人智を越える出来事に向かい合うことの大切さを考える

~世の中には分からないものが沢山ある

皆さん、こんにちは。

最近つくづく日本人の国語力の低下によるコミュニケーション弊害に悩まされますが、こう云った中にも無知から来るアンコンシャス・バイアスが潜んでいます。例えば宗教という語彙です。宗教という語彙の本来の意味は「人智を越える営みとその教え」です。従ってそれは英語におけるスピリチュアルと同義になります。

決して特定の人の思想のようなモノではありません。日本における○○宗の如くといった存在は、正確には宗派宗教と云います。宗教の正しい解釈は、人の内面を探求する哲学による、人の持つ真理に対峙し普遍的に人に影響する絶対的な自然の真理といったところです。

また宗教は良く科学と対比されますが、科学の本質が可能な限りの分析によって得られる要素の解明であり、その使命がそれを活用した合理的な還元による運用であるとすれば、宗教のそれは社会構成的に間違いなく実存はしているが、人力的限界や複雑性によって十分には解明し切れない要素の認容とその効能的な運用と云えます。実際に世の中にはまだまだ未知なもの解明できていない不可思議なものが一杯あります。

 

私も若かりし頃は科学者の端くれとして理学を探究する道にいましたが、中途半端にしか科学を知らない者ほど道を狭い知見で判断し、それこそアンコンシャス・バイアスによって否定する姿を非常に愚かに視ていました。断定するわけではありませんが、工学系の連中に結構多かったように思います。

文系に至っては理学系と工学系の違いがよく分かっていないようですが、理学部が自然の真理を探求するのが主な目的だとすれば、工学は既に解明された科学を応用するのが主な目的で、どうも未知に対して浅はかな見解を口にする者が多いように個人的な主観を持っています。

いずれにしても、かつて自分が在籍する大学の教授が未知に対して何でも「あり得ない」とか「そのようなものはない」と断言するのを、東大の名誉教授が「科学者というものは未知に対してはないではなく、分からないと云うべきだ」と戒めていたのをみて非常に情けなく思い、ここでは理学は探求できないと法学に転向したことを思い起こします。

その様な宗教にも関わる未知の体験を人生の中では幾度が経験します。今回は先週体験したちょっとした話を。

~不思議な体験

水曜日の午後、私は大阪に向かうべく品川駅の新幹線ホームに佇んでいました。その時私の前を歩いていた人から何かがボロっと落ちた気がしたのです。誰も気付いていないようですが、私の目には確かに何かが映りました。ふと目を落とすとそこにはチケットが1枚。あっ落とされたんだと、今度は通り過ぎた人の方を視たのですが、一瞬だったのにもう見失ってしまいました。

「あれあれ」とまた下を視たのですが今度はチケットがありません。「あれ気のせいだったのかな」と思いその場はそれで過ぎ去ったのですが、どうもその光景が頭に焼き付いたままなのです。「何故だろう」そう思いながらその日は大阪に向かいました。

そうして木曜日に東京に戻りそのまま今度は仙台に向かいました。そして夕方、仙台からの帰り仙台駅にて同僚にチケットを買って貰い、そのまま発車時刻までお客さんと食事をすることになりました。不可思議なことが起き始めたのはその後です。まずお客さんの一人が席を取りに先にお店に向かいました。

その際もう一人の人が私たちをエスコートすべく付き添ったのですが、私たちが4人もいてその中心で歩いていたにも関わらず、いきなり消え失せたのです。驚いて私たちは彼を捜すのですが周りの何処にもいません。結局先に店に行ったのですが、遅れて彼からきた電話で彼はちょうど見失った場所にまだいるというのです。「えー」と店で4人は声を上げたのですが、本当に忽然と彼は消えたのです。まさに品川の時の人を一瞬に見失ったように。

さて本題はここからです。彼を見失ってから仕方がないので店に先に向かうことにしたわけですが、先に窓口でチケットを買った同僚が「実は第一子が出来ました」とまことに目出度い報告をしてきて、「それはおめでとう」と握手をした直後、胸に手を当てて「チケットがない」と言い出したのです。身体中や鞄やら全てを探すのですが、結局見つからなかったのです。

特徴的なのは、彼も私も通常はネット予約をしてチケットレスをするのですが、その時初めて彼に二人分のチケットを直購入する依頼をし、その場で私は2枚の内1枚を受け取っているのです。そして彼が残り1枚と領収書を胸ポケットに入れるのを視ているのです。それが忽然と消えたのです。因みに私は人生で一度もチケットを落としたことはありません(こういう時にJRがいかに冷たいか、また官僚的かも知っていますので非常に用心深くしています)。そして間近で人がチケットをなくしたのを見るのも記憶の中に残っていません。この日の彼は、嬉しいのか悲しいのか分からない夕べでした。

しかし私的にはどうも引っかかりが残ります。品川で起きた事象は何だったのか。それが何故いつもとは違い心に残ったのか。見間違いだったかも知れません。また一連の出来事は繋がっていたのかも、これは人によってはこじつけに聞こえるかも知れません。でも私的には何か人智を越える事象はやはり至る所にあり、期せずして触れることがある。

今回の品川の一件は何らかの事前のサインで、私的にはそこに何かを感じながら、予告のように感じながら自分自身には注意を喚起させていたのですが、それが喜びの余りちょっと気が抜けた同僚に向けて影響したのではないか。ちょうど夕刻で日没直後。お客さんに「日が暮れるのが早いですね」といった直後の時間です。まさに魔が入ったのではないかなどと思ってしまう瞬間だったわけです。

虫の知らせという言葉があります。世の中にはどうも釈然としないことがあります。人間の拙い科学を盲信し、学歴とは科学とばかりの見栄を張り、そうして愚かにもバイアスを振りかざして「非科学的だ」とか「そんなのは気の迷いだ、勘違いだ」と決めつけず、真の知的な姿勢として「分からないものは分からない」と謙虚に学習成長して行きたいものです。人生は死ぬまで修業だと最近つくづく思います。

 

今週弊社は身の丈にあった大きさの事務所に引っ越しをしようと準備の最中です。出来るだけ効率的に、飯屋がたくさんある渋谷駅に近い方へ移動します。そのためバタバタしていて落ち着いて思考する暇もありません。

ということで今回は閑話休題的な内容をお送りさせて頂きました。

さて皆さんは「ソモサン?」。

JoyBiz 恩田 勲

 

弊社のこれからの主力プログラム足る「アンコンシャス・バイアス・トリートメント」をリリースしたことは先週お話させて頂きましたが、それに伴い来年1月後半を目処にプレゼンテーション・セミナーの開催を企画しています。半日で場所は横須賀手前の屏風ヶ浦にある「林香寺」を予定しています。若手のコンサルタントによる初めての開催になります。

決定しましたら、詳しくお知らせしたいと思います。何卒よろしくお願い申しあげます。