• 人が育つ組織はマインドの開発から ~現代の世情にあったこころの開発~ ソモサン第249回

人が育つ組織はマインドの開発から ~現代の世情にあったこころの開発~ ソモサン第249回

深慮遠謀を欠く誹謗中傷層のこころの中身

皆さんおはようございます。

人が人である所以は、言葉によるコミュニケーションを身に着けたからと言われています。言葉はコミュニケーション手段として以上に人に思考という叡智を与えてくれました。言葉が貧しくなると、発想も思考も貧しくなります。例えばどんな言葉を使えば感情に一番合った表現になるかを考えることで思考は深まりますし、それによって思考対象についての観念や意味付けが深まっていきます。

最近誹謗中傷が大問題になってきていますが、この誹謗中傷投稿を繰り返す層の特徴として顕著なのは、自分と異なる意見や価値観を持つ者を敵とみなし、特にその象徴的存在となっている芸能人などの有名人を格好のターゲットとして徹底的に攻撃する行動指向が挙げられます。

これらは偏った正義感に起因するものにとどまらず、自分が持つ様々な不満の矛先を、そういった力ある人に向けて自分の行動が社会に影響を与えているという優越感に浸り、自分の存在意義を確かめる歪んだ承認欲求がその根底にあると考えられます。つまりは劣等感の裏返しとも言えます。こういった悪意を持った執拗な対人攻撃は自分が社会の下層に居るとか、自分は社会的に認知されずに存在感がないといった心の闇に嵌った人の共通行動といえそうです。このような行動を取る人は「負の感情スパイラル」に陥っています。

「負の感情スパイラル」は、まず

 

・自分は正当な利益を得ていない

・自分の能力は過小評価されている

・自分以外が優遇されている

・自分は不当に差別・抑圧されている

 

といった過剰な被害者意識を持ってしまうことが発端となって始まります。中には自分自身は全く損をしていなくても、他人が得をするのは許せない、他人の幸せは許せないが、他人の不幸は嬉々として受け入れて優越感に浸るという「僻み、妬みの思考」から抜け出せなくなっている人もいます。これも中期的に積み上がった被害者意識的思考の表れといえます。

こういった人たちは自身の実力や努力が不足しているかもしれないといった可能性を考慮することが少なく、自身の失敗や理想と現実のギャップの要因の多くを他者にあると考えてしまう他責思考に至ります。自分を客観視して分析する視点に欠け、その原因の矛先を他責化することで心理的負担を軽減しようという傾向が現れます。

さらに他責思考に至る要因を補完するため、自身と異なる論説や反証となる事象を検討することなくそれらから目を逸らし、自身への賛同意見や持論を肯定する事象しか受け入れなくなるチェリーピッキング行動(数あるエビデンスの中から自分に都合の良いものだけを取り上げる行動のこと)をします。最初は意図的ではありますが、段階が進行してくると無意識のうちにこういった行動をとるようになります。

そして最後は、物事を判断するにあたり必要不可欠なバランス感覚を失い、客観的な視点を持つことができなくなり、自分の極端な考えが絶対的に正しいと思い込んでしまうアンコンシャス・バイアスに至ってしまいます。右か左か、白か黒か、2極に先鋭化し対立する相手の意見だけではなく、中庸な立場の冷静な意見をも受け入れられなくなり、全ては対象者の問題だと決めつけてその人を激しく敵視し攻撃するか現状逃避的に極端な自己避難状態に陥るようになるのです。後者の場合は鬱であったり自殺行為といった表出になります。

これは誹謗中傷を繰り返す層だけでなく、陰謀論、カルト、フェイクニュース、ヘイト思考に陥る層や、独善的な正義感に囚われ過激な行動に走る層とも共通する心理状況です。

今必要なのはマインドの開発

さてそれではこういった負の循環に陥る根本原因は何処にあるのでしょうか。ここまで読み進めた殆どの方々はお気づきになっていることでしょう。そう、全ての根源は浅慮、近視眼(目先)といった意識や思考力の状態にあります。言葉の使い方訓練という基礎学力を怠ったか、適時にそういった場の提供を与えられず、機会を貰えなかったという環境に起因しています。端的に言えば「マインドという心」が醸成されなかった、鍛えられなかった末路がもたらした情景ということです。

誹謗中傷の場合は、そこに加えて同じ考えを持つ者同士がSNSやネットという手段を通して簡単に繋がりやすくなったこともあり、自分の意見を声高に主張するマイノリティーが一見世間の多数派に見えてしまうという錯覚現象が加勢をしています。そしてそれが勘違い的に誤った民主主義のようなうねりを醸し出してしまうのです。いわゆるネット上の群集心理です。それが数の力として心の世界における集団暴力を煽ってしまっているのです。これはまさに集団リンチと同じです。ところが残念ながら実行者たちは主観の波に巻き込まれ、冷静さを欠き、自分がその当事者であるということにすら目が行かなくなっています。これは知力、思考力が低ければ低いほどその度合いは加速することは容易に想像がつきます。ただでさえ幻惑される思考の中で、そのリテラシーの基盤自体が弱ければそれは最早野生の世界です。

ではこういった状況はどうすれば是正、軽減できるのでしょうか。今注目を浴びているドキュメンタリーとして「ケーキが切れない非行少年たち」という話があります。非行に走る若者の特徴として衝動的、浅慮が挙げられますが、そういった人たちにホールケーキを3等分してみなさいというとまともに三等分出来ないという実態、そこまで思考が及ばないという現実に直面するのだそうです。人によっては発達障害に起因する場合もあるのですが、多くの場合は小中学校という基礎教育のときに考えるとか言葉遣いといった思考訓練が忌諱されていて、素養が出来ていないことが原因になっているようです。そして根本の要因としては親のネグレクト(育児放棄)とか甘やかしに問題があるということが挙げられています。酷い話、親自体がそうなので子に教育が出来ないといった場合も多く見られるようです。

最近では更にそれに加えて学校教育の歪みからか、与えられた命題を処理することに偏った思考の啓発から、自ら独創したり、哲学的に物事を捉えるといった思考力が足りておらず、直線的なもの見方や目先での二値的な問題解決しか頭が及ばず、また人の心のような複雑系に思いを巡らせる力が脆弱になっている人が増えているように思えます。それ故か実際の現地での対人関係などが築けず、それが上記のような劣等感の引き金になっているように感じます。

何れにせよ、この中には最早時すでに遅し的な課題も確かに存在し(年齢的に手遅れとも感じる事象)、全てのケースで深謀遠慮な思考ができる人の開発を進めることは難しいかも知れません。しかし少なくとも人が生きる意味付けとなる目的意識や存在意識といったアイデンティティ、自己哲学観、つまりマインドの啓発はかなりの度合いで醸成することは可能であると思っています。生きる意味についての情報や言葉、社会常識やルール、道徳観、哲学素養をチャージし、その上で自らを深く内観し、過去と現在と未来を想像することで、自分独自の考えや思想を育むことにつながっていきます。マインドフルな状態であり、ポジティブな感情になり、覇気を持った行動を発揮するために、これは必須ですが、人を通して自分の存在を確認し、自分の居場所を見出すというのが本質である「人」という存在にとってこのプロセスは欠かせない行いであるのは間違いないです。。これは組織においては組織運営の大原則も含まれます。今の組織において、名ばかり管理職が横行し、組織行動のイロハや管理のイロハすら知らず、もっぱら流行の欧米の理屈を振り翳し、若手がどんどん辞めている企業が続出している現状を見れば推し量れる現実です。

昨今の人の心の荒廃というか、社会や組織における哀しい人間関係や生産性のレベルダウンを見ていて、いかにマインドフルな状態を作るかが喫緊の課題なのではないでしょうか。

モメンタムコントロールの具体的アプローチ ~ホット(着火)モメンタム編~

さてマインドフルは、何はともあれマインドレスからの脱却が口火です。そしてそれにはやはり手順とステップがあります。まずはメンタルフルな状態に、そしてモメンタムによってマインドチャージを行うしか道筋はありません。クールなモメンタムの発動源がひとそれぞれにおける自己存在観としてのマインドに紐づけられます。

ということで今回はこれまでのまとめも兼ねてその具体的な手順を展開して行きましょう。

モメンタムにはそれぞれメンタルとマインドに対比したセットとしてホットとクールがあるとご紹介してきました。モメンタムとはホットにせよクールにせよ情的、或いは知的刺激を誘引源としたパフォーマンスの最高状態の再現化作用ということになります。要はいつでもどこでもすぐに行動に移れる「やる気とか意欲といった気力(ウィルパワー、フォース、スピリット)」を覚醒させるアプローチです。

感情に照準を向けたホットなモメンタムとしての覚醒刺激には二つのアプローチがあります。受動的な覚醒アプローチと能動的な覚醒アプローチの二つです。後者の方がより刺激は強く作用します。また後者の方がクールなモメンタム作用にダイレクトに繋がってきます。

ホットなモメンタムの鍵は前向きな興奮をいかに盛り上げるかです。ワクワクドキドキ、時にはハラハラの惹起です。身体的には鼓動の高まりなどの身体的振動の活性化です。

人は想念よりも意志よりも感情の起伏や方向性に強く心を支配され、それによって行動や判断の選択を行うという習性があります。感情を制するものが人を制するといった案配です。そしてその感情を惹起させるのが行動や身体感覚による五感反応です。また上下左右と何処かに偏った心構えは意識無意識を問わず歪になっているのでそれをいきなり動かすと必ず別の何処かに無理が来て破綻が生じるということです。

そう考えると、このアプローチには大事なポイントが二つあります。 その一つは準備体操です。心の準備体操とはマインドフルネスの技法の実施です。モメンタムとマインドフルネス的技法は一対の取り組みです。ちょうどジャンプするときには必ず一度しゃがんで溜を作るのと同じです。いきなりだと何処かの腱を切ってしまいます。一旦マインドフルネスの技法を活用し(特にサマタ瞑想的な技法)感情の起伏を沈静化し、心をニュートラルにしてこそモメンタムの効果は出るのです。

人はカレーを食べた直後はカレーの臭いや味が分からなくなるのだそうです。感情の流れや起伏が惰性状態になるのです。そうなると何を刺激させても反応は起きず、効果は出てきません。

そして元々感情とはエネルギーの暴露なので、それ自体には方向付けも目的もなく、野放図な発散です。これでは覚醒どころか、誤った方向や意図しない方向にエネルギーが発露され、却ってマイナスの状態に陥ることがあります。つまり感情の誘導を適時で意図に沿った状態になるように、特にこの後に控えるのクールモメンタムの発露にプラスに作用するようにアプローチしなければならない、ということがあります。

更に前提として押さえておく方が良いことがあります。神経言語プログラミング(NLP)という研究領域で言及されていることですが、人の五感は大きく視覚、聴覚、身体感覚と三分類され、人はそのどれかに対して優位感覚を持っており(バランスよい人もいます)、優位感覚を刺激されるほどに反応が先鋭的になるということが言われています。ですからアプローチに際してはその優位感覚を利した進め方が望ましいといえます。

では感情の発露に対して感覚としてよりダイレクトな刺激を与える受動的刺激アプローチから話を始めることにしましょう。

受動的とは無意識的な反応に近いという意味です。ひたすら心拍数を上げて気持ちをハイにするアプローチです。心拍が上がるというのは心を躍動させて行動的にし、意識をポジティブ化させる作用を生み出します。

ここでのポイントはひたすらポジティブな刺激が大切ということです。つまり意志をプラスに向ける作用をする刺激を感覚に与えるということです。人は元々生に向けてポジティブな本性を持っていますから、ここで必要なのは行動というポジティブ反応を誘引する刺激を演出することです。心が沸き立ったり踊り出す刺激です。

視覚優位な場合は「色」です。暖色系が行動色ですが、「赤」を前面にしたり、原色を使います。とにかく鮮やかさを演出します。色使いは反対色です。特に二原色が衝撃的です。これは動画に対しても同様です。動画の場合は画面のテンポも重要です。これは次の「音」に準じます。

絵画的には「古典派」の写実よりも「印象派」の抽象画の方が効果的といえます。

「聴覚」刺激の音は、音自体の大小も重要ですが、それ以上に重要なのは「テンポ」や「ビート」といったリズムです。また直接聴覚に突き刺さらないディストーション音も非常に刺激を喚起します。リズム的にはロックやジャズのような8ビート、16ビートの音。また最近ではダンス音楽が心を掻き立てますが、重低音の楽器や打楽器が有効です。近年CDのような音のデジタル化によってデシベルが上下で制限されるようになりましたが、そういった制限の中で強度の音楽を聞いたり、ヘッドホンのような閉鎖機器によって重低音を聞くと耳を痛める場合が大きいので要注意です。今は技術革新でアナログ(自然音に近い)同様にデシベル幅の広いハイレゾのような機器もあるのでうまい活用が望まれます。しかし最も良いのはやはりビートを体感できるオープンな環境がベストです。リズムと重低音が鍵です。メロディではないので、雷や強風といった一見ノイズな自然音でもモメンタムには有効になることもポイントです。血湧き肉躍るといったところです。

身体感覚は最もダイレクトな刺激です。味覚や嗅覚も重要な要素です。人の舌は辛みという感覚はなく痛みが代用しているといわれています。ところで人の感覚や感情において痛みや恐怖といった領域は、脳内で快感反応を担う部位と重なるところがあり、臭みや辛みのような刺激臭とか味わいはポジティブな感覚としてモメンタムを発動する面を持っています。くさやのひものとか琵琶湖のなれ寿司など一見臭みや酸っぱ味として敬遠されがちな食材でも人によってはポジティブに大きくモメンタムを発動させるものは世界中至る所にあります。重要なのは好きか嫌いかです。モメンタムにとって嗜好性は重要な要素です。これは運動による苦しみなども同様です。特に酸素不足から来る陶酔感は麻薬と同じ作用を持ちます。人間は極度のネガティブ状態に陥った場合、本能的にその状況を緩和しようと脳内に快楽物質が分泌されることが知られています。それがモメンタム発動の源になる場合があります。ともあれ快感と衝動がモメンタム発動の源泉になります。

これらに対して能動的モメンタムは、自ら発動させようとする意志が含有されてきます。従って自覚的で意識的なアプローチになります。感情だけでの反応でなくなる分、クールな持続性が加味されてきます。視覚ならば絵を見たり描いたりとか文を読んだり書いたりといったように思考的な意図が伴ってきます。

能動的モメンタムは意図的な分、モメンタムの制御や調節が可能になってきます。鼻歌から始まり、持ち歌や好きな歌をカラオケで歌うなど、また楽器を演奏する、コンサートに行くなど自在にモメンタムを操作できます。身体も掛け声のような発声から始まって、ポーズ付け、例えばガッツポーズやルーチン行動の励行や人によってはメイクも有効なアプローチです。お風呂に入る、アロマする、料理を作る、ペットを飼う(触れる、話しかける、散歩する)、スポーツに打ち込むなど、その幅は広がります。大事なのは癖付けです。集団行動で相互に癖づけるのも有りですね。

また新規性や回帰性の原則に基づくならば、食べたことのない、なかなか食べれない美味しいもの、高級食材ものを食べるとか、郷土食。思い出食。たこ焼き、お好み焼きのような力飯を食べる。勢いづいた時を思い出す定番めしを食べるといった案配です。熱いものや辛いもの、酸っぱいものといった刺激物も良いでしょう。また単にお風呂ではなく、熱いお風呂に入る。サウナに入るといった刺激もあります。最近「整う」で流行となっているサウナですが、暑さと冷たさの差がまさにメンタルフルネスとホットモメンタムの機能を全開にさせている作用を果たしている様を見ると、さもありなん、といったところです。

またそれに伴って絶好調などの経験値や情報値が増え、思考の幅も強度も増すのでより効果的にモメンタムを操れるようになります。

そしてその活動が、次の段階にあるクールなモメンタム、持続的なモメンタムの発動に大きく影響を及ぼすことになります。塵も積もれば山となる。瞬間的で短期的なホットのモメンタムも能動的に繰り返し癖づけることでクールなモメンタムに向けて、着火からそれを熾火に繋げる力に変容していくのです。ペットとの日々などはホットモメンタムの高揚のみならず、ペットとの疑似対話が内観に繋がるなどクールモメンタムに直結するアプローチといえます。

では次回はペップトークなどクールモメンタムについてのアプローチについての具体的な取り組み、展開方法についてご紹介をしていきましょう。

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?