• 変化する私たちの「こころ」と行動科学アプローチ~組織運営の原則の閑話休題~ ソモサン第244回

変化する私たちの「こころ」と行動科学アプローチ~組織運営の原則の閑話休題~ ソモサン第244回

ネガティブなこころと内観の関係

皆さんおはようございます。

先週「自分の物言いが今や化石的な語彙になっており全く通用しなくなった」「自分が若い頃から親しんできたコミュニケーション方法が今の世代と距離を生み出していて自分が若い頃には親しみの表れと思っていた無意識の物言いが全く伝わらない」という浦島太郎ショックに見舞われたという話題を話させて頂きました。ジェネレーション・ギャップによって自分の根っこにあるコミュニケーション表現がマジョリティーと大きなズレを持ってしまったという実感は、「社会における自分の出番の終わりを突きつけられる」ことになったわけですが、この認知は、現役活動を続けるにおいての必須である感度の問題として私以外の高齢者枠に入った方々にとっても真摯に考える課題です。

例えば今私が体験しているブログ原稿に対するコミュニケーション的な不安感や用心深さといった反応などは、私の感度の発露の典型です。果たして老害とはそういった感度が鈍り、自分の振る舞いのあり様に気が付かない姿と言えます。私は人生には上り坂の時期と下り坂の時期があると見ていますが、その考えにおいて私は「下り坂に入った者が上り坂の者の邪魔となる様ではいけない」という不文律があると感じています。しかし実際に周りを見渡すと、本当に成仏できない方々を一杯目にします。それは実に見苦しい光景と言えます。しかし「言うは易く行いは難し」といったところで日常社会の目まぐるしい日々を走り続ける中でその鉄則に気がつくのはなかなかハードルが高いのも事実です。

こういった感度を自認するための着眼点を「メタ認知」と言いますが、メタ認知はそれを意識せざるを得ない余程のきっかけがないと実感的に身につくものでもありません。実際に私も人との認知差やそこへの気づき、そして内観的な修正に目が向いたのは50代になってからと言えます。もしこれを若い時に知っていれば、もっと自分の生き方も楽だったし、他者との関係作りもスムースにいけたに違いありません。何よりももっと物事に集中でき、キャリアも大きく違ったものになったことでしょう。でも歯痒いところですが現実はそう思い通りには行きません。

ところで「自分のスタンスが変わる位のギャップによる大きなショックの体感」という経験をしたのは今回が初めてのことではありません。その初体験は、今から50年前、ちょうど16歳の頃に親の都合で大阪から東京に転校を余儀なくされた時でした。その時人生が変わる位にこれまで経験したことのない心情的なショックを体験しました。親の都合でこれまでも転校は何度かありましたし、その度にいじめのような心情に影響する経験もしたことはあったのですが、この高校途中での東京転校においての体験は生涯に残る心の傷を負うショック体験でした。ではそのショックがどのような影響を私に与えたのか。

これまでの転校した時の経験では、方言の違いなどである程度のいじめも受けましたが、その当たりは転校毎で身につけた処世術で何とか切り抜けるレベルでした。皆幼かったからと言えます。しかし高校レベル、思春期での転校において、しかも大阪と東京といった極端に文化が異なった所での対人的なネガティブ体験はそれまでとは全く異なっていたのです。特にいじめにあったわけではありません。一言でいうと話が通じない。自分が作ってきた立ち居振る舞いや物言いが拒否される。大阪ノリが全てアンチに評価される。それは私にとってそれまで形成された人格が全て崩壊するくらいの体験でした。そしてそれを機に社会的孤立感と無力感に陥ってしまったのです。以来私は対人が苦手になり、対人関係に不安が付き纏い、積極性もなくなってしまう人間に変容してしまいました。そして人が苦手なので防衛心が先に立ち、猜疑心や攻撃的な態度が出てしまうネガティブ優位な人間に。それによって更に人との距離感が生まれるという悪循環が重なっていくという事態に陥ってしまい、それが現在の私の人間性にまでマイナスな影響をもたらしているといった次第です。

それ以上に私的にヤバい状態になったのは、対人への気遣いに向けての余計な集中から、学業などへの集中が出来なくなり、徐々に学力も低下してその焦りから無力感に陥り、物事に手が付かなくなっていったことでした。そこからは転落の一途です。思う学校には入れず、それによって思う就職も出来ず心はネガになる一方です。「こんなはずでは」という己の立場への劣等感から虚栄心が生まれ、態度も斜に構えた格好になるし、それが嫌で更に人から距離を置きたくなる。そして素直になれない自分が嫌になる。そうして心はどんどんと後ろ向きになる一方でした。この様な葛藤が40代まで続いたのです。

東京人との文化や気質の違いからくるコミュニケーションのあり方がこんなにも人生が番狂せになるきっかけになろうとは夢にも思いませんでした。今はかなり東京でも大阪文化が入り込んでコミュニケーションが受け入れられる土壌も出来てきましたから若い人たちにはピンとこない話かもしれません。何せ50年前は違いました。敵対するかの如くのぶつかり合い。それが多勢に無勢といった中で思春期に孤軍奮闘する憂き目にあったわけです。本当に大阪的な冗談は通用しませんし、大阪的ノリは侮蔑されたり嫌悪されたりです。大阪的な表現や洒落のような物言いは時に人格まで問われる始末でした。それは態度や振る舞い、行動にまで及び、それこそ格好から何から揶揄される有り様でした。トイレに呼び出されもしました。今でもその当時の印象は「目立ちたがり」「お調子者」として同窓会では「お前はそうだから」と決めつけるように言われる始末です。全くその足掻く自分の姿を思い出すと今でも嘆息します。最近中学校の友人とフェイスブックで話した時、大学を出て東京に行ったが、やはり水が合わずに10年で大阪に戻ったとのこと。今でも東京にはネガティブ思考が先に立つそうです。

でも彼らは自分たちの文化や様式が当たり前(それも他は知らないのが前提)といった風情ですからそこは幾ら問題にしても詮無い話です。焦点としたいのは、人のネガティブさやマイナス思考はきっかけや理由があるということです。そしてその気になれば幾らでも是正は可能だということです。

人生の転機

私にとってそういった悪循環を抜け出すきっかけになったのは、50歳を迎えた節目に頭に浮かんできた「最早自分は下り坂の人生の立場である」という認知でした。ふと内観したわけです。そしてその時、「これ以上足掻いたところで過去は戻っては来ない。自分の我が儘で後輩たちの邪魔はしてはいけない。出来るだけ彼らを支援していきたい」という開き直りにも似た考えが湧いてきたのを機に、何故だか肩の荷が降りた感じがして気持ちがカチャッと変わったのです。その呼び水となったのが、若い時に当時の社長(当時は彼が50代後半でした)から聞いた「大いなるものに抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」という詩歌でした。これは禅の山田無文老師の言葉ですが、これが私の心に何故か「今ここ」の心境で生きよう、という気持ちを浮かび上がらせるトリガーとなりました。やはり節目と内観は人生にとって大事なものです。まあ階段で言う所の踊り場のような存在ですよね。因みに、同時に自分と同じようにちょっとした出来事で心がマイナスになったりネガティブになったりする人を早い段階で、まだ心が柔らかい段階で復元させるアプローチはないか。自分のように長期に闇に包まれないような手立てはないか、といった思いから「心を調整して更には心を盛り上げる」アプローチを作ってみようと思い立ったのが、現在のJoyBizのプログラムの骨子となっています。

ところで皆さんは「今ここ」とはどういう意味か分かりますか。「今ここ」とは「過去をいくら振り返ってもそれは戻っては来ない。また未来を幾ら推察しても確実性は全くない。だから自らを平常的で前向きに生きるには今ここに集中することである」ということを意味します。16歳を機にずっとモヤモヤで生きてきた私は、それ故に思うように事が運ばず、特に対人的に苦慮を続ける中、50歳のある瞬間に「結局実存は今ここの現実しかない」と本当にふと思い至ったという次第です。そして余生の自分を満たすには「これからを確実にポジティブにするように考え行動すること」と決意したわけなのです。不思議なことにそうすると何故か現実に行動する自分とそれを達観する自分という二つの想念が常に浮かび上がる様になって、どんな場合でも物事に溺れ込まず、また感情に拘泥せず、出来うる限り冷静に自分をポジティブに誘えるような気持ちが持てる様になったのです。いわゆるメタ認知が出来るようになったのです(まあ入り口程度でしょうが)。気づいた瞬間の時は、人はどこか心がどんづまった喘ぎの中から新境地は生まれるのだろう、といった程度の印象を持っていましたが、その後改めて禅の考えや内観の力といった理屈を知るに及んで「成る程、これはきっかけは偶然であったが、道理に叶った流れだったんだな」と思った次第です。果たして皆さんにはこのような経験はあるでしょうか。世の中ももっとこういった理屈を知っていればかなりの人間における問題解決は促進されると考える今日この頃です。

ともあれお陰様で、そのような下地が裏支えをしてくれるのか、先般のように若い人たちとの会合の時にも、自分の価値観や習慣を押し付けることがないような瞬間的な気づきが作動するようになりました。その中でも最近最も大きなインパクトが大きかった出来事が、若い人たちとの会合時による無意識的な化石的物言いや考えだったわけです。とは言ってもそう簡単に治るものでもありません。こういうブログを書いていても、またぞろ同じ言い回しを後輩にしている自分に気がつきました。「いけねえ」と口をついた瞬間に気づくのですが、もう取り返しがつきません。後は後輩の寛大な反応にすがるのみです。

不安に傾斜する私たちの「こころ」

ところで私の若い頃のショックとそれが生み出す闇の世界について、最近心から得心できる情報知識を得る機会に恵まれました。先週のNHK特集で非常に興味深い番組がやっていたのです。タイトルは「アフターコロナにおける心の問題」です。番組は冒頭にWHOの発表として、コロナ禍以降で世界的に不安障害が25%も増加したという話があり、その原因として何が心に起きているか、といった内容で話がされていました。そしてその内容が進むにつれて「あれ、これは自分が若い時に経験した話と同じ状態ではないか」と閃きが起きました。若い頃に受ける対人関係上の問題が如何に長く人生に影響を及ぼすかを知る私にとって、この内容はコロナ禍に限らずまさに私の経験そのものでした。番組の内容はコロナ禍による若者の心の闇とその打開に対してのメッセージのような進め方でしたが、これから起きることの大きさやそこへの取り組みの重要さへの認識を如何に社会や組織に発信していくかは、似たような経験をした私にとっては看過できないテーマだと考えるところです。これは私の経験上「鉄は熱いうちに打て」の如く、闇が浅い段階であれば是正も早く軽く手が打てます。この闇は若手時代で是正されるものではなく、性格の有り様にまで影響する問題として認識しなくてはなりません。対人への不安障害にまでなっている心の闇。このネガティブに落ち込んだマイナスの心を復元させるにはやはりマインドフルネスとモメンタムが必要になってきます。

何とはなくですが、JoyBizがこれまで取り組んできたモメンタムという概念は、まさにこの対人的な問題を解決する為に最も有効なアプローチであり、番組によって私的にはどこか導かれた感を抱く心境となりました。まさに「大いなるものに抱かれ」です。

さて話を続けましょう。若い時の対人に対する問題の大きさですが、これまでも若者の対人関係不足はテーマとして俎上に上がってはきました。今回の話はコロナ禍によってそれが顕著に浮き彫りになっただけと言えます。番組的には不安障害の上昇についての理由として、コロナ禍によるコミュニケーションのあり方の変化によって対人不安や社会不安が深刻な位に起きたこと。そしてそれは特に若い層においてそうなってることに原因があると説いていました。今若い人の中で「大人数が苦手、人混みが苦手になっている。元々は内気ではなかったのに、今は人と話すことに抵抗感がある。画面を前にしないと話せない。人が嫌いなわけではないが気を張る」といった声が蔓延しているそうです。コロナ禍以降でどこか人に会って話すことのハードルが高くなっているというのです。では何故そうなるのでしょうか。

そこで京大の教授がとても重要な発言をされていました。それは「長く人と接触していないと脳の働きが低下する」というものです。

人は短期間での孤独であれば中脳の働きによって絶食状態と同じような渇望状態が生まれますが、それが長期間になると脳が変化し始めて、特に喜びを感じる報酬系に変化が起き、対人に喜びを感じ難くなったり、人との繋がりへの欲求を感じ難くなる、というのです。そして同時に対人に対する恐怖を感じる脳の反応が強まり、不安や恐怖心が高まるというのです。

元々人は対人関係はストレスなのが本当のところです。引きこもりという行為もストレス反応を避け、自分を守るために籠ることが殆どです。そしてそれが長期になると対人不安から外に出たくても出られなくなるというわけです。

更に今回のコロナ禍の場合、年代によれば対人関係の試行錯誤やトレーニングの時期をすっぽり失っているということが加わってきます。年代によればというのは大凡13歳から18歳位の時期です。この時期は一般に思春期と呼ばれ、親以外との信頼関係や社会的絆を深め、社会性に関する脳や心を発達させる時期です。その大切な時期に経験自体が抑制されてしまうということが生じたわけです。言い換えるとこの年齢期の若者がコロナ禍による社会的孤立によって対人関係においてのスキルが身に付いてないということです。

それを見ていて思ったのは「そうか私の問題も社会的な孤立から来た脳障害だったのだ」ということでした。性格的な問題ではなく、脳が機能不全になったことが主原因ということです。これは大きな話です。機能不全であればリハビリテーションで変えられる、元に戻せるということです。そしてその方法は今まさに我々が取り組んでいるアプローチと合致しています。事実番組ではアメリカのアプローチとして社会感情学習(SEL)という技法を紹介していました。これは自分の気持ちや感情を伝えるトレーニングです。ストレンジャーグループで実施し、自由な感情発言によって不安なく話せる関係を作るプロセスを辿ります。番組では真新しいように言っていましたが、この技法は1960年代からある感受性訓練の技法の応用以外に何者でもありません。

そしてその技法を研究し尽くした中から生み出しているのが、現在のマインドフルネスやモメンタムの技法です。

行動を変えれば気持ちが変わる

では今回はその中にある行動科学技法について少し触れてみたいと思います。「行動科学技法」とは、「意識」がもたらす「やる気やその気」が行動を起こさせるのではなく、「行動」が導き出す結果によって「やる気やその気」といった「意識」を制御するという概念に基づいたアプローチです。ここで重要なのは「行動」に着目するということです。以前にもお話しした脳にある報酬系の働きは「確実に得られる利益結果に反応して行動を惹起」させます。このことは「人は良い結果に繋がる行動を科学的に取れるようにすれば、それに釣られて意識も変わる」ということを意味しています。例えばマインドフルネスは「身体感覚を戻す小さな行動」によって「意識のバランスを調整」します。マインドフルネスは行動科学技法の一つです。「徹底的に事実に向き合う」ように身体の状態を誘うのが瞑想法であり、最も型が出来ているのが坐禅です。事実は行動に現れます。行動から認知を事実に矯正するのがマインドフルネスの本質といえます。そして事実としての自分軸は「今ここ」にしかありません。そこに集中することで心理状態を「今ここ」に徹底させるのが瞑想であり、それを行動的に誘うのが坐禅なのです。

これはモメンタムも同様です。人は「やる気やその気」があるから行動するのではなく、行動するから結果がもたらされ、その結果、例えば達成感や満足感といった報酬によって成功体験が育まれ、その報酬感覚によって意識が醸成されることになります。その条件反射に基づいて意識は生まれ、高まり、変容するというのが行動科学の考え方です。その顕著な現れが「習慣」です。

では次回は「普遍的な組織行動や組織文化の側面への話」の続きに合わせて、「行動科学の話」についても少し触れていこうと思っています。組織行動にとっても行動科学の概念は非常に重要な意味を持っているからです。

 

それでは皆さん、次回のソモサンも何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?