• クリティカル・シンクはクリエイティブな思考法なのか? ソモサン第252回

クリティカル・シンクはクリエイティブな思考法なのか? ソモサン第252回

生成系AI時代に必要な頭のよさとは?

皆さんおはようございます。

津田久資さんというマーケティング専門のコンサルタントが以下のような見解を述べていました。

 

「いまビジネスの世界で話題をさらっている生成AIの登場で、これまで「知」とされてきたものの価値が揺らいでいる。これからの時代は単なる知識の暗記や積み上げではない、「AIにできない思考」を実践する必要がある。そのとき大切なのは、物事について「何故」という因果を徹底的に考え抜いていく「クリティカル・シンク」である」。

 

そして

 

「理系の人は論理的思考力が高い、という印象をお持ちの方がいるかもしれないが、実は理系の人ほど論理的思考力が弱い人が多い。何故なら、彼らは既存の公式に当てはめて答えを導くことを、『考える』ことだと勘違いしていて、既存の公式をたくさん知っているからだ。しかし教えられる公式というのは『他人がつくった論理』で自分で編み出した論理ではない。だから公式を操って何らかの答えを出しても、そこには『自分の頭で考える』というプロセスが欠落している。もちろん既存のフレームや公式で処理できる問題や仕事もあるが、それだけでは解決できない場合はそのフレームワークや公式自体の妥当性を疑わなければならない」。

 

そして

 

「AIも『自分の論理』がつくれるようになってきている。例えば生成AIは、ピカソの絵をデータとして大量に取り込ませたうえで、「リンゴをピカソのキュービズム風に描け」という指示を出せば、それらしいアウトプットができる。画像データのインプットを通じて、ピカソの絵の『一般法則』をAI自身が導き出す。今や他人の論理を機械的に当てはめるだけでなく、人間に固有な能力だと考えられてきた『自分の論理をつくって応用する』という行為の一部も、AIにとって遂行可能になってきている。このことは『他人の論理』の当てはめばかりをやっている人は、もはやAI以下の思考しかできないということに繋がる。これからを生きる私たちは、このことをもっと自覚しなければならない」。

その上で、

 

「人間にしかできないこととは何か、人間にしかできない領域として残されていることとは何かを考えると、それは『新しい言葉をつくる』ことである。例えばある物質が発見されてそれに言葉を当て嵌めて、はじめて言葉ができる。それまでは存在すらしていなかった言葉を生成する。それは仮に当時コンピューターがあったとしても、その言葉に値する意味をインプットすることはできなかったということに繋がる。言葉になっていないものは情報化・データ化されないので、AIでもインプットしようがない。だからAIの時代でも確実に生き残れるのは、『言葉をつくれる人』である。新しい言葉は新しい価値を生み出す。すなわち新たな言葉を作るとは、言葉を作ることから革命を起こしたといえる」。

 

更に

 

「新しい言葉をつくるためには、いま使われている言葉の意味や定義をきちんと理解し、あいまいにしか理解していない言葉に出会ったときに、必ず辞書を引いて意味を確認するようにして、少しずつ語彙力を上げていくしかない。あいまいにしか理解していない言葉を発見し、辞書を引き、語彙力の向上を図るというプロセスがない限り、思考力の向上はあり得ない。逆に、日々このプロセスを地道に積み上げれば、少しずつ自分だけのクリエイティブさが出てきて、AIとはひと味違う「自分ならではの思考」ができるようになるはず」。

 

毎度申し上げておりますが、日本人はブランドや権威が大好きで、時にはそれを大前提にして、外側だけでなく中身の全てまでをも盲信する人が多いので、こういう引用を度々使わせて貰っているのですが、上記の話は丁度私が先だってご案内させていた内容とかなり近似している主旨です。ただ少々異なるのは、彼の言う「クリティカル・シンク」の定義は文章を見る限りでは、あくまでも演繹法や帰納法といった従来のフレームを前提に、命題をそれに当て嵌めることから思考するか、多種の情報をそれに収斂させることから思考するかということのようです。ここでいうクリティカルとクリエイティブは別物だと感じざるを得ないということです。ですから話を鵜呑みしていくらクリティカル・シンクを実施してもクリエイティブは得られないでしょう。事実津田氏の展開はあくまでもマーケティングの論理に基づいた細分化によって得られた要素に新たなる意味づけを行うといった方法であり、これでは何れ細分化限界を迎えることになると考えられます(極端な解釈にならないように念のため補足いたしますが、分野的には今でも通用する面もあるのは事実ですから、この面での努力もするべきではあります。)。私を指導して下さったマーケティングの先生である元慶應大の嶋口氏は、それを「マーケティング・マネジメントの終焉」と称して「戦略的マーケティング」の必要性をもう30年も前に唱えていましたが、ここでいう所の戦略的とは、まさにクリエイティブ思考を意味していました。

クリエイティブな思考があって活きる思考力の全体像(思考力を洞察するための体系)

そこで必要になるのが先だってもご紹介させて頂いた「遡繹思考(アブダクション)」と称される仮説創造の思考法になります。これは生じている現象に対しての「何故」に対して、「従来のフレーム」ではなく、「もしかして」という発想から新たなる論拠を見出す思考法です。「こんなこともあり得るのでは、あんなことも考えられるのでは」と仮説を想起して、それを検証していくプロセスを辿る思考です。でもこれを行うには2つの関所が存在しています。その一つは持っている情報量です。「創造とは有している情報の組み合わせ以外には存在しない」。これはアメリカのマーケティングセンスのカリスマ的経営者であるヤング氏の言葉ですが、「情報の限界が思考の限界であり、思考の限界が創造の限界」であるという現実を見事に喝破しています。そしてこの情報という部分を「言葉、語彙力」と置き換えると先の津田氏も同じことを示唆しています。そう知力とはクリティカル・シンクだけでなく、そこにクリエイティブ・シンクが加わった総合的な思考力をいいます。

私はこれを「山の理論」と名付けています。高くてしっかりとした山を形作るのは「土の質」と「裾野の広さ」に掛かっています。土の質とは「多角的な思考の回転力」、いわば地頭と称される側面です。そして裾野の広さは「有している情報の量」いわば視野の広さと称される側面になります。

※でもこれだけでは山は形成出来ても社会的に意味をなしません。お役に立つことに値しません。山が意味をなすにはそれがどういった環境に立っているかという状況への対応性が重要な意味を持ってきます。本物の山は動かせませんが、人という山は環境との兼ね合いで存在することができます。役立つ環境に立っていてこそ、または山の力が活かせる環境を作ってこそ、山は生きてきます。でもその話についてはまた改めて機会を設けることにしましょう。今回は引き続き山自体を語っていこうと思います。

この山理論、つまり知力の理論ですが、これは物理学の法則にも照らし合わせることが可能になります。私は常々思うのですが、物理学も心理学もそもそも生物が自然界の法則の上に成り立っている以上、その摂理は共通する法則が存在しているのではないでしょうか。この知力もその一つで、物理学でいう力のF、つまり物理量(状態量)は質量(m)と加速度(α)の積であるという法則と知力は情報量と思考の回転度の積であるという概念は非常に類似していると思います。

そのような法則性を持って知情意の意力を物理学の法則性と照らし合わせると、丁度フレミングの左手の法則という理論が想起できます。私はこれを「心のフレミングの法則」と称しています。皆さんは中学の理科で習ったフレミングの法則を覚えていらっしゃるでしょうか。※これはローレンツ力と呼ばれる導体推力は、電流と磁場との方向的なバランスで形成されるという理論です。丁度人差し指と親指、中指を直角的関係で示されますが、このブログは図解が出来ませんので、興味のある方は辞典をご参照して頂けますと幸いです。

このフレミングの法則を心の在り様に当て嵌めますと、導体推力を意力(意志力)とすれば、電流が知力、そして感情が磁場の方向づけに当たります。知力は先の力の法則を転用すれば、速力、つまり頭の回転力になります。そして磁場とはプラスかマイナスかの方向づけです。その統合が意志力になります。纏めましょう。要は意力は知力における速力と感情におけるプラマイの方向づけとその圧力によって形成されるということになります。

従ってどんなに頭の回転が速くても感情的にマイナスの影響を受ければ、意志はネガティブに触れて、その回転が速い程マイナス傾斜が強くなるということになりますし、一方で幾ら感情的にプラスであっても、頭の回転が鈍ければ、ポジティブ的な意志の影響は脆弱になるということになります。

ポジティブに思考していくためには?

でもここで重要なのは物理学の法則同様に、目には映らないけれど磁場の持つ力は想像以上に強大であるということです。

このポイントが二つ目の関所となります。それは感情は知力と異なって言葉という世界を介在せずにダイレクトに周りに影響するということです。

私はエリック・クラプトンのファンで、それはもう1970年代後半からのコアな歴史になります。きっかけは京都で出会った親友ですが、その頃彼が歌った楽曲が私の琴線にダイレクトに触れたのがきっかけでした。それまでも知り合いに連れられてロックのコンサートに行ったりもしましたが、魅了されるというまでは行きませんでした。それが彼の「いとしのレイラ」を耳にするなり、ともかくガーンと頭を一撃されたのです。レイラはクラプトンが愛したジョージ・ハリスンの奥さん、パティに対して送った愛の歌です。彼はその後も人妻に入れ込んだ自分の切なさを楽曲に込め、その為に薬物中毒にまで思い詰めますが、もうその気持ちの上げ下げがリアルに伝わってきます。私的には以前にも書きましたが、丁度東京という価値観が異なる世界に3年も溺れただけでなく、その前の大阪時代に初恋した女性に対する感傷がクラプトンの歌詞に波長としてダブったからに他なりません。それもあって京都に(大学よりもそっち優先という若さ加減)行ったのですが、人生目的が定まらず、また受験での挫折感や一方での対人での開放感(やはり関西の方が水に合う)といった様々な思いが入り混じった心境にあったのですが、この心の葛藤が歌詞に揺り動かされました。その辺はクール・モメンタム的ですが、それよりもまずは最初のフレーズでのリズムやテンポです。そしてクラプトンのシャウトです。これには本当に射抜かれました。ホット・モメンタムの真骨頂でした。そしてそのモメンタムによるモチベーションが、それからの自分の心の支えとなり、徐々にネガティブに陥っていた心根を癒し、ポジティブ化に導いてくれたのは間違いのない経験的な事実といえます。そうして以後私はかなりコアなロック・ファンになっていったわけです。因みに余談ですが、この心の復活にはザ・フーの「トミー」が非常に勇気づけてくれました。

おそらくですが、多くの人は津田氏のいうような「思考法」のシフトなどは理屈では分かっているのです。人によってはクールなモメンタムを内在している人も結構いらっしゃいます。そういう人に私も何人も会っています。でも多くの人は動きません。きっかけが持てていません。なかなかセルフ・スタート出来ないのです。運良く良い人との出会いによってエン・パワー、エン・モメンタムされて動き出す人もいます。でもその確率はなかなかシビアなのが世の中です。

そういった時に、少なくともホットなモメンタムによって自己を鼓舞させるのは有効です。どこか憂鬱な貴方。隘路に入っている貴方。まずは騙されていると思ってホット・モメンタムのアプローチを実践して見てください。事実は小説よりも奇なりですよ。百聞は一見に如かずです。

最近私が大好きな歌姫(ディーバ)であるAimer(エメ)の楽曲が変わりました。皆さんの中でもアニメの主題歌である「残響讃歌」という楽曲を紅白でお聞きになった方もいらっしゃると思います。これまでの彼女はどちらかと言うとメロウな楽曲が多かったのですが(その背景として喉を痛めて一度引退を覚悟したと言う影があると言うのもあるやも知れません)、あの曲以来非常にアップテンポで、しかも伸びやかで明るい声調になったと感じています。それがダイレクトに伝わるのでこちらも彼女の楽曲を聴くと非常に勇気付けられます。話ではそのアップテンポの歌を作った方と結婚したということなので、その影響もあるのかも知れません。

でも何でもかんでもアップテンポがいいわけではありません。心が本当に疲れているとアップテンポはうるさく感じる時があります。それは波長があっていないのです。そういう時は先ずはマインドフルネスを行って、気持ちを整えるのがポイントになります。マインドフルネスとはそういう効能を持ったアプローチです。皆さんも上手に使い分けて常にモメンタムをリッチにしてチャレンジブルに、イノベーティブに日々をポジティブ・スパイラル化して行ってください。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?