• 弁別モメンタムを開発することの大切さを学ぶソモサン ~第235回~

弁別モメンタムを開発することの大切さを学ぶソモサン ~第235回~

ショートソモサン①:個人とチームの関係性

皆さんおはようございます。

皆さんは「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか。これはハーバード大で組織行動を研究するエイミー・エドモントソン氏が提唱した言葉で、「対人間や集団内でリスクを伴う行動を取っても『ここならばそれを馬鹿にされたり罰せられたりはしない』と感じられる気持ち」という意味を持っています。つまり個人や集団がポジティブな感情を前提とした関係になっているということです。

ここには2つの大きな観点があります。一つは個人がポジティブであること。そしてもう一つは所属する集団がポジティブであること、言い換えると個々の関係がポジティブであることです。

行動科学者のK・レビン博士は人の「行動は個人と(その人を囲む)環境との関数だ」と定義しました。この定義に基づくと、個人のポジティブさと個人間のポジティブさは相互関係にあるということになります。それは両者はどちらを欠いても成り立たないということを意味します。

個人に対して最も影響するのは人と人との対人関係であり、その関係をやり繰りするのが「マネジメント」です。JoyBizは組織開発を主要なドメインとしている存在ですが、その中核的業務は『マネジメント開発」にあるとも云えます。ですから本ブログの読者の大勢もマネジャーやマネジメント開発の担当者になります。そういった人たちからするとここ3ヶ月ほどのブログ内容は少々物足りないというか、ピントの違いを感じられていた方々もいらっしゃった様に推察しています。何故ならばこの3ヶ月は個人のポジティブ開発に照準を当てた内容の展開に終始させていたからです。実際私も個人の開発は「二次機能」と称しています。その意味は幾ら個人を開発してもそれが『社会実装化』されなければ意味がないからです。「社会実装化する技能」それが「一次機能」になります。

しかし「二次機能」への能力のない人に「一次機能」の能力開発の投資をして意味があるのでしょうか。私は両者はセットだと考えます。「二次機能」はちょっと前までは「社会人基礎力」と称されていました。それが今はより深刻な「心理的安全性」とか「抗社会性」と称されるレベルにまで憂慮される状態になってきています。組織にとって集団的な「心理的安全性」を確保する取り組みは生産性において急務になっています。しかしそれは「画竜点睛を欠く」です。個々人の「抗社会性の開発」を外して心理的安全性は語れません。そして今、現場マネジャーが最も注力しなければならないのは両者の同時開発です。その能力のないマネジャーは試合に出るどころか、入場券すら手に出来ないことになっているのです。

さてこの二次機能たる抗社会性ですが、これには2つの能力が関わっています。一つが「抗」と名付けられているように「耐性」の開発と強化です。これは心理学では「レジリエンス」と称しています。そしてもう一つが「勢い」の開発と強化です。これがこれまで長らくご紹介してきた「モメンタム」になります。

マネジャーは日々現場のメンバーと関わる中で、各人の個性に合った上記の2つの力を開発し、そして個々人の間の力関係を調整することで集団やひいては組織のポジティブな活性を導いていくのが使命になります。

ショートソモサン②:サイエンス偏重が生み出した美意識の欠如

では心理的安全性を醸し出すのに何故モメンタムが求められるのか、というと「心理的安全性」とは単に「お互いが気を遣って優しい言葉を掛け合うことで、見せかけの明るい集団状況を作り出す」といったことではなく、所属する各人が「自分の意見や考えをきちんと持ち、誰しもが自分らしく自分の考えを出して言い合える様な状態を作り出す」ということが前提条件になるからです。「多少の対立が併存する集団が健全である」というのが心理的安全性が担保されている状態というわけです。それには各人が「耐える」といったレジリエンスだけではなく、積極的にリーチアウトし合う行動が必須となり、常に自分らしくあり、自分に正直であり続けられることが欠かせない要件になってきます。それには皆の心に「勢い」の発揮が必要不可欠になってきます。

最近の若者は「サイエンス」重視の学習姿勢によって「偏差値は高いが美意識は低い」人が増えてきています。偏差値とは「論理思考」の力を位階づけた世界です。そして論理思考とは、「問題の発生とその要因を単純化された静的な因果関係のモデルとして抽象化し、その解決方法を考える」ということです。しかし、この思考アプローチは、問題を構成する因子が増加し、かつその関係が動的に複雑に変化するような中では機能しません。そこで求められるのは全体を直覚的に捉える感性と、「美意識」が感じられる打ち手を内省的に創出する構想力や創造力になってきます。高度で複雜で正解のない問題解決には論理力よりも美意識に従った直感が求められます。ここで云うところの直感とはドタ感ではありません。脳内に記憶されランダムに点在する記憶の断片が、デフォルト・ネットワーク・モードの作用によって無意識下で調和を持って繋がる現象です。カントは「美とは何らかの目的に適った感覚である」と言っています。

では実社会においてこういった力がないとどういった状況に陥るでしょうか。皆さんもご承知のように、実社会は論理思考で問題が処理できるような単純な世界ではありません。論理思考とは「正しく論理的・理性的に情報処理をする」ということです。要は「他人と同じ正解を出す」ということに行き着きます。他の人と答えは同じということになると差を付けるのはスピードとコストしか道はないということになります。これは非常に選択肢が狭くかつ必ず限界を迎えるアプローチになります。そういった社会に未来が見える筈もありません。

それだけではありません。落ち目と云うだけでなく、実社会は学校やこれまでの成長の波に乗っかっただけの企業の様に右肩が前提となった偏差値社会の様な単純な図式ではありません。位階システムによって偏差値が良ければ達成感が得られ、希望が描けるような構造ではないわけです。現実は運や不道徳でも権力が罷り通ってとにかく勝者が享楽をものにしています。つまり理不尽や不条理が常態です。それに最も適応できないのがサイエンス中心に突き進んだ偏差値人材です。こういった人は単純な位階システムにどっぷりと嵌まって生きてきましたから、耐性がありません。そしてこういった人たちはその現実に傷つき憤ります。そして時には絶望し時には恨みを抱くことになります。

ショートソモサン③:美意識とモメンタム

この顕著な悪例と云われるのが「オウム事件」です。一般には「あれだけの高学歴者が何故あのような暴挙を」と疑問を抱く人も多いようですが、その後の調査で分かったのは、彼らに共通していたのが「過剰な位階システムへの拘り」と「美意識の欠如」だったそうです。

美意識とは文字通り「美を愛でる心構え」です。しかしその理は深淵です。私の経験でもそうですが、高度な意思決定は論理ではなく、はるかに直感的・感性的なものと云えます。それは絵画や音楽を「美しいと感じる」のと同じような感覚とよく似ています。高度な意思決定の能力は美意識に基づいた自己規範によって支えられていると云えます。

自己規範とは「人生を評価する自分なりの物差しを持つ」そして「それによって達成動機を制御する」心構えです。自分なりの物差しとは、「客観的な外部の物差し」ではなく「主観的な内面の物差し」によって組み立てられる直感と倫理感と云えます。いわばアイデンティティによる判断基準です。この「主観的な内面での物差し」は哲学の三原則と云われる「真善美」によって成り立っていますが、この「真善美」を一般に「美意識」と呼んでいます。

オウムの犯罪実行者たちには決定的にこの美意識が欠けていたです。例えば学術書や専門書は読んでいても文学書は全く読んだことがなかったそうです。

こういった自分なりの判断基準がない人は、曖昧な状況は非常に不安でストレスフルな状態に陥ります。レジリエンスもモメンタムも低位な心理状態に拘泥することになります。これが心理的安全性が低いという実態の真相になります。ですから初期設定的に美意識が育まれていない人は、端から心理的安全性は得難い状況にあるということになります。美意識とモメンタム、特に弁別モメンタムは密接な関係にあるわけです。

前回もお話ししましたが、モメンタムはドーパミンの発出を促す役割を持つ心理作用です。ドーパミンはそれ自体が快楽の様な報酬をもたらしはしませんが、そういった快楽物資の伝達を担うシナプスの繋がりを強化する働きをします。それによって報酬伝達がより活性化し始めます。要するにモメンタムの働きを高めるとは、ドーパミン発出の神経回路を強めるということです。また直接ドーパミンの働きに直結するのは線条体での回路に関わる着火モメンタムの強弱次第ですが、その着火モメンタムを制御し、強弱や持続化を担うのは弁別モメンタムになります。そういった意味を考えると、瞬発力として着火モメンタムを発動する技術もありがたいですが、それ以上にその着火モメンタムがいつでも発動し易い心理状態を日常の中で作り上げておくことも非常に大事なことと云えます。

ショートソモサン④:弁別モメンタムの開発方法を考えよう

ではどのようにしてモメンタムと云う心理活動は醸成していけば良いのでしょうか。

これまで「着火モメンタム」に関してはちょいちょい小出しにさせて頂いていたので、今回はより深層に着座している「弁別モメンタム」について照準を合わせた開発や管理アプローチをご紹介して行くことにしましょう。やはり「弁別モメンタム」は日々の中で常に目配せをし続けていかなければならないインフラ的な存在ですから、ここへのアプローチを置き去りにした中でのモメンタムの適時発動は望むべくもないからです。

さてこれは前回もご説明させて頂きましたが、「弁別モメンタム」は「着火モメンタム」によってその動機が感情的な瞬発的展開となり、それが却って後々に損にならないようにその動きを計算してより動機が高位で持続的に働くように機能します。

それではここ云うところの損得とは一体何に対してなのでしょうか。それはやはりその人が意図的に求めている目的やビジョンに対してメリットがあるかないかということになります。つまり弁別モメンタムは、人がそれぞれに描く「目標の達成」に向けて自らを勢いづけていくための働きをします。ですからそれは非常に論理的な働きで、その力によって時には「着火モメンタム」の作用が感情的に制御できず、行き過ぎや暴走によって他までをも巻き込んで炎上状態に貶めたり、またそれによって自身が燃え尽きてしまわないように調整をする役割も担っています。実際弁別モメンタムは脳科学的には「内側眼窩前頭皮質」に繋がる報酬系のシナプスを活性化することが分かっています。この部位は美しいという感性を司るということも分かっています。また善意と云う気持ちの働きもここが反応するそうです。

このことは心理学的にも哲学的にも大きな意味を持っています。美意識とは善意に関わる感情です。善とは誠実さが醸し出す意識です。そしてそこには真贋(本物か偽物か)という観念も関わってきます。そうして哲学の本質を基底する「真善美」という観念は、人の心の中に内側から滲み出すように想像力を働かせ、やがてそれが自己存在感や自信と云った自己統一感(アイデンティティ)となっていきます。持続的で地に足がついた目標意識はそういった地盤から生み出されてきます。それがあってこその動機こそが最もパワフルなものとなるのは言わずもがなです。

心理的安全性もそういった自己統一感があって起動し始める観念です。そしてその中核に位置するのは「美意識」ということです。弁別モメンタムを強めるのが目標意識であり、その目標意識を確固たる存在にするが美意識と云う繋がりになってきます。ということは、弁別モメンタムを開発するのは「美意識」の醸成と云うことです。

では具体的に「美意識」という感覚や想念などが一体化した世界観はどのように磨いて行けば良いのでしょうか。NLP(神経言語プログラミング)という心理学の実践的分野があります。その中で、人は外界との感覚的接点を3つの反応パターンで行うが、その中でどれを得意とし、また好むかは千差万別だと云っています。その3つとは視覚優位な反応、聴覚優位な反応、そして触覚(味覚や嗅覚もここに入る)優位な反応になります。例えば海に行ったときに、「ああ綺麗な景色」と反応する人は視覚優位、「ああ心地よい潮騒の音」と云う人は聴覚優位、そして「ああ何て鼻をくすぐる潮の香」と云う人は触覚優位と云うことになります。それらはそれぞれが持つ美意識のセンサーとしてその人にとって最も先鋭的な道具立てと云うことになります。

例えば「音」ですが、この象徴は「音楽」です。着火モメンタムを刺激するのはリズムやビートです。では弁別モメンタムとしての美意識領域は?それはメロディーとハーモニーになります。そこに旋律に合ったリリック(歌詞)が伴われればより論理だった美意識が成立します。そう音楽鑑賞であり、より積極的な音楽演奏が効果を発揮します。

では視覚は。そうそれは美術鑑賞、特に絵画鑑賞です。そして描画です。そして触覚は体育ということになります。それぞれ鍵となるのはイメージです。創造力とエッセンスを掬い取る感性を磨くことがポイントです。美意識の開発は、これからの時代、こういったことでの目利きが出来ない人はリーダーシップが取れず、社会的に取り残されるという結構崖っぷち的に求められている価値概念であるということは皆さんも心の何処かに置いておかれることをお勧めするところでもあります。その理由として、ソマティック・マーカー仮説という考えがあります。それは「適時・適正な意思決定には、理性と情動の両方が必要である」という考えです。特に意思決定には情動が必要になります。論理的な思考を使わず、今ここに集中することで浮かんで来る意識での作用が意思決定です。論理思考は前提の整備にしかなりません。そして感情や身体反応がもたらす直感、つまりは美意識が直感と云う想念を研ぎ澄まします。ですから美意識のない人は情動的な判断が出来ず直感的な思考が出来ないから適時で優位な意思決定が出来ないということになります。そういう人は創造やイメージングが出来ないわけです。これはまさにオウム人材です。いやあとてもやばい話ですね。

因みにこれらを具体的にどう磨いて行くかはそれぞれコツがあります。紙面が押してきていますので、それは次回にご紹介したいと思います。

例えば絵画鑑賞の場合、印象派とか見て促進される絵画や見る際の心がまえなどが重要になります。少なくとも一つの絵で最低30分は時間を掛けないと意味を為しません。そういったコツやツボは次回にお話しさせて頂きます。

今回は最後に、「感情の動きは身体反応に出ます。つまり身体の動きをきちんと捉えれれば感情の動きが分かるということになり、引いては身体の動きを通して感情を制御できるということになります。身体が発する信号を精密にキャッチする技術、それがマインドフルネスの持つ効能の一つです。マインドフルネスを続けるとセルフアウェアネスが可能となり、感情の制御が出来るようになります」。マインドフルネスはレジリエンスやモメンタムを発動するための手段と云えます。そしてイメージングにおいて文学や詩歌、哲学が理入とすれば、マインドフルネスにおける瞑想は行入という位置づけになります。マインドフルネスは勢いを作るモメンタムや逆境を耐えるレジリエンスという心の変化のインフラとして非常に重要な技術です。そのことは常に銘記して頂くことをお勧めいたします。

 

それでは皆さん、次回も何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?