頭が悪いということは?~ソモサン第215回~

ショートソモサン①:改めて考えてみる「頭がいい」の意味。

皆さんおはようございます。

今NHKで「鎌倉殿の13人」という大河ドラマをやっていますが、終わりに近づくに従ってクローズアップされてきた人物に「北条泰時」という人がいます。知る人ぞ知る第三代執権ですが、彼が作った「御成敗式目」がその後の日本の武士社会と云うか日本社会の礎を作ったということはあまり知られていないようです。この御成敗式目は、公家のような官僚ではなく、武士と云う豪の人たちが制定した「法」ということで世界的にも珍しい事例になっています。

最近ある専門家が、このことを取り上げて、日本が長らく官僚的な社会特有な学才重視の社会ではなく、運動が優れたものが幅を利かせる社会になった原因はここにある、という主張を耳にして、何となく腑に落ちるところがありました。

世界的に見ると、その社会における地位の在り方は腕力のような暴力ではなく、知力であるのは間違いないところです。腕力を第一義にしている社会は裏社会であり、国を挙げての文化としてそれを尊ぶ先進国は稀有と云えます。

しかし皆さんも同感するかもしれませんが、日本では知力に勝る人の方を「青ひょうたん」とか「うらなり」とかいってバカにして、腕力ある人材を上に見る傾向があります。「腕白でもいい、逞しく育ってほしい」という某ソーセージメーカーの宣伝を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

その専門家はこの風潮は武士が法を作ったところに起因するといっているわけです。このある意味「ある程度バカでも良いからそれよりも腕力を鍛えろ」的な考えが、その後の日本において問題解決力よりも対人関係力を重視する文化、さほど頭を使わなくても物事を取りなしていこうとする文化を助長したのではないかという面は、私的には一目置くところがあります。

ともかく深く考えられない、先を見れない、多面的に見れない、「なあなあ」でことを済ませる、難しいことから逃げる、などなどの風潮がグローバル時代に徐々に国際的劣位を生み出し始めています。

多勢に無勢と云う言葉があります。「赤信号、皆で渡れば怖くない」などと云った歪んだ標語もあります。以前日本の知性と称された大宅壮一郎氏が「一億総白痴化」などという悪口を云ったこともありました。ともかく日本人は集団的総意の下で「真剣に頭を使うということ」を低レベルで良しとする文化に仕立て上げたように私は感じています。

昨今公で「バカ」とか「アホ」というと牽制されるのですが、実際に「もっと頭を使えよ」といった人を多く目にします。すごい話ですが、コンサルタントと云う頭脳が商品の事業において、そこに属する人が「(論理的なソリューション構築をしている場面に対して)あの人は(話を難しくして)捏ねくるからな」と揶揄している場面に遭遇したことがあります。そして顧客の問題解決よりも社内の人間関係(政治的な)に執心している人が割拠している状況に巻き込まれたことがあります。果てはその揶揄した人がコンサルタント会社の社長に上がって行くという笑えない現実を目の当たりにするにおいて(当然その会社は徐々に業績的に縮小基調になっています)、一体世の中の基準とは何だろうか、もしもその社長に上がっていった人材を「頭が良い」と見るならば、頭の良さとは一体何だろうかと頭をひねったことがありました。果たして皆さん、「頭が良い」とか「悪い」の基準とはどう捉えればいいのでしょうか。

ショートソモサン②:バカはバカであるがゆえに「自分がバカである」ことを知ることができない?

そんな折、非常にユニークな本に出合いましたので今回はそれをご紹介したいと思います。その書名は『バカと無知―人間、この不都合な生きもの』(新潮新書)と云います。

この中で以下の様な事例が紹介されます。

(以下引用)

「つまようじから木の匂いがする」というクレームが来た、というメーカーの話が話題になった。「木材なので木の匂いが若干するのは仕方ない」旨の回答をしたところ、どうやら顧客は納得したとのことだった。

この事例を著者は最近では口はばかられる実にストレートな言いまわして喝破します。「バカの問題は自分がバカであることに気づかないことだ」。なかなか毒気が強い言葉だが、これはきちんとした実験から導かれた結果だ。

こういった事例において、心理学者のデビッド・ダニングは「人間はなぜこれほど愚かになれるのか」と疑問に思ったのだそうだ。 無知とは一般に、「正しい知識をもっていないこと」と定義される。だがこれだけではとんでもない勘違いが入り込んでくる理由を説明できない。

そこでダニングは、博士課程のジャスティン・クルーガーとともに、コーネル大学の学生を使って一連の実験を行った。彼らの関心は「能力の低い者は、自分の能力が低いことを正しく認識できているのか」というものだった。2人は学生たち相手にいくつかのテストを実施した。そこからわかったのは、学生たちは自分の実力を3割以上も過大評価している、ということだった。さらに個人の能力別に見た場合、下位の学生が上位の学生よりも自己評価が高いことがわかった。一方で上位4分の1の学生は、実際の平均スコアが86点なのに、自分たちの能力は74点しかないと思っていたのだ。これは論理的推論能力についての結果だが、他の分野でも同様だった。一連の結果として、彼らが導いた結論を簡潔に表現すると、以下のようになる。「バカの問題は自分がバカであることに気づかないことだ。なぜならバカだから」これがいわゆるダニング=クルーガー効果だ。

※恩田コメント:以前より私(恩田)はバカな人の問題は、自分がバカなんだということを認識していない。そして全てを自分基準にして、むしろ自分が賢いと思い込んでいるからではないか、と仮説していたが、これを読んで溜飲が下がった気持ちでした。

 

その後もデビッドとダニングは研究を続け、知と無知には三つのパターンがあると主張した。

一つめは、「知っていることを知っていること」。

二つめは、「知らないということを知っていること」。

三つめは、「知らないことを知らないこと」。

これをダニング=クルーガー効果と称しているそうだ。これは「二重の無知」あるいは「二重の呪い」と呼ばれる。知らないことを知らなければ対処のしようがないからだ。ダニングは指摘していないが、「知っていることを知らない」という四つめのパターンもありそうだ。これは「直観」とか「暗黙知」と呼ばれている。

ダニング=クルーガー効果は、従来の教育に重大な疑問を突きつける。これまで学校では、子どもに知識を教えれば自然に学力は伸びていくとされていた。世界じゅうどこの教師も、授業を理解できたかテストして、その結果を生徒にフィードバックしている。だがダニングによれば、この方法で学力を高められるのは認知能力の高い子どもだけだ。こうした生徒は、自分がなにを知らないかを知っているので、間違ったところを修正して正しい知識に到達できる。

ところが認知能力の低い子どもは、なにを知らないかを知らないので、フィードバックを受け取ってもどうしていいのかわからない。どこでなぜ間違えたのかを理解できない子どもが(たくさん)いることは、教育者ならみんな知っているだろう。

 ※恩田コメント:ここにおける認知能力においての「バカ」をどうするかが、私(恩田)的には一番の問題と見ています。「自分が知らないということを知らない」レベルのバカをどうするかです。

(引用終)

頭の良さは「思考力」と称される「論理展開力」と「知識」と称される「情報量」の掛け算で成り立っています。自分が至らないのがどちらであるかを知っているかどうかも「認知力」の一つです。

ショートソモサン③:バカはモメンタムが高いのか?

モメンタムを構成する要素の一つは「ポジティブ思考」です。先の「能力の低い者は、自分の能力が低いことを正しく認識できているのか」という自己評価に対する着眼点からすると、認知力としての頭の良い人ほど自己評価が低くネガティブ、裏をかえせばつまり太平楽な人の方がポジティブになりやすく、それ故モメンタムも高まりやすくなるということになってします。うーん、何か違いますよね。短絡的な気がします。頭が良いとはクリティカルと云うことです。疑問とはネガティブな意識です。頭がいい人は常に疑問を抱えて、頭を回転させています。私的にはその回転に鍵があると見ています。回転の原動力たるエネルギー。そのエネルギーがパッションと云う情熱エネルギーで、それがともすればマイナスになりがちな感情持ち上げており、それが頭が良いが故に陥りそうになるネガティブの罠を凌駕させて、行動をエネルギッシュにスタートアップさせているのではないでしょうか。

だいぶ昔の話です。バス停で待っているときに、前に大きなベビーカーに子供を載せた若い女性がいました。その内バスが来たのですが、ベビーカーを畳むのに時間を取っています。そこそこ混んでいて、先に乗って後ろに詰めたほうが良いかと判断して、「先に乗りますよ」と飛び乗りました。ところがこの女性、その後私が「順番を守らない」と執拗に呟いていました。後ろで待っている人のことや時刻通りに発車したいであろう運転手のことは全く視野になく、頭は「順番」にしか働いていないようです。運転手さんはニヤニヤしていました。この話、皆さんは何がポイントかおわかりになりますよね。その後も同じような場面に遭遇した際に、様々な状況を観察して来ましたが、「ご迷惑をお掛けしますね、どうぞ」といった気の利いた対応が出来る人はほぼ十人に一人位でした。皆さん世の中こんなもんですよ。この場合、今の現状では我慢して待つか、しっかりと事細かに説明して上げて支援するか(多分この場合は無駄でしょうが、仕事では大切です)のどっちかでしょう。決して、「周囲を見て、察しろ!」などと期待してはいけません。

世に憚って誰もが口にはしない「頭の良し悪し」。結構クリティカルな問題といえます。

※因みに弊社の若手は頭の回転が早く、会話を楽しもうと時に禅問答するのですが、最近閉口してなのか「いやぁ私の思考を超えます」と上手く切り返すようになりました。これもまあ頭の良さであることは間違いありません。

ということで、今回は「モメンタム」の「方向性(認知力)」についての話題でした。次回は「モメンタム」における「エネルギー」の側面に関して言及していきたいと考えています。

次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?