ポジティブとネガティブの本質をつかむ~ソモサン第206回~

ショートソモサン①:苦しい修行 VS ポジティブマインド

皆さんおはようございます。

世界的な権威を持つピアノコンクールであるショパン国際ピアノコンクールで52年ぶりに第二位を取った反田恭平氏が自身のキャリアと心情を語った放送を見ました。私的には「これぞポジティブ・マネジメントの真骨頂」と感じましたので、冒頭に皆さんにご紹介させて頂きます。反田氏はたまたま趣味的にピアノが好きで、本格的に練習を始めたのは12歳と遅咲きなのだそうです。この時「何故コミットし続けられたのか」という質問に対して、教師がとても優しくて、「好きなようにやれ。ただただ楽しみなさい」と指導してくれたことにある、と述べています。だから「やることがすごく好きだったし、嫌で辞めることも、やれやれといった気持ちでストレスになって辞めることもなかった」のだそうです。これまでのこの手の教育や練習の一般は、「基礎をちゃんとしろ、音を絶対に外すな」ということで、やること自体が苦しくストレスフルで多くが辞めていっているのが常です。実際インタビュアだった清塚信也氏は、教える母親から「一音間違えたら命が取られると思え」と育てられ、緊張しすぎてどこか壊れてしまった感があると応えています。清塚氏の場合は母親と云う別のファクターによって一線を乗り越えていったのでしょうが、普通は違った意味で壊れるか、壊れる前に逃げ出すのが常態と云えます。この話は野球などのスパルタと云われる教育に共通する動きですが、当事者たちに聞くと、一線を超えるにはそれしかないような物言いをします。そこに対する賢者の一投です。

反田氏は、やはり力をつけるには「試練をもってそれを超えることは大事」とも云っています。それは「超えてこそ見える景色がある」からだそうです。しかしそれも「自分にとって楽しさがどこにあるかを探す中での試練でなければ意味がない」と付け加えています。「楽しさを追求する上で目標を描き、そこに行きつくとまた次の闘争心(モメンタム)が沸いてくる。自分が何処まで行くのかを設定してから行くのが良い」「自分の人生は自分が主役だから、絶対に後悔しないで生きたい」のが心情であり、体験的に身に着けてきたことなのだそうです。また、「追い込まれてくると自分が今何をしているのかが分からなくなる時がある。その場合は一旦離れる。そうすると自然と調律される。頭の中で熟成されて整理される。全然違うことをすると自分の本音に帰れる。これも自分が好きだと云える世界を持っているから、帰れるところを持っているからだ」とも述べています。更に、そういった時に励みになり、調律を促進するのは、友達とか対人の関りであり、人同士がお互い支えあって緊張を超えられる。サッカーのように仲間がパスを出し合いながら先に進むのが緊張を和らげて自律するのに役立つ、と話を締めていました。如何でしょうか皆さん、ポジティブマインドで頂点に立った人のコメントです。これまでのマネジメントの考え方を一掃する観念だとは思いませんか。

ショートソモサン②:ポジティブの背景にある「楽観」~科学的エビデンスを通して~

オックスフォード大のE・フォックス教授はこのポジティブマインドを楽観脳(サニーブレイン)と称しています。そして楽観であれば寿命は10年伸びると明言しています。

彼女は、「行動スタイル」「モノごとの捉え方」「生きる姿勢」が自分の健康や富や幸福を決定づける。思考の下にある心の動きが人の気持ちに活力を与えると説いています。彼女によれば、動物が生存として持っている「快楽と危険への反応と欲求」といった能力が認知力と繋がり、それが感情を生み出す力へと進化した時に人は人となり、そして思考のみならず感情を合わせ待ったことから人は幸福感やモメンタムを身につけたと分析しています。加えて同時に両面価値として危険への不安に対して脆さも身につけたとも分析しています。不安は悲観を生み出し、引いては抑うつや依存症、強迫観念を生み出します。そしてそれらは人生に不幸を生み出すことに繋がるわけです。

フォックス教授によれば、こうして形成された認知観念によって、楽観的な人はポジティブなものに強く惹かれ、ネガティブなものを遠ざける認知スタイルを持つに至っているのだそうです。ポジティブとは人生の明るい面に目を向けて、暗い面に目を向けない指向性です。ポジティブな人は常に機会に目を向けて好機とみれば果敢に手を伸ばしていくし、難題を障害ではなく機会とみます。

フォックス教授は、こういったポジネガの要素は、「遺伝子的要素」「経験的要素」「認知的要素」の3つの要素によって決定づけられると説いています。遺伝子的要素というと身も蓋もない感じがします。しかしフォックス教授は遺伝子的要素だけではなく、経験によって心の偏り(バイアス)や癖(スキーマ)をわずかでも変化させられれば、人のモノの見方は脳構造自体で再形成されるということを実験によって明らかにしました。このことは認知のあり方やそれに連なる感情のあり方を変えれれば、気質や性格も変えられるということを意味します。

さてフォックス教授は更に重要なことを説いています。気質は起きる出来事からの影響で形成されていくが、一方で起きる出来事に強い影響を与える働きもする、という事実です。そしてその影響はスパイラルを起こしてますます気質を強固なものに決定づけて行くというのです。ポジティブ意識やそこから生まれる感情は元々自身が生み出すことによって自分を取り巻く周りに伝わっていくわけですが、その感情によってポジティブな環境の方も引き寄せられてくるといわけです。

自分の感情のスタイルが自分を取り巻く世界を規定します。つまり自分が世界にどう向き合うかによって環境は変化し、巡り合う機会も変化するわけです。

ポジティブ意識は楽観的気質から生み出されます。楽観的気質とは、未来に本当の希望を抱くこと。物事は必ず打開できる、どんなことがあっても対処できるという信念を持つ性向です。それは運といった「待ち」のものではありません。運ではなく、自分の力を信じられる積極的なものを云います。一方悲観とは、自分の身を守ることに精を出す性向を云います。つまりポジティブ意識とは「何も根拠のない思い込みではなく、適度のリアリズムを有している」意思なわけです。

ここで気を付けなければならないのは、善性と楽観は違うということです。人は生来ポジティブですが善性というわけではありません。善性は道徳観と接しています。ポジティブとは生来が云々ではなく、プラス方向を意識して行動するということです。そして楽観とは世界を善悪込みであるがままに受け入れ、その上でそこにあるネガティブに屈しない意思を云います。そうして最後は必ず上手くいくと意識し行動するのがポジティブ意識ということになります。幸運ではなく、幸運を引き込む行動がポジティブ意識の本質なのです。反対に、悲観はその前提がネガティブにあります。障害に遭うたびに、自分は世界から拒絶されている、運がないと受け止める意識です。そうして物事は最終的には悪に引き寄せられると考えるわけです。まさに世界と向き合うときの姿勢が正反対です。

ショートソモサン③:楽観と悲観が生み出す影響~責任意識・周囲への影響~

楽観と悲観の本質は自責と他責に現れます。「問題は個人の力ではどうにも出来ないモノだ」と捉えるのが悲観であるということは、要は自分が悪いわけではないと捉えているということと同じです。つまりは他責と云うことになるわけです。物事は自分ではコントロールできるモノではない。従って悪い物事もどうやっても起きる他責ごとだから、自分でそれをどうこうする事なんて出来るはずないという流れになるわけです。そしてその思考は引いては、自分には悪いことばかり起きる、に繋がっていき、そこから生じる無力感が消極的な態度や意欲の欠如に繋がっていきます。

楽観か悲観かの性向は、更に「類は類を呼ぶ」という現象も引き起こします。例えばポジティブな人には同じようなポジティブな人が集まってきて、相乗的にプラスのスパイラルを生み出していくことになります。

生き残りの可能性を最大化する手段として、報奨への接近と危険なものへの回避という動機に対する選択的注意によって人の行動は決定づけられる、といったのはシュネイルラという学者です。彼はその人が自分の選択的注意をどう醸成してきたかが性向的なバイアス(意識の偏り)の起点であり、その後の生き方のあり方や引いては対人や集団形成の在り方をも決定づけると云いました。

何故ならば接近による快楽は人を引き寄せ、回避による不安は人を追い払うといった流れでスパイラルを加速させていくからです。

このことは集団主義における思想はどうしても悲観が前提になるのは必然であるということと繋がってきます。集団主義は個を集団の力に埋没させることから生まれることが基軸だからです。従って発想の起因はどうしても全体の基準に合わせることが前提となり、凸凹を嫌うので減点思考が蔓延ってきます。日本人に自尊心が低い元凶がここから見て取れます。

一方、楽観は起きた出来事に自分がある程度影響を与えられると思っているので、自責心が基調になります。従って所有感があり、無力感になりにくくなります。同時に自分の未来とは、結局自分がものごとにどう対処するかで決まる、とも考えていますから、最善を尽くそうとポジティブ意識になっていきます。 問題は何でもかんでもそれは一時的障害であり継続的困難ではないから立ち向かえることだと考えてしまうことです。いわゆる猪突猛進に陥ってしまいがちであるということです。

いずれにしてもポジティブな人が自他ともにモメンタムと云う燃料を焚べてくれる存在であることだけは確かなことです。

ショートソモサン④:楽観を形成するもの~環境と体験~

フォックス教授の論を受け止める限り、人の楽観や悲観、ポジネガは体験によって修正することが可能であるということが分かります。そしてその鍵は対人関係の構築の仕方、誰を傍らに置くかで決するということが見えてきます。

私的には一つの解は孟母三遷の教えです。孟母三遷とは、「孟子を育てた時の母の話で、最初に墓地の近くに住んでいたら、やがて孟子が葬式の真似事を始めたので母は家を移したが、移った所が市場の近くで、するとやがて孟子が商人の真似事を始めたので母は再び家を移した。次に移った所は学問所の近くで、やがて孟子が学問を志すようになったので母はやっと安心した」という逸話です。人は自分の意思以上に置かれた環境によって意識の在り方が変化するという好例とされています。

正直私の知り合いにも、最初に教育レベルの低い地域に住んでいて、言動も粗野で思考も浅慮な状態に育っていた子供を憂いたので、孟母三遷の話をし、思い切って教育レベルの高い地域に引っ越しをしたら、みるみる知的レベルが上がって学年でも一番になり、年齢以上に論理的な発言をするようになってビックリした、という例を間近に見ています。

人をポジティブにしようと思ったら、まずは環境をポジティブにするということです。自己啓発が流行りですが、環境がネガティブな中で自力でポジティブなろうなど至難の話です。環境、特にマネジメントをポジティブにするのが肝要です。

また体験とは頭の中での絵空ではなく、五感的な学習を云います。感情を伴わない学習は体験ではありません。これは人の意識が思考だけでなく、感情によっても支えられていることを意味しています。そして感情によって表出されるのが言動や行動です。感情と行動は一対の関係と云えます。このことは感情が行動を喚起するに対して行動が感情を発揚することを示唆しています。事実感情は運動や傾聴や視認といった五感的な経験によって惹起されたり変容することを私たちはそれこそ経験的に認識しています。そう、意図的な行動や体感は感情を刺激して喚起させるわけです。

ポジティブな体験や快楽的な体感は感情をポジティブにしたり、気持ちを高揚させます。そしてそういったポジティブな感情は意識を楽観化したりポジティブにして、その意識が認知や思考をもポジティブでプラスなものに変容させます。そしてその経験の積み重ねが深層意識をも転換させていきます。

私は「まずは隗より始めよ」と良く口にしますが、これは「ともかくやってみよう。経験してみよう。五感で感じてみよう」ということを意図しています。体感で特に重要なのはリズムです。快楽に繋がるリズム、気持ちを高揚するリズム。耳にするのも口ずさむのもやり方に制限はありません。皆さんもまずはやってみてください。

マインドフルネスやモメンタムアップはコグニッションアジャストメント(これを一般にはマインドセットと云います)とメンタルエナジーチャージが作り上げます。どちらが欠けてもフルネスやアップにはなりません。仲間とポジティブな対話をし、積極的に情報に接触(収集ではありません)して知見を広げ、そしてポジティブな体感をする。ともあれどれからでもやってみて下さい。

因みにシュネイルラの言う、親和に基づく良きものへの接近と危険なものへの回避という動機を影響という力の相互概念に置き換えると支配と依存という欲求と動機になります。どちらも人が集団や対人の中で自分がより自由で活動できるという快楽を得るための動きと云えます。支配は影響されない絶対的な自由、依存は庇護による傘下での相対的自由です。集団においてその自由を得るには地位を確立することであり、それは影響力の獲得と表裏一体になります。

影響力には様々なものがありますが、中でも報酬(ポジティブ)と脅威(ネガティブ)によって人の対人間や集団的行動の選択を認知させる資源としての権力があります。人は生命維持においての集団行動を行うにおいて、報酬と脅威を選択的に認識する能力を根源的資質として持っています。そして権力が他者や組織に直接的にも間接的にも意思決定や行動選択において大きく影響を及ぼしてきます。

人は須らく本能的には権力を得ようと反応する存在と云えます。

さて今回権力の行使についてのポイントをご紹介する予定でしたが、少し長くなってまいりましたので、この件は次回に廻したいと考える次第です。ご容赦頂けますと幸いです。

 

それでは皆さま、また来週お会いいたしましょう。

 

さて皆さんは「ソモサン」?