• 組織運営の大原則を認識する④~行動科学で目に見えない動きをコント ロールする~ ソモサン第245回

組織運営の大原則を認識する④~行動科学で目に見えない動きをコント ロールする~ ソモサン第245回

行動科学と瞑想・マインドフルネス・リズム

皆さんおはようございます。

行動科学とは、人間の行動に焦点を当て、種々な行動を厳密な科学的手法によって観察・記録・分析し、その法則性を明らかにすることによって予測可能性を高め、社会の計画的な制御や管理のための技術を開発しようとする、科学の動向を総称します。行動科学は、まず行動主義心理学の伝統をもつ心理学者が主導しました。その後行動に関するデータの蓄積をもつ社会学や文化人類学もこれに加わりました。行動主義とは、客観的に外部から観察可能な「行動」のみを心理学の対象とすべきと主張するワトソンの考えに基づき、行動を対象として、人間の心を捉えようとする心理学です。その基盤は「行動分析学」です。行動分析学とは人間が行動する理由に焦点をあて、その法則を見つけようとする心理学の一分野です。 行動主義には、梅干しを見ると自然に唾液が出てくることを使って、更にそこにベルの音と梅干しを一緒に呈示する手続きを繰り返すと、次第に梅干しが無くても、ベルの音だけで唾液が出てくるようになる、といった刺激と反応の結びつきから人間の行動のメカニズムを説明しようとする古典的条件づけ理論(S-R理論)や、レバーを下げることで自動的にえさが出てくる実験箱の中で、始めはやみくもに動き餌を入手することがなかなかできなかった動物が、偶然レバーを下げ餌を手に入れることを機に、レバーを下げるという自発的な行動を増加させるといった報酬と罰への反応に対するオペラント条件づけ理論。そしてお昼になると空腹感が生じ(食欲が満たされない欲求不満)、ご飯を食べようという動因が高まることに加え、いつも12時にお昼ご飯を食べるという習慣によって、「もう12時だし、お腹がすいてきたからご飯を食べよう」という気持ちになり、昼食をとるという行動がより促されやすくなるといったS-O-R理論や、例えば上司に仕事のことで怒られ、言い返してしまったという状況に見られる、「上司に仕事で怒られた」という先行刺激に対して「言い返した」という行動、及びその結果としての「理不尽なことを理不尽だとしっかり言うことができて気分がすっきりした」といった結果を結びつける、オペラント条件づけを基としたABC分析理論といった具合に、様々な仮説や理論があります。

行動主義の考え方は現在の臨床心理学の基礎の一つにもなっており、そのような心理療法を行動療法と呼んでいます。古典的条件づけを基礎とした行動療法としてのエクスポージャー(暴露法)や系統的脱感作法とかオペラント条件づけを基としたトークンエコノミー法やバイオフィードバックなどがそれに該当します。

何れにせよこれらは人の行動が様々に固有する価値観や思念に寄らず人間が有する条件反射的な行動に着目して、行動からダイレクトに自律神経といった無意識領域における脳活動に働きかけるアプローチと云えます。

例えば、瞑想をする時、意識的に呼吸に意識を向けながら瞑想していると、自然と深く落ち着いた呼吸になっていきます。

瞑想にはさまざまな方法がありますが、共通しているポイントは「呼吸を整える」ことです。

この「呼吸」という意識的な行動は無意識的な自律神経と大きな関わりを持っています。そして自律神経は自分の意思でコントロールすることはできませんが、「呼吸」は自律神経に支配されながらも自分でもコントロールすることができます。

実は深い落ち着いた呼吸は副交感神経を優位に働かせます。瞑想により深い呼吸を意識することで、副交感神経が優位になり自律神経のバランスを整えることに繋がるのです。自律神経とは人間の臓器など活動機能を司る神経のことで交感神経と副交感神経の2つに分類されます。そして自分の意志で動きを操ることができる筋肉などとは違って自分の意志でコントロールできないのが大きな特徴です。

交感神経と副交感神経はどちらか片方が活発に働き優位になる性質があります。交感神経は心身をアクティブにする働きがあり日中を中心とした活動時間帯に優位になりますし、副交感神経は心身をリラックスさせる働きがありリラックスする夜間を中心に優位になります。

人は不規則な生活習慣やストレスによってこの自律神経が乱れる、つまり交感神経と副交感神経のバランスが崩れてどちらか一方に偏り過ぎてしまう状態になると、怠さや頭痛など「病院に行くほどではないけれどなんとなく調子が悪い」といったことを引き起こします。

交感神経に偏る状態になると、血流が悪くなることによって集中力の低下やイライラした感情を引き起こす他に胃腸の不調などが現れてきますし、副交感神経に偏るとやる気が起きない、アレルギー症状などのサインが現れてきます。こうした自律神経の乱れは自律神経失調症に繋がってしまう場合もあります。

瞑想は「今この瞬間に生きる」ことに集中することで、不安などの感情やメンタル面をコントロールし易くなり、ストレスが軽減され自律神経が整う効果が期待できます。またその場限りのストレス解消ではなく、継続していくことでストレスを受け難い心のバリアを作ることに繋がります。更にはメンタル面だけではなく、冷えや肩こり、だるさなどの体に現れる様々な症状を軽減することにも繋がります。

さてこの副交感神経とか交感神経ですが、この神経が作用するにおいて、神経伝達物質が中核的な役割を担っています。神経伝達物質は、体の機能を調整するために様々な命令を伝える物質です。そして神経伝達物質によって命令が出される機能の1つに自律神経があります。自律神経は更に交感神経と副交感神経という2種類に分かれており、交感神経は興奮・緊張している時、副交感神経はリラックスしているときに優位になります。その中でドーパミンとアドレナリンは、両方とも交感神経が優位な時に出される伝達物質です。そして副交感神経が優位な時に出されるのがセロトニンです。このことは反対にこの伝達物質の出方が副交感神経や交感神経のあり方に影響することをも意味しています。皆さんの中でも、緊張した時に深呼吸すると気持ちが落ち着いた経験がある人がいらっしゃるかもしれません。そうです、呼吸をコントロールすることが自律神経のバランスを整えるのに効果的なのです。

このような観点から見ますとマインドフルネスは「行動主義的」な側面を大きく持ったアプローチと云えます。特に禅における座禅などは結跏趺坐のような座り方や姿勢など全身で身体を調律させることから自律神経や脳内活動をもコントロールして心を開放する高度な技術となっています。

セロトニンは 脳内の神経伝達物質の一つとして、ドーパミンやノルアドレナリンを制御し精神を安定させる働きをします。そしてそれを活発化せるのがマインドフルネスと云うことは明確です。  一方ドーパミンは快感・幸福感を感じさせる伝達物質で、見返りを得られる事柄を達成したときに分泌されます。この物質は実際にはまだ達成されていなくても、見返りを得られることを明確に思い描けたときにも分泌されます。例えば目標を達成するとドーパミンによる気持ちよさを感じることができるので、また頑張ろうという気持ちになり、意欲がわきます。しかし予測状態段階なのにドーパミンによって幸福感を感じてしまっては、完遂出来ないことになります。その時に働くのがアドレナリンです。アドレナリンはやる気を引き起こす伝達物質で、興奮・緊張している時に分泌されます。元々アドレナリンはドーパミンが変化したものなので、ドーパミンが分泌された後は自動的にアドレナリンも発生し、幸福感をやる気へ繋げる仕組みになっています。このアドレナリンがあることで、多少辛くても最後まで頑張れることになります。

ドーパミンが不足すると、顕著なやる気の低下(無気力・鬱)が起きます。精神面にとどまらず、肉体機能も低下してしまいます。一方で過剰に分泌されると幻覚や妄想(統合失調症・強迫性障害)を引き起こします。過食症状が出る場合もあります。脳内が常時興奮状態になってしまうため、冷静な判断力の欠如などが起きるからです。

ではどうすればこのドーパミンの分泌は闊達になるのでしょうか。そしてそれによって交感神経を刺激して脳内活動を「勢い」的な状態に導くには。それがモメンタム、特に着火モメンタムの技法、アプローチになります。

マインドフルネスにおいても音楽は有効だと云われています。α波が出るような穏やかで静かな音楽。4ビートや8ビートの主旋律で低音が効いたリズムやメロディを耳にしながら瞑想するのは効果的です。

同様にモメンタムも「勢いづく」音楽、リズムやメロディは心に適度なストレスを与え、気持ちを沸き立たせます。それはビジュアルでも構いません。とにかく五感をハートビートに盛り上げたり、激しい運動などで熱量を上げることがやる気を誘引することに繋がるのです。皆さん最近サウナが流行になっているのはご存じのことと思います。サウナで「整う」という言葉が流行っていますが、この整うとは心が勢いづくことで交感神経と副交感神経がバランス立つということです。

因みにサウナですが、経験の少ない方々は熱いのがモメンタムだと思っている方がいらっしゃるようですが、熱い方は我慢であり、目を瞑ってじっとしますが、これは瞑想感覚の境地と繋がっています。どちらかと云えばマインドフルネスの変形と云えます。 ですから熱いからと云ってあまり浅い呼吸をしていると効果は低くなってしまいます。浅い呼吸は交感神経と関連しているからです。 そして水風呂です。実はこれがモメンタムなのです。グッと我慢して、一挙に解放し覚醒する。だから整うなのです。ですから交感神経を優位な状態に保つためには、1、2セットに留めて、サクッと入るのがベストだと云われています。

このように人の気持ちや考え方をうまく生産的に誘うには、意味づけや認知の浸透のみならず、「行動科学」と云う行動やその反応に照準を合わせたアプローチも重要な手立てとなってきます。「案ずるよりも生むが易し」という言葉があるように(大阪では「やってみなはれ」という素晴らしい言葉があります)、理屈の前に「動くこと、動かすこと」で結果を体感させ、その経験値の積み重ねで生産的な行動を促すというアプローチです。

集団規範の力

この行動科学的な世界観で人を無意識的に導くのが「組織文化」とか「組織様式」などとも称される「集団規範」のあり方です。規範とは「暗黙裡のお約束事」のようなものです。組織や集団内で行動する上で心理的な強制的色彩を持つガイドラインです。軽くは「挨拶の仕方」や「報連相のあり方」といったお約束事から「権力構造の在り方」とか「意思決定構造」といった世界に至るまで組織や集団は様々なお約束を持っています。「昔からそうなっている」「内ではそうすることになっている」といったお約束事は環境や状況が変わっても堂々と維持され、時にはそれが最も生産性において足枷になっているものも多く存在しています。それこそルールを侵食しているものさえあります。

行動科学の世界でこの力に言及したのがハーバード大にいたK.レヴィン博士でした。彼は人間の行動は自らの意思だけでなく、置かれている環境からの圧力によっても選択されていると言説しました。これが現在集団力学と云う考え方を生み出すことに繋がっています。

さてこの集団圧力、「爪弾き」とか「村八分」といった表現で使われますが、人が集団社会で行動するにおいては非常に恐ろしい心理的な圧力を与えます。人は孤立では生存の危機となりますからある意味無抵抗的な世界です。前回のブログで私の経験的に「社会的孤立感」が人の心にどのような影響を与えるかについて言及しましたが、人によっては病んでしまう程です。ですから人はまずもって所属する集団においては合理性と云った理屈やルールよりもこの圧力に従って行動します。そして人の心理的な適応性として、その規範的行動が日常的となって同化が生まれ、最終的にはそれが前提として無意識的行動化されていきます。更に同化とともに認知的不協和が起きて、これまでの行いを自己反省し始め、規範的行動を強く正当化までし始めます。ルールよりも怖い暗黙的ルール。これも行動科学的な世界です。

この規範を生産的に変えるには相当に骨が折れます。まずはその規範が社会的に当たり前でないと気付くこと自体に問題が起きます。当たり前と同化していることに気付くのは難儀です。またそれを認知したと云って今までと違う行動に変えるのも相当の抵抗になります。行動として無意識化したものはその習慣によって相当のストレスが掛かります。まさに麻薬中毒患者のそれと同じです。ましてルールのような明文化されたものではなく、規定が不明確です。何をどのように明示するのも非常にあやふやです。

こうして組織の中の集団規範が環境変化に抵抗を示し、それ故に適応障害となって潰れていくケースが後を絶ちません。せっかくルールを改変して規範変更を仕掛けても名目恭順(面従腹背)と云った無言の抵抗にあって時間経過とともに消滅していったり、強いリーダーシップの発揮で行おうとしてもそれを機に排斥されたり、とこれまでも散々な目になっている組織、屍が累々とした集団を五万と見てきています。日常でもルールの現場的であるマニュアルと職場規範との乖離が様々な問題を起こしています。ルールに現場が従わないのは、現場のメンバーが頭悪いのではなく、彼らが規範に準じて動こうとするからです。それに逆らうと爪弾きに合ってしまうのが主因です。それを見逃して問題が起きた時に個人を断罪しても問題はそこにありませんから火種は消えません。

組織運営の大原則の中核は、組織における非生産的な規範や組織様式を如何に見出して、それを明示化し、認識させ、改革を断行していくか。という命題に対して、如何に当事者意識を醸成するかです。それには「まずは隗より始めよ」の原則です。まずは対面小集団単位(手の届く範囲)で非生産的な非健康的な規範や行動様式、慣習を見出し、それを力を駆使しながら、メンバーに突き付けて、変容を促していくかこそがマネジメントの要諦だと云えます。皆さんは日々そのような動きをしていますか。

はてさて皆さんの会社にはどのような組織文化や集団規範が存在しているでしょうか。そしてそれは今の環境において有効な力なのでしょうか。個々人の前に集団圧力をコントロールするのが、最優先的なマネジャーのタスクです。

 

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?