• 楽観とポジティブの概念を整理する~ポジティブを高めるモメンタム~ ソモサン第228回

楽観とポジティブの概念を整理する~ポジティブを高めるモメンタム~ ソモサン第228回

ショートソモサン①:権威に頼るのではなく自分の頭で考える

皆さんおはようございます。

先週マスコミに乗せられてか、それを利用してか、知名度を頼りに専門外にまで口を挟む学者がまかり通る風潮の中で、時にその論解が誤った認識を大衆に流布してしまうことがあることへの危険性を題材にしましたが、具体的な面でどうしても看過し切れない論解があったので、先週その領域の専門家の方々にご意見を伺ってみました。

その論解は私的にも(私の専門は心理学、行動心理学なので)やや専門を外れる領域でしたので、その領域の専門家に見解を伺ってみた次第です。

先週の中野信子氏の論解の中で、以下のようなくだりがありました。

「抑うつ的反芻をしがちな人と、そうでない人を比較した実験がある。この実験では、被験者に意思決定タスクを行わせている。仮想的な求人活動を設定して、そこで、最も優れた人材を採用してもらうというタスクである。興味深いことに、この実験の結果、うつである被験者のほうが、うつでない被験者に比べて、最適戦略に近い方法で採用を行ったのである。うつの被験者は、うつでない被験者よりも多くの選択肢を検討し続けようとし、人事採用タスクの成績もずっとよかったという結果になった。うつでない被験者は、なんと、考えることを怠る傾向が強く、十分な数の選択肢を比較検討しようとせず、適当に済ませようとしたのだった。この結果を受け、抑うつ気分は、複雑なタスクを遂行する場合や困難な状況下では、より良い決定を下すのに役立つのではないか、という主張をする研究者もいる。うつなどの気分障害は、人生における諸問題を効果的に分析し、対処可能にするという目的のために生まれた、脳に備え付けられた仕組みの一つなのかもしれない」。

全体的には私も同意する面があります。元より以前から日本で言うところの「頭が良い」ということはクリティカルシンクを意味しており、クリティカルとは懐疑的、ネガティブを意味しています。つまり解析的に頭を使うということはネガティブ思考と非常に近い関係にあります。抑うつ的反芻に両面価値があるという考えは一理あると思います。しかしそれとポジネガとは筋が違います。先週もお話ししましたがポジネガは思考の方向性です。プラス・マイナス思考や楽観・悲観とは視点が異なります。ポジティブは「良い方に考える」「加速的に考える」です。楽観は「物事を自分にとって良く捉える」「猜疑心を持って深く考えない」という姿勢です。これは日本では禅でも重視している達観に近い概念です。中野氏の論解はポジネガというよりも楽観悲観に関する話といえます。

元よりポジネガはアクセルとブレーキの様に「機能(ファンクション)」としての考えです。皆さんは悪いことをより悪くする方向づけを得に思いますか。それとも損に思いますか。これらをしっかりと分けずに概念を混同して論じるのは危険といえます。これは人の認知に大変な誤謬を生んでしまいます。因みに楽観が意図的に深く考えない姿勢なのに対して、軽薄や浅慮は深く考える力がないということなので、お気楽なことを楽観とも混同してもいけません。

ところで先に申し上げた私が気になった論解というのは上記の話ではありません。文章の最後にある「うつなどの気分障害は、人生における諸問題を効果的に分析し、対処可能にするという目的のために生まれた、脳に備え付けられた仕組みの一つなのかもしれない」というくだりです。ここでのうつの捉え方、気分障害に対する認識についてです。それは本当にそうなのかがが引っ掛かったわけです。そこでその道の専門家に問い合わせたのですが、「臨床的な知見からすると、実際にうつ状態が重度になれば判断力はおろか、何かを決めることすらできなくなるくらい精神機能が低下し、最終的には自死に向かってしまうのですから、『うつを問題を効果的に解決させるための仕組み』といった見方に対して個人的には疑問ですね」と助言頂きました。

まあ是非は読者のご判断にお任せいたします。大事なのは人に惑わされることのない自分の知見と判断力です。今やマスコミは自身が不勉強になりつつあるも相当の公権力を持つ存在です(人によってはその重さや責任自体への認識も欠けている人も見受けられます)。一方で大衆は権力への盲目的迎合といった心性によってフィルターなしで盲信するのが大勢です。本当に一人一人がしっかりと身を磨いて自衛しない限り正しい選択が出来なくなっているのが現状といえます。

皆さんに於いては如何でしょうか。権力を盲従しないで正しい選択をしていますでしょうか。

ショートソモサン②:心の「推進力」と「規制力」のとらえ方を整理しよう

さてでは前回に引き続いて「モメンタム発動実践法」に話を切り替えて行きたいと思います。前回では「笑い」によるモメンタムアップや「擬似対話」によるモメンタムアップを取り上げるべく予告しましたが、読者さんの反響を鑑みまして、今回は予定を変えて「モメンタムが発動し易くなる心構え」を醸成するアプローチから話を進めていきたいと思います。これはマインドフルネスが内在する真の力をご理解していただく上でも、モメンタムとマインドフルネスの関係をしっかりと腹落ちしていただく上でも核となるところだからです。

以前にもお話しさせて頂きましたが、自然界には至るところに「場の理論」が存在しています。場とは「力の場」をいいます。場にはプラスとマイナスの力が丁度サンドイッチのように場を挟み込んで均衡や安定を醸し出しています。これはいわゆる物理学の本質とも一致する世界です。この力の均衡は心の世界でも存在しています。プラスとマイナスの対峙はあらゆる概念の中に基底されている存在です。このプラマイ状態を力の方向性として指し示すのがポジティブとネガティブの概念です。ポジネガは場の理論では上向きか下向きかで表現されます。ですからマイナスフィールドの中でもポジティブはありますし、プラスフィールドの中でもネガティブが存在しています。例えば悲観的な中でも前向き思考をするといった状況などはその一例です。ですからプラマイとポジネガを混同すると力や場の概念が混乱によって理解しがたくなりますので注意が必要です。

そういった前提条件を元に、例えばモメンタムアップを図るというアプローチをするということは、詰まるところ場の均衡状況をポジティブ方向に変えるということを意味します。それはプラス側の力かマイナス側の力か、あるいは両者の力の変数を変えるということです。端ずればポジティブ力を高めるかネガティブ力を低めるかということです。しかし話はそう単純には行きません。均衡を保とうとする場の力はその持続的維持を前提に存在していますから、どちらか一方に手を加えると必ずそこから生じる変化を相殺して現状を維持しようともう一方側に反作用的な力が発動されるからです。ですから望むような変化を生み出すには、両者双方に手を打たなければ意味を為しません。要するに一方に力を付加させるならば、同時に反作用する側の力を減じる手立てが求められるわけです。

心における「力の場」においてはその双方の力を推進力と規制力と表現していますが、この場合も、それぞれが持つ力への両面アプローチが必須になります。推進力を高めようとアプローチすれば、それに応じて規制力がそれを阻むからです。否、むしろより強い抵抗力として規制力が伸し掛かって来るのが一般です。従って場の均衡を上向きに変えるには、推進力を高めると同時、というよりその前に規制力を弱める手立てが求められることになります。

この時に重要なコツとなるのが、推進力に於いては数ある中でも普段軽く見ていた力に焦点を当ててそれを高めることが効果的であるということです。何故ならばテスト同様に80点を90点に上げるのは非常に難しくても、40点を60点に上げるには比較的容易いだからです。ですから推進力を高める場合はあまり日常的に意識していなかった、あるいは微小として軽く見ていた力へのアプローチを試みるのが得策になります。

一方規制力はその反対で小さい規制力を幾ら低くしようとしても「塵も積もれば」的な考え方もありますが、実際には相当の時間が掛かるので、効果が大きい規制力に目を向けるのが妥当です。その方が即効性も高いです。但しあまり大きな規制力に挑戦すると挫折の確率も高くなるので、中位の規制力に手を付けるのが得策ということがあります。中位とは自力で処理できるがやや難易度が高い規制力です。要は前回ご紹介させて頂いた抑制力の方に手をつけるということです。

規制力や抑制力はそれが減少するだけでグライダーのように気が上昇し始め、行動が軽やかになっていきます。重したる規制力をそのままに幾ら推進力を高めるアプローチをしてもさほど効果が出ないのは当たり前の話です。ですからまずは規制力の減退化、抑制力の減少を優先することが重要になるわけです。これこそが出回っている動機づけのやり方ややる気本を幾ら読んで実践して効果が出て来ないことの真因です。

ショートソモサン③:無意識のプロテクターはすべてを跳ね返してしまう ~潜在意識との付き合い方~

まずは抑制力を減少する。これがまずはマインドフルネスを行うことが重要性であるということを物語る一番のポイントです。しかし幾らマインドフルネスを行なっても、それだけでは心に根付く深淵たるマイナス意識、原体験での思い込みや恐れ、あるいはトラウマといった傷までは払拭できません。それを何とかするには意識そのものの修正、書き換えをしない限り解消できません。でもこういった深層心理、潜在意識に関わる領域へのアプローチは、非常に大きく心理的抵抗が起きる領域です。人の無意識、潜在意識は理非分別のジャッジメントは出来ません。一旦刷り込まれた前提的想念は、ただそれを基軸に維持させようと働きます。例え顕在意識でそれを損と判断して書き換えようとしても潜在意識がそれを阻もうとします。

認知行動療法や論理行動療法がなかなか効果を出せないのもその一点にあります。潜在意識の働きは抑制力の上では非常に強い働きを持つ力なのです。では潜在意識の抵抗を乗り越えてマイナス意識をプラスに転嫁させ、抑制力を減少させるにはどうすれば良いか。

改めてですが、顕在意識とは「今気づいている範囲の意識」のことで、潜在意識とは「無自覚で機能している心の働き。例えば文字認識など自動的に行なっているとか体調の制御といった暗黙的な意識」のことです。厳密には異なるのですが潜在意識のことを無意識という場合も多々あります。

潜在意識は心の働きとして原則的には顕在意識に準じるのですが、長年癖づけられた行動や考えなどといったレベルを転換しようとする行為には強く抵抗します。何故ならば潜在意識は現状を維持しようという方向に働きかけるプログラミングが組み込まれているからです。

心はコンピュータの働きによく似ています。というよりもコンピュータは心の働きをモデルに開発された存在ですから似ていて当たり前です。ですから心はコンピュータ同様にプログラムがあり、それが心を働かせる際に起動します。そして意識はそのプログラムを正しく履行しようと働きます。プログラムには生来のコマンドもありますが、長年の中で一定的に作動するように組まれていったものもあります。それが個性を生み出します。でも全ての心に共通するのはいずれのプログラムも「快感、ポジティブ」に向けて自動的に機動するということです。その力は人によって千差万別ですから、人にはプラス思考が軸の人もいればマイナス思考が軸の人もいます。これを楽観とか悲観といいますが、それとは別に人は誰しもが共通に自分に対してポジティブに機動すべく、そして現状を維持するべくプログラムが組み込まれています。そしてそれを実行するためにプロテクターという安全装置も組み込まれています。これが顕在意識からのアプローチに対してでも本能的に抵抗反応を働きかけます。

ということは、この心のプログラムを変えるにはまず心のプロテクターを外さないといけないということになります。そうしないと潜在意識は以前のプログラムと照合して新しいプログラムを跳ねつけてしまうからです。プログラムはそれがポジティブだろうがネガティブだろうが先に組み込まれた内容を一貫性を保つように働くのが前提です。潜在意識においてはそのフィルターを通過できるようにプロテクターが許容したプログラムのみが受け入れられるということになります。この働きは日常では心を安定させ続ける上で重要な機能を果たしています。しかし、何かを変えなければならないという意図が働いた時にはそれが強い邪魔をすることになるわけです。いくら顕在意識で正しいと判断しても、潜在意識で不快となれば顕在意識の指令を拒絶してしまうのです。

ショートソモサン④:内観とは修行のようなもの ~長期と即効性のバランスをどうとるか~

そうなると純粋に意志の力だけで何度同じアプローチを繰り返しても挫折するかフラストレーションが待ち受けるだけで、成就はしないということになります。このやり方でもうまく行くケースは、よほど状況的に自分が不利益になっていて足掻いている場合(例えば病的状態になっている)とか、稀に見る不屈の気持ちがある場合、そして何度も繰り返すことで相当の時間を掛けた結果として得られるといった様にとてもレアなパターンに限られてきます。病人ですら大変なアプローチに対して健常人がそれを成し得るには真っ当にやる限り相当の苦戦を要することは歴然としています。

認知行動アプローチが好例で、応分の時間的努力に加えて、第三者の力を借りることが求められます。それも相当の力量ある第三者の介入があったとか、偶発的に起きた的を射た実感によって塗り替えられたかといった塩梅です。

それでも健常人の軽いレベルでのマイナス思考やネガティブ思考での思い込みやこだわりの打破には「認知行動アプローチ」でも有効に作用することはあります。私も自分のマイナス思考が丁度高校の時に大阪から東京に転校したのきっかけにして基底的に根付いてしまったのを「認知行動アプローチ」で明確にして、以来意識化することで大分行動変容が出来るようになりました。といっても受け入れてから10年近く掛かりましたが。それでも少しずつ自分の選択に気がつくようになっていきました。その時により促進的なアプローチはないかと試したのが「自己暗示法」でした。

前回ご紹介させて頂いた「自己暗示法」は元々心療におけるヒプノシス・セラピーの技法を「認知行動アプローチ」に応用する中から生み出されました。この技法は「過去の自分に思いや気持ちを逆行的に辿っていきながら、その時その時の自分と論理的に対話しながら、原因を思い起こし、それへの対処策を見出していく手順を経て、今の自分の考えに修正を促す」アプローチ法です。その時の自分の様子を見ながら、気持ちを汲み取りながら、タイムスリップしたもう一人の自分が「何時からそうなったのか」「何故そうなったのか」「本当にそうだったのか」「それだけだったのか」「それは正しかったのか」「それで良いのか」「それで得しているか」など対話していきます。そうして今の自分として第三者的にその時の意思や気持ちを査定しながらその時の自分と対話して見ます。そして解決策や得策を見つけていくプロセスを辿る進め方をします。大事なのは当時の自分にアファメーションしてその時の自分を肯定化しながら、その時の自分を勇気付け、過去の自分を今の自分で癒すことで、自分自身に対して素直に対話ができるような状態を作る暗示をかけながら今の自分に内在するマイナス思考そのものネガティブ思考になって損をしている認知軸や判断軸を再構築する内観(内的対話)をアプローチです。

でも前述のように抱える闇の深さに応じて(経験した傷やマイナス思考)、逆行や対話、そして気づきや是正に時間を要することは否めません。

有力な第三者の助力の有無や個々が抱える押さえ蓋の重さによって成果が大きく左右される。この現実は認知行動アプローチやそれを自助的に行うことへの限界を如実に物語っています。内観によって心のプログラムを変えるのはよほどの鉄の意志を持たない限り不可能ということです。有名な禅の修行によってでも10年以上は掛かる厳しいアプローチです。悟りの世界ですね。これでは健常人が行動を高めるためにある程度即効を期待する取組みとしては難があります。

ショートソモサン⑤:ヒプノシスアプローチの系譜

さあ困りました。何か良い手ははないのでしょうか。こういった研究から生み出されたのが、まず潜在意識の手前で抵抗するプロテクター的なフィルターを通過できるような状態を作り出し、プロテクターを解除、無効化させることから潜在意識を書き換えるというアプローチです。その文脈でヒプノシス・アプローチは生み出されました。

ヒプノシス・アプローチは19世紀にジェイムス・ブレイド博士によって体系づけられました。そして1950年代後半にアメリカ医師会が大学の医学部でヒプノシスの指導を行うことを認可したという経緯があります。今日では日本でも厚生労働省から保険適用が認可されましたが、その話は先週しましたので割愛させて頂きます。

ヒプノシスは日本では「催眠」という言葉が当て嵌められています。眠るわけではないのに催眠です。現実的には、催眠とはリラックス状態を作り出すということです。それはちょうど寝覚めのボーとしたようなスキッとしたような半分半分の状態と酷似しています。覚醒していて周りの状況は分かるが、究極のリラックス状態にいて高いポジティブ状態にいるといった心理状態です。人はこういった朝の寝覚めのようなリラックス状態の時に非常に注意が集中した状態になります。皆さんの中でも朝起きた時に一番仕事が捗るといった経験をした人がいるかもしれません。最近耳にするゾーンの状態などもこの一種といえます。

実はこの時人の心は最も変化が伝わりやすい心境になっています。この状態を利用して心の偏りやネガティブさを修正するのがヒプノシス・アプローチです。ヒプノシス・アプローチは意図的にこういった心理状態を作り出して、心のガードを下げてから認知の書き換えを行う技法です。

自己暗示アプローチは「認知行動アプローチ」を基軸にしながら、そこにプロテクター外しは行わないで自己暗示を組み込んだテクニックでしたが、ヒプノシス・アプローチは事前に抵抗となるプロテクターを外すアプローチです。

ではどうすればプロテクターは外せるのでしょうか。

ヒプノシスの鍵はリラックスといわれていますが、その本質は「集中」にあります。「リラックスした集中」。なんじゃそりゃあ?・・・の世界です。これは瞑想を行った方であれば誰しもが経験されることなのですが、背筋を正して血流を整えてから目を瞑るか半目にして呼吸を深く一定にしながら耳に意識を集中させると様々な音や声が耳に飛び込んできます。その音に身を任せていると非常に気持ち良い心地になってきます。これがリラックスした集中の状況です。まあ「雑念」が払われた状況といっても良いでしょう。

禅の僧侶である川野氏の「ズボラ瞑想」には気楽に「リラックスした集中」の境地になれるテクニックが沢山書いてありますので、自分に合った方法を身に付けるのも手です。こういったヒプノシスのアプローチを「自己催眠」と書いている人もいらっしゃいます。

こういった心理状況になると人は頭が空白状態になって判断のような思考が停止してニュートラルになります。トランス意識に近い状態です。この状態を意図的に誘うのがヒプノシスのテクニックです。

ショートソモサン⑥:モメンタムを発動させる「疑似対話法」を使ってみよう

ヒプノシスの誘導テクニックは様々です。これから幾つか徐々にご紹介させて頂くつもりですが、こういったアプローチを行なって、心をプロテクターなしのニュートラル状態に置いた後に蓋となっている認知や想念を修正したり書き換えるアプローチが暗示法になります。そしてこの技法をモメンタムアップのように健常な方々が簡単に取り組めるようにアレンジしたアプローチが、セルフ・ヒプノシス・アプローチになります。

ところで、このセルフ・ヒプノシス・アプローチで「モメンタムが発動し易くなる」ためにも「モメンタムを発動する」ためにも効果を発揮する一挙両得な方法として「擬似対話法」と言うのがあります。これは「擬態対話法」とも称しますが、今回はまずこのアプローチをご紹介させて頂きます。セルフ・ヒプノシス・アプローチは非常に長文なご紹介になりますので、次回最初からじっくりとお話しさせて頂きたいと考えております。何卒ご理解頂けますと幸いです。

「擬似対話法」とは人以外と対話することから、自分を第三者的に捉えて気づきを高めたり、気持ちを盛り上げるアプローチです。自分を自分以外に投影するので「擬態対話」とも称する次第です。擬似存在は動物のような存在の場合もありますし、造形物の場合もあります。最も有効なのは擬人化された人形(フィギュア)です。

動物は主にペットですが、実は犬のようなペットはモメンタムを発動させる場合には有効ですが、モメンタムを発動しやすくする対話には不向きとされています(まあ個人差はありますが)。何故ならば犬は存在的に犬自体が表情豊かで、対話としては自己投影がし辛いからです。擬態を使っての自己との対話はできる限り無表情の方が有効です。皆さんも能面の凄さは見方によって表情が千変万化するからであるということはご存知だと思います。

犬は自分の支配心は満たしてくれますが、存在を通して自分を見つけるには犬自体の反応がそれを曇らしてしまう恐れがあります。ですから対話が成り立ち難くなるのです。それに比べて猫などは無表情に近く、対話において自己の気持ちや考えが擬似として反映され易い存在です。自分が不機嫌であれば猫も不機嫌に写り、自分が高揚していれば同じように高揚的に映りがちになります。特に無意識での本音が投影されやすくなります。一方犬は。もうお分かりになるでしょう。

フィギュアは簡単です。自分が好きな感情移入しやすい置き物を用意します。机の上にでも飾っておくと良いでしょう。そして時々それと対話するわけです。楽しい時やイライラする時。頭に来た時ややる気が出ない時。そのフィギュアと話してみます。出来れば声に出した方が効果的です。そうすると自分の内面の声がペットやフィギュアを通して応えを返してくれます。声に出すと声が一旦外に出て自分の耳を介して戻ってきます。その声と対話することから心が安定してきます。自己催眠、セルフ・ヒプノシスの一つのバリエーションといえます。

自分で自分に問いかけるとき。自分で自分を盛り上げる時。こういった擬似対話を使うのは非常に有効になります。

私は親しい友人には自分がイメージしたフィギュアを一体差し上げることにしています。猫のようなフィギュアの場合もあれば、アニメのキャラクターの場合もあります。一番良いのは自分が感情移入できる対象です。因みに私の机には「大魔神」が鎮座しています。「夏目友人帳」のニャンコ先生もいますが。

次回は具体的なプログラムとして「セルフ・ヒプノシス・アプローチ」をご紹介させていただきます。

それでは皆さん、次回も何卒よろしくお願い申しあげます。

さて皆さんは「ソモサン」?