「真の頭の良さということを考察する」

皆さん、こんにちは。

~頭が悪いということの意味~

私は良く「頭の良し悪し」をお題にコラムを書きますが、その時々で私なりに「頭とは何か」についての定義を述べて来ました。日本では頭の悪い人のことを通常「馬鹿」と表現しますが、馬鹿と云うのは借字であって、何故馬鹿と表現するのかを示す明確な出所は分からないようです。ただ信憑性が高いのは仏教において無知を意味する梵語から転じたという説です。こちらのバカは「莫迦」と書くことが多いようです。

私が経営者の講演会などに呼ばれるときには、老害対策の一環として良く「馬鹿」とはどう云った存在かといった内容をテーマにすることもあり、その際には「馬は目が横にあって、周囲の情報が一遍に入ってきて頭がそれを処理出来ずにパニックになる。だから気が散らないように目隠しをする必要がある。また鹿は常に森の中にいて狭い情報しかない中で行動をしている。一見両極だがどちらも性質上情報処理が雑で稚拙になり的確な判断が出来ない存在である。だから頭が覚束ないことを馬鹿と称するのだ」と説明しています。

ともあれ、馬鹿、即ち頭が悪いという事の意味は多様です。愚かであったり、社会常識に欠けているであったり、知能が劣っているであったり役立たずであったり、と大凡人の左脳の働きに関する殆どの面を含んでいるようです。その中でも特に私が重視する切り口が、ジョージ・サヴィルが定義した「内部に対話を持たない人」という視点です。要は頭が悪いと云うことの真理は、論理的処理力の早さといった側面よりも「思慮分別が足りない」とか「理解が浅はかである」といった自己観察力の低さがもたらす思考力の脆弱さであるといった捉え方です。

私的には内観力の弱さ、心理学的には「メタ認知力」の弱さということになります。これが弱い人はともかく視点や視座が低く視野狭窄な人が圧倒的です。所謂ステレオタイプという人で、決めつけが強かったり、偏った思考に囚われたりして前例踏襲にこだわります。何よりも主体的な思考が出来ませんから無責任な行動を取りますし、人の気持ちが分かりません。感受性欠落人間の真骨頂といった風情です。

こういった人の多くは、非常に低い自尊観の保持者です。自尊観が低いとは一般的には劣等感が強いとも表されます。心の基調がネガティブで人に対しては悪意的にしか発想が起きませんから、常に自己防衛的に思考し全てが自分中心に反応します。正常性バイアスが衣服を纏った存在といったところです。ですから当然内観なんて出来るはずもありません。内観すればまずます自分にネガティブになり、惨めになると思っていますから怖くて出来るわけがないのです。

 

~内観が持つ働きとは~

さて、では内観とは一体どういう活動を云うのでしょうか。内観とは「自分を見つめる」という意味です。これには2つの活動があります。一つは「一旦受け止める」と思考する活動です。これを行うには「先ずは相手側或いは外側の立場に立ってみる」という前提が必要になります。自分を客観視すると同時に相手に共感してみることから、これまでとは違った視点や思考を自分に取り入れ、自分の枠組みを広げて行きます。

そしてもう一つが「自分がその立場だったらどうだろう」と思考する活動です。自分の主観や今の立場、拘りとか自己概念の枠組みに拘泥しないで、もしも自分がそこにいたら、という当事者意識を持って物事を思考することから自分の枠組みを広げていくわけです。こういった多様性のある柔軟な思考をシステム思考と表している人達もいます。
私は真に頭が良い人とは、世の中で役に立つ人、世の中で他者に影響が出来る人を指すと考えています。それは直線的な論理力を持って分析的に処理思考できる人ではなく、物事をシステム的に捉え、状況に応じて未来を有意義な形に創造できる人だと考えます。勿論人の役に立つと云うことは、思考する情報源に人という、それも人の心というインデックスが入っていなければ意味がありません。

ということは、どちらの活動にしてもこれを行うには人を情報として感知する上での感受性が備わっていなければ話が始まりません。実際内観が出来ない人は大凡感受性が欠落している傾向にあり、これらはセットの存在と云えます。

頭が悪い人は、人の気持ちが分からない。多くは劣等感や気の弱さ或いは心の古傷に由来した自己保身の思考にしか働かないから自分を客観視できない。だから何時まで経っても自分の芯が分からず、人を視るメガネを見いだせない。そうして大人子供で偏った人材となる。当然感受性などが働くわけもない。人の心に関する情報が入ってこないし、そこの真意が分からないから人と上手く関係が取れない。ますますコンプレックスに拍車が掛かる。まさに悪循環です。

こういった人間が大勢となってその状態に疑問が湧かない空気が日常となる。それが学歴社会を生み、歪んだ挫折社会を生み出す。またおかしな特権意識を生んだり、大企業病が蔓延したりする温床となる。

「頭が良い」を履き違えた社会の末路は悲劇しかありません。もう一度真の頭が良いということをリ・ボーンさせることが企業活性の早道だと思えるのです。

人の頭は一体何のために発達してきたのでしょうか。人との関係が生産的に出来なくては影響力も発揮できません。

 

さて皆さんは「ソモサン?」。