• アンコンシャス・バイアスが生み出すパワーと感情を考える~ソモサン第194回~

アンコンシャス・バイアスが生み出すパワーと感情を考える~ソモサン第194回~

ショートソモサン①:自由と統制の矛盾が「地位」への反応を生み出す

皆さんおはようございます。

前回までで一通りのボンズ・アプローチを中心としたLIFTプログラムの概念をご紹介させて頂きました。そこで基本的には今回からはまた折々感じたことを雑記的な形でブログを続けさせて頂ければ幸いに思います。

前回は社会において人の意思決定や行動に非常に大きな影響を及ぼすにも関わらず、問題解決の焦点としては何故か看過されている「パワー」という存在に多くの紙面を割かせて頂きました。

実際私自身も、このパワーの存在を頭では認知していましたが、実感として身に染み入っていなかったが為に人生幾つかの失敗を繰り返してきました。振り返るにその失敗はまさに自分自身の立場、詰まるところ公権力の大きさに比して、その不徳さが禍根の深さになって行った様にも思えます。

人が集団社会に生きる存在である限り、集団維持のための秩序を守るために組織をつくり、その中で規律や統制をするのは生理的反応だと思います。そして統制をしていくためには、どうしても上位下位の階層を設け、そこで地位的な公権力を活用して行かざるを得ないのは道理の一つと言えます。

一方で人は誰しも束縛されたくない、自由でありたいという本性も持ち合わせています。そういった相克の中から人は自らが統制側に回りたいと影響欲求を抱き、公権を意図した地位力を求めます。人には従いたくない。しかし人は従わせたい。この矛盾から人は地位力を得たいがために地位のある人に恭順しようとします。そして地位ある人に影響力を感じ、その影響を感情的に受け取ります。

しかもその感情的な受信は垂直的ではなく横との斎一性の原理や集団思考、同調圧力などによってハレーションを起こし、発信者が意図する以上の影響反応となって拡散されて行きます。上の何気ない一言が大きなうねりを持って想像すらできない反応を引き起こすことが多々あるわけです。時には噂のように根も葉もないことが信じられたり、歪められた情報が伝播することもあります。それが影響力によって極大化していくのですから怖い話です。

だからこそ影響力の行使に対して人はもっとナーバスでなくてはなりません。しかし公権力は自発の努力によって開花されるよりは他発的に授かる場合が多いので、影響力の度合いがきちんと認知できていない人が大勢いるのが現状です。特に地位を自力で得たわけではない人や最高責任として権限に応じた責任を担っていない人、あるいは権力初心者は気づきに欠けるが故に、その自己統制が能わず暴走して集団や組織に悲劇、時には壊滅的な惨劇をもたらす場合があります。

ショートソモサン②:トップやナンバー2がネガティブだったら組織はどうなる?

その中で特に問題を起こすのが上位者のネガティブな感情に伴った言動や行動です。人は理解といった知的交流よりも感受のような情的交流の方がダイレクトかつ俊敏に伝わりますから、例えば上位者がネガティブな言動やネガティブな行為をとると、下位者はすぐにそれに恭順してネガティブな振る舞いをし始めます。恭順しなくても最初にネガティブな感情のエネルギーを注がれれば、その場はすぐにネガティブに染まっていくわけです。

人間には「第一印象の魔物」という世界があります。それは人は一旦初期に植え付けられた印象は感情的にへばり付くためになかなか修正をすることが難しいということです。最初にネガティブな印象を持つと簡単にはポジティブに変わりません。逆に最初がポジティブだと容易に疑うようにはなりません。これを利用して感情操作をするのが詐欺師の常套手口です。

集団における上位者の仕事を一般にマネジメントと言いますが、マネジメントとは組織内で果たすべき仕事のことを指しています。「果たすべきタスクのコンテンツ」とでも行ったところです。このコンテンツを実際に会社に発動させるプロセスがリーダーシップです。そしてその原動力こそが影響力ということになるわけです。

ですからマネジャーがマネジメントをしようと思うのであれば、リーダーシップが切り離せない条件となります。それは紛れもなく影響力を効果的に行使することです。しかし実際の現場に赴くと、無知なのかバイアスなのかその影響力の持つ威力が分からないマネジャーや威力を歪めて行使するマネジャーが組織活動に返って大きな弊害をもたらしているのだから困ったものです。

最高地位にあるトップがその影響力の意味や行使を誤ると大ごとになるのは何処でも主題になるところです。しかし意外にそういった事例があるが故にトップによる問題への対処はそれなりに打てる手もあります。

私などはトップになるとフィードバックが掛かりにくくなって判断基準を誤ったり視点がずれる可能性が高まるので、常に自分の監査をしてくれる存在を置くように配慮していました。これは社会人になった時の経営者の教えで、その方は銀行の頭取をそういう立場にされていました。私は前職の大先輩を歴代に会長としてお呼びし、自分の灯台として関わってもらえる様にしていました。それでも時に判断がずれる、それ位公権力は強く、扱うのには危なっかしい存在なのです。

私的にはそれよりも組織のNo.2的な立場の人が起こす問題の方が、結構隠に篭った動きになっていて、組織に対するマイナスを引き摺っているように経験的に思っています。

組織におけるNo.2とは文字通り上級役員を指す場合もありますが、意外や二世のような後継者的な経営者も同類の問題を起こしているのは特筆すべきところです。この両者に共通するのは対比する存在があるということ。そして存外トップや先代にライバル心やコンプレックスを持っていて、端からネガティブな人が結構いると言うことです。

二世も含めてNo.2にネガティブな人がいると最悪です。例えば下位者にとって上位者、特にトップに近い人が上を批判したり否定していたら組織の規範はどうなるでしょうか。間違いなく組織風土はネガティブ基調になります。空気は澱みます。時に二世の場合は先代を否定して自分の色を出そうと公権力しかないのに傍若無人に動き出す人もいます。皆一様に恭順はしますから動きます。でも認めてはいないわけですから組織は葛藤状態に陥ります。そこまで行かなくても下位者から見れば上が信頼性がなく統一性がないわけですから、混乱します。そして当然トップのリーダーシップに疑問を持ち、引いては会社にネガティブ感を持ちます。そうなると生産性が低下するのは必定です。結局No.2にも影響が出ます。上に唾を吐くとはこういうことです。ところが平気で上を批判するNo.2はその原理が分かりません。トップとは責任感への認知が全く違うからです。トップは最終責任を負っています。絶対に逃げれません。会社がおかしくなった時に首を括る社長はいますが、首を括るNo.2など不正の当事者でもない限り聞いたことがありません。それ位責任の重さが違うわけです。ところが下位者、特に組織における従業員などその違いなど伺い知る由もありません。単にトップに懸念を持ち、組織にネガティブなるだけです。

組織が沈滞したり、疲弊していっている会社の殆どがこの構図を持っています。トップ自身が最も大きな影響力なのは間違いありません。ですからトップは絶えず自分がポジティブである様に律しなければなりませんし、まず持って利己的な態度を律し、自分の夢や自己実現を優先してはいけません。そう言ったお子様経営者がいる会社は早晩破綻すること必定です。それは全ての前提です。しかし盲点なのは先のようなNo.2がいる会社がボディブローのように徐々に体力を落として危機的状況に陥る場合が非常に多いという話なのです。いやー本当に多いのです。

逆にこういった影響力を弁えたNo.2がいる会社が非常に強いのも間違いないところです。トップのお子様はダメと言ったところで、実際にそう言った教育不足の二世がいるのも現実です。そう言った人は時に間違った判断や歪んだ言動をする人もいることでしょう。そうすると現場にいる人たちには懐疑心やネガティブ心が生まれてきます。

そう言った時にNo.2としての影響力を認知している方は、その公権力を適正に行使します。例えばトップに対してネガティブな声や憤りを監視して、それに同調したり、トップを正すことで自らの力を加勢しようとするのではなく(時には火のないところに火をつけて回る人もいる様だが)、トップの考えや言動を出来うる限りポジティブに解釈し、下に対してはポジティブに理解するように促し、誘導する、とかトップはトップとして集団においては徹底的にポジティブに立て、影響力の組織内での循環をプラスにし、勢いをつけるといった具合です。一方トップと対峙した時にはトップにキチンと意見を伝えて、両者の信頼関係を維持するといった行動を取ります。面白いのは上を批判する人に限って、直接上には物を申さず、公権力に恭順する下に陰口を叩くのが通例です。そしてそれを魔に受けさせる工作に没頭するのです。こう言った組織を疲弊させても自分の気分を優先する利己的なNo.2がいる会社は目も当てられません。

ともあれ、トップにせよNo.2にせよ自分の立場やその立場に伴う影響力の大きさを弁えず、サラリーマンの立場のごとく日々の欲求レベルで物事を認知たり判断するような人や相手に求める立場になりたいだけ、つまり楽したいだけで、自ら何かをするという思考や責任感のない自分に甘い人が過剰にパワーを持つと組織は疲弊して、間違いなく苦境に陥ります。

大阪に私の知る中で数少ないこう言ったことに腐心し、実践をしているNo.2のいらっしゃる会社がありますが、本当にNo.2で持っている会社のようにさえ映るくらいに八面六臂で活躍していらっしゃいます。会社にとっては事業ノウハウ以上に大事な資産であるとつくづく思います。影響力とはそれ位人や組織、特に行動のきっかけを生み出す感情を左右する存在なわけです。組織開発にとってこう言ったパワー問題を考慮したアプローチはとても重要な課題と言えます。

ショートソモサン③:パワーの無意識的な過剰使用に潜むアンコンシャスバイアスの影響とは?

さてこの影響力、パワーという一種エネルギーのような存在、どうやらマネジメントや組織の活性化において看過できない非常に重要な切り口であることは十分にご理解頂けたと思います。ではどのように対処して行けば良いのでしょうか。トップにせよNo.2にせよ例え公権力を初めとするパワーの存在を幾ら頭で理解したとしても、実際の現場において現実を認知し、かつ効果的な行使が出来なければ無意味であるということは先に書かせて頂いた通りです。私を始めとして、そういった人で溢れ返っているからです。元から想起しての行為ならば愚かの極みですが、良くある話として、 親の教育不足による無知蒙昧や錯覚的な勘違いが主因であることも多々あります。お嬢さんとかお坊ちゃんと云った類で、甘ちゃんが起こすズレた態度と云ったことです。しかしそれ以上に着目すべきは「強みの過剰使用による弱みの転化」という状態です。 影響力とは本来は強みのはずです。社会においてパワーは適度に行使されなければ集団や人は動きません。しかしそれが状況において行き過ぎると却って弊害になるのです。例えば人が成長するにおいて多少のストレスが原動力になるということは知られた話です。皆で楽しくお花畑思考では問題解決は遠のくばかりです。ですからことを成就するにおいては多少の圧力やストレスは重要な要素となります。でも自分が想起する以上にその言動や立ち居振る舞いが下に大きくハレーションを起こして影響が制御不可能な位な状態になってしまうといったことになると、ことは大変な状態となります。全ての物事はバランス、匙加減が重要です。ところが意図的ならばいざ知らず、多くの場合過剰使用は無意識に営まれるのが常なのです。どうしてでしょうか。

そこで今回は「本人は深く意図していないのにも関わらず、何故パワーの行使が過剰使用状態になってしまうのか」ということに焦点を当てて話を進めて行くことにしたいと思います。これは昨今人材マネジメントにおいて良く話題に上がってくる「アンコンシャス・バイアス」という問題と深く関わりを持っているので、ボンズ・アプローチによる問題解決の方法としても実践面において重要な切り口と云えるのです。

以前にもブログで触れたのですが、バイアスという考え方を何でもかんでもネガティブに捉える人がいます。バイアスとは一般には「偏見」と云っていますが、心理学では「認知の歪み」と称しています。歪みと云うからネガティブな気持ちになるといった面もあります。しかしバイアスは本来ネガティブな用語ではありません。何故ならばバイアスに対する対義語というところに真意が隠されています。バイアスを歪みと云っていますが、実は社会科学的には歪んでいないという基軸的な語彙はありません。本来バイアスとは非常に相対的な言葉なのです。例えば人は誰しも自分にとっての見解を正論として、それを軸に相手を評価して、「貴方はバイアスが掛かっている」と表現します。でも相手から見れば、貴方こそがバイアスが掛かっているのです。ですから世の中で社会科学的にバイアスが掛かっているという言葉はあっても、それが真のバイアスとは言えないのです。では一般にバイアスを人はどう認知して共通言語化しているのでしょうか。多くの場合社会常識や通念的にみて、集団から逸脱するような観念や考え方、或いは感情的にネガティブに映ったり、感情をマイナス方向に導くような観念や考え方をバイアスと称しているというのが実際のところです。

ところで「アンコンシャス・バイアス」は一体何故問題視されるのでしょうか。アンコンシャスとは「無意識」という意味です。要は「当たり前」であり、「日常」であり、「癖」になっているので「違和感がない」「気が付かない」ということです。では「気付かない」のはどうしてなのでしょうか。ここに「アンコンシャス・バイアス」の真意とそしてそれ故の大問題が潜んでいるのです。

先にバイアスは元来相対的な存在であるとお話ししました。人は生来「自分は正しい」と想念する存在であり、それと異なると「貴方はバイアスが掛かっている」と反応する。そう人の前提は「自分は正しい」です。人は自分が歪んでいるとかバイ巣が掛かっているとかは想起しない存在なのです。しかし現実は違います。無教養であったり、思い込みがあったりで何処かにバイアスを掛けていたり、自分の方がバイアス的であったりします。ところがなかなかそれに気が付かない。それが「アンコンシャス・バイアス」という世界です。この歪み、ズレを影響力的に行使されたら、社会や組織の状態はどうなるでしょうか。想像は容易くできます。そして渦中の人は悲劇そのものになります。

パワーの話の中で、人をネガティブにしたり、苦しみや恐れを与える影響力を威力と呼ぶと話しました。アンコンシャス・バイアスに根ざした影響力はまさに威力であり、それを操る人は権力者と云うことになります。

ショートソモサン④:アンコンシャスバイアスにはどんなものがあるか?

さてこの「アンコンシャス・バイアスですが、バイアスには大きく3つの世界があります。3つは人間であれば多くに共通するもの、共通するが個人差があるもの、そして固有のものと別れます。

人間ならば多くに共通するバイアスを生理的バイアス(広義の認知バイアス、感情バイアス)と云います。どんなことがあっても自分だけは大丈夫とばかりに、自分にとって耳の痛いことは入らない「正常性バイアス」とか自分にとって都合の良い情報だけを集め、自分の先入観を補強する「確証バイアス」、人の情報に引きずられる「アンカリング」など様々なバイアスが人には内在しています。詳しくは過去のブログをご参照ください。

そしてパワー問題に大きく影を落とすのが心理的バイアスです。これは一般に思考に癖があるところから来るバイアスで、「頭が固い」と称される人の特徴と比例しています。

①べき思考

➁白黒思考

③過度の一般化

④心のフィルター

⑤マイナス化思考

⑥結論の飛躍(深読みしすぎ、先読みのズレ)

⑦拡大視、縮小視(対応バイアスとも重なる)

⑧感情的後付け(後付けバイアスとも重なる)

⑨レッテル貼り

➉自己関連付け

といった種類があります。いずれもあえて説明を入れなくてもお判りになると思いますが、特に厄介なのが⑤のマイナス化思考です。これらのバイアス固有さはあるものの生来の癖に由来するものが多いと言えます。

最後が観念的バイアスで、これは生後での学習による初期設定的なバイアスです。従って地域性や民族性などによって違ったり、細かい話では、育てられ方によって違いが出てきます。でもその殆どが集団的な斉一性や同調心理といったグループ・ダイナミクスによる心理的影響が起因になっています。男女差別とか人種差別を始め日常的なパワー関係での思い込みや決めつけなどまさに偏見的に癖づけられたバイアスです。

これらのバイアスは生理に近づけば近づくほど修正に困難をきたします。

こうして人はバイアスに気付かず、自分では良いことだと大きな勘違いを抱くことで、パワーの使い方を誤って、過剰に行使することから対人間や集団間で様々な問題、いざこざを引き起こすのです。

ショートソモサン⑤:ネガティブ感情を是正する実習紹介

最後にこういったパワー行使によって引き起こされたネガティブ感情を是正していく実習をご紹介してみましょう。今回から少しずつボンズ・アプローチのアプローチ法やツール、実習などをお口直しとして特にブログ内容とは無理には意味付けずに(出来るだけ話題と関連づけようとは努力しますが)、少しずつ小出ししていこうと考えています。よろしくお願いいたします。

パワーによって感情的な問題が発生したときに考えるべきは、2つです。パワーの過剰思考を低減させる(いわゆるガス抜きする)か、パワーの方向付けを行って、生産的な方位に向かせるかです。

パワーは感情を揺さぶるエネルギーです。エネルギーに静態的な知識や理屈を直接ぶつけても効果は出てきません。時には留められたがゆえにエネルギーが滞留して、却って暴発的になることさえあります。感情に影響するパワーに対してはやはり感情に影響するパワーをぶつけて中和させるのが一つの方法です。パワーで問題となるのは「ネガティブ」です。残念ながら数学のようにマイナスにマイナスをぶつけてもプラスにはなりません。パワーや感情の場合マイナスにはやはりプラスをぶつけるのが効果的です。人にとってプラスの所作はポジティブ反応です。そしてポジティブ感情をもたらすエネルギーはシグナル・マネジメントの微表情でおなじみ の「幸福感」です。表情的には「笑み」つまり笑いの誘導でしたね。その手法は、そうです、ペップトークです。

しかしこの時に良く下手を打つ人がいます。妙な笑いや笑みによって却ってネガティブな感情に火を注ぐ人がいるのです。どうしてそう事態になるのか。これはパワーと感情の関係を取り違える人によって引き起こされます。ネガティブな感情には「嫌悪」「怒り」「悲しみ」「恐怖」「驚き」「軽蔑」という6つの種類がありますが、パワーが引き起こす感情とパワーを発する人が気付けとしている感情は異なります。受け手は影響力によって主に「恐怖」や「悲しみ」を抱きますが、発し手は主に「怒り」や「軽蔑」「嫌悪」です。時には「悲しみ」の場合もあります。影響力によって切羽詰まったり負い詰まったことによって抱いた自分のネガティブ感情から逃れたい気持ちは分かります。でもそれはあくまでも自分のネガティブからの開放であって、発し手に応えているわけではありません。そしてそういった反応はそのまま相手に伝わります。 しかし発し手が欲しいのは自分の抱く感情の解消なわけです。 そのためにパワーを行使しているわけなのです。しかも無意識の場合、発し手もかなり感情的です。火に油を注ぐ人の主因はそこにあるのです。「分かっていない」「バカにしている」「舐めている」といったネガティブ燃料をどんどん焚きつけたり、卑屈な表情や姿勢でバイアス的なパワーを煽る人は自分にも隙があります。

ネガティブ感情の影響者が無意識に影響力を過剰に行使してしまうのはある意味避けられないことです。それは抜けきるしかありません。その方法は相手の感情を上手くそらして転移させることです。はっきり言って笑わせることです。微笑ませるでも構いません。そして感情を中和して冷静に思考できるように導くことです。

それにはまずパワーに従順することです。恭順ではありません。素直に逆らわないということです。そしてパワー行使の発端となっている感情の出所と種類を探ることです。それは語気や言い回しではなく微表情と物言い、そして話の文脈に潜んでいます。怒りなのか軽蔑なのか、はたまた。そして何に対して言っているのか。間違いに云っているのか、劣等感で云っているのか、皮肉なのか、プライドなのか、はたまた。そういった状況をきちんとシグナル・マネジメントした上で、相手の感情と意図に対して的を射た対応をポジティブ的に行わなければなりません。一番ダメなのは感情に感情で対抗することです。パワーが違うのだから勝てるわけありませんし、ことは悪化するだけです。

対応はこちらも微表情を駆使します。そしてペップ・トークです。

 

ペップトークは、

 

  1. ポジティブな言葉を使う。
  2. 短い言葉を使う。
  3. 分かりやすい言葉を使う。
  4. 相手が一番いってほしい言葉を使う。
  5. 相手の心に火をつける様に本気という感情を出す。

 

1番は当然として、2番や3番は感情的な時には必須です。ここで重要なのが、4番の相手が云ってほしい言葉を使う、です。それにはその言葉に値する相手の気持ちの出発点、意図の起点を探り当てなければなりません。長い付き合いならば、およそその見当は付くでしょう。そうでなくても人となりを見ていれば推察できますし、常に噂を信じるのではなく耳に置いておいたり、観察しておくことが大事です。そして相手の立場になり切ってその人の精神状態を理解し、寄り添った言葉がけをします。例え自分としては頭に来ていても、自分を押さえ相手を生かす(立てるのではありません)言葉を使うのです。日常そういった言葉遣いに慣れておいたり、その人にそういう言葉を軽く投げながら、信頼関係のフックを掛けておくのも役立ちます。そういったことが出来ていればいざとなった時の逆影響力は絶大になります。人によって違うやる気に源泉を知っておくのも重要な下準備ですね。

でもこれでは本当の意味でパワー制御にはなりません。上司を始めとして他者のパワーをうまく生かすには、パワーの論理を踏まえたパワーの効果的な組み合わせによるアプローチが重要になります。ボンズ・アプローチの肝です。

その話は次回に廻しましょう。次回は練習的な内容もご紹介したいと思います。

 

それでは引き続き次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?