• 組織の<重さ>とOD②~なぜ組織の<重さ>なのか2 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-231~

組織の<重さ>とOD②~なぜ組織の<重さ>なのか2 組織開発(OD)の実践って、どうするの?-231~

日本企業組織の強みは「ミドルの濃密な相互作用による創発戦略の創出と実行にある。従って、ミドルに自由度を与えることでその強みは実現できる」という認識は、1990年代に入ると、マスコミ的な日本企業悲観論のようなものを除いて、すでに反省のまなざしを向けられるようになっていました。近年の研究では、日本の組織・人材に大いに問題があり、それによって組織が機能不全に陥っているということが示唆されています。

例えば、延岡健太郎大阪大学教授(2002)によれば、日本企業が戦略的意思決定能力を低下させている最大の理由は、トップ・マネジメント・チームが、形式的な手続きに基づいて会議を開催しており、「担当する分野に関係なく全社的な立場から参加者が発言し、会議が活性化していない」ことにあるとしています。すなわち、組織内の形式的な手続きによって、創発戦略を支援するはずの人々が適切な相互作用を行えていないという問題が指摘されています。

また、三品和広神戸大学教授(2002、詳細は「戦略不全の論理,2004」を参照)の日本電機業界の分析によれば、その利益創出能力は1985年のプラザ合意以前の段階でピークを迎えており、パナソニックに関しては早くも1971年以前の段階で利益創出力のピークを迎えています。売上が伸びても利益が伸びない原因を三品教授は以下のように分析しています。

  • 電機業界は個々の事業が相互に複雑に依存しており、自動車のような基本的には単品の業界に比べてはるかに経営が複雑で難しいこと
  • 経営が複雑で難しいにもかかわらず、「根本的な複雑性削減(complexity reduction)を実行することなく
  • また、適切な管理手段を持つことなくグローバル化に乗り出していった

 

要するに、創発戦略が機能するには余りにも経営が複雑になり、それに対応する組織革新が行われていないことが問題だというのです。

加護野教授(2004)も、コア事業がある会社は多角化してもある程度のシナジー効果が期待できるが、そうではない場合はシナジー効果が期待できないといっています。ではなぜ、多角化をしてしまうかといえば、事業開始時には部品や技術の転用などを、ミドルの相互調整で対応していける時期があるからです。ところが、ひとたび多角化が発生して別の事業になるとミドルの相互調整では対応が難しくなると分析しています。

延岡・三品・加護野といった各教授の指摘はすべて、日本企業の組織・人材に何らかの問題があり、それによって日本企業の強みと考えられてきた創発戦略とそれを支える組織調整プロセスに問題が生じていることを示唆しているといえます。組織の<重さ>研究の著者たちは、しかしながらこのような指摘があるにもかかわらず「日本の組織特性の何が創発戦略の創出と実行を阻害しているのか」ということについては、実証的研究が不足していたと指摘しています。ということで、組織の<重さ>は組織構造とプロセスに関する体系的な実証研究です。著者たちは、なぜこれが必要なのかということについて以下のような説明を加えています。(概要のみ掲載)

『そもそも組織論という学問は1940年代の後半に成立したといわれる。その後、1960年代から1980年代の初期まで、「構造的コンテンジェンシー理論(structural contingency theory)」と呼ばれる理論的和枠組みへの体系化が進展した。これは、「どのような環境下でも安定した成果を生み出す組織構造は存在せず、状況次第で有効な組織構造が異なる」という考え方のことである。一般的には、環境の不確実性が低い場合は官僚制機構とトップ・ダウン型の組織構造が有効であり、環境の不確実性が高い場合には組織の下位階層がイニシアティブをとれる組織の成果が高くなる。前者のような組織を機械的組織、後者のような組織を有機的組織と呼ぶ。創発戦略の創出と実行を強みとしていた日本企業は、イメージとしては有機的組織に近い特徴を備えていたといえるだろう。その後、コンテンジェンシー理論は研究者たちの興味を引くことが薄くなり、個体群生態学モデル(population ecology model)や新制度主義(new institutionalism)という考え方が出てきたが、経営学の基礎理論としては扱いにくかった。組織構造論が閉塞状態にあった1970年代から1980年代にかけて急速に伸びてきたのが経営戦略論とイノベーション研究である。例えばM.ポーターの業界構造分析は日本でも普及した。利益率は、企業がどの業界を選んだかに左右されることになるので組織はそれほど重要ではないと暗に主張するような戦略論が強調されるようになった(ポーターは、バリューチェーンという考え方で組織を論じてはいますが、一般には業界構造分析が有名です)。経営成果を規定する上で戦略が重要であり、組織はその戦略によって導かれるということになれば、組織は経営成果にとって「主」ではなく「従」であり、組織を研究する魅力はますます薄らいでいく。』

経営の実践でも、どのように組織を構築し運営するかという組織戦略は、少なくとも日本ではあまり関心を持たれなかったといえます。1990年代はリストラという名の事業の選別はあったものの、組織論は主流となりませんでした。OD的視点でいえば、この時代、組織の発達・開発という概念は死にましたね。

『しかも当時、日本企業が生産現場重視から、製品イノベーション重視へと大きく方向転換を図っていった。企業の実践家(経営者)の眼から見れば、「(1980年代に言われた)世界最強の日本的経営」には通常業務の組織化の問題は残っておらず、製品イノベーションを生み出す組織に課題が残されていた。研究者もこの流れに引きずられ、イノベーション研究か戦略論の研究へと軸足を移していく。イノベーションを重視する研究者の多くは、組織内の相互作用のプロセスやプロジェクト・チームの構造には関心を寄せていたが、事業運営を行う企業組織の構造にはそれほど強い関心を払わなかったように思われる。すなわち、イノベーションを生み出す人々の相互作用が、組織内の構造によって左右されるという観点は、大きく後退することになる。』

組織の<重さ>研究では、日本企業の強みと思われていたオペレーショナル・エクセレンスは、本当は一部の優れた企業、例えばトヨタなどがやっていたことで、我々はそれを一般化しすぎたのではないかという記述もあります。長期雇用重視の文化のため、大胆な人員の取り換えが難しい日本企業では、戦略を決定すれば、その後は組織をそれに合わせて設計すればよいという考え方は成立しにくい、つまり戦略論が「主」で、組織論が「従」になるとは限らない。組織構造論はそれ固有の研究領域として取り扱うべき課題を大量に残していたのである、というのが著者たちの問題意識でした。(続く)

参考文献:組織の<重さ>2007

 

この記事の書き手はJoyBizコンサルティング(株)波多江嘉之です。