• 権力が持つ影響力をポジティブ・マネジメントしていくには ~ソモサン第208回~

権力が持つ影響力をポジティブ・マネジメントしていくには ~ソモサン第208回~

ショートソモサン①:「烏合の衆」ではなぜ勝てない?

皆さんおはようございます。

「リーダーシップとは一体何ぞや」。皆さんの中でも日常この言葉は使いながらもその実像について具体的に説明できる方は少ないのではないでしょうか。各云う私も実はその一人でして、仕事柄で用語的には多言しているのですが、きちんと定義をし切れていない一人です。そう云った実状もあり、常日頃からこのリーダーシップなるものを見極めるべく目を光らせているのですが、、、。

先日「キングダム」と云う秦の始皇帝が成り上がっていく物語を見ていたのですが、久しぶりに幼少からの疑問が浮かび上がる場面に遭遇しました。その疑問とは「軍勢と軍勢が戦闘状態になった時に、相手を殲滅せずとも大将の首さえ獲れば勝敗が決まるのはどうしてだろう」というものでした。先般の内容では片や3万騎の軍勢で、一方は2千騎の軍勢と云った中での攻防戦でした。多勢に無勢と云った様相でしたが、少ない方に猛勇がいて一騎打ちのような状態になった中で敵将の首を獲った途端に多勢の方の勢いが止まり、陣形が崩れたかと思うと一気に敗走し始めたのです。敵将が死んだからといって圧倒的な軍勢を持った状態なのにどうしてこういった状況が起きるのでしょうか。

こういったことは他にも多々あります。「七人の侍」の中で野盗に痛めつけられる農民の姿が出てきます。野盗の数からすれば圧倒的に農民の方が数には勝るのですが、何故か言いなりです。奴隷の場合、相手が武器を持っているという場合もありますが、それでも圧倒的な数の奴隷がたった数人の監視人に隷従してしまいます。実際七人の侍では、その侍たちのリーダーシップに感化されて、最後は農民たちが武器(農具?)を持って野盗たちを圧倒していきます。とても不思議な光景です。

今回キングダムを見ていてハタと実感したのは、力はどんなに内在されていても、それが方向性を持たずバラバラな状態にあっては全く意味を為さないということです。なるほど集結した力と力のぶつかり合いが戦闘です。その力をどのように集結させるか、またどのように相手にぶつけるかが戦略であり、戦術であり、陣形であり、采配です。例え人が万人いようが、その力が個としてバラバラであれば、十人の集結した力の方が強いかもしれません。ましてそれが千人になれば、間違いなく万人に勝ります。

キングダムの中では、敵将が負けた瞬間に2千騎の方の軍司が叫びます。「まだ終わっていない。これからが勝負だ。彼らの中で次の将(リーダー)が出てくる前に3万騎の兵たちを敗走させる仕掛けを講じろ」。そうして2千騎の兵たちは陣形を組んで敗走させるように一方向に道を開け、そこに圧を掛けて敗退感を煽っていくのです。そして次の将が台頭する隙を与えません。ここで私は漸く「そうか」と腑に落ちたのです。「烏合の衆」とはこういうことなのか。

どんなに優秀な個や卓越した力が存在しても、それをある目的に向けて集合させ集約させ集結させられなければそれは単なる群衆に過ぎません。一方で、どんなに無力に近い個であっても、それを目的に応じてうまく陣形させて力を集結させれば、そこにシナジー(相乗効果)が生まれます。七人の侍のように小作農民でも野武士集団を倒せるわけです。

目的を作り、参集する個々の力を見極めながらその力を目的的な活動に集結させる所作がリーダーシップであり、そのシップを機能させる力の主がリーダーと云うことが漸く腹落ちした瞬間でした。

思うに、力に差があるということが前提である個が描くバラバラの目的やビジョンを参集する人の分だけ平等に組み立てるなどは現実的にはほぼ不可能であり、それを議して纏めようなども至難の業であるということも間違いのない事実なのではないでしょうか。また議している間に時間は無常に過ぎ去っていき、応じて状況も変わっていきますから、そのやり方では目的の実現などは大括りレベルでも夢のまた夢として水泡に帰してしまうこと必定です。結局最も合理的なのは代表が作りあげる目的やビジョンに公約数的に協調し、そこに参集して共に活動していく動きであり、もしも代表がより最大公約数的な目的やビジョンの実現を望むならば、より多くの人が協調できる目標を打ち出すと同時に、衆議独裁という進め方を取るのが最善と云うのが現実的な落としどころと云うのが私個人として経験的に結論するところです。一定の独裁はやむなしと云った感を持っています。

ショートソモサン②:責任感は権力に通ずる

ここに権力を正しく理解するポイントが潜んでいます。前回権力は自発的に発せられる影響力であると紹介させて頂きました。ところが権力は往々にして利己主義が混同されて煙たがれる傾向にあります。自発と云った瞬間にそこには利己と云う概念が含まれるのは致し方のない事実です。まして社会の中で何らかの目的を描き、そこにより多くの人を参集させ、その人たちの力を結集させようとするならば、全員に投網を掛けるような漠とした世界観を組み立てるか、現実に即した具体的な目的を明示したうえで多少圧的に協調的な状況を作り出すしかありません。当然前者は見栄えも良いお花畑ですが、実現化しないのは火を見るに明らかです。私的には権力を否定する人は空想論者であり、傍観者であり、無責任者と見ています。

権力は物事を現実化するには必須の要件です。しかし、多くの人が警戒し警告するように、先にもご紹介した権力に内在する負の領域は制御していく必要があります。

それは簡単に言えば「ネガティブ影響」を抑制するということです。くどいようですが権力意識は当事者意識と表裏一体です。ですから責任意識や当事者意識の強い人は同時に権力意識も強い傾向にあります。一方で権力意識は利己意識とも表裏一体の関係にあります。ということは当事者意識や責任意識が強い人は知らず知らず利己に傾倒して、他者の目的や権利を奪い取りがちになるということです。

悪意としての権力は論外ですが、悪意がなくても権力はその成り立ちからその生成過程や行使の中で他者との間に食い違いを生じやすく、ネガティブなエネルギーが生じやすい、まさにガソリンやプロパンガスのような存在だということを認識しておくことが大切な心掛けと云えます。力があればあるほどその絶対値の幅は大きくなるのです。

ではこの取扱注意の権力をどう操っていけば良いのでしょうか。ここは○○とハサミは使い方次第というところです。

例えば進め方が独裁であっても、そこから得られる利益が自分が個として行う利益よりも高ければ、人の多くはそのやり方に協調します。そこに異を唱える人は凡そ自分が違った権力を持って自分なりの目的を遂げようとする人、どちらかというと目的自体が権力を握りたいという利他的には無目的な人が殆どなのではないでしょうか。

こういった人を相手にしていればきりがありません。足元をすくわれない様に牽制を怠らないのは大事ですが、まずは協調する人たちに適正な権力を行使することが第一義です。ともかくは権力のないところにリーダーシップはないし、リーダーシップのないところにマネジメントはないというのが道理です。責任を持ってマネジメントをするにおいて権力の保有は必要不可欠と云うことです。

マネジメントにおいて権力保持は前提です。その上で大事なことは、影響したい人たちに対して、何よりも如何なるポジティブな目的や進め方、そして気持ちを与えられるかということです。ポジティブ・マネジメントの真骨頂を発揮する場面です。権力が強ければ強いほど影響力は絶大になっていきます。無いのは最悪ですが、あっても出し方が良くなければ効果は同じになります。特に過剰使用、思う以上の影響は時に制御不可能な事態を招きかねません。権力自体に良し悪しはないが、その使い方によって良し悪しが生じると云われる由縁です。それは最終的に相手にとって行使する権力がポジティブに映るかネガティブに映るかに現れてきます。そして重要なのはポジティブと受け取る人を如何に演出的に増やすかです。そうして彼らの力を効果的に集結させることです。これをパワー・レンダリングと云います。

ショートソモサン③:権力をポジティブに認知させる「パワー・レンダリング」

レンダリングとは演出という意味です。では演出とは具体的にどういうことを云うのでしょうか。皆さんも「人を見て法を説く」ということわざを耳にしたことがあると思います。

これまでの私の経験でもありますが、前回ご紹介させて頂いたように、人が影響される力はその人の人間的な成熟度に従っています。例えば知的理解度や論理力の高い人は物事を理知的に判断する度合いも高いので、情報力や専門力に強く反応します。

一方で低い人は情報の力や専門の力が分からず、極端に言えば何を言っているかすらも分からないので、物事を感情的に捉え、動物的に接近や回避に直接関わる力に反応します。強制や褒賞と云った力です。ただ集団社会において丸出しの強制とか褒賞と云った力の行使は周りへの別の影響(ハレーション)もあって滅多に見られるもんではありません。黒づくめの業界のようなかなり情動に近い世界でしか行使されることがないのが実状です。一般にはそれを出しうる威力によって示されるのが常です。それが地位(公権)や関係の力です。

私などのようなコンサルタントにとって結果にコミットしようとするとこれは大きな重しになってきます。コンサルタントはあくまでも部外者ですから、地位の権力は持ち得ていません。また現場に深く入り込んで人間関係を作る状態でもなければ、関係の権力も持ち合わせません。持っているのはあくまでも専門力と情報力となります。正直上場企業のように知的レベルが高い組織においては持ち得る権力がいかんなく発揮できます。対象者にとって理解と納得がいけば間違いなく実践してくれますし、応じて結果も出すことが出来ます。しかし知的レベルの低い組織の場合は、その専門性や情報性が機能しません。これは分かり易いとか難いといった次元の話ではありません。期初から対象者は専門性や情報性に関心がない状態なのです。彼らにとっての関心事は強制や褒賞といった賞罰に繋がる評価や報酬です。そしてそれを握る地位的な権力です。ここには知的な論理はありません。情的な論理が全体を支配するのみです。

こういった状況になるとコンサルタントのような存在は無力です。賞罰の権限もないし、責任を担おうにも責任を担う立場にも置かれていません。それを嗅ぎつけた対象者がコンサルタントの意見に従うわけもないといった落とし穴に放り込まれることになります。そこで結果のためにリスクを冒しても、十中八九意に反したネガティブな状態が出現するだけです。これはプロセス上での問題ではなく、最初の条件から見えていることです。

ではこれをレンダリングするにはどうすれば良いでしょうか。その一つは後見を付けることです。具体的には賞罰への権力を持つ人に管掌をして貰うことです。コンサルタントの持つ専門性と公権力者の持つ賞罰性を組み合わせて臨むことです。この時良く単純に後ろ盾的に公権力者に付いて貰えば、というやり方をする人がいますが、それでは威力は殆ど機能しません。対象者が賞罰と云った威力に素直に従うか否かは地位だけではなく関係力もセットになっているからです。現場の証拠も押さえていないと認知する中で地位的な威力を感じた場合の反応は、従属ではなく反発となるのが殆どです。これはリーダーシップが機能していない中で、単にパワーだけが独り歩きした場合の顕著な反応例と云えます。自分たちの素行を良く知っている公権力者が褒めたり戒めるからこそ受益者は受け入れるわけです。このような現場を押さえた威力者が「コンサルタントは真剣に皆のことを考えて取り組んでいるのに、君たちは真剣にやっているか」というような後ろ盾をしてくれれば、コンサルタントも非常に動きやすくなります。逆になると目も当てられない状況になるのは必死です。その為か、大多数のコンサルタントは決して「火中の栗は拾いません」。教育的に或いは提案的に介入しない方法を取るのが常道です。組織開発が名ばかりでなかなか実現しない急所はここにあります。 ということでレンダリングです。上述の内容でも分かるように、演出とは、まずは人や集団の状況にあった影響力を行使することです。どんな影響力も状況にあっていなければ効果は出ません。それには最初に状況を整えることです。その際最もやってはならないのが抱え込むこと、そして孤軍奮闘することです。その場その場の状況を俯瞰して、求められる影響力を分析し、事前に対策を打つ。具体的には必要な権力を持つ人を適材適所に引っ張り出して、上手く組み合わせて配置し、良く噛み含めて強力的に動いて貰う手はずを整えることです。それにはその組織内の勢力図を押さえて置くことも不可欠です。その上で自分の立ち位置を見極めて有効に自分の影響力が発揮できる場を設けることが演出の第一歩と云うことになります。

ショートソモサン④:パワーレンダリングの基本は「パワー認知」

次に、使う影響力が受益者にとってポジティブに映るように演出を掛けることです。前回もご紹介しましたが、ポジティブな状態とは心のモメンタム(セルフ・ロウジング/自己奮起する力)が満たされることです。それによってレジリエンス(負けない力)やグリッド(やり抜く力)にも火が付く状態を演出することです。それは受益者に対してエンパワー(力づけ、勢い付け)を仕掛けることです。

人には誰にも多かれ少なかれ権力保有の欲求があるわけですが、その流れで行くと、権力的にポジティブな状態、つまりモメンタムが作動する状態とは、自らが何らかの権力を持っている、人よりも優位で影響できるものを持っていると認知する状態を作り出すことです。手っ取り早く想起されるのは地位力です。ですから大多数の人は地位を求めたがり、より高い地位でより多くの人を差配しようとします。地位は集団帰属として自分の存在意義を確かなものにするし、それが自我の社会的自由にも繋がるからです。ただ地位とは組織においての上下とは限りません。組織的な地位は組織という閉鎖社会が提供してくれる他発的なものです。地位にはより大きな集団社会によってもたらされるものもあります。それは関係性であったり情報や専門性であったりします。このような領域での影響力が地位を形成していきます。そしてこういった影響力は賞罰のような原始的な影響力よりもポジティブな性質を持っています。関係力や情報力、専門力と云った影響力は他者が進んで影響されたいと望む力だからです。それが全て満たされた影響力が人間力(魅力)です。ですから人は専門力や人間力のようなより高次な影響力を身に着けたいと反応します。誰しも好かれたいし、尊敬されたいわけです。エンパワーとはこういった、人が得たいとか行使したいと思う影響力を力づけるアプローチです。

エンパワーを通してポジティブをマネジメントするアプローチの大きなポイントは手順です。先にも述べましたが、人の権力への反応は感情的領域から作動します。専門力よりも情報力よりも強制力や褒賞力に反応します。こういった賞罰への保障が感じられない場合、人は情報や専門などに見向きもしません。まずもって「衣食足りて礼節を知る」といったところです。 アプローチの第一弾は「心理的安全性を保障する」ことです。そういった声かけや空気作りをすることです。相手を見て相手の不安や揺れを汲み取ったり、相手を褒めたり透かしたり。とにかくポジティブな対応で心理を前向きにすることです。そうして自分もそうですが、権力のポジティブ・マネジメントに関わる全ての権力者と「エンゲージメント」を築かせることです。

しかしここで見逃してはならないのは、人は褒賞よりも強制への力の方に強く反応するということです。罰への反応は心理学的にも「嫌なことは二度会いたくないので強く記憶される」というのが研究で明らかになっています。この強制力を権限、つまり地位力のない人がうっかり触れようものならば、一気にネガティブに空気は流れ、そこで期初の関係は切れてしまいます。手を触れるのは禁忌の領域です。でも強制力のない褒賞力といった緊張感のない状態の中や、褒賞力と云ってもインパクトの乏しい手応えのない心理的な褒賞力は隠し味のない料理の如く、褒賞力を褒賞力として感じてもらえません。一定の強制力への認知は緊張力と云う土台を設けるには必須なのです。ではどうするか。ここに地位の影響力を持った人の存在が欠かせないことになります。この役割を持った人がいない限りに権力へのポジティブ・マネジメントは成り立ちません。コンサルタントもこういう人のエンパワーがあって始めてポジティブ・マネジメントの効果を対象者に発揮できることになります。これがないと間違いなく四面楚歌になります。

 

ショートソモサン⑤:行動のポジティブ化への推移

このような用心深いプロセスを経て、まずは心情をポジティブに演出した後にアプローチの第二弾である「実態行動のポジティブ化」を仕掛けていくのが大事なポイントになるのです。実態のポジティブ化、エンパワーメントは関係の拡大や情報の提供強化、そして知恵や思考の強化による専門力の強化です。

こうして権力へのポジティブ・マネジメントは推移していきますが、無論その権力の保有度に応じた地位の提供や向上と云った演出も必須になります。権力へのポジティブ・マネジメントはリアルなパワー・レンダリングを実際に誰かや何かに影響するに応じたパワーの持ち主がエンパワーすることで成立します。それはパワーの持ち主がある意味チームを組んで、計画的に協働的にアプローチしていくマネジメントです。理屈ではなく、一人が切り回せるようなものではありません。チームを組むパワー保有者全員がポジティブな心構えとポジティブな対応をタイムリーに協力し合いながらアプローチしていく高度な世界と云えます。チーム内で可笑しなライバル心を持った人が他のパワー保有者を牽制したり、自己アピールのスタンドプレイを対象者に取ったり、ましてネガティブな動きを取るような中では全てのアプローチは水泡に帰するか、逆の作用が強まっていくことになります。これを制するのは、チーム内の権力者たちよりも強い、更に上位の権力者と云うことになります。チーム内の一人一人のポジティブ化に邁進し、彼らの間をポジティブになるように調整し、といった日々刻々と変わる情勢を睨みながら自らマネジメントしていく態度が、下から「舐めてはいかん」というポジティブでかつ緊張した空気を生み出していきます。そして参画する全ての権力者間でのエンゲージメントを確立するのが上位権力者の最大の仕事です。だからこそ結局は組織の最高責任者のポジティブさや差配、そして度量が全てを決するというのが決着点と云うことになります。最高責任者の自覚や自制が問われる由縁です。またこれは人任せではなく、自ら現場を見定めて全員に対して公平に、事実ベースで適時に差配していかなければ、すぐに脆くチームは瓦解し始めていくということを自明しておかなければなりません。コロンビア大のナドラー教授は「全てを決するのはエグゼクティブ・チームのチーム作りに尽きる」と評しました。これはブログの最初に紹介させて頂いた「リーダーシップとは」におけるリーダーの本質に回帰してくることでもあります。

 

今回はモメンタムについて別のテーマもあったのですが、思ったよりも字数を使ってしまいました。ピアニストの反田氏やバレリーナの吉田氏は世界最高になるという創造しなくても取ら得られる目標を持っています。しかし経営などの世界は目標自体を形成してく必要があります。そういった状態で如何にモメンタムを高めていくか。

次回はそういった話をしていきたいと思います。

 

それでは来週も引き続きお読み頂けますと嬉しく思います。

 

さて皆さんは「ソモサン」?