『バカ』からの脱却はモメンタム啓発から ~ソモサン第216回~

ショートソモサン①:「バカ」って思考力が劣る人?

皆さんおはようございます。

先週「馬鹿」という世界観についてコメントさせて頂きました。これまで私は「バカ」を何故「馬鹿」と書くのかに関して、「馬は真っ直ぐに走るように調教され、周りが見えない。また鹿は森の中にいて常に藪に絡まれて外の世界を知らない。どちらにしても情報が限定的で狭い思考や判断しか出来ないから」と解釈し説明してきました。これまでの私は「バカ」の前提を「無知」に起因を置いて、「バカ」という世界には一定の不可抗力、「致し方ない面」があると見ていたからです。ですから「バカ」は知識や知力を鍛えれば改善される課題であると捉えていました。

しかしこれが「認知力」に基づく課題となってきますと、話はかなり自己責任による努力の問題という要素が大きくなってきます。なぜならば、

「認知力」=「自分が無知である」「自分は思考力が劣っている」ということを「自覚」する力

であり、それは「知力」というよりも「内観力」の問題になってくるからです。

「内観」とは自分をきちんと見つめて「あるがままの自分」に気付くことです。これには無意識においてのポジティブ意識(プラス感情、ポジティブ思考)が大きく関わってきます。自分を俯瞰して無垢に自分を受け入れるには、まず何よりも現実をゆがめてしまう「自己防衛」を排除できなければなりません。自己防衛は「劣等感」や「ネガティブ意識」から生み出されます。人は誰しも「ポジティブでありたい」という願望がありますから、ネガティブな自分を受容したくありません。そのため、それを受け入れなければならない局面になると、人は無意識に「自己防衛」を働かせて「自己正当化」しようと欲求反応します。

ここに「バカは何故バカなのか」に対する真理があります。「バカは自分をバカと認めたくないから成長しない」ということです。つまり人が「バカの世界」から脱却するに最も必要なのは、「自分自身の心構えをポジティブにすることから、現実や真実を受け止め、受け入れること」「例えそれが自分にとって厳しいことであっても、面と向かうこと」なのです。

厳しいとネガティブは違います。厳しいにポジティブもネガティブもありません。それをどう認知するかで厳しいの価値が決まってくるわけです。「厳しい」はポジティブな人にとっては「成長の糧」ですが、ネガティブな人にとっては「苦行」になってきます。当然前者は一つ一つ壁を超えることから徐々に極みを高めて、それが自他ともにポジティブを促進させていくという、まさにポジティブループに入ってきますが、後者の人はそれが全く逆の力として作用していくことになります。

ショートソモサン②:お互いを高め(?)あう「バカ」と「ネガティブ」

そう「バカ」、「頭が悪い」と「頭が良い」の違いは知力の前にその人の心構えが「ポジティブorネガティブ」の違いによって方向付けられているわけです。そしてそれが経年でどんどんと差となっていくのです。要は心掛けこそが端緒なのです。

それにしても「頭の悪い人」は本当に偏った情報で物事を眺め判断します。良くあるのが「一方からの情報で物事を決めつける」というパターンです。「片方からネガティブな情報を入手した際、必ずもう一方からの情報を掛け合わせて論理的に判断する」のは常識です。ところがうんざりする位に巷では「片方や一部の情報に肩入れして思い込みを作り、断定的に判断して行動する」人が後を立ちません。ましてその情報源に権威力がある場合(専門性や地位性、関係性)、疑いもせずに反応します。そしてそういう人ほど、一旦意思決定するとその判断に拘って、自己正当化してその判断を推し進めようとして自他ともに傷を深めていきます。自己正当化。そうネガティブ意識による思考低下の骨頂です。

「バカ」と「ネガティブ」は相思相愛の関係です。バカがネガティブの制御を怠らせ、ネガティブがバカの動きを促進します。

私は高齢の認知障害者の方が「執拗にお金に拘ったり、食に固執して周りを振り回す」という例をたくさん伺います。認知力が低下するということは本性が剥き出し出しになってくるということです。人が素になるとどうなるのでしょう。間違いないのは「自己保身」という「本性」が剥き出しになり、利己心が露わになってきます。共存しようとする人間社会においてはネガティブと捉えられる意識が前面に出てくるのです。

人間年を取ると何よりも認知力が衰えてきます。自分がネガティブになっているか否か、バカになってきているか否かは一つの判断基準だと思っています。私は

「精緻で多角的な情報を可能な限り当たった上でそれを軸に論理的にバランスもって物事を捉え、客観的かつ合理的に判断ができるかをどれくらい内観できるか」

が、老いての最も重要なタスクと考えています。それが叶わなくなった時が潮時です。バカになっては、ネガティブになっては、リーダーは務まりません。

少なくともそういう時にそれを支えてくれるのがパートナーであり、大番頭であるのは間違いのないところです。若いうちにそういった人財を得られるかどうかは運です。但し運は努力で間口を広げられるのも確かです。諦めては何も進みません。

ショートソモサン③:ポジティブの入り口はモメンタム

さて本題に戻りましょう。「頭の良し悪し」と「意識のポジネガ」「気持ちの+-」は相関するという話です。頭の良い人は物事を客観的にバランス良く俯瞰して論理的に情報を組み立てて合理的に判断します。権威や関係といった曖昧な要素に惑わされず物事を捉えますし、エビデンスを軸に事実情報を考察していきます。そして自分の癖を内観しながら主観や思い込み、決めつけを排してクリティカルに思考判断していきます。

こういった進め方をするにはまず自らの心情を安定させるために、ネガティブな思考やマイナスの感情が自己統制しておく必要があります。人は元々生理的にポジティブな性質の人がいます。またこれはかなり大きな要因となりますが、幼少からの原体験や環境的な教育によってポジティブな性格もいます。でも多くの人は自然社会の中で生き抜くために「自己保存」の本能が備わっており、やや「ネガティブ」に振れた心性を持っています。また特に日本人は集団主義社会の中で忖度のような「自分を押し殺す」心理が働き、グローバル的には更にネガティブな心性を持った属性があります。

ですから欧米人のようにいきなり「ハーイ」とか「イエーイ」といったポジティブな心持ちや態度にはなれません。でもネガティブやマイナスを統制するにはポジティブな思考やプラスの感情が必須になります。

少なくともそれこそネガティブを煽ることを飯の種にしている情けない一部のマスコミやこびり付いた劣等感や妬み嫉みから人を攻撃、粗探しするSNSの歪んだ輩に巻き込まれないようにするための護身術として、自分をポジティブにしておくことは大事です。。

ではその方法論は?それはポジティブ思考を開発することです。そうバカからの脱却の一歩は「ポジティブ思考への思考転換」です。そしてそれを生み出すのが「モメンタム」の啓発です。

今回はモメンタムのエネルギーの開発についてコメントする予定でしたが、紙面が大分一杯になりましたので、それは次回に繰延べたいと思います。

~アニメオタクの著者がおすすめする「モメンタムがわかるアニメ」ご紹介~

ただこのポジティブ世界やモメンタムについて、まさにそれが全てですねというドラマがあります。それは「宇宙兄弟」というアニメです。このアニメを見ていると驚くほどネガティブ世界が出てこないのに驚かされます。物事の捉え方、進め方が全てポジティブなのです。確かに実際に宇宙に挑戦するにあたって、命を賭する試みで仲間を信じていない状態など論外です。私は宇宙物理学を志していた関係上、若くから宇宙ものには目がなかったのですが、本当に宇宙を目指す世界の人たちは頭が良いのは当たり前としてとてもポジティブな人たちばかりです。頭が良いのはポジティブが前提であり、ポジティブこそが頭の良さの原動力であることをこれでもかと示されるのが「宇宙への挑戦」の世界です。最先端の頭を持つ人たちがポジティブにチームで宇宙を目指す姿。モメンタムの真骨頂の世界です。「宇宙兄弟」は子供の情操にも最高です。現在はNetflixで見放題です。興味のある方は是非見てみて頂けますと幸いです。私が描くモメンタムの全てが描かれています。

では次回はお約束通りに「モメンタム」におけるエネルギー的な活性に関してご紹介していきたいと考えています。

次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?