• 戦略を実践として遂行するために押さえておかなければならないこと

戦略を実践として遂行するために押さえておかなければならないこと

恩田 勲のソモサン:第九回目

前回、人には誰しもが経験則や学習で形成される情報を類型化して認識しようとするメカニズムである「メンタルモデル」や、論理だけでなく「好き、嫌い」という感情的な判断を引き起こす無意識的な心の働きである「スキーマ」といった心の作用を持っているということをご紹介させて頂きました。
そしてこの心の作用は、伝達コストを下げて理解を促進する反面、先入観による間違いを引き起こしたり、嫌いな者には意識を閉ざしてしまったり、聞いてはいるのに頭には残らないと云ったマイナス面を生み出し、これらが作用し一度でも現場が間違えて戦術を理解してしまうとその後はなかなか正しい理解を得ることが出来なくなったり、好き嫌いが作動して生理的に動きが止まったり緩慢な反応になってしまったりする、ということも話させて頂きました。
前回は紙面の都合もあり終わりの方でさらっと流させて頂いた話ですが、このことは戦略の遂行や実行おいて非常に重要なポイントと云えます。今回はそれをより詳しくご紹介させて頂くことにします。

メンタルモデルとは思考の枠組みのことです。人は様々な情報を一定のパターンとして分類し、思考するときの検索方法として省力化を図る生理的な習性を持っています。この習性が先入観や思い込みを生み出します。このパターンの使い方が偏っていてそれが強い人がいわゆる頑固者と云われる人です。例えば人の名前を間違って覚えているにも関わらず、何度修正しても間違え続ける人などがその好例と云えます。またスキーマとはそのメンタルモデルが更に心の奥底に染みついてしまい、「好き、嫌い」という感情的な判断を引き起こす無意識的なレベルにまで至っている枠組みです。この思考の枠組みは考える手順や情報の採択に強く影響します。
良く「人は聞きたいように聞くし、見たいように見る」と評されることがありますが、これはまさにメンタルモデルの為せる所業の一つです。メンタルモデルは身近な言葉の意味や解釈の中にも現れてきます。云っている人が意味することと、聞いている人が意味したことの喰い違いから生じる行動段階でのズレが大きな波紋を産み出すということは良くある話です。

メンタルモデルは価値観や自尊観といった観念の領域です。人は知識レベルや技能レベルでの変容は簡単です。知らなければ知らせれば良いし、出来ないならば出来るまでやれば良いわけですからこのレベルは基本前向きですしアプローチも容易なわけです。ところが、心的な態度や価値観と云ったレベルとなると非常に困難度が高くなります。癖づけられた態度はなかなか変わりませんし、「そういうものだ」「それが当たり前なのだ」という信念や思い込みといった観念体系は心の奥底にべったりと張り付いていますので、それを紐解くために心のかなりの深層レベルまで下りていくだけでも難行となります。
またメンタルモデルの形成の多くは純心であった幼少期に作られるモノが多く、それを変容するには人生や存在意義の面である種の自己否定が伴う場合も多いため、実存の危機として本能的に防衛機制が働き、変容どころか寧ろ却って心を閉ざしてしまうことになってしまう可能性があることも認識しておく必要があります。まして自尊観などに根ざしているスキーマの変容となるとそれ以上のレベルになります。中でも初期設定として形成されたメンタルモデルやスキーマは、真っ白な紙に始めて色を染めた如く、その書き換えはまず前段として脱色しなければならないという相当の技術や深いアプローチが求められます。
つまりこのレベルは外からのアプローチによる変化は100%を期待してはならないというのが前提であるといっても過言ではありません。

こういった初期設定の一つに仕事への姿勢や、やり方といったモノがあります。営業の進め方とはこういうやり方でやるモノだ、とかマネジメントとはこうやれば良いといった、身に付いたというよりも身に染みた動きは無意識レベルに浸透し、もう身体の方が自然と動いているといった具合です。またこういった局面でのメンタルモデルは「上司から餌付けされたままに受け継いで、何の疑問もなくやり続けている」モノが非常に多く見られます。
現場はそれこそ千差万別な背景があり、そこから得られる経験値も多種多様です。更にこれに暗黙知が伴う何らかの成功体験が加わるとかなり堅固なメンタルモデルやスキーマが出来上がります。そうすると意識的にも無意識的にもそれに固執した反応を示すことの方が通常ということになります。こういった中での行動ややり方を一度でもメンバーが理解してしまうと、例えそれが間違った或いは非効率なやり方だとしてもその後はなかなか正しい理解や修正を得ることは出来なくなります。
戦略遂行における業務の改変や仕事のやり方の見直しはその顕著なパターンとなります。せっかく熟考して戦略策を打ち出しても、多くの人はその戦略策を自分固有のメンタルモデルを通して自分に都合良く解釈します。そして「自分は戦略を正しく理解している」と思い込みます。加えて勝手にそれを評価します。その上で無意識的に自分にとって「好き」な行動を選択し、それに邁進し始めます。後はいつもの戦略不遂行のパターンが繰り返されることになります。

この様な「自分は正しく理解している」という思い込みを打破していくにはどうすれば良いでしょうか。確かなことは勝手に作ったモノを上から目線で強制したり、意味も知らせず指示したりするやり方では反発を招くだけだということです。これが通用するのは日常から信頼もしくは畏怖するカリスマ的なリーダーだけです。また一方的に説得するやり方も大方は自分に都合良く解釈するだけですから、実践段階で大きくズレてくるか、起動不発に終わるのが関の山です。誰もが認識が一致するような命題を除いて、人は物事を自分の価値観やメンタルモデルで見、そして解釈します。戦略策とか営業活動などはその筆頭です。そういった多様性が含まれる命題を他者に浸透させ、動機付けるには、受け手側のポジティブで能動的な参画姿勢と具体的に行動に繋がるレベルでの理解が必須条件になります。
それには心理学的にも実践的経験学的にも「自分は本当に戦略を正しく理解しているだろうか」ということをメンバー自らに考えさせ気付かせていくアプローチが最も効果的であるということは確かです。
そのアプローチとしては、気づきを誘発していくためのプロセスをしっかりと管理すると同時に、メンバー自身にメンタルモデルやスキーマと云った存在を知的にも身体的にも理解して貰うことが大事です。そういう過程を取れば徐々にメンタルモデルのガードが弱っていき、それに連れて自分と違った考えや言葉を理解するようになっていきます。そして新しいメンタルモデルが再設定される中で行動も変容し始めます。
ただ人によって変化を受け入れる心構えにはタイムラグが発生するということも認識しておく必要があります。

一般に変化を受け入れる局面として、人の気持ちは幾つかの段階を経なければなりません。最初は「ショック」です。それを過ぎると自責や後悔が生まれます。しかしスキーマレベルの場合はその変化のハードルの高さで防衛機制が強く働き、殆どの場合他責に走るのが通例です。しかもその滞留期間が長い。それを過ぎると受容という局面になるのですが、人によってはこの他責レベルに何年、何十年と潜り込んでしまう人もいます。自分を変えたくない、受け入れたくないという気持ちによって思考が停止してしまうからです。

こういった障害を打破するには、受け入れる入れない、はともかくまず自ら考えざるを得ない場に引っ張り出すしかありません。そして防衛機制が働かないよう、いわば心理療法士が行うカウンセリングのようなアプローチを駆使して、外的にポジティブな状態を演出し、自ら変化を望み出すように応援をすることが必要になります。これはネガティブな心に陥った人を正常な状態に戻す療法的なアプローチと酷似しています。当然「自ら考えて動け」といった指示の介入も全く非生産的なアプローチです(ただこういったアプローチする人が実に多いのが実状です)。

具体的には、まず論理面に関して
1. 戦略に関わるデータ類などの資料を見せて筋道だって進める。
2.対話をして自分の考えや意見を出させる。
3.手を動かして書かせる(自分の考えを表現させる)。
4.現地や現場に行かせて現認させる。体感させる。実際にやってみさせて誤解を体験させ、それをPDCAサイクルで収斂させる。
5.今までとは違った情報ソースや内容、方法を提供する(違ったシチエーション、角度を提供する)。

といったアプローチを通して、何よりもメンバーの意欲を引き出して具体的に実行させるための自己決定をさせ、上からの押しつけでないというメンタルモデルを形成することが切り口になります。そして自己決定を促させ、それによって理解の質を上げることが求められます。
その上で、メンバーが自分で考え、それぞれが自分自身の課題として認識し、主体的に関わるように仕向ける。加えて、経営陣として立てた戦略プロセスに沿ってメンバーに考えさせ、論理の終着として同じ結果に導く演出が重要な道程になります。
ただその様に誘引するには、考え方の手順を示す枠組みとしてのフレームワークを教え、利用させる必要が出てきます。ただ「自分で考えて決めて下さい」と丸投げをするのでは却って間違った方向や的外れな方法に誘引してしまいかねません。社会的に標準化されたフレームやモデルを上手に活用して思考を促す対話をメンバーにさせる必要があります。

更に心情を肯定的にし、防衛機制を下げるアプローチも重要です。例えば、自己決定を引き出すための効果的なマネジメント的問いかけ(対話)の仕方をリーダーやサポーターが行うことが求められます。

1.貴方はどう思いますか(主体がメンバーにあることを認識させる)。
2.もしこの制約条件がなければ(あれば)どうなると思います(思考の拡大や誘導をする)。
3.では実際に何を何処までやりますか(結論とアクションを引き出す)。

そうやってメンバーの意見を反映する余地を持たせておくことが重要になります。
この様にして、

1.自分で考えさせ(前向きにさせる)、
2.自分で肉付けさせ(意味を持たせ所有感を持たせる)、
3.自分の言葉にさせる(当事者感を持たせる)、

ことが戦略遂行における演出としては重要な鍵となるのです。
それでも前述したように、人の価値観やメンタルモデルはその人個々の背景や経験によって様々ですから、人によっては飲み込みに時間が掛かると云うことを忘れてはなりません。戦略遂行の場合、参画でも早くて3ヶ月、実践になると1年は見積もらなければなりません。価値観やメンタルモデルの変容は時間が掛かるのです。経営者やマネジメント側の人は事業への関心だけでなくこういった人や組織の心理的側面を意識して、「我慢する」ことも重要な戦略になるということを理解しておく必要があります。人の観念に対する変容や組織の文化の変容にはそのからくりの理解と合理的な仕掛け、そして心理的な前向きな空気、そして辛抱が必須になります。

さて皆さんは「ソモサン?」