組織運営の大原則を認識する⑦~理念編~ ソモサン第248回(1)

人間関係論における権力と規範

皆さんおはようございます。

皆さんはリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラかく語りき」という交響詩をご存知でしょうか。恐らく前奏だけは誰もが耳にしたこともあるある意味名曲です。この前奏は名指揮者カール・ベームによるベルリン・フィルの演奏を持って、SF映画の金字塔と称される「2001年宇宙の旅」のオープニングに使われたのですが、「あああれか」という方も多いのではないでしょうか。ところでこの「ツァラトゥストラはかく語りき」ですが、原典は近代哲学者の雄であるニーチェの代表作の題名です。このニーチェ、「権力への意志が生み出す内面的衝動が全ての活動の源泉である」と哲学観を説いています。ここで言う意志とは「何らかの目的を実現するために自発的な行動を起こす内面的な意欲」のことです。内面的衝動というのは内面的意欲が生み出す感情反応のことです。ニーチェは生の哲学という領域においてその哲学を探求した人です。

人は権力に反応して行動を取るのは経験的にも確かです。この権力の中でも誰もが納得しやすいのが「公権力」、つまり原則的なルールです。でもこれはどちらかと云うと「したがわねばならない」という規制的な力で、行動分析的なアプローチであり、人としての促進的な動きを喚起するものではありません。そこを担うのが人間関係論による組織運営です(ホーソン実験)。

組織を効果的にマネジメントする方策として1920年代後半から起こった「人間関係論」ですが、その焦点は徐々に「リーダーシップ論」に傾注されていきました。リーダーシップとは影響力というパワーのことであり、詰まる所これらの流れは「パワー論(権力論)」の研究に軸足がうつっていきます。一般にはリーダーシップと言うとすぐに個人の中に内在する要素のように誤解している人がいますが、本来リーダーシップとは「他者や他集団に特定の状況下で何らかの影響力を行使する動き」を云います。ただ権力は単なる「影響力」ではありません。権力は「ある者が意図的に、時には対象者の意に反してでも行動させる特別な力」です。「時には意に反してでも」というのがポイントです。権力が働いているとき、権力の発動者にとってはそれが意図的であっても、対象者に取っては「意識無意識に関わらず権力に影響を受ける」ということを意味しています。また権力の発動者は個人とは限りません。「人間関係論」においての研究対象になったキーワードがもう一つあります。それが「規範論」です。規範とは「申し合わせによる同調行動」のことで、心理の根底に流れる「べきである」といった意識体系を云います。道徳や倫理、慣習も規範の一つですが、その多くは無意識に心に影響する暗黙的な作用をします。無意識の中には頭の働きもありますが無意識的な気持ちも含みます。そしてこの規範は集団に属するメンバーに対して権力のような働きをする場合があります。この権力は絶大です。人間はその基本欲求として集団帰属性という強い意志を持っています。孤立したくないという欲求は生理欲求に近いものです。規範が作り出す権力への違和感は、生命や身体の危機がない限り生まれないでしょう。

「規範」は多くの場合は集団全体の利益目的に沿っているものばかりです。でも中には時間の経過で、もともとその規範が生まれた本来の機能が失われ、外部と閉鎖性を生み出す原因やメンバーの中に規範の内面化が生じて盲従的な状況を生み出す原因となります。

集団力学の祖であるK.レヴィン博士はこの規範や権力の存在に着目して、「人間行動は個々人の意志とその個人を取り巻く環境、つまり集団的な意志(規範)によって生成される」と理論化しました。以来「人間関係論」の焦点は「集団的な権力構造」とその効果的なデザインの研究が進められています。

規模拡大に伴い権力構造を効果的にデザインするための経営理念

その一端が20世紀の終わり頃から各組織体で注力された「理念経営」です。欧米ではクレドと称するものもあります。このクレドとか理念こそが集団規範による権力構造を活用したアプローチの真骨頂です。目的に即した契約関係で成立する企業で最も重要なのは「組織の目的」です。理想的には、創業者が描く目的に賛同して人が集まるのが最良です。しかし現実は経営側の肌感が伝わる規模までしかそれは望めません。それでもそこまで行けば感謝感激です。現実はパートナーとですら相互理解できないことも多いのものです。当然そうした関係の場合は思いや目的ではなく、個人的な利得が主軸の関係となります。はっきり言えば、「金が繋ぐ縁」です。この状態は非常に脆いです。追い風の時には一見結束したようにはた目には映りますが、逆境になったら途端に雲散霧消しがちです。それでは組織を作った意味を為しません。酷い場合には利益獲得のドロドロな闘争状態となって、足の引っ張り合いが始まって、却って組織化が裏目に出てしまう場合もあります。

こういった事態を出来る限り避けるために求心力となるのは、トップのカリスマ性(マジック権力)ですが、これも初期段階での事業的な成功が無くてはカリスマ性など生まれず、なかなか難しいです。そしてさらに難しいことに、例え初期に成功したとしても、そのカリスマ性は組織の成長に伴ってあっという間に危機を迎えます。まず肌感が伝わらない規模になった瞬間にトップの思いなどは伝わらなくなります。余程優秀なパートナーや幹部が参集した場合でも、彼らの肌感を超えた瞬間にカリスマ的な影響は瓦解します。またそのトップが交代した瞬間にカリスマは霧消します。

こういった個人力に任せたカリスマ性といった権力ではなく、できるだけ持続的で広範囲に影響する権力として機能させるために歴史的に創案されたのが、古くは家訓と称された理念です。組織に所属する人々の考え(判断)や気持ちそして行動を規定して誘う観念です。

ここまでを読んだ段階で賢明な方はお気づきになったでしょうか。理念にとって最も重要なのは「意図通りに行動を取って貰うきっかけとなる気持ちをどう扱うか」です。理念はトップの思いが肌感となって伝わらなくなった時に起きる問題の打開策です。一方で人は理屈よりも気持ちに左右されて動きます。「分かってはいても嫌なものは嫌」なのです。理念は「文章であり論理」です。しかし感情を動かすのは感情です。このギャップを埋めない限り、トップの思いや企業の目的を共有するための打開策のはずだった理念は絵に描いた餅です。さて皆さんならどうしますか。

経営理念は「浸透」ではなく「普及」させる

まず重要なのは文章に魂を入れることです。文章を読めば、その文書に魂が入っているかどうかはある程度推察できます。まず行動軸の内容になっているか。具体的に何をそうするかが織り込まれているか。そしてそれが所属する人たち全員が当事者的な言い方になっているか、です。これは作成者が第一に当事者意識を持っていなければなりませんし、現場の実態をリアルに想起して彼らに即した動きがイメージできていなければなりません。人は美辞麗句では動きません。これはトップ自らが作る場合でも同じです。というよりも本来は理念はトップ自らの専権事項です。もしそれをトップと同等の責任負担がない人に委ねるならば、相当にその人達に心情的な加勢をする必要があります。そして作成者に産みの苦しみを味わって貰う必要があります。その苦しみが文章に乗り移ってこそ生きた文章になります。当然決して急がせてはなりません。周りも作成者に共感して、納得よりも感情が移入できる文言を作らなければ話になりません。

そして次がどう普及させるかです。これは普及教育のような問題ではありません。諄いですが、重要なのは気持ちの伝達です。作った側がどれ程の思いや気持ちを織り込んで作ったかという辛抱苦慮の過程がにじみ出て来る現場との接点の作り方が勝負になります。少なくとも作成者が描いた理念を評価的に理解していたり、現場に対して上から目線で「浸透」という理屈を想起した段階でこの試みは失敗します。そもそもが利害共同体的な意識の人たちに対して発起側が幾ら運命共同と行ったところで、腹でお茶を沸かす行為です。発起側が運命共同的な行動を取るのが先決です。現場は発起者たちの振る舞いを見て、好印象を持って初めて模倣し始めるののです。少なくとも自分たちに見返りも印象化できず、すこしでも損した感や面倒感があれば反発するか、無視、消極的な協力に終止するのが落ちです。理念は「浸透」よりもどういう過程で作ったかが肝なのです。そして重要なのは作成中での現場とのコミュニケーション的演出です。社内広報(インナーブランディング)が鍵を握ります。皆さんも密室で作られた一部の人の思いによる理念を完成段階で公開されて心を移入できますでしょうか。これは単純な感情的問題です。組織を纏める苦悩を経験した人であれば容易に想像がつく話と云えます。私の経験ではオーナーとサラリーマンの違いがこういった心配りの面で露呈するのが常です。これまでお話してきた組織の基本ルールは統制事項ですが、これには信賞必罰が伴います。また伴わせなくてはなりません。今回の手間である規範を変えるというのは管理であって統制ではありません。管理事項を統制のように運営しようとしてもそれは反作用を生むだけです。特に管理行動が統制行動と等しく認識される大手企業のような組織が確立されている(行き過ぎると官僚組織になりますが)所では統制に準じたアプローチも(少なくとも現場は嫌々ながらでも)一定の通用はありますが、日本の多くの組織を知らない企業では徒労になる例が跡を絶ちません。最初が肝心です。作る段階から浸透への演出は始まっています。そうして最初の段階で「理念は自分にとってもメリットがある。自分も少なからずは参画した内容である」といった感じが現場において頭と気持ちに引っかかりとして所有感が芽生えれば、後は管理行動で癖付けするだけなのです。後は繰り返しとしつこさで同一化にしていくのみです。そして理念が自分の人生目的を代弁した存在であると心の片隅に刻み込まれれば大成功です。そこからロイヤリティが生み出されます。今の時代自らに理念や目的が生み出せない人が多くなっている印象もありますが、組織的な目的は個人の目的形成の補助的な役割にもなり、個人的な目的と組織の目的が良い意味で同一化していきます。そうなればより主体的に理念を体現する行動をとるようになります。。古来理念はそれくらいの力を持った存在だったと云えます。皆さんも規範マネジメントは用心深くやって下さい。また規範マネジメントの技術を磨くことの重要性に真摯になって下さい。それだけで組織は上向きますよ。

心から理解して共感できる理念は、個々人のマインド形成の種になります。例えばホンダの「世界トップのモーターメーカーになる」、ソニーの「世界最小最軽量を実現する」と云った具合に優れた行動が分かりやすい理念は人を引き付けます。金ではなく理念に人は参集し、皆がそれに拘ります。ですから彼らは利他的な行動を惜しみません。そこにはまさに利害共同ではなく運命共同的に人が集うわけです。これは価値観と行動規範によるマネジメントです。間違えてはならないのはビジョンではないということです。まずはそこに自分が居て居心地が良いかです。そしてそういった環境下でポジティブな発想が生まれてこそビジョンが鮮明になるのです。まずは同一化した価値観があってこそ方向付けが揃い、そこからリアルなビジョンが生まれるというのが論理的なステップになります。意味付けがあってこそ目的が鮮明になるわけです。論理の順番は大事です。ビジョンとはある意味見返りの想像です。「こうなったら自分もこうなれる」これは利己心です。利己心が共同した利害共同は、非常に脆い関係になります。至る所で依存が生まれます。何故ならば組織としての価値観や行動規範が共有されていない、特に自己責任に対する相互の行動的契約が為されていないからです。大手のような元から行動規範が厳格な組織体では改めて価値観と云う必要がない場合もあります。しかし組織が未発達なレベルでこの順番を間違えると大事になります。組織形成とはまずは「身の程を知る」ところから始まります。ヘッドトリップした理屈の世界ではなくリアルに捉えましょう。