• モメンタムを生み出す二つの世界観「着火」と「弁別」とは何かを理解する~ソモサン第234回~

モメンタムを生み出す二つの世界観「着火」と「弁別」とは何かを理解する~ソモサン第234回~

ショートソモサン①:「転んだら立つ、立ったら歩く」というモメンタムのメタファー

皆さんおはようございます。

今からもう50年前になりますが、私が住んでいた家の隣に、かつての三洋電機の元役員秘書の方が住んでいらっしゃいました。この方が使えていた役員というのが後藤清一さんという井植社長を陰で支えていたソニーの盛田氏のような方で常務をされていました。その元秘書の方から後藤氏がお書きになった「こけたら立ちなはれ」と「立ったら歩きなはれ―こけたら立って半人前立ったら歩いて一人前」という二分冊のエッセイを頂いたのがきっかけで、以後その表題が私の生涯の座右の銘になりました(因みに古い本ですが未だにAmazonで手に入りますので関心がある方は是非入手してみてくだされば幸いです)。

この二つの言葉、実は松下幸之助翁の名言なのですが、これこそが現在私が人材と組織の開発に注力している意識変革アプローチ、「マインドフルネスとモメンタム」を意味するキーワードといえます。

モメンタムとは日本語では「勢い」のことで「力」や「状態」を表す言葉です。最近では心理学のみならず多方面で「勢いづけ」という観点で使われ始めてもいるようです。モメンタムとは脳科学的にはドーパミンという神経伝達物質の作用によって生じる脳内活動、いわゆる「心の動き」です。

前回もお伝えさせて頂きましたが、最近の脳科学研究の進展によってドーパミンは「快楽物質そのものではない」ということが分かってきています。その点、未だ識者の肩書を持ちながら古い論界をベースにコメントをしているケースがあるのは個人的には疑問を感じるところです。では改めてドーパミンとは何なのでしょうか。それは「報酬予測誤差」に反応して発出される物質であるということです。報酬予測誤差とは、や、期待と可能性に対する現状のズレを感じたり想定外の報酬が得られたりすることにへの刺激反応をいいます。刺激はこの誤差が大きければ大きいほど発出は大きくなります(ドーパミンは快楽そのものへの報酬ではないということがここでもわかります)。

ショートソモサン②:モメンタムを高める因子は?モメンタムの公式

さて最近の研究ではもっと重要なことが分かってきています。それはドーパミンには二つの回路が存在していて異なる働きをしているということです。ドーパミン研究の第一人者であるリーバマンによればそれを欲求ドーパミン回路と制御ドーパミン回路と名付けて、前者は瞬発的に興奮や情熱によって集中や行動を喚起させる機能後者を無意識な計算によって欲求ドーパミンからもたらされる衝動を制御して有利な結果に導く論理だった行動を選択させる機能を担っていると説きました。この二つの機能は刺激に対して同時に発せられますが、発達レベル次第で反応は大きく異なってきます。

ここでいうところの発達レベルについて言及してみましょう。脳が無意識にでも論理だった反応をするということに関して、脳科学では「デフォルトモードネットワーク」という働きを説いています。これは例えば寝覚めの時の時のようにボーッとしている、無心な状態になっている時に脳内で起きている働きで、人はデフォルトモードネットワークの状態の時に大脳皮質にある記憶の断片がランダムにアクセスされ始め、やがてそれが連関して繋がる。その時にいわゆる「閃き」が起きるとしています。つまり脳は常時無意識にも様々な思考活動をしているということです。

但しここでポイントは「そもそも本人の中に保有している記憶情報自体がなければアクセスしようがない」ということです。つまり無知の度合いが高いと呼ばれる人、無教養と呼ばれてしまう人にはそうした記憶の保有に応じた発想しか想起されないということです。これは先週も「ケーキを切れない非行少年たち」という書籍で紹介させて頂きましたが、いわゆる無知蒙昧、短絡浅慮(勉強を嫌がる、面倒臭がる)と言われる人たちの限界ともいえます。

まとめると制御ドーパミンがどこまで機能するかは記憶情報、つまり学習による脳の発達レベルに応じるということを物語ります。

では本論に話を戻しましょう。要は論理的な思考は脳の中で無意識的にも為されているということです。そして制御ドーパミン回路の働きによる損得計算的な思考もその一つなのです。

そこでモメンタムです。「モメンタム=ドーパミン回路が活性した状態」なのでドーパミン回路の活性がモメンタム創出のカギです。

 

「ドーパミンの発出(の強弱)×二つ(欲求&制御)のドーパミン回路の相互作用」

 

によってモメンタムの強弱が決まっています。まずドーパミンの回路に二つの機能があるということは、即ちモメンタムの働きにも二つの側面があるということを意味します。それはモメンタムの働きも二つに分けて考える必要があるということに繋がります。

 

<欲求ドーパミンと制御ドーパミン>

■欲求ドーパミン回路の働き:

この回路は報酬予測誤差に対して、情動的に反応して興奮や熱情といったサインを思考や身体に送る役割を担っています。それは非常に瞬発的で反射的な動きです。それはまさに勢いに火がつく「着火モメンタム」です。それは、目的成就に向けて自分を鼓舞する、いわば「勢む(はずむ)」ことといえます。

■制御ドーパミン回路の働き;

この回路本来の役割は、欲求ドーパミン回路の情動的暴走を制御して、動機行動をよりメリットのある状態に誘導するということです。それは車でいうところの欲求ドーパミン回路が担う「アクセル」に対して「ステアリング(方向づけ)」と「ミッション・コントロール(速度調整)」の2つの作用の働きと言えます(「ブレーキ」ではないのがポイントです)。どちらの回路もドーパミンが行う作用であり、動機に向けて推進的な作用をしています。更に、あくまでも「報酬メリット」の効果的取得、「損得」という無意識的な区分け(「良し悪し」という倫理的基準ではない)が判断基準になっているということです。この制御ドーパミンは「弁別モメンタム」です。そして弁別モメンタムにおける最大の働きは、報酬目的に対して「粘る(ねばる)」ことです。着火に対して静かな勢いとして、寝技的に最終目的を必達させるという気概を沸かせることといえます。ただ瞬発的に飛び出すだけでなく、それを確実なものにするために、自らを戒めながらも勇気づけ、着火したモメンタムを持続的な働きに導くことです。

ショートソモサン③:弁別モメンタムの働きが行動をより良い方向へ導く!

冒頭でいうところの「転けたら立ちなはれ」「立ったら歩きなはれ」は、「転けたら立ちなはれ」が「着火モメンタム」の発揮で、「立ったら歩きなはれ」が「弁別モメンタム」の発揮として対比することが出来ます。

「転ける」、つまり躓いたり、萎れた時、そこから立ち上がるにはまず「奮起」が求められます。ネガティブな心持ちをポジティブに転換するためのエネルギー・チャージが必要です。これを行うのが着火モメンタムです。「よーし」「チキショー」といった掛け声とともに自分を鼓舞して「ヨイショ」と立ち上がります。

では立ち上がった後はどうすれば良いでしょうか。単純に躓いた場合は立てば反射的に一歩が踏み出せるかもしれません。でも人が転ける時は様々な事情が伴います。トラウマになったり、時にはPTSDになったりといったケースもあります。色々な意味で立ったからといって次の一歩がスムースに進むと限りません。こういった時は着火モメンタムも無力です。瞬間的に「はずみ」を付けてもすぐに火が消えてしまうことしばしばです。キャンプで湿った薪に火を付けるのに等しい状態です。

こういった時に「勢いづけ」として頼もしいのが「弁別モメンタム」です。立ってから歩くか否か、どう歩くかといった思索に弁別モメンタムは影響を与えます。弁別モメンタムは、「手に入れられる価値のあるMoreを計算する」回路です。発出されたドーパミンを論理的機能を担う新皮質にまで伝達させ、瞬発的な高揚感、没頭、集中、衝動といった勢いを、より持続的で長期的な報酬期待という論理に転化させる働きを起こします。経験的な恐怖や回避反応といったネガティブな感情に対して、それに引き摺られる行動が自分にとって最終的な報酬として本当に得か損かを弁別させて行動を促します。静かな勢いを演出するわけです。弁別モメンタムは「ちょっと待て、本当にこれで行って得なのか」「ここで一歩踏み出すべきか、踏み出すにしてもどっちへ踏み出すか」「どう踏み出すか」といったことを無意識に打算して、着火した動機を加勢したり、逆に冷ましたり、方向づけたり、戦略づけたりします、

※因みにトラウマは克服できますが、PTSDとなると「生兵法は怪我の元」ですので民間療法的なアプローチはお気をつけください。このレベルになったら医療専門家のサポートが必須です。(一度失敗して「二の足を踏む」といった程度の状況であれば弁別モメンタムの強化による刺激はとても効果的に作用してくれます。)

弁別は「目的(期待や希望)」とそれに対する「報酬(見返り)」という構造で組み立てられます。つまり目的と報酬に対する内容(意味付け)と両者のバランス(投資対効果)関係の在り方が弁別的な動機を支配します。そこに期待への可能性を高める「道具立て」のあり方(「やったらできそうだ」という感覚を生み出すやり方や持っていき方、コツ)が更にバランスに影響してきます(主観的確率)。そして先にも挙げた「大脳皮質にある記憶の断片」としての情報がどう格納されているかによって弁別モメンタムの作用も異なります。保有している記憶という情報の多い人は弁別の多様性も高く、動機づけも高まりやすいということになります。反面情報の乏しい人は弁別の幅や強さが得られず、動機も湿り続けた状況となるでしょう。さらにいえば、弁別が効かないということは制御が効かないということですから、着火モメンタムが発動した場合、それに対する制御が効かず、着火モメンタムが一人歩きしたり、暴走する度合いが大きくなってしまうということです。皆さんも薬物に手を出す人とそうでない人、或いは薬物中毒が治らない人と乗り越えれた人の違いを傍観すると見えて来ることがあるのではないでしょうか。そこには着火モメンタムと弁別モメンタムとの葛藤が垣間見られます。動機と動機の戦いです。感情と論理の戦いです。

ショートソモサン④:弁別モメンタムは快楽に流されず、勇気を生み出す!

さて「報酬予測誤差」からくるモメンタムの働きと対となり、活性させるのがヒア&ナウ回路と称される満足回路(快楽を感じさせる)の働きです。それを担うのはセロトニンやβエンドルフィン、オキシトシンといった神経伝達物質です。ドーパミンの作用によって期待値が上がれば、それが成就した時に満足感が高まるというのは両者が循環的な関係を持っていることを意味しています。しかし両者は相補関係ではありません。期待度が強いから応じて満足度も強いとは限りません。むしろ期待が強かったが故に満足が下がったということもあり得ます。また満足を得たが故に返って誤差認知の幅が狭まり、次への動機が弱まってしまうということもあります。経年で恋愛感情が弱くなるといったことは良く聞く話です。「釣った魚に餌をやらない」などといった不届な例えも存在しています。そこに期待(動機)と満足(快楽)の働きの違いが見て取れます。ドーパミンが反応するのはあくまでも「報酬予測誤差」であり、期待や誤差認知に対するワクワク、ドキドキ、行動への動機づけがその働きです。満足感が高まったからといって、応じてモメンタムが必ずしも強まるわけではない、返って興味が弱まってしまうというのはこうしたメカニズムからです。かと言って強烈な喜びが次の強烈な欲求を誘引する起爆剤となるケースもあります。要は全く無関係でもないということです。経験的快楽(満足感)はドーパミン発出の要因の一つです。でもそれだけが要因であれば、不快感の経験に対して以後は目もくれなくなります。モメンタムの発動も同様で嫌なことは手を出さないということに終始します。そして快楽にだけ反応した欲求ドーパミン回路が更なるドーパミンの発出を促し始めます。目先の快楽へ向けての渇望や願望だけが動機に収斂されていく。こうなるともはや際限がなくなってきます。着火モメンタムが暴走し始めることになります。いわゆる禁断症状です。これは着火モメンタムを高めるにおいても弁別モメンタムを高めるにおいても見逃してならないポイントです。着火モメンタムにだけ目を向けたアプローチには限界があります。これまで「やる気」啓発とか「動機づけ」開発といって普及されてきたアプローチが効果が不十分だと感じるのはこの着眼点が足りていないのが原因と感じます。まさに弁別モメンタムは、行動を生み出し、持続させていくための真打であり、人が人たらしめる側面だといえます。

実際社会を見渡すと、現実は快楽に暴走する人ばかりではありません。高等教育を受けた人の多くは我慢やしっかりとした弁別力を持って社会的に価値の高い行動を選択しています。経験的には不快で不満足な気持ちを経験したからといって、それを忌諱するばかりでなく、寧ろ次に向けて新たな期待や願望を持って艱難辛苦に向かって進み出し、社会の進歩と調和に貢献する人が多く存在しています。実はこの働きに対し大きく影響しているのが制御ドーパミンです。衝動的に作用する欲求ドーパミン(嫌だと回避をしてしまう)を方向づけるとは、欲求ドーパミンの発出を更に前向きにポジティブに駆り立てて、後押ししていくのも制御ドーパミンの一つの作用です。そして過去を問わず、未来に向けて論理的損得を弁別して、報酬に見合うと計算すればモメンタムをより強く着火させたり、着火させたモメンタムを制御しながらより高い満足感や達成感を享受するように仕向けていきます。そういった意味において、私たちはモメンタム一括りで認知するのではなく、モメンタムの持つ特性をきちんと理解して(二つの機能)、特に弁別的モメンタムの存在に対して認識を高めることが重要だと思います。

具体的には、弁別モメンタムの源泉が経験的快楽以上に、失敗や不快といったネガティブを凌駕して先のメリットを目指そうとする論理性にあり、それは努力を通じて得られる報酬への価値認識やそこに対しての打算や道具立てに関しての想像力、そして報酬と対をなす目標への認識やその意味づけといった存在にあるの理解です。それは人としての成長と充足において目標意識が持つ意味や想像力を支える教養と論理力の啓発が果たす意義に繋がってきます。まさに人が人であることへの学習姿勢に向けた哲学観に帰結する側面です。弁別モメンタムを効果的に起動させるには教養や論理力の保有、学習による情報量の蓄積は欠かせない要素になります。言い換えると教養の研鑽、思考力の鍛錬なくして弁別モメンタムの醸成は成り立ちません。弛まぬ知的刺激の繰り返しこそが弁別モメンタムのエネルギー源です。そしてそれらを牽引するのが「(人生)目標意識の保有」になります。目標への拘りが弁別モメンタムの発動源泉となり原動力となります。

弁別モメンタムは前頭葉での論理回路と繋がり、無意識的に先の見通しや粘り強さ、自らの努力や他者との協力による目標達成を導く意志といった動機を喚起していきます。そして勇気という形でドーパミンを方向づけます。

ところでこの二つの回路の作用は人によって高低差が見られています。研究ではDNA的な違いも見られています。その高低差によって人ごとに一定のタイプ分けが見られます。例えば着火モメンタムの活性回路が高い人は、衝動的でなかなか満足し難い。絶えず渇望感がある、といった特徴があります。反対に着火の低い人は、ちょっとしたことでも満足できて、のんびりしており、日々ガーデニングを一人で過ごして晴耕雨読に生きる、といった特徴が見られます。また弁別モメンタムの活性回路が高い人は、冷静で計算高いし、無慈悲で感情に欠ける、しかし目標に対して粘り強く、我慢強く取り掛かるといった特徴が見られ、逆に弁別の低い人は、温和でフレンドリーだが着火モメンタムの制御が下手くそであるといった特徴が見られます。もちろんモメンタムの在り方は開発可能ですから、この特徴も状況によって変わります。

以上のような話を総合すると、着火モメンタムは動機としては瞬発的で感情的な領域が強く、直観的行動と密接に繋がっています。一方弁別モメンタムは動機としては持続的で論理的な領域が強く、意志や哲学観のあり方と密接に繋がっているといえます。

ショートソモサン⑤:着火モメンタムを高めるアプローチの骨子

では着火モメンタムから話をします。先に着火モメンタムを強化したり開発する鍵は行動や体感優先のアプローチだとお話ししました。

行動や体幹と脳内活動の関係として、昨今脳科学では脳内伝達物質だけではなく、体内伝達物質というメッセージ物質に焦点が当たって来ています。脳の活動は身体の働きや動きと密接に関係していてるのです。例えば「記憶」という脳活動は、体内物質伝達であるインスリンやカテプシンBの発出が強く関与していることが分かってきています。膵臓で作られるインシュリンの増減が記憶障害でもある認知症の発症に繋がっているという実証などから身体強化による予防策なども実施され始めています。気持ちと思考は相補関係にありますが、最近では身体活動と脳内活動も相補関係にあるということが認識されてきています。

解剖学者の養老孟司さんは、

 

脳内活動である学習とは『身につく』こと、それは本来身体を伴ってわかるということです

 

と言っています。そして

 

「脳の活動には文武両道があります。『文』とは、脳への入力で、本を読んでも、話を聞いても、人に会っても、森を散歩しても、脳へはさまざまな入力が生じます。そして脳はその入力情報を総合して出力をしますが、その出力が『武』になります。入力だけでは水を吸い込むだけのスポンジと同じですし、出力だけではひたすら動き回っている壊れたロボットになってしまいます。両者が組み合って意味をなします。しかし脳への入力は五感活動で、目で見る、耳で聞く、手で触る、鼻で嗅ぐ、舌で味わうことが入力活動になりますが、対する出力は筋肉の運動だけになります。筋肉の収縮だけが武としての活動です。見方を変えると脳から出せるのは、身体の動きだけです。例えば筋肉を止めたら呼吸が止まり死んでしまいます。また何か言おうとしても筋肉が動かないと、声が出せません。舌も動きません。手真似身振りと思っても、手も足も動かない。むろん字は書けません。目配せもできない。頷くこともできない。表情もない。なんにもできない。それが人の生理の本質であり、文武の有り様です。そのような前提で『身につく』を考えてみましょう。例えば生まれてしばらくの赤ん坊が、寝床の上で自分の手を動かして、その手をしげしげと見ているとしましょう。『手を動かす』が脳からの出力です。そうすると、手の動きが『目に入ります』。これは脳への入力です。それを見て、また手を動かす。そうすると、手の姿形が変わる。それがまた脳に入力される。それでまた手を動かして、と続きます。これが脳の文武両道です。入力と出力が、ひたすら「回転」しているわけです。どのように手を動かすと、どのように姿が変わるか。赤ん坊はそれを飽きもせず繰り返します。そうすると、脳の中には、入力と出力の関係方程式がひとりでにできてきます。こうして人は学習によって脳を発達させていきます。人の成長にこの循環は欠かせません。だからこそ『体育』というものがあるんです」

 

と説いています。人は考えるから動くだけではなく、動くことから刺激を通して考えるという面を持ち、それが循環してこそ学習や発達が起きるということです。これは動くことが考える力を高めるということに他なりません。行動が感覚を高め、感覚が思考を高め、思考が循環して更に行動を高めるという摂理。「やってみなはれ」といったのはサントリーの創業者である佐治さんですが、まさに言い得て妙なる言葉です。そしてこの摂理は武道の世界のみならず、古くは宗教的な世界でも実体験として理解されてきたことと言えます。

そして着火モメンタムを高めるにおいてもこの摂理はピッタリと当て嵌まります。モメンタムが着火した時の感覚や感情に思考、そして行動は循環的に一体です。ということはモメンタムは意図的に着火させられるということです。行動とは身体的活動も含まれます。例えば興奮した時の心臓の鼓動。一般に興奮した時の心拍数は130拍前後と安静時よりも30拍以上ほど上昇します。興奮は感情の一つですが、興奮は身体的には心拍数のような活動にも現れます。これを先の文武両道論に合わせると、身体的に130ほどの心拍数に値するリズムを共振させれば興奮が誘引されるということになります。これはミラー細胞の作用なども影響しているとみられています。ともあれそういったリズムやビートを使ってモメンタムを着火せることは可能です。また興奮した時の発想やイメージ体験というのもあります。これもその発想やイメージを喚起させることから興奮を引き出すというアプローチに繋げることができます。方法的には五感に作用する様々な手段が存在しています。次回から具体的な手法やツールとしてご紹介していきます。

ショートソモサン⑥:弁別モメンタムの最大の働きは「自分を信じること」

もう一つの弁別モメンタムは着火モメンタムを制御したり、他の脳内活動と折り合いを付けたりと八面六臂の活躍をしている力ですが、中でも最も重要な作用をしているのが「自己効力感」によるポジティブ意識の醸成です。

自己効力感とは「自分が出来ると思って諦めずに続けることを後押しする感情」です。自己効力感は「信じる」という意志から生み出されます。この意志を生み出すのが弁別モメンタムなのです。

「信じれば必ず救われる」とか「信ずればこと必ず成就する」といった、「信じる」というある種不確定な要素を理由に「信じる」というキーワードに対して非科学的だという主張を展開する場面に遭遇することもありますが一それは当たらないと思います。盲目的に他を信じることと自分自身を動機づけることは意味が違うからです。。

ではここでいう信じるとは一体どういう心情でしょう。それはブレないということです。粘り強さにも影響します。

また信じることから生じる自己効力感は人間関係のあり方を変えるという事実もあります。信じるという想念は、それによって自己効力感を高めますが、その波長は自分のみならず他者に影響して関係性を変えていきます。そしてそれが成功の大きな一因となっていきます。

さて次回は、着火モメンタムを強めるためのアプローチ・ツールを紹介します。

 

それでは皆さん、次回も何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?