モメンタムをマネジメントする:燃焼編① ソモサン第284回

劇俳優の梅沢富美男さんがお笑い芸人の澤部佑さんとの間で象徴的なやり取りをしていました。梅沢さんが過去に週刊誌に離婚などと書き立てられたことを回想して、「責任のない人生って送ってみたいじゃない?」と独身時代を懐かしみ、「残り10年生きるか分からないんだからさ」といったのに対して、MCだったハライチの澤部さんから「そうですね」と合いの手を入れたのですが、その瞬間梅沢さんが席から身を乗り出し、「そうですね、じゃないだろ」と声を張り上げたという話です。梅沢さんはそこから更に「芸能界のためにも長生きしてくださいっていうのがお前、MCの仕事だろうが」と“説教”をスタートさせました。顔色を変えた澤部さんから「ご自身がおっしゃったから」と弁明されたのですが、梅沢さんは「謙遜してんだよ、10年って」と発言の真意について説明をしました。その後、澤部さんから「失礼しました」と苦笑いしながら謝られたという件りをみて私は最近の人たちの受け答えに対して何か強く感じるものがあったわけです。皆さんは梅沢さんの言をどう感じられますか。「うざい」ですか。

私的にはこれは「合いの手としての返し」ではなく、単にそつなく受け応えただけと映ります。梅澤さんは話しを盛り上げるためにひねりとか機知に飛んだ返しに期待しにも拘らず、それに応えられない機知のなさがこのシーンではよく出ていると感じます。

この状況、一言でいえば「そつはないが面白くはない」。こういう人は今の時代の当たり障りのない場持ちには便利な存在と云えます。敏感な失言は侵さない存在です。でも根強いファンは付かないだろうなあ、といった所でしょうか。

いわゆる「人気がある人」というのはこう云った場合に機知に富んだ返しで笑いや和みを作れる人のことです。切り返しの能力に卓越した人です。こういった人は人を惹きつけます。私的には頭の回転とは本来はこういった能力を指すのだと思っています。我々コンサルタントもある意味芸人です。心して人と接していかなければという「他山の石」的な話でした。

さて前回から「話し合い、耳を傾け」という手順に関する続きです。前回「自分を信じるためにはその証がいる。それを確信できる状態がいる」と話させて頂きました。証とは意味と意義によって組み立てられています。

意味とは「何故に」という手応えを生み出すものであり、意義とは「何のために」という目的を生み出すものです。

それは人が刹那に生き、人生を迷走し、疲れ果てることのない日々を送るためには重要な力の源となります。

信念に繋がる意義は、しっかりと「説明ができないとダメ」です。そして説明するには大きく二つの視点が必須になってきます。

「説明できる言葉(イメージ)を持っていること」

「説明できる意味(後ろ盾や背景)があること」

です。

しかし人は日々の中で壁に当たって五里霧中に嵌まって意味が虚ろいだりします。その時に自分を立て直すには、自分への問いかけが必要になってきます。そして現実を受け入れて、軌道修正をしたり、切り替えていくことも必要になってきます。その時孤軍奮闘には上手くいくものではありません。かの宮本武蔵でもほぼ一生掛かっています。彼は自問自答でことを済まそうとしました。それが好みならいざ知らず、多くの人はやはり人生の航路は楽に見通し良く進みたいのというのが本性です。それにはどうすれば手っ取り早いか。ここはやはり他者の力を借りることです。でも人は「自分は特別」観や権力意識を持っているので、なかなか自ら謙虚に人の手を借りるということには行きません。そうしてタコ壺に嵌まってしまいます。従って「モメンタム」も自助力ではなかなか上げられないのが実際の話です。

それでは社会的な活動、特に組織的活動としては損失が大きくなります。人と人との有機的な嚙み合いによって生産性を相乗化させるのが組織ですから、そのモメンタムがバラついていては大きなエネルギーロスとなります。それをバランス取りし、活性させるために行うのがマネジメント活動です。端的に云えば「対話」「差配」によるエネルギーの集中化と活性化の演出を行うことです。特に対話の持つ役割は重要です。その手順が「話し合い、耳を傾け、承認し、任せる」

ということです。

では具体的に入って行きましょう。最優先なのは「耳を傾け」です。「話し合う」も何も相手が胸襟を開かなければ対話自体が始まりません。それにはまず「相手の懐に入る」ことです。「相手の考えや気持ちを理解」し、「共感」して出来る限り相手と一体化することです。人は基本「自分が一番」ですから、自分に寄り添ってくれると感じるだけでポジティブになり、胸襟を開いてきます。それにはとにかく「相手の話を聴く」ことです。先の澤部さんの振る舞いなどは論外です。頭は良いけど心は鈍感と云ったところで、人を頭の領域でしか見られない人の典型です。また前回掲載したH社の上司(部下を自殺に追い込んだマネジャー)などの振る舞いも「自分を押し付けるだけ」の利己的な態度で「人に関心がない、もしくは自信がない」か、「自分で一杯一杯の人だった」のでしょう。これでは対話は始まりません。別に「利他的」といった大仰な構えでなくても、「無心になって相手の話に耳を傾ければよい」のです。それをせず利己的な態度で、ましてここに権力的に「上に合わせる」などといった別の感情が加わると「感情がマイナスに倍加する」ことになり、その結果は「考えなくする。言いなりにする」といった選択をするか、「切れる」といった選択で錯乱的になり、病んだり自死に繋がってしまうだけです。

多くの人は漠然としてはいても、何らかの自分の「目的」は描いているものです。ですから人が話を聴いて貰いたいとか、人に口を開くというのは、「目的に対して不安が生まれている場合が殆ど」と云えます。そういった時に求めているのは、

「答えが欲しいのではなく、ただ聞いて欲しいだけ」

というのが実際です。そういった時に「こうしたら良いというのは鬱陶しい」ばかりです。「相手が感情的に安定するまでじっくりと話を聴いて」その上で「大丈夫だよ」と気持ちや背中を押してあげることが一番です。ここで「こうしたら」というのはその人の価値観の押し付けになります。まして自分の経験や価値観で「決めつける」など押し付けがましいばかりです。大事なのは「相手の領域に踏み込まない」ことです。

大事なのは「何をしてあげたら良いか」、ではなく「何を分かってあげるか」です。

もう少し具体的にしてみましょう。

それは、質問の形で声を相手に届けること、です。

言い切ると相手は押し付けられた感を持ちます。とにかく自分の価値観を押し付けないことです。ただただ聞くこと。聞いてみることです。本人に考えさせることです。悩みや不安は「本人が考える問題」です。諄いですが人は「自分で分かっている様で分かっていません。分からないがゆえに自信を失ってしまっているわけです。これは「感情の問題」です。

さて次回は「傾聴」について話をしていきたいと思います。

次回もよろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?