• 感情を制するものが組織を制す ~組織に人あり、人に感情あり~ ソモサン第180回

感情を制するものが組織を制す ~組織に人あり、人に感情あり~ ソモサン第180回

ショートソモサン①:組織の抵抗行動は何から生まれるのか?

皆さんおはようございます。

先週のブログでご紹介した書籍は、ロバート・フリッツ氏の「偉大な組織の最小抵抗経路 リーダーのための組織デザイン法則」というものですが、何故書名を出さなかったかと言いますと、2500円もするのに果たして皆さんにご紹介しても良いものかどうか憂慮したからです。でも返って興味をそそられた人が出たのだとしたら、それも一興かと云った心境です。

この書籍の序文で、センゲ氏は「ロバートと仕事をともにするようになって20年以上が経つが、ずっと変わりなく友人であり、私のメンターであり続けた。複雑なテーマを解き明かし、単純明快な原理で効果的なアクションに導くロバートの手際にはいつも驚かされる。彼はつまらないアイデアを複雑にしてみせる安直なビジネス書やマネジメント手法が流行する昨今、幅広い生の現場体験に裏打ちされた深い洞察を見事なほどシンプルに提示してくれる数少ない人である」と評していますが、

彼の主張する

「企業の長期的パターンを観察することができるようになればなるほど、否定しがたい事実が明らかになる。それは、根底にある構造を変えなければ、どんな変革の努力も結局は水の泡となり、元のパターンに逆戻りしてしまうということだ。根底にある構造が働いていることを知らなければ、企業はいつまで経っても「最新の経営手法」「流行の変革手法」などに引っかかり、破壊的な揺り戻しパターンを繰り返し、屍の山を築くことになる。これが現実生活で意味するのは、善意と知性とプロ意識を持った才能ある立派な人たちが、構造に抗って勝つ見込みのない闘いを繰り広げているということである。前進したと思えば後退し、進歩は台無しになる。成功が、想定外の問題に化け、集団の力や勤勉さ、組織の精神はことごとくくじかれる」

という考えは、私には「根底は組織の構造にある。そんなことは誰しも既に理解しているところで、シンプルでも何でもない。問題は分かってはいてもそう簡単に規定された構造が変えられないから皆苦慮しているのだ」という現場の認識が欠如した顕著な主張にみえるわけです。そうみるとセンゲ氏のコメントも「何やら友人だから権威づけに書評したが、役立つかどうかは分かりません」といった風に読み取れなくもありません。

何れにしても構造の変更は、人間が持つ「物事を持続的に運営したい」という心理というよりも生理に近い感情的な要素が加味される問題です。感情は話し合いで制する領域ではありません。ここに論理に拘る学者さんたちの限界があるのでしょう。実際学者でもこの領域に立ち入る方は学会では評価されません。その代表が故P・ドラッカー氏です。彼は実務家の間では評判が高いですが、学術界ではマイナーな扱いを受けていました。

さて、組織における感情領域ですが、リーダーシップの本質はこの感情をいかにマネジメントするかの力に尽きるように感じています。構造転換で起きる感情は、まず一次感情として「不安」「嫌悪」「恐怖」が湧き起こり。そこから二次感情として「怒り」「悲しみ」「儚み」といった気持ちが生じて、「攻撃」「逃避」「無関心」といった抵抗行動(葛藤構造?)に繋がっていきます。くどいですが、これは頭では分かっても気持ちが伴わないといった現象です。人によっては感情が先に立って思考自体が伴わず、思考停止に陥るといった現象も多々みられます。

これを打開するのは、理屈よりも感情の平定です。単的に言えば「安心感」の提供です。それを満たすのは「信頼感」と「保障」です。前回、対話や議論のあり方は、如何に両者間に妥協できる折衷案が作れるか否かであると言いましたが、妥協とは心情的に相手に譲歩できるということです。そこにあるのは紛れもなくポジティブ感情の創出です。ポジティブ感情の基底にあるものこそ「安心感」です。

ショートソモサン②:「安心感」という感情はどのように生成されるのか?

では組織の中に安心感はどうやって作り出せるのでしょうか。それはリーダーシップの本質が何であるかという命題とも密接な関係がある話です。安心感を生み出す信頼感と保障。この両者は相互補完の関係を持って感情と論理の両面を支え合っています。信頼があってそれが保障を裏付け、保障があってそれが信頼を確証します。保障は理としての心身の保証であり、信頼は情としての心身の保証です。いずれ人はこの両者が揃って始めて不安からの離脱が可能となります。ただ現実的には保障力があってこそ信頼が生じるのが実際であって、信頼がなくても保障さえあれば人は付き従ってくるのが現実の話なのではないでしょうか。

ところでこの情理二面での保証において、それが利己的であるとか利他的であるといった起因における心理はあまり影響を及ぼしません。それが利己的振る舞いであろうと利他的振る舞いであろうと、そこに置かれる人たちの心理状況が実存的な不安から発露している以上、彼らに対する安心感の保証は、それぞれにおける生理的なレベルでの利己心に関わる命題といえます。これは利己利他といった心理的な徳性以前の話だからです。まさに衣食足りて礼節を知るといった話でしょう。

話を戻しましょう。信頼感と保障を保証するには、実存としてそれが可能となる力が必要になります。そういった影響力こそがリーダーシップの源泉です。それでは具体的にどうすればそういった影響力を行使することが可能になるのでしょうか。それを知るにはまず不安の源泉を考える必要があります。

人の不安の所在を考えるときに重要になるのが「欲求充足」という本性です。第三の心理学といわれる心理学領域の始祖と呼ばれるマズロー博士による「欲求段階説」によれば、最低限の生存欲求(死にたくない)という生理欲求に準ずるのは安全追求欲求です。これは生活保障を意味します。人が信頼がなくても保障があれば付き従うといった理由もここにあります。不安解消における第一の保証は「生活保障」です。はっきり言って資本社会では財的な保障に尽きるのではないでしょうか。その次に位置づけられるのが所属欲求です。これは物理的な組織からの除外もありますが、より大きいのは心理的な村八分の扱いと言えるでしょう。居場所がなくなるといったことへの不安は人にとって存外大きなものです。昨今のいじめ(特に集団的な無視)やそれに根ざした自殺問題はこの不安が人をどれくらい蝕むかを如実に物語っています。この所属欲求と対をなす第三の欲求が「地位欲求」です。集団社会において所属を確証させるのは地位です。猿山の猿の統制メカニズムを見れば一目瞭然です。地位が高ければ高いほどその集団における所属は保証されます。よくいうマウンティングという行為はある種こういった欲求本能から出る行為です。理屈で制してもなかなかうまくいくはずもありません。今のお笑いの源泉も人の失敗を笑ったり、人を睥睨して笑い物にするという下卑たものばかりですが、これがなかなか是正されないのもこういった行為が人の本性に基づいたものであり、更に今の社会がネガティブ基調でどこかコンプレックス的な勢力の蔓延によるストレス状態なのがこう言った風潮を後押ししている限り、悲しいかな、宜なるかな、といったところなのではないでしょうか。

何れにしましても「所属欲求」を包含した「地位欲求」に対する不安に向けての第二の保証は「存在保障」です。存在とは心理的地位や所属の保証を意味します。

こうして組織の構造が変わっても自分の生活や存在が保障されるかどうかが生産性だとか組織的な問題解決といった論理的世界よりも自己保全として感情を伴って想起されるのが人間という存在なわけです。生活が保障され地位が保障されている学者さんたちには想起されないのかも知れませんが。そして、そういった保障問題は、多数の異なった利害や欲求を抱える人の集合体において全てを十分に満たせるものでないことも確かな現実です。

実際組織の現場においてその要件を満たせるのは非常に数限られた存在ということになります。加えてその数限られた中でも利害が絡む中でこの命題に手を下せるのは最高責任者ただ一人といっても過言ではありません。

ショートソモサン③:日本型組織運営の本質とは?

しかし人間には限界があります。一人の人間の能力で物事を見るには限界があります。概ね最大で100人が限界という意見もありますが、顔と名前が一致する、つまりは最も動力源たる感情を一人一人見定めて出来る限り全員に過不足なく保障をするには100名でも要領オーバーな感があります。それでも組織を第一義としてベンサムのいう「最大多数の最大幸福」を達成すべくジャッジメントをするのがリーダーの仕事ということになります。その最たる命題が、構造転換なのです。「揺り戻し構造」といった分析論などどうでも良い話です。

とここまで批判的な論調で題材にした書籍を切ってきましたが、この書籍で大きく見逃していけないことが一つあります。それはこの書籍がアメリカの学者によってアメリカという文化のビジネスシーンを想定して書かれた書籍であるという点です。

ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、アメリカは非常にリーダーシップが強い組織文化です。CEOという言葉に象徴されるように社長などよりも大きな権力を持っています。またそのCEOも株主至上主義で短期の配当を重視する株主に強く支配されて経営活動を行なっています。こういった文化の中で、昨今のアメリカの経営者はなかなか強権が出し難いというか、それだけの器量の人材が減ってきているのも事実です。

そのような風潮の中で、かつてのGEやIBMのように組織の構造問題にメスを入れるような、強者は少なくなっているのは否めません。そういった現状のアメリカの経営者に向けて書かれた書籍というのであれば、さもありなんといった心持ちがします。そうこれはあくまでもアメリカという文化と風潮の中で書かれた文献ということです。

では日本はどうでしょうか。日本でもオーナーや創業者は強烈なカリスマを発揮させる人は多く存在しています。しかし日本は根っことして集団主義があり、高学歴?構造で、ミドルアップダウンの文化です。そもそもトップダウンが起動しにくい中で構造論をぶっても詮無い話になります。トップマネジメントの強権による構造転換も結構な話です。でも現実は時にはトップですらが足元を掬われたり、あらゆる施策を無力化する感情的抵抗が平然と作動する文化が基調です。私も構造転換を図って死屍累々としてしまった組織の再生を依頼されて難渋した経験を数多く経験しています。世にいう農協再生などその典型です。

日本において構造転換的なアプローチなどまさにロマンです。これは分析論云々レベルの話ではありません。分かってはいても出来ない。またやってはみたがドツボに嵌ってしまった。これが現実なのです。

日本は世界でも顕著な感情的国民であり、感情的組織です(まあ韓国などよりは論理的でクールですが)。日本で組織問題を処置していくには、感情的葛藤を解消するリアルなアプローチが大前提です。

弊社が謳う「ポジティブ組織開発」や「コンパッションクライメイト」の醸成を目指したLIFTのアプローチをより深くお考え頂くにおいて、現在の日本のビジネス界がお好きなアメリカ的な見方、特に学者さんの文献を題材に弊社の考えを認めさせていただきました。もしもこの2回のブログが参考になったとすれば幸いです。

今日本の企業はすぐにGoogleがやったとか、Googleのやり方がどうかといったことを参考というか模倣して取り組みをする担当者を多く見ます。Googleの凄さは自発的で創発的に取り組む姿勢にあり、それだけ真剣に人材や組織を見ているという姿勢にあります。欧米でもない日本が翻訳もせず、まして他がやったからという姿勢では今最大の課題になっている革新など遠い話でしょう。その点はフリッツ氏がいう「構造転換」が必要という視点には大賛成です。でも大いなる矛盾がそこにある以上、それを乗り越えられるリーダーシップを持った変革推進者は出てくるのでしょうか。期待したいところです。

さて皆さんは「ソモサン」?