「タイパ」とはタイムパフォーマンスの略語で、かかった時間に対するパフォーマンスの高さを言います。こういったコスパやタイパという概念を重視する傾向があります。SNSでも「ここのレストランはコスパが良い」といった言葉をよく見かけますし、タイパを重視する若者の間ではYouTubeやテレビを倍速再生するのも珍しくありません。無駄に感じる業務は倦厭しがちで、いかに自分の時間を使わずにパフォーマンスを発揮できるかを気にする傾向にあります。

③自分らしさを優先する

組織よりも個人を重視するZ世代では、自分らしさを優先する傾向も見られます。組織にとって重要かどうかというよりも、自分の成長につながるかどうかを気にする場面が多いと言えます。例えば仕事に取り組んでもらう際も、組織としてのメリットをアピールするだけではあまり響かず、「これに取り組めば君には〇〇のスキルが身に付く」「この経験は将来〇〇の仕事を任された時に役立つよ」といったように、本人にとっての成長を伝えるとどう気づきます。

④自律性が低い

自律性が低いという点もよく指摘されます。Z世代は言われたことを忠実にこなす能力に長けています。一方で、自らタスクを決めて取り組むような、自律の求められる仕事はあまり得意ではありません。特に仕事の現場では、「言われたことしかやらない」「自分から動かない」という点がZ世代の課題として顕在化しがちです。また、自分で考えて物事に取り組む習慣が弱いため、仕事の目的を見失う事も多く、仕事が単なるTODOと化してしまいます。

⑤多様性に寛容

スポーツ界を例にしたように、多様性に対する寛容さも挙げられます。多様性が社会に浸透し始めた2000年代に教育を受けていることもあり、新しい価値観や自身と異なる価値観を受け入れる姿勢があります。そのため、違う価値観を持つ人材ともうまく折り合いをつけていくことができます。ただ、自分と異なる価値観を強要されるのはあまり好まれません。ある意味で「自分は自分、他人は他人」という考えが根底にある、とも捉えられます。

⑥社会問題や環境問題に関心がある

社会問題や環境問題への関心が高いそうです。インターネットに囲まれて育ったZ世代は、SNSを通じて多くの社会問題や環境問題へ触れています。特にSDGsに関する話題は注目度が高いです。その為SDGsへの取り組みが就職先選びの基準の一つとなっている場合もあります。一方、社会問題をはじめとした外部環境への関心の高さが裏目に出て、目の前の仕事へ意義付けができないケースもあるため注意が必要の様です。

⑦ワークライフバランスを重視する

Z世代が学生時代を過ごした2010年代では、過労死や過剰な残業といった働き過ぎが社会問題化していました。それを受けた働き方改革の中で就活を始めたのがZ世代です。Z世代の特徴として、ワークライフバランスを重視するという点も挙げられます。「とにかく働き続けてキャリアを開拓する」というような意識を持っている人は少なく、むしろ「仕事と家庭を両立した幸せ」に重きが置かれていることが多いでしょう。出世に対する意欲が薄く、むしろプライベートや家庭に時間を使いたいと考えるZ世代の社員も少なくありません。

 

ではこう言ったZ世代に対してどの様に接していけば最善となるのでしょうか。これもアルー社のデータを参考に引用させて頂きます。

①やり方を教えてから自分で考えさせる。

Z世代は物事を進める際に効率性を重視する人が多いです。また、一つの物事を継続的に考え続けることにもあまり慣れていません。いきなり一から考えさせるのではなく、まずは業務のやり方をわかりやすく教えてあげるとよいでしょう。どのように進めるのかさえわかってもらえれば、あとは的確にこなしてくれる可能性が高いです。一方で、個の尊重の気持ちも強いZ世代には仕事の意義や目的を伝える必要もあります。やり方を教えた後で、個人にとってその仕事にどのような意義があるのかを考えてもらうとよいでしょう。

②「利己」と「利他」の両立を意識してもらう。

現代の学校教育(受験的な競争意識偏重)によって入社時は、多くの社員がまだ他者軸を確立しきれていない状況です。ですから入社後はまず「利他」意識、全体意識の獲得を目指してもらうとよいでしょう。最終的には「WIN-WIN」の意識状況へ到達するのが理想です。これは相互にポジティブな意識環境になるということを意味します。

さて、皆さん自身や皆さんの職場のメンバー、または皆さんのお子さんの状態は如何でしょうか。

次回は再びモメンタムの具体的なアップ・ツール、特にホットとクールを繋ぐ領域面についてご案内をして行きたいと考えています。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?