DXというイノベーションが組織運営にもたらす本質的な課題とは?

ショートソモサン①:DXに必要なのはスキルなのか? ~根底にある感情の問題~

皆さんおはようございます。

DX(デジタル・トランスフォーメーション)というキャッチフレーズが徐々にメジャーになり始めましたが、そうなると必ず便乗商法が始まるのは世の常です。

先だって親しいお客様から某有名教育会社(元は就職斡旋屋さん)の会報誌を見せて頂きました。そこで紹介されていたのが「リスキリング」という言葉でした。リスキリングとは文字通りスキルの再構築のことです。要はDXが基軸になる世の中では、新たなるデジタル社会で生き残るためには、保有するスキルを見直してDXに対応出来るスキルを新たに身に付けなければならないという話です。

恐らく軽挙妄動する教育担当者などは、内容やDXの意味も吟味せず、大手の宣伝文句に踊らされて提案される教育プログラムを導入し、あたかも自分は上から指示されるDX対応を取り敢えずは推進しているとばかりに安堵しているかも知れません。

もちろんそれはそれである程度の結果が出れば問題はありません。しかしそう上手くいくものでしょうか。以前の回でご紹介させて頂いたようにDXはトランスアクションではなく、トランスフォーメーションです。これはリエンジニアリングではなく、リストラクチュアリングを意味する動きです。このレベルは技能といった小手先レベルでの転換では全く歯が立ちません。自分の中にある考え方、価値観レベルでの転換が求められる課題です。それが認識されていれば、このテーマに取り組む姿勢はリスキリングへの取り組みではなく、その前にマインド・リセットへの取り組みが不可欠になることを認識する必要があります。

大手の会社がそのことを認識していないとは思えません。では何故それを軽視したアプローチをするのでしょうか。一つはネーミングの妙です。マインド・リセットよりもリスキリングといった方が新規性があり、食いつき易いということがあるでしょう。そしてそれ以上にマインド・リセットというテーマは心理的で取り組みが難しく、しかも結果の測定も難しいので、自身が評価される担当者の身として二の足を踏みがちであるということが隠れています。かくしてDXへの人力的な対応策は形骸的に取り組まれ、日本のビジネス界におけるDX化はこれまで通りにグローバル的な遅れを取り戻すことは望めないのだろうなと嘆息する所です。

それにしても何故マインド・リセットは難しいのでしょうか。人は意志によって行動を選択しますが、その意志を作り上げるのは知識や技能だけではない、というのは皆さんの中でも認識する方も多いのではないでしょうか。人の意思や行動は知識による論理よりも湧き上がる感情に強く支配されます。人の意志に最も強く影響する論理は倫理ですが、皆さんもその倫理が感情によっていとも容易く瓦解する場面や実感は幾度も経験されてきていると思います。

人には意志に影響する一次感情と行動に影響する二次感情があります。一次感情とは不安や恐れ、嫌悪といった感情です。そして二次感情とは一次感情に導かれて湧き起こる怒り、逃避、萎縮といった感情です。そして二次感情がさまざまな嘘や媚び、へつらい、逃走といった防衛抵抗のような行動を引き起こします。その感情は沸騰する蒸気の如くあっさりと理屈や思考を凌駕するのです。

さてこの取り扱いが難しい感情ですが、DXというイノベーションにおいて発せられるのはまず「不安」です。変化に対応できるか否かという未来への不安。そして取り組んで失敗した場合に失ってしまう過去からの果実への不安。この不安はこれまでの価値観や世界観で自ら成功体験が強い人ほど激しく発せられてきます。

そしてこの不安感は、拒否や恫喝といった取り組みへの直接的抵抗や回避や無視といった間接的な抵抗として行動面に現れます。面従腹背などは間接的抵抗の一種です。この様な感情は時に群集心理のような形で苛烈化する場合もあります。何れにしてもこの反抗的な感情が趨勢を握る状況になった場合、リスキリングも何もあったものではありません。

良く抵抗感情が「無理解」から生まれるとして、それをリスキリングのネタにするアプローチもあります。確かに「知らない」ということから発せられる不安があるのも一部としては確かです。しかしこれは業者的な詭弁であり、また時に受け取り手の怠慢さに由来するものが大勢であると私は見ています。

感情的抵抗の本質は、知らないからとか理解できないからといった無知に起因するものよりも、知ったが故に、或いは知りたくもないといった毛嫌いに由来する感情的な発露であり、知識や技能のような理性以前の世界です。それを理性が故にとヘッドトリップ的に状況を歪めて都合良く渡り歩こうとするから、実践として何ら変化が生じてこない現実がそこにあるのだ、というのが実際のところなのです。

ショートソモサン②:ビジネスそ推進する2つの軸とは? ~ソリューションとリレーション~

では反射的なレベルで感情反応してしまうレベルの不安とはどういった内容なのでしょう。

ビジネスにおいて組織的に人がことを進める上での能力には二つの世界があります。一つは目標達成に向けて生じる課題を解決したり処理する実務能力です。いわゆるソリューション力です。そしてもう一つはその課題を人間集団として組織的に解決するために求められる人間関係の維持能力です。リレーション力といったところです。

前回のブログでも認めましたが、「同時に存在する相矛盾する複数の目標や問題解決に階層や優先順位を付けないまま行動した場合、一方の目標達成や問題解決をして緊張を解消すると、もう一方の目標や問題に対する緊張が高まることとなり、今度はそちらを解消しようとして「揺り戻し」が発生してくる」といった組織の特性の中では「同時に組織全体の目標達成をしたり問題解決を行えるソリューションの知恵や方法」などは稀で、現実の活動は「部分的なソリューションを行いながら、揺り戻し解消のためにリレーションで調整する」のが一般的なアプローチです。つまり組織の中での問題解決はソリューションとリレーションを併せ持ったアプローチやそれを可能にする能力が求められることになります。

しかし残念ながら両者をバランス良く有した人材などそういるものではありません。ソリューションに優れていれば、リレーションが下手くそだとか、リレーションに長けていればソリューションに劣っているといった人ばかりです。

これは全世界共通の話ですが、各国においてはその文化に応じて比率に差があるのも確かです。個人主義が基調の欧米や中国などでは応じてソリューション力が高くて、リレーション力は弱い特徴があります。それでも文化として大勢がそういったバランスの状態ですから、その文化内ではリレーションも互いに気質にあったやり取りで恙無く物事を進めているといった案配があります。

しかしそれも違う文化の人から見れば衝撃を受けたり、理解不能に陥ったり、時には相互が防衛的になる場合も多々あります。例えば欧米の人は「そもそも人は異なった存在なのだから、自分の主張はきちんと伝えなければいけない」といった文化的価値観があります。ですから日本人などから見れば、欧米の人たちの発言はかなりストレートに受け止められがちです。例えば私の友人に高校から海外で育った人がいますが、長い付き合いで彼の人となりを知っている私からすれば問題ない発言が、周囲をびっくりさせることがあります。先般も「恩田の会社の借金は〇〇位だから、自分が△△位の仕事を出せばすぐに返せるだろう」と実にストレートに言ってくる場面がありました。これを聞いていた別の友人が、後で「あれは失礼だね。何か上から目線で不躾だと思うよ」と言ってきたのですが、集団主義が基調の日本では「人はそんなに違いがあるものではない。物事は推察すれば分かるし、忖度で物事は進む。言わずもがなで、わざわざ人を不快にする物言いは避けるものだ」という文化的な価値観が立ってきますので、「親しき中にも礼儀あり。心ではそう思っても言わぬが花ということもある。物言いが失礼な奴は好きに慣れない」という感情的な反応になってしまうわけです。

実は本当のところは日本人の反応の方こそ「本音が分からない」という不気味さもあるのですが。実際民族が多様で価値観も多様な欧米の人からすると、日本人の「言わぬが花。言わずとも悟れ」というリレーションのやり方は、「探りや窺い知る」などに慣れていないが故に非常に厄介なコミュニケーション状況を醸し出しています。実際、私の友人は本当に悪気なく、上から目線でもなく、正直に「助けたい」という心情で発言しているわけですから、どっぷり日本人の友人との間を取り持つのは結構面倒くさい作業です。

それにしても日本人がこれまで常識としてきた日本人的文化のコミュニケーションやリレーションのあり方は、グローバリゼーションの中では非常にレアな価値観でのやり取りで、徐々に弊害が大きくなってきました。GHQの教育効果なのか、戦後80年近くとなって30代以下の世代では日本人も結構グローバル基準でのコミュニケーションパターンが増えてきた様ですが、リレーションスタイルは未だにかなり感情優先寄りで(韓国などよりは論理的になってきている様ですが)、時に極めて非効率な状態を生み出している様に思えます。

ショートソモサン③:まず何から始めるべきなのか? ~DXにおける論理と感情のバランス~

このコミュニケーションパターンやリレーションスタイルがグローバルでの問題解決において日本にかなりの損失を生み出しているのは昨今間違いのないところですが、実はDXこそがこの日本人特有のリレーション主体でしかも特殊なスタイルの文化や価値観をいよいよグローバリゼーションの中でデッドエンドに導く主因になろうとしているのです。

DXにおけるコミュニケーションパターンには、原則感情的な領域は介在してきません。これまでもメールやSNSなどでそのデジタル的なリレーション特性から、これまでのパターンでは通用しないコミュニケーション上の歪みや欠損が発生して来ました。曰くメールでは感情のやり取りができない(これまでも電話では気持ちが伝わらない。直接訪問しろ、などといった問題はあったが)ので絵文字や擬音表示でカバーするといった話です。この動きは我々がデジタルの合わせるというよりも、デジタルをこれまでのやり方に引き戻して帳尻を合わせるといった対応でした。

これが今やグローバリゼーションとなった現在、もはや問答無用の状態になりました。これまでの日本の文化や価値観、コミュニケーションパターンやリレーションスタンス自体を変えないと全く時代の潮流についていけないという段階に入ってきたわけです。グローバル、まさに地球を被う地理の中で多種な民族や多種の文化、多種の言語に同時にアジャイル(俊敏)に24時間体制でリレーションしてソリューションするのがDXの世界です。

今はここにコロナ禍による非対面的なワーキングスタイルが加わってきています。感情が伝わりにくいではなく、伝わらないことを前提にしたコラボレーションやリーダーシップが求められてくる状態となっているわけです。

もはや感情云々を前面に出してどうこうする状態ではありません。対面的にリレーションを取れば何となく自然と問題が解決されたといったのんびりした状況下でもないわけです。

私が見ている限り、日本人は持ち前の集団主義の文化を前提に、また他国からの技術の模倣を中心としたクリエイションではなくマニュファクチュアリング力を基軸に経済成長を遂げてきました。従ってソリューション力はさほど求められず、仲間内でのリレーションさえ磨いていればことを進めることができた環境下にありました。ですから極めてリレーション力に依存した人が多く、そういう人が隠れた年功主義(ベテラン主義)でマネジャーになり、チームとしてのソリューションにも当たっています。実際マネジメント力などがなくてもリレーションさえ出来れば任期を終えることができる時代が続いてきたわけです。外資系などもっと酷いところがあります。人事のリーダーシップ力がなくてもソリューションは事業や商品が行なってくれるとばかりに無能な人がマネジャーとなり、しかもそう言った人が学歴や経歴だけでホッピングしているあり様です。まあ民族系としてはそういった本社の姿勢だから日本法人が頭打ちになっている会社が多いのですが、お客さんでない限りは他所ごとなので論外です。

これがDXになると天変地異となります。リレーションとは即ソリューションです。リレーションあってのソリューションではなく、ソリューションのためのリレーションです。これは問題解決の考え方としては本筋なのですが、そう言った時代に突入したわけです。

だからといって人間に感情が存在する限り、感情をレスにしていいと言っているわけではありません。事実この流れについて行けず、適応障害だのうつだのといったメンタルヘルス的な問題が多出してきています。更に教育の偏りから今度はソリューションは出来てもリレーションが出来ない人材が勃興してきており、個人芸でしか動けない人ばかりになってきています。こういった輩が歪んだ心根でデジタルに参与してSNS問題のような社会的な歪みを醸し出してきています。また組織内でも偏った評価の中で大人の発達障害のような人材がマネジメントサイドになってうまくリーダーシップが取れず、人の気持ちが汲めずに職場が荒廃してきている現実もあります。そしてチーム力の崩壊が進んできています。

ソリューション力がなく、リレーション力で誤魔化してきた中高年のマネジャークラスの存在。まともにリレーションが取れない若者。そして実際に突きつけられるイノベーションの現実。

こういった状勢において不可避であるDXの流れに組織や人材を乗せるには、相当の意識的な転換が要求されることは必定になります。

果たしてこのようなハイレベルで生じる「不安」を皆さんはどのようにご覧になっているのでしょうか。これは技能レベルといったお為ごかしで済ます問題ではありません。技能レベルでの問題解決など、よほど社会的使命感がないかレベルが低い提案です。それよりも安易に乗る方の識見を疑いたくなる話です。

さてそういった現実の中で、私たちはどこからどのように取り組めば良いのでしょうか。

結論は明快です。まずは不安を軽減することです。不安を無くすのは現状不可能です。しかし軽減することは可能です。

不安を軽減するには二つの切り口があります。

 

・一つは不安をできるだけ除去するアプローチをすることです。それは技能ではなく、まず知見や問題解決(ソリューション)の道筋を供与して、同時に自分の立ち位置を明示してもらうことです。そうして個々人やチームにポジティブ心理になってもらうことです。要は論理として心理的安全性を確保してもらうアプローチをすることです。技能的な話はその次の段階です。

・そしてもう一つはエネルギーを補填することです。しっかりと動機づけをすることです。ここは感情的な関わりが必要です。慈愛に満ちた寄り添いで孤立させないこと。そして安定した自尊心を回復して貰うことです。

 

意識の問題で重要なのは、自力回復や自力伸長が難しいということです。良く安直に内観とか内省ということを口にする人がいますが、それこそ無責任の極みです。不安といったネガティブ心理や一次感情に囚われている状態の人に自分を見つめる余裕などありません。それが不安の本質です。

不安定な心理状態の人には、それを支える他力が必須になってきます。それが集団の持つ力であり、人の本質です。人間一人では生きていけないという真理です。そしてそこにこそリーダーシップの本義もあるといえます。

安定した自尊心は、自分だけで高められるものではありません。人からの何らかの心理的なエネルギーの補給が必要なのです。技能は基本自分自身の自助努力で高めるものです。しかし意識は他者とのリレーションがあって高まるものです。マネジメントの核心もそこにあるといえます。

次回はいよいよ意識転換や意識向上への具体的アプローチについて、マネジメント的な視点から踏み込んでいきたいと思っています。

ぜひ次回も引き続きブログの方までお読みいただけますと幸いに存じます。

 

さて皆さんは「ソモサン」?