• 新年を機に意識も新たに思想(主義)や思考の典型を点検し、見直してみましょう ~ソモサン第173回~

新年を機に意識も新たに思想(主義)や思考の典型を点検し、見直してみましょう ~ソモサン第173回~

皆さん、新年明けましておめでとうございます。

2022年最初のブログをしたためさせて頂きます。今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は長引くコロナ禍によって様々な問題解決が妨げられた年でした。今年はそれらを纏めて処置して飛躍して行ければ幸いに思います。

そこで本年最初のテーマは問題解決への道筋について論じてみたいと考える次第です。

問題解決に関しての書籍を上梓させて頂いてもう5年ほどになります。以来コンサルタントは実践家であるべきと胸に刻み、読み物はブログに集中させて、フィールドワークを最重点に活動してきたのですが、今年はこの5年間に積み上げてきた新たなる知見を、改めて書籍に纏めてみたいということを新年の誓いとした元旦でした。

 

ショートソモサン①:自分直面している問題はどのタイプか?

その最初の書籍「問題解決のセンスを磨く本」ですが、そのメインメッセージが

「問題にはタイプ的な類型があり、タイプ毎にアプローチしないと解決には至らない」

というものでした。

・例えば原因追求していけば必ず正解が存在する問題や過去のパターンに照らし合わせて、近似的な解答を見出せば一定の問題解決に導ける問題がある

・一方、いくら原因追求しても正解はなく、それどころか様々な要因が絡み合っていて一つの解答に手を打てば、連鎖して別のところに問題が発生するタイプもあれば、

・そもそもこれまでとは異なった創意的な解答を必要とし、過去の解答が返って呪縛的に作用する問題もあるといったことも多々存在するといった按配です。

私の実感としては寧ろ分析的にアプローチして狭量的な正解や近似解は見出せたとしても、それが分かったといって解決策には結びつかないといったケースが圧倒的だと捉えています。にも関わらず日本人の中にには必ず正解があるとばかりに分析的アプローチに拘泥する人が多く、それが複雑系を極める問題に直面するビジネス界において低迷の起因になっているのはもどかしい限りです。

では何故日本人はこのようにワンパターンの問題解決アプローチに捉われるのでしょうか。一言でいえば戦後の教育弊害、特に理系崇拝的な自然科学思考の偏重的な影響が強いと考えられます。その典型が受験を中心とした評価への信奉といえますが、これこそが問題解決の複雑系の象徴であって、原因が分かっているからといって簡単に解決が出来ていない好例といえるのでないでしょうか。

このような社会、特にビジネス界で大勢を占める複雑系の問題への対応ですが、はっきりいって分析的なアプローチでは殆どの場合原因究明はできても解決策には辿り着けないのが現実といえます。因みに分析的アプローチを支える背骨となるのが「論理的思考」いわゆるロジカルシンクです。一時期ロジカルシンクがブームになりましたが、こうして改めて考えると、いくら論理的思考の訓練をしても巷で問題解決が為されずに色んなことが先送りになっているのも、「さもありなん」と言ったところでしょうか。その為か、その巷の溢れかえる教則本は、皆分析本や原因究明本ばかりの状態で、効果的な解決に向けての指南書はほとんど皆無と言っても差し支えのないところです。著名な学者やコンサルタント会社などの書籍ですらが同様の在りようです。要はビジネス上で発生する諸問題の多くは分析による原因究明型でのアプローチでは、それこそ論理的に辿っても解決策に繋がらないからです。

 

ショートソモサン②:問題解決に欠かせないステップとは? 2つの思考方法

ではどうすれば解決策の段階に問題は辿り着けるのでしょうか。

問題解決を捉える際に、実務としてはお約束のようなステップがあります。それは、

①問題発見

②問題共有

③原因訴求

④解決策

というものですが、この中に大きなヒントが隠されています。それは二番目の「問題共有」です。現場では問題解決は、この問題共有がしっかりできた時にほぼ70%は解決が為されているなどと言いますが、これは面白い指摘です。原因訴求、つまり分析が為されていないにも関わらず、共有によって70%もの解決が為されるとは一体どういうことでしょうか。

ここで少し問題解決の一端を担う基本概念である分析主義について言及してみたいと思います。分析主義とは、論理実証主義を背景とする思考の論理的明晰化をはかる考え方で、要素還元主義と対を為しています。要素還元主義は「複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、論理的に因果として繋がりを持つ元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方」です。特に現代の文脈で使われる実証主義は、自然科学その他で取り上げられる、科学探究に対する態度の一つとなっています。この場合、実証主義は「一般法則は観察と論理によってのみ正当化される」と主張します。

今日の科学(再現性と普遍性を保証する学際)、特に自然科学の分野ではこの分析主義の基づいた論理展開が最も合理的妥当的な場合が多く、思考の典型として捉えられているのが一般的です。それ故に誰しもが問題解決においては分析主義が常識と捉え、本質を考えず、流れのままに一時が万事にこの考え方を適用しようとしているようです。

しかし最近ではその自然科学の分野ですら量子論の登場により要素還元的な論理が証明できない事態に陥っており、何でもかんでも分析主義が適用できるわけではないということが課題になってきている現状があります。

このことは元より分析主義に対する疑問として定義されていたことでもあります。「実証は観察と論理によりますから主に帰納法がとられますが、その場合帰納法の使用に基づく実証そのものの正当性はいかにして正当化されるのか」という根本的な疑問です。「全ての正当化が帰納法によってのみ行われうる」という法則もまた一つの一般法則です。するとこの一般法則もまた実証によってのみ正当化されねばなりません。ここで、実証は帰納法に基づくから、一般法則もまた帰納法で証明される必要があります。

ところが、帰納法の広い正当性をより狭い帰納法で証明することは基本的に論理的でなく、帰納法は基礎において厳密な論理的根拠がないということになります。この事情から、帰納によってのみ実証するという意味での実証主義は、科学分野の基礎としては欠落があるということです。また、帰納法そのものは「自然の斉一性(自然界で起きる出来事は全くデタラメに生起するわけではなく、何らかの秩序があり、同じような条件のもとでは、同じ現象がくりかえされるはずである)」すなわち「他の要因がない限り、事象は今まで通り動いていく」に基づいています。

これもまた、実証されるべき一般法則ですが、当然ながらこれを実証することは不可能だということです。何か禅問答のようですが、重要なことは、分析主義は日常使い勝手が良いので多用しているが、完璧な存在ではなく、分析主義に傾倒していれば何でも問題解決が出来るというわけではない、ということです。実に単純な論理です。

このことは問題解決には分析主義以外の主義も活用する必要があるということを指し示しています。

世の中には分析主義に対応する考え方として構造主義または構成主義という考え方があります。構造主義とは、構造を構成する要素間の関係性を主体として物事を捉える考え方です。構造主義における要素は、構造やその変化を理解するために必要十分な要素を指し、構造の変化に伴って変化してしまうような要素の理解は必要とはしません。一般的には、問題対象を構成要素に分解して、その要素間の関係を整理統合することでその対象を理解しようとする考え方です。従って、原則として要素還元主義を否定しており、あくまでも関係論的構造理解を中心に考えます。

そこでは、まず構造は一挙に一つの要素が他のすべての要素との関係において初めて相互依存的に決定されるものとして与えられると考えます。このような構造の理解においては、構造を構成する要素は、原則として構造を離れた独立性を持たない存在になります。問題の要素を要素中心ではなく、要素間の関係性、それも全体としての有機的な一部として捉えるアプローチになります。これは現代では数学の群論やシステム思考の背骨としても重視されているものの見方考え方です。

こうして構成主義としてのアプローチにおいては、問題解決における問題を、分析して訴求した要素個々ではなく、問題に関わりそうな要素の集合体として捉え、必要以上の「なぜなぜ?」や原因追求といった論理思考に無駄時間を費やすのではなく、問題を全体的な有機的システムとして再調整したり、アブダクション(仮説形成、仮説的推論)的に思考することで解決策を導き出していきます。

こういった思考に最も適した思考法としてレヴィ=ストロースは、実践的な解決を導き出す自然界の中で使われている野生のような思考法として「ブリコラージュ思考」を提唱したのです。

実際私たちがコンサルティングのフィールドで解決的局面において役立っている思考は、論理思考法以上にブリコラージュ思考であることは間違いない事実です。

問題解決における問題共有は論理思考における分析の過程よりもブリコラージュ思考における問題のシステム化の過程で為されているのが殆どと言えます。その最たる場がブレインストーミングやオフサイトミーティングなどにおける究明まではされていなくても、多角的な観点からの問題に関与されていると思われる要素の洗い出しと共有です。何が何に絡んでお互いにどう影響し合って、それがどういう形で表れているか。こういった問題の俯瞰した相互理解が問題解決の70%の解決に繋がっているのは間違いありません。それは単独で要素を根本探究して(したつもりになってはいるが、穴がボロボロで)論理的(と思い込んだ)解決策と主張しても結局動きが起きない各組織の実態と比する限り、あまりのお粗末さに嘆息するところです。

集団によるブリコラージュ思考での解決策の想起は、思考の局面だけではなく、同時に参画による行動的な喚起も生み出しているという事実もあります。

新春を機に組織や仕事の問題解決を一気に行おうとする読者の皆さん。いい加減論理思考という偏った概念から脱却して、そこにブリコラージュ思考を噛み合わせてご覧になっては如何でしょうか。

次回は組織開発の本質とブリコラージュ思考についてご案内していきたいと考えています。

皆さん、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?