アートでモメンタムを鍛える ~ソモサン第236回~

ショートソモサン①:美意識と弁別モメンタム①

皆さんおはようございます。

先週ブログの中で「位階システムとサイエンス思考偏重の日本が生み出す美意識、つまり創造力の欠如が生み出す将来像」について言及しましたが、期を同じくして日曜日のNHKスペシャルで「ジャパン・リバイバル“安い30年”脱却への道」という番組が放映されました。先週も触れましたが、コストダウンとアジャイルの追求というサイエンス的論理での問題解決の姿勢は早晩必ず限界が来るということへのエビデンス的な内容で、あまりにドンピシャ的な内容だったのでビックリしました。

特集では、「価格指向一辺倒のコストダウンと品質管理に偏った日本のものづくり」が安さを求めて海外に進出していったのが、グローバルレベルでの経済成長によってコストダウンの臨界が起きて、にっちもさっちも行かなくなったことが描かれていました。ベトナムなどでは「日本くらい品質管理にうるさく、反面最もコストダウン要請も強い。もうつき合えない」と匙を投げられる有様です。またコストダウンと繋がる給与の圧縮で誰も採用に応じない状態が映し出されていました。仕方なく日本の中小零細に揺り戻しをかけようとしても、国内企業は衰退し、かつての仕打ちもあって、こっちも引き受けるところがない始末です。まさにどん詰まりです。またサイエンス優位のガバナンスによって経営者がリスクを負えず、意志決定が遅いといった実状や人材育成にまで金をかけないといった姿勢(内製化などは典型例)が創造的活動の障害となり、優秀な人材はどんどんと外資系に流れる一方。これまでのツケや今後での日本の人材不足による将来的暗雲が露呈される番組でした。

ともかく創造力の欠如が痛ましい有り体になっています。創造力などによる未来へのビジョンが描けずしてモメンタムの発動もあり得ません。ことはここまで緊急事態の様相を期待しているのかと慄然とする思いでした。

前回もお話ししましたが、創造力は「美意識に基づいた直感力」から生み出されます。即ち美意識の醸成こそが経営における人材育成の要諦と云えます。最近いわゆるエリートがアート意識を高めることを推奨する書物が頻出していますがその理由もここにあります。

そしてモメンタムの効果的な発動においてもこれは中核的な意味を持っています。モメンタムに「着火」と「弁別」という2つの領域があるということは前述の通りです。着火は感情に直接作用して意識や行動を喚起させ、奮起させる存在です。そして弁別はその反応をより効能的にコントロールする思考的な役割を担った存在です。ただここで押さえておかなければならないのは、二つが別々の存在として作動したり機能すると云うことではないということです。モメンタムが発動するときは両者は同時に発動されます。その時反射的で情動的に発動する着火をきちんと弁別が制御できるかどうかが着目すべきポイントになります。弁別モメンタムが育成され発達している人は効果的に着火を誘導できますが、それの力がない人は時に着火モメンタムの暴走を招くことになるということです。着火モメンタムの暴走は燃え尽き症候と云った却って新たなストレス源にもなりかねません。

脳科学では、何らかの刺激認識が有った際、それはまずドーパミンを介在して扁桃体に作用し、次にそれが随時線条体や自律神経、そして前頭前野と伝達されていきます。応じて情動的な反応や身体的反応が生じてきます。最近の研究でその反応は島皮質と前頭前野との相互作用関係によって感情という形となって発出されるということが分かってきました。つまり弁別モメンタムは無意識下でこの前頭前野と島皮質との関係をコントロールする動きをもたらします。そして両者のバランス関係を有効に作り上げる弁別をもたらすのが「美意識」です。

ショートソモサン②:美意識と弁別モメンタム②

人の反応神経は連鎖で繋がっています。それは可塑的な働きをするものも多々あります。つまり線条体の反応が自律神経を刺激するという方向のみならず、自律神経の動きが可逆して線条体を刺激することもあるということです。このことはモメンタム(この場合は着火)が興奮や奮起といった感情とか身体反応を惹起させるだけではなく、身体反応を使って行動から感情を誘発してモメンタムを発動させるというアプローチが可能であるということを示しています。そして感情の動きや身体の反応は順番に生じるのではなく、並列的に働きますから、身体反応から感情を誘発することも可能ということになるわけです。

これが着火モメンタムを意図的に発動させるための構造とアプローチポイントになります。特に感情と身体反応が密な領域ほどアプローチの効果は絶大です。例えばリズムとか色といった感覚的な刺激です。また能動的に身体を動かすような所作は直接感情を刺激して着火モメンタムは作動しやすくなります。一人カラオケや口笛、独り言から始まって、体操や踊り、スローイング、シャドウボクシング、ゴルフスイングなどといった体動を伴った盛り上げも効果的です。そこに更にそれが持続するような意味付け、つまり弁別モメンタムが無意識に発動するような仕掛けがあると尚効果が保証されます。

ではその弁別モメンタムはどのようにすればスムースに作動するような心性になるのでしょうか。

ここで少し弁別モメンタムに重要な影響作用をする「美」について触れておきましょう。美という概念は「美とは何か」という本質、「どのようなものが美しいのか」という基準、「美は何のためにあるのか」という価値によって組み立てられます。

美は認知的に知覚、感覚、情感を刺激して内的快感を誘引されて、対象からみられる均衡性や充実性、輝きなどによって惹起される観念とされています。重要なのは美は単純な「快楽」の如く生理的なものではなく、想念的で社会的な存在であり、体感的な外受容感覚のみならず、内受容感覚としての精神美もあるということです。つまり人としての社会的活動として、人が秩序を維持し進化成長する上で基調として共有するべき心の在りようとして、人間行為の倫理的価値に対する評価をも交えた心理的な総体といえます。そして存在それ自体の性格が持つ性質として、美を把握する方向は、他の同様の価値概念が美と共通するないし同一であるという観念に帰着してきます。それが「善」と「真」です。シェリングは美を客観的なものの絶対性としつつ、根本においては善や美と同一であると定義して云います。

以前から云うように弁別モメンタムは着火する感情的なモメンタムという心性を、単純な一時現象ではなく、そして無為で無駄な働きでなく、無意識ではあっても意図的により自分にとってメリットになり、持続的な働きに誘導すべく働く心性です。時には抑止的に働く場合もありますが、時には着火を後押しするように作用する場合もあります。その無意識的な意図の元になるのが真、善、美という人にとっての集団維持と成長進化を促すと心性にDNA的に刻み込まれた概念です。そしてその中でも最も形而下的に捉えられるのが「美」の世界観になります。

要するに「美」の世界が最も簡単で分かりやすく人にとっての社会的な理非分別という心性を磨く領域であり、弁別モメンタムの開発を効果的に促してくれるわけです。

ショートソモサン③:美意識を高める方法

「美」アートのない心性の人、サイエンスに偏った人の振る舞いやモメンタムの有り様はここまで何度もお話しました。

早速「美」の心性をどうすれば高められるかに話を進めることにしましょう。美の世界を象徴する学問「美学」には主に3つの領域があります。「音楽」「絵画」そして「文芸」です。何れも人が社会のサスティナビリティに対する心性を身につけれると同時に想像性と創造性を磨くことができる学問領域と云えます。

この3つに共通するのは何れもが「内受容感覚」を発達させる学問だということです。「内受容感覚」とは自分の内側の動きや感覚を感じ取る力です。例えば心臓の動きや体の具合とかポジティブネガティブと云った心の有り様を認知する力です。心理学の実験ではこの内受容感覚が社会性と密接な関係であるということが証明されてきています。いわゆる人の気持ちを察する「共感力」といった力に関して、内受容感覚が正確なほど共感力が高いということが分かってきています。内観力が感受性に影響するということです。ここでも感情と体の繋がりが浮き彫りになってきています。例えば怒りや幸せ感は体のお腹から頭への温度が上がる。体の中心が上がるそうですが、内受容感覚が低い人はそれが未発達でそういった現象に気がつかず、慢性的な疾患やストレスコントロールが出来ずうつにまで陥ってしまうそうです。これは幼児と同じ状態なのだそうです。

この状態こそ着火モメンタムが制御できずに暴走して自他を傷つけたり、その反動で身動きが取れなくなる人の共通特徴でもあります。

そういった事態を避けるには内受容感覚を鍛える、敏感にする必要があるそうです。自分で自分が今どういう感情なのかを感じる。それを言語化する能力の開発が大事なのだそうです。そしてそういった人は共感力も弱く、人の気持ちが分からないので、乗り(乗る、乗せる、間合いを計る)が出来ません。人の気持ちが推し量れないわけです。

内受容感覚には「内観」も含まれてきます。ですからマインドフルネスというか瞑想をすると内受容感覚も磨かれるので、一定の効果が期待できるのは確かです。しかし瞑想はあくまでも自己完結的な所作です。マインドフルネスには抗社会性としての外受容感覚における情報が含まれません。ですから本来その領域を持っている人ならばマインドフルネスで自己受容感覚を取り戻し、モメンタムも発動されるでしょうが、その領域が未発達な人(現代のサイエンス偏重教育の若者など)はモメンタムは発動されない事態に陥るわけです。これが今の日本のマインドフルネスの実態です。ちゃんとした内受容感覚を磨くには「シグナルマネジメント」の素養が不可欠になります。そういった感性が「美意識」であり、それを磨くのが「美学」になります。絵や音楽に触れて自分の感情を鍛える。内受容感覚に意識を向ける訓練が重要になってきます。

では具体的にどうしていけば良いか。最も手っ取り早きには音楽に触れることです。音楽は「リズム」と「メロディ」と「ハーモニィ」で構成されています。「リズム」は情動を担当して着火モメンタムに影響しますが、「メロディ」と「ハーモニィ」は更に「情景」を想像させたり「心情」を想像させる弁別モンメンタムを刺激します。更にここに「リリック(詩歌)」が加わると「想像」に拍車が掛かることになります。

音楽はモメンタムを向上させ、機動性を高めるのに非常に有効な手だてと云えます。しかし問題もあります。それは音楽は一般には受け身的な「美」だということです。想像的ではあってもあまり創造的ではありません。これを創造的に高めるには自ら作詞作曲したり演奏するという能動性が求められます。また音楽は解釈の余地も作り手の意図がかなり反映するので狭まります。

一方「文芸」は読み手の自由度がかなり高くなってきます。解釈の余地が大きくなります。大衆文学は読み手を一元化しますが、純文学は読み手によって解釈に多様性があり、想像性も創造性もかなり鍛えられます。「真実は読み手の数だけあるが事実は一つ」といった案配です。しかし文芸は感覚的には静態的ですから着火モメンタム的には刺激は生まれないアプローチです。

両者の中間に位置するのが「絵画(アート)」です。アートは「色や塗り方」が「リズム」と同じ役割を持ち、「輪郭や構図」が「ハーモニィ」と同じになります。世の中には「共感覚」といって文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする人がいるそうです。複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいます。共感覚には多様なタイプがあって、これまでに150種類以上の共感覚が確認されているそうです。

それはそれとして絵画は色や構図によって「着火モメンタム」としての情動を掻き立てます。そして「メロディー」に値するのが「背景とモチーフ」になります。まあ作者の意図のようなものです。

絵画は音楽同様にダイレクトに情動に訴える面もあれば、文芸のように意図を読ませ想像させる思考の面も有してます。そして何よりも絵画は静態的に自ら能動的に歩み寄らなければ、向こうからアプローチはしてくれないということです。つまり取っつきやすいのは音楽ですが、感性を磨くには絵画の方がシビアに鍛えてくれるということになります。

ショートソモサン④:アイデンティティと直観力

こうして自らの能動性と洞察力、創造力の研鑽と錬磨によって生み出されるのが弁別力になります。着火モメンタムを有効に誘導するモメンタムの源泉です。

弁別力とは判断力です。それを行うには、「自分だけのものの見方」で社会を見つめ、「自分なりの意見」を持ち、そして「自分としての新しさ」を創造することです。一般にそれをアイデンティティと云いますが、それがないと「直感力」は働きません。直感が働かないということはリスクが取れない、自己統制が出来ないと云うことに繋がります。

「自分の考えを持ち(引いては自分ならではの目標意識を持ち)、自分なりの判断軸を持って創造する」力が弁別力であり、無意識に発動する直感力になります。この素養がなければ有効な弁別モメンタムは働きません。弁別モメンタムの源泉は一言で云えば「美学」です。

そこで絵画鑑賞による美学の醸成です。まずは見方を知るということです。

絵画展に行くと、絵を見ているよりも、その下の解説文を一生懸命読んでいる人に出会います。実物を確認して納得する作業に終始してその作品を味わっていない。見れるものを見ず、感じれるものを感じないのは勿体ない話です。

大事なのはその作品から自分は何を感じて何を見いだすか、です。1作品に最低10分はかけてしっかりと洞察して、自分なりの見方で自分なりの解釈をして自分なりの見解を生み出すことです。絵画は作者が我々に作品を通して対話的に意図を提示する存在です。ですから鑑賞者は能動的に意図を読み解く必要が生じますし、また見る側にすれば解釈は無限な存在です。時には対立も存在します。音楽は動態的に展開し、あまり対話的な存在ではありません。対話するには演者として時間や空間を共時する必要が出てきます。殆どの場合理解や共感といった受け身に終始します。そういった意味においては想像はあっても創造領域は少ない世界と云えます。そういった観点からすると創造性を開発するのは圧倒的に絵画鑑賞と云えます。

対話する。そう対話するにはまず「自分の考えや意見」が必要になります。それを培うのは洞察力です。相手(絵画作品)が何を云っているのか、何を意味しているのかを読み解かなければなりません。

それには2つの視点が必要になります。第一にそれを見て「どう感じるか」「何故そう感じるか(何故そう感じる自分がいるか)」です。そして「相手は何が云いたいのか」「どう云いたいのか」或いは「何が見えてくるか」です。絵画の場合カメラが開発された前後で様相が全く違いますので、絵画の目的が変わった印象派以降の作品は読み解き方に多少技術が要りますから、まずはバロックやロココ形式の絵画から入るのが分かりやすいかもしれません。

私の場合、大学時代に交際していた相手に最初に連れて行ってもらったのがマチス(フォーブ・野獣派)の作品展でしたのでインパクトは大でしたが解釈は難儀しました。まあ印象派から入ったのでモメンタムには相当に役立ちましたが。

例えばバロックの場合大方が宗教画です。それ以前は神話。そうするとモチーフは「愛と死について」或いは「愛のあり方」ですからその絵がモチーフをどう捉えて書いているかの着眼点になります。

更に書かれた時代の考証があれば、より深く読み取れます。例えばロココ時代欧州は疫病による暗澹たる背景があります。そういった心情が「死」に対する思いを反映させて、それが絵の中に表現されていたりします。

また以前にブログで紹介したシグナルマネジメントでの人の表すサインに気がつけば、絵の中の登場人物の心の有り様やそれを書いた作者の意図も見えてきます。

そうして徐々に絵画と対話しながら自分のものの見方や捉え方、または独自性を育んでいくのが肝要です。そして絵画も徐々に一見難解に見える近代ものに入っていくのが良いかと私は思います。特に後期印象派は大事です。弁別モメンタムにおいては光の絵画やキュービズムのような感性の絵画が直感力の大きな啓発ポイントになると考えているからです。

この辺からより具体的で深いアプローチに関するお話は紙面も詰まってきましたので、次回に回したいと思います。

 

それでは皆さん、次回も何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?