プレゼンスを高めるためには?③ ~信念の形成とメタ認識~

※この記事は4部構成です。それぞれの記事は下記よりご覧ください。

 

プレゼンスを高めるためには?① ~座右の銘はあるか? 前編~

プレゼンスを高めるためには?② ~座右の銘はあるか? 後編~

プレゼンスを高めるためには?③ ~信念の形成とメタ認識~

プレゼンスを高めるには?④ ~壁を越えて成長するには~ (1月28日配信予定)

 

 

信念を形成するには

竹本:

不思議なのはそうしたことってすごい人に伝わりますよね。目に見えないものなのに。そのあたりのメカニズムって絶対あると思うんですが。

 

川野先生:

信念やブレない心を作るのはまさに禅の得意分野です。禅は理屈で教えることは一切しないんですね。こうこうこうだからこの信念を守ります、とかではなく、ただ自分を信じますということだけがあります。私は自分の生きざまを貫きます、という根本的なところを学んでいくのです。

ただ毎日一生懸命生きるというそれだけのことなんですが。そのスタンスが備わっている人はそのあとの肉付けのレベルで、新しいことに取り組もうとしたときにブレがないようにも見えます。

 

竹本:

そこが禅の可能性だと思いますしとても面白い部分だと感じます。修行の一番のポイントは何なのでしょうか?どういう過程がそうしたブレない心につながるか非常に気になりますね。

 

川野先生:

それは自分の感覚を見つめるという習慣ができるからだと思いますね。痛み、悲しみ、喜びなどの意識、感情に向き合うという手習いができていきます。そうした感情は向き合わないと逆に支配されます。苦しみや悲しみという感情に支配されてしまうんですね。

感情に向き合うといったん客観的にみることができます。人生なので不測の事態が起きたり、ストレス状況に陥ったりなどはしないはずがありません。自分の感覚を見つめるという習慣があるとそのときの向き合い方が異なってきます。

いったん自分の感情を覗いてみようという気持ちなれます。まさに禅でいう一呼吸置くという話がこれにあたります。これがかなり重要なんですね。それをせず感情で反応したり、すぐに行動してしまうというのは認知行動療法でいう自動思考、自動反応です。

それはつまり自分の感情や行動パターンに支配されている状態であり、自動操縦モードということですね。その状態だと人間は良いほうにも悪いほうにも変われないのです。ただそこで一呼吸置くことで、いくつかあるはずの自分の思考の反応に気づき、選択肢が増えていくのです。

その選択肢の中から、今日はこれを選択しようという瞬間で選べるような感覚です。そこにはわずかなタイムラグが生まれるのです。そのタイムラグが感情に取り込まれないための重要な一瞬です。

マインドフルネスをやっていくと不安や怒りといったネガティブ感情の引き金となっている偏桃体が縮小していくことが知られているんですね。偏桃体が縮小して海馬が大きくなります。海馬は思考力や記憶と密接に関連していて、ワーキングメモリに関与しています。ワーキングメモリは瞬間瞬間の判断をしている箇所なので、自分の感覚と向き合うことによって瞬間瞬間の脳活動が活性化しているということだと思います。

あくまで現段階の想定にはなりますが。さらに感情のもとである偏桃体をコントロールすることで感情に支配されなくなります。冷静沈着な判断ができ、感情に流されることがなくなるということです。自分を見つめる時間が現代で生きていくためにはいかに犠牲にされているかということだと思います。

 

場(空気)の中の自分 ~場の空気にどう反応するか~

竹本:

言語化できていないまましゃべっていて恐縮なのですが、ちょっと関連あると感じたのでお話しを。実は最近以下のようなことを考えています。私の話なのですが、もともとコンサルティング業を志そうと思ったきっかけが、「人って理屈だけでは動かないことってあるよね」ということでした。

では何で動くのか? 人の「気持ち・感情」というのがその答えだと考えまして、組織開発コンサルティングの領域に興味をもって取り組んでまいりました。ただやっていく中で、気持ち・感情以外にもう一つあるなと思ったのは「空気」です。要は空気に流されてしまうことで、理屈では説明がつかない動きになっていくパターンってあると思うんですね。

極端な仮定で想像すると、特定の結論をもった人がいて、議論を恣意的に誘導していくような場面もあると思います。そうした場面で空気に流されないように抵抗する力を持っておく必要があると感じています。

その抵抗力は、一呼吸を置いて、自分を見つめて行動を決めていくことと密接にかかわっているような気がするんですね。当然ながらその場を支配している人に逆らうのは心理的にも怖いだろうし、パワー関係に序列があれば下が上に逆らう場合には一般的に自分の立場も危うくします。

それで委縮するケースのほうが多いと思いますが、委縮している自分も受け止めつつどうすれば今の空気の流れを変えれるのか、ということを見つめる力、メタ認知が非常に重要なんだなと感じました。

 

川野先生:

今のようなお話で行くと、議論を誘導しようとしている人も感情に支配されている状況であることが多いような気がします。感情的に大声で話して場の空気をさらおうとしている人も多いです。 

そうした人のそうした行動は幼いころに感情を支配されてきた経緯があるという方も実は多いんですね。

 

竹本:

感情に支配されて育つとそうした行動にでる可能性が高いということですよね。

 

川野先生:

そうした時に人は主として2種類のパターンで反応しています。一つ目は、誰かが作った場の空気に対して、そこで騙されて追随していくことで安心を得るというものです。「なんかちょっと変な気がする」と感じているけれども乗っかっていったほうが、まやかしとしてではありますが安心感を得ることができます。それは錯覚としての安心感なのですが。

二つ目は関係がないように装うという反応です。まあ自分と直接関係はないし、ほっておけばよいかという感じですね。感情に取り込まれるのを避けたいので、あえてかかわらないようにするという人が多いのかなと感じます。

そしてあえて三つ目のパターンを挙げるとすれば、建設的に意見を言うということなのですが、人は実はこれを避けて通る傾向にあります。クリティカルにレスポンスするということなのですが、海外ではクリティカルというのはポジティブなニュアンスを持っていますが、日本ではネガティブに捉えられています。

クリティカルシンキングも一時期もてはやされましたが、今あまり聞かない印象があります。ですがやはり建設的に言いかえることが必要な場面も多いです。例えば直接口に出して言わないまでも、クリティカルに議論するイメージをしながらその場にいるということも大切なことだと思います。

実際にはそれをせずに、思考をシャットダウンしてしまうことが多いんですね。それは感情を揺さぶられたくないからです。しかし、そこから目をそらすというのは、最終的なwell-beingにはつながらないのです。怖い、腹が立つ、という感情をもっている自分すら客観的に見つめるというのがマインドフルネスの神髄だと言えます。

 

竹本:

感情的になってしまうのを無意識に理解してしまうので、あえて無関心になってしまうというのは私もやっていることがあります笑

 

川野先生:

気づきのレベルで分けて考えると理解しやすいかと思います。最も低い人はただ人に追随するか、ただただ反抗してけんかするということで終わってしまうでしょうね。これは相手の感情にただ引き込まれているだけです。では次の気づきは何か。それは、「気づいているが見ないようにする」という段階でしょう。

 

竹本:

見ないようにしたり、無関心というのは一時的なことかもしれませんが、それが持続的に蓄積するとそれもある意味関心がないという感情(というか感覚)に支配されてますよね?

 

川野先生:

そうですね。それが学習性無能力感ということだと思います。ただ無関心を「装っている」という状態は、ある程度は気づいているということでしょう。全く気付いていないよりは、まだましな感じはしますね。たださらに成長するということですとそのさらに先を狙っていきたいですね。

心の動き自体をメタ認識し、冷静に動けるようになるというのがその状態です。そしてそれはリーダーの必要条件といっていいと思います。リーダーをやろうと思えば、全く気付いていない、とか気づいているが無関心でいる、といったことで到底勤めは果たせないでしょう。

周囲に対してあとでフォローする必要もあります。自分がメタ認識を持っていなければ、周囲のことにも気づけず、結果として誰も安心してついていくことができません。こういった観点で気づきのレベルを研ぎ澄ましていくというのは、リーダーシップの発揮や健全なチーム形成にも非常に重要な要素だと思います。

禅の世界には感情から逃げるという概念はないんですね。感情に気づき、感情を受け止めたうえで、現段階での物理的な抵抗や対峙を避けるということはありますが、感情そのものから逃げるということは一切ありません。というかできないんですね。しかし私たちは無意識に感情そのものから逃げようとして、見ないようにしてしまう。

だからすでに起きてしまったことなのに、あたかもそれをなかったことにしてしまうなどの心理的な反応は多くの方がやってしまっています。人間関係から逃げてもいいのですが、あくまで自分の感情に気づいて対処してね、ということです。

感情から逃げた場合は自己否定的な意識も残ってしまうのです。「自分はあの時にげたなー」と自責の念がのこるのか、「自分なりに考えた結論だった」と自己効力感が残るのかは全く異なります。

禅の世界では、本当に修行を極めた人ならば、誰かが修行中に逃げ出しても怒ったりしないものです。本人が自分の気持ちや体の状況に向き合ったうえで、それが最善だと感じた上でそのように行動を選択したのですから、責める必要がないのです。逆に「どうしてあんなに良く面倒見てやったのに逃げ出すんだ!」などと、いちいちいらだって怒ったりしているのはまだまだ修行が足りない証拠です。

 

現実の認識と自己の感覚

竹本:

昔仕事でミスして、上司に報告をするときに、そのミスを隠す人のことを思い出しました。私は隠すと何となくもやもやするので、怒られるのは怖いのですが隠さず報告しようと思っていたんですが、今考えると自分への負い目を作りたくなかったのかなと思いました。この先、「ミスを隠ぺいした自分」として生きていくことが嫌だったのかなと感じましたね。

 

川野先生:

その状態は反射的に隠してしまうよりは一歩気づきが深いですね。今のはミスを自覚しているが見ないようにしている人の例だと思いますが、一方でミスをしてそれを報告していないのに、隠しているという自覚すらない人もいます。本当に隠したという感覚がないんですね。事件を起こして現行犯で警察に捕まっても記憶がないの一点張りという方です。そうした人はうそ発見器にかけても嘘が発見されないという事例があるそうです。

 

竹本:

もうはじめから現実を自分の中でゆがめて理解しているということですよね。現実をそうみてしまっているというか。それは怖い話ですね。

 

川野先生:

隠しているように見える人がみんな自覚的に隠しているのかどうかもわかりませんよね。もともとの現実認知が歪んでいる人が相手では、まともに話そうと事実を突き合せようとしても、その事実認知自体が本人の中ではゆがめられているので、議論になりませんね。だとすれば、そのような人の言うことにあまり反応しないほうが得策と言えるでしょう。

 

竹本:

プレッシャーによって現実を認知する力が弱まるということもあるのかと思いました。例えば営業職という仕事は連日のように数字プレッシャーがあります。●●に電話したのか?▲▲の案件はどうなった?と毎日確認を受け、行動管理をされている営業の方も多いのかと思います。 

私が知っている事例では、こんな方がいました。上司に●●に電話したのかと聞かれその場で電話してアポを取るのですが、上司がそのアポイントに同行すると言い出したそうです。しばらくするとアポがキャンセルとなってしまいましたという会話が出てくる。

フタをあければ最初の電話もしたフリでうその報告をして、同行されてしまうとバレてしまうので、またうそをついてキャンセルされたことにしていたみたいですね。もちろんご本人の問題もあるかと思いますが、プレッシャーによってお客さんとの関係性やあるべき仕事の進め方などの当たり前の現実が見えなくなってしまっている事例かなと思います。

 

川野先生:

実はストレスがかかりすぎると人は幼児性を発揮し始めるんですね。心理学でいうところの「退行現象」です。本人は退行しているという自覚もありません。私がいた修行道場でも、そうした嘘を繰り返す修行僧が居たことがありました。仕事が間に合っていないのに、もう終わったと言い張っている。しかし現実は仕事は完了していないので追い詰められていく、最終的には道場から逃げ出してしまった。でも彼にとっては、修行道場が退行が起こるほどストレスフルな場所だったわけですから、離れていったことも一つの勇気ある選択だったと思います。

プレッシャーが耐え難いレベルにまで蓄積することによって、思いもつかない行動に出てしまう場合もあるということです。ではそのような人が普段からすごく嘘つきなのかというと、意外にそうではなく、追い込まれなければ誠実な人であったりします。追い込まれることで、普段からは想像もつかないような幼児的な行動に出てしまうこともあるのです。

 

竹本:

なるほど。追い込まれたときに、すぐに退行現象が起こる人と耐え抜く人とどちらもいらっしゃるし、どこまで耐えられるか、というレベルの話もありますよね。

 

※この記事は4部構成です。それぞれの記事は下記よりご覧ください。

 

プレゼンスを高めるためには?① ~座右の銘はあるか? 前編~

プレゼンスを高めるためには?② ~座右の銘はあるか? 後編~

プレゼンスを高めるためには?③ ~信念の形成とメタ認識~

プレゼンスを高めるには?④ ~壁を越えて成長するには~ (1月28日配信予定)