• ネガティブな心に生まれる隙 ~そこを怪しげな思想に付け込まれる前にポジティブな心の持続を!~ -ソモサン第203回-

ネガティブな心に生まれる隙 ~そこを怪しげな思想に付け込まれる前にポジティブな心の持続を!~ -ソモサン第203回-

ショートソモサン①:人のこころが欲求するもの ~新興宗教の布教から見るこころの構造~

皆さんおはようございます。

先週は昨今問題となっている新興宗教のような人生を惑わす存在について、自分の経験やこれまで様々な方々(オウムで有名な江川氏や山口弁護士など)から学ばせて頂いてきた情報や知恵を纏めてご紹介させて頂きました。弊社の専務も直接体験しているようですし、私も学生時代下宿屋で夕涼みをしている最中、そういった勧誘の声を掛けられたことがあります。また実際に身近な人が勧誘されてしまい、本人の望みとは真逆にどんどんと孤立の度を深めていってしまった悲劇も目の当たりにしています。

私の経験からするとこういった人に共通するのは、大きく2つの状態があるように思います。

一つは精神年齢が幼くて、自己概念、アイデンティティが確立していないために惑わされやすい状態ということです。

例えば、最初は自分たちの素性を隠してターゲットに接近し(街頭で“手相を見せてください”と近づき、悩み事などを聞き出して勉強会に誘うとか、カルチャーセンターのような場で“今の時代は混迷している。共産主義の台頭は恐ろしい”などと、徐々に教義の勉強をさせていくなど)、ある程度まで進むと“実はこれまでの話は○○という教祖の教えです”と正体を明かし、入信を勧めるのですが、そういったアプローチにコロッと騙されてしまいます。

通常な人は「そんな馬鹿な」というところでしょう。しかし重要なのはその内容以上に現状での孤独感や未来に向けての不安感といった不安定な感情に入り込んでくる、(たとえ歪んでいたとしても)安定した信念とそこからくるポジティブな感情的な波動、それが集団圧力的に圧倒してくることです。それも自分がネガティブに揺れているときにポジティブアップする手管を駆使するのですから、それはもう嵌まってしまうのも無理なからぬところです。

今回の話題の中心となっているのはいわゆる統一教会ですが、運営資金として本国の韓国では献金などのノルマはさほど厳しくなく、教義として「日本は“サタンの国”で、朝鮮を植民地にして多くの人民を苦しめてきたひどい国なのだから、カネと人材の両面で韓国はじめ全世界の支部を支えることが日本の責務である」と公言し、世界中で活動する統一教会の運営資金の多くは、日本で得られている有様です。ともあれ「神様がいるのになぜ人々の間には不和があり、次々と問題が生じるのかを問う内容で、それによれば人間の始祖であるアダムとエヴァが幸せに暮らしていたが、ある日ルーシェル(堕天使)の誘いに乗ってエヴァが道ならぬ恋に落ち、それにつられてアダムも堕落してしまう。そうして、人間は堕落の本性があり、それを避けるには血と汗の結晶であるカネを提供しなければならない」といった愚にもつかないような教義をもって、“先祖を供養しないと大変なことになる”といって精神状態に追い込むなど、まるで脅しのようなアプローチですが、それでもイベントで“寄付をしましょう”と呼びかけられれば、信者はお金を使うといった具合で、本当に人が持つ孤独とネガティブの闇は深いと言えます。最近は街頭で清掃ボランティアサークルを装って声を掛けたり、また“家系図の勉強をしましょう”といったチラシを投函したりする勧誘が行われているそうですが、SDGsを使うなどすり寄り方はかなり狡猾です。

二つ目は、は周りへのコンプレックスで自尊感情が低く、その劣等感によって周りをすぐに敵愾心でみてしまう状態です。時にはそれが歪んだプライドや脆い影響力の行使といった表現をする人もいます。例えば昨今20代以上になればまったく意味を持たない年齢的な上から目線をする人などはその典型です。年功序列が意味を持ったベテランを貴ぶ習熟的能力を基礎とする仕事社会ならばいざ知らず、保有する知恵や他者認知を基礎とする現代において年の上下など屁にもなりません。にもかかわらず他者に影響できる実力のない人ほどこういった意味のないことに拘り、これまた愚にもつかないプライドに執着します。私の周りにも結構いるのでびっくりするところです。

話によると、こうした教えに引かれやすい人の類型は俗に“ギンカンポ”“アパキンジョ”と呼ばれるそうです。それぞれ銀行員、看護師、保育士。そしてアパートに住む勤労女性を指します。全ての人がそうではありませんが、多くの場合、真面目で向上心や思いやりのある人ほど引っかかりやすく、そういう人ほど自分を顧みて物足りなさを感じ、劣等感を抱きやすい、更には仕事柄心労が強いため、ポジティブなアプローチや人間回帰的な空気感にいとも簡単に抱き込まれてしまうのだそうです。そしてそういった人は本気で熱心な勧誘活動をするため、強い布教力が生み出されることになります。こうなるとする側もされる側も本当に悲劇としか言いようがありません。

時には教祖と信者が性交渉する『血分け教』のような、宗教の観念自体を否定するような無茶苦茶ぶりを説明する団体もあるそうですから、どういった団体にどう出会うかはまさに人生のくじ引きのような体です。そこまで行かなくても、預金通帳の残高が0になるまで貢がせ、お金が尽きたら今度は肉体労働。統一教会は、更に珍味や印鑑、多宝塔を売り、駅前で募金活動もさせられるそうです。最近ではその統一教会を梃子にして「うちは違う」とばかりに新手の勧誘をする団体もあるそうです。しかしそこまではある意味自己選択と言えます。問題は「脱会しようとしたり、脱会させようとする親族がいたら、拉致監禁されると教え込んでいた」というアプローチです。これはもう犯罪と同じです。拉致監禁まで行かなくても、脱会するとひどい目に合うといった状態が、救済を旨とする宗教の活動といえるでしょうか。そしてオウムのような事例(今やヨガですらも否定されるほどのインパクトがありましたから)が心理的な圧力となることから、中には恐怖で抜けだせなくなって、精神的バランスを崩して引きこもり、自殺を図る人も少なくない状態も起きているそうです。その何が救済なのでしょうか。

更には小学生の頃から“同級生の女の子にはサタンがついていて、誘惑してくるから気を付けなさい”と教わり、テレビでも恋愛を扱う番組は観るのを禁じられて育つといった親が、全く理解できない教義に染まって行動し、その信仰を子に強いてしまうというレベルに至っては、まさに基本的人権の否定にほかなりません。

でもそういった知的に論理が通らず、意的にも道理が通らない世界でも、現実はそこに没入する人が後を絶たないのが実際のところです。それ位、人は感情の動きには弱く、またポジティブへの希求が強いわけです。

恒常的な中でのポジティブ人材開発、ポジティブ組織開発の必要性を、世の人がもっと真摯に見ていただければ、上記のような悲劇が少しでも緩和されていくのではないかと祈念する昨今の心境です。明日は自分が標的かもしれません。皆さんもお気を付けください。

ショートソモサン②:ポジティブに向けて仏教が秘めている可能性

ということで宗教でない宗教の話はここまでとして、宗教がらみの最後の話をしましょう。仏教にせよ他の宗教にせよ求めるのは全ての人の安息です。キリスト教でも「汝の隣人を愛せよ」であって、「人をサタンとは表しません」。その段階で統一教会は宗教ではありません。理に適っていないからです。

仏教では「苦しみの根っこは拘りにある」としています。ですから仏教では「恒久的に拘らないこと、手放すこと」を教えます。その境地が悟りとします。そして人の中でそれを達したのが釈迦牟尼であり、その修行法をもって一般人も釈迦の境地に近づき、恒久の平常心を得ようとします。

仏教ではその手段を「今ここ」における「集中」とそこから生じる「無心」の状態を知ることとします。それを体得する技法が禅です。禅は身を正して無念無想しますが、実はそういった状態において人は無というよりもポジティブな心理状態になります。禅定の世界です。そしてそういう状態になると雑念がない状態から不思議なことに「日頃見えないものが見えてきたり」「気持ちが広がっていく」ことが体感されます。そうして「心がどんどんと穏やかになってポジティブに収束されていく」のを実感します。最終的に自分ならではの「ポジティブな状態」を見出していくのが修行です。自分の力でポジティブを体感し、概念化する過程といえます。

でもその無我の状態に達するにはそれなりの時間と心の揺れや葛藤との戦いが求められます。特に現代人は屁理屈が多く、考え過ぎてネガティブに落ちている人が多く(クリティカルとは感情的にはネガティブな世界です)なかなかポジティブな状態に達せられません。また境地に達するにはそれなりの目的意識や心理を探求する思想も求められます。となるとそこそこの知性や教養も求められます。

禅が上層階級に受け入れられたのも道理です。そこで無知無教養な人も救済すべく、禅とは異なる角度で集中し、瞑想するアプローチが生み出されました。それがリズムです。ポジティブなリズムに体を乗せて体感的に悟りに近い境地に達しようとする試みが出てきたわけです。それが躍る、歌うといったアプローチでした。そして経典の通読ではなく、念仏やお題目による読経的な集中です。浄土系や日蓮系などが中産階級や下層階級に普及していったのには意味があります。というよりも意図的なわけです。そして講話や説法などの教えによって概念を補ったわけです。

つまり仏教のアプローチは、宗派によって様々ですが、その基本は心をポジティブな境地に至らせることの重要性を説き、それが人や集団の安息と恒久的な平和を生み出すことを目指しており、その技法は現代では脳科学のような科学的なエビデンスでも示されています。そういう意味で仏教といった宗教を潰えさすことは大変勿体ないことであり、ほかの宗教も祈りや聖典といった同じ世界観も持つ存在であるわけで、宗教そのものを否定するのは良くないことだと思う次第です。むしろ背骨がきちんとした宗教が弱体するからおかしな新興が出てくるので、歴史ある団体には踏ん張ってほしいところです。

ショートソモサン③:自分自身のモメンタムを引き出すセルフポジティブ術~セルフロウジング(自己奮起)の技術~

では今回はセルフペップトークのご紹介です。簡単に自分をポジティブ化し、セルフ・ロウジング(自己奮起)させる技法です。

ロウイング(奮起)には3つの世界があります。

  1. やれる感を高める
  2. チムドンドン(ワクワクドキドキ)させる
  3. 安心感を抱く

他者を奮起させるにも、何かに取り組むにも、まずは自分自身のココロの状態を整えることが重要です。しかし日常は忙しく、じっくりした取り組みは面倒くさいと思いがちです。そんな時は、3分間のセルフ・ロウジングを行う技法を知り、小出しに

使う習慣を身に着けると役立ちます。

  1. プチ瞑想をする。どこでも瞑想、ものぐさ瞑想する(これは少し目を瞑って呼吸を整えるだけのアプローチです)。大事なのは3分間という時間です。
  1. それぞれの世界にあった好きな音楽を携帯し、それを聴く(これは一流アスリートがやっているやり方ですね)。
  1. セルフ・ペップトークをする。

– 一言のつぶやきで自己暗示し、気を高める。(例えば、俺には出来る。やれないわけがない。などです)

-自分特有の鼻歌をもち、鼻歌を歌う。(例えば、阪神の「闘魂を込めて」や猪木ボンバイエ、早稲田のコンバットマーチなど)

– 3・3・7拍子のリズムで気を高める(自分を励ます3・3・7リズムでオリジナルのフレーズを作ります。チャ・チャ・チャ・それ・チャ・チャ・チャ・それ・チャ・チャ・チャ・チャ・チャ・チャ・チャのリズムで自分の気を盛り上げます。チャの部分に盛り上げる言葉、思うイメージを言葉にして自分に語り掛けるようにします。例:「やれる・やれる・自分はやれる」「行ける・行ける・絶対行ける」。そして繰り返すことで自己暗示をかけます。

– 5・7・5節のリズムで気を落ち着かせる(自分を落ち着かせる5・7・5リズムでオリジナルフレームを作ります。俳句を詠むリズムで自分とプチ対話して自分の気を静めます。川柳的に今の気持ちを読み上げます。読むこと自体で内観となり、気が落ち着いてきます。例:「朝起きて・高ぶる我を・見る○○よ」(○○はペットの名前などです)敢えて面白おかしくして、笑いで落ち着かせるのも良い手です。より深く、5・7・5・7・7の短歌のリズムで行うのも効果的です。

※リズムにはそれ自体に自己喚起させるパワーがある

さて皆さん、如何でしたか。まずはやってみる。実践してみてください。次回は盆休み明けになります。シグナル・マネジメントについて掘り下げてみましょう。

再来週になりますが、それでは引き続き次回もよろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?