モメンタムをマネジメントする:燃焼編導入 ソモサン第283回

行動科学の始祖と云われるK.レヴィン博士は社会科学の相対性理論と称される公式を生み出しました。それは

B〈行動〉=f〈関数〉(P〈個人〉E〈環境〉)

と云うもので、人の行動は個人の要素と環境、言い換えますと

個人に影響する集団規範や上司のマネジメントの要素

の掛け合わせで生み出されると云うものです。そう人はその人に内在する個人的要素だけではなく、直接に関わる外的な影響(場と云います)によって行動の選択をすると云うことです。

また、戦時中大本営の幕僚監部であり、戦後は伊藤忠商事の経営幹部であった瀬島龍三氏は、マネジメントの鉄則を孫子の考えから引用し、

「上兵はこれを勢いに求む、兵を責めず」 ※勢い=モメンタム

と常に語っていました。この言葉、日本のマネジャーの多くにとっては耳が痛いものです。何故ならば現状の現場はその真反対のマネジメントが為されているからです。

このままでは日本の組織の活性やグローバル回帰は遠いものにならざるを得ない。そこに一石を投じたい。それにはこのレヴィン博士の考え方から生まれた「組織開発」というアプローチと孫子が示すマネジメント概念による「モメンタム」というアプローチが欠かせない。それが私の、そしてJoyBizの活動的な信念になっています。

最近この二点に絡んだ痛ましい事件がありましたのでかい摘んでご紹介させて頂きましょう。それは、ある日本の大手機械メーカーH社の若手社員(27歳)が赴任先のタイで自殺し、3月に労災と認定されたことが判明したという事件です。この社員は初めての海外勤務だったのに専門外の業務を命じられ、上司にミスを度々叱責されていたといいます。そしてこの社員はこれらの複合的な要因で精神疾患を発症し、自殺したと判断されたというわけです。

この方はこれまで外国出張の経験がなく、海外勤務はこれが初めてだったそうです。当時は新型コロナウイルスの感染が広がっており、通常行われる実地研修も受けられずに渡航したのだそうです。タイでもコロナ禍で休日はホテルに籠もりがちになるなど孤独な状況に置かれ、更にタイ語を一切話せないうえ現地では英語に堪能な人が少なく、コミュニケーションで苦労する様子が見られたそうです。

タイではそれまで全く経験がない仕事を任され、知識もないためミスが多くなり、他の従業員の面前で上司から毎日のように叱責されたのだそうです。さらに、頼りにしていた別の上司が4月に帰国する一方、自身の帰国は5月末から7月末に延長され、当時の日記に「仕事がぜんぜんできなくて毎回おこられてばかりでとてもつらい」とつづっていたそうです。労働も3月中旬~4月中旬の残業時間は100時間を超えていたということです。

まさに

マネジメントが起こした事件

と云えます。人に無関心なマネジャーが引き起こす悲劇です。以前電通という会社が起こした問題もここが大きな論点でした。

レヴィン博士の指し示す肝は「人は個人的な要素だけで行動をするものではない」ということです。幾ら個々人が自分を克己させようとしてもそれには限界があるということです。場の力が個々人の心の在りように大きく影響を及ぼすわけです。特に日本のような集団主義の規範が大きく力を持つ民族の場合、その傾向は強いと思えます。それは

個人主義が軸にある欧米の思想で生み出された行動の活性化のアプローチをそのままに日本に導入しても期待するほどの結果は望めないという現実に繋がってきます。

一時期「アドラーの心理学」という理論が喧伝されてブームになったことがあります。この理論も一過性になってしまいました。どこが浸透の障害になってしまったのでしょうか。アドラーの考え方は、人の行動の選択はフロイトが云うような「原因」に由来するものではなく、自分が心に描く「目的」に由来するというものです。例えば「人に関心を持ちたくない」といった場合、それは「過去に持ちたくなくなる原因がったから」ではなく、「そうすることで得られる(面倒くさいとか傷つきたくないといった)メリットがあり、それを無意識に選択して目的的に行動している」というのです。確かに他責的な原因に理由を寄与しても次の行動は起きませんが、自責的な目的に理由を起こせば改善が望めることは確かです。そういう観点から見ればアドラーの説は臨床的に見ればグッドです。しかし

何故人はデメリットとみても原因に拘るのでしょうか。それはやはり人の行動は置かれている場という外的な要因を外しては為しえないからです。

そうアドラーの心理学もやはり欧米特有の個人主義に因った理屈だから、集団主義的な日本人には合わないのです。

場を演出する「マネジメント」という存在を日本の組織はもっと真摯に捉えることが望まれます。

そして孫氏が云う「勢い(モメンタム)」という存在を重視することが望まれます。

その視点から「燃焼モメンタム」を考えてみましょう。燃焼モメンタムは「思いを勢いづけること」です。思いを勢いづけるには、何よりも

「思い」を醸成しなければなりません。

また組織のマネジャーならば

「チームとしての思い」を束ねなければなりません。

その時にポイントとなるのが前回にちょっと触れました

「話し合い、耳を傾け、承認し、任せる」というアプローチです。

これは「思い」としてのモメンタムを焚き付ける手順と一致します。

人は誰しも「自分に対してはポジティブ」です。そして「人は外は一般化しますが自分は特別視します」。これは性です。そして

人は「意義と決意」によって行動を起こします。

マネジメントとはそれを支援したリーディングすることです。方向づけて勢いづけることです。具体的には

「意義を詰め、決意を後押しする」

ことです。

「意義を詰める」。具体的にはどういうことなのでしょうか。「意義」とは「信じるものの証」です。人は「信じているものがあれば一生懸命になれます」。この証を鮮明にし、確固たるものに導くのが「詰める」アプローチです。それは自分の価値観を他を通して浮き彫りにする中で育まれます。自分の価値観を自分でチェックするということは「我田引水」となり、なかなか客観的になれないので自信や証にまでは上り詰められません。それをするにはどうしても他との比較による客観視が求められます。それを可能にするのが「対話」であり、先の「話し合い、耳を傾け、承認し、任せる」という手順になってきます。

具体的にどうするか。それは次回のテーマにしたいと思います。

とある人の指導がありまして、人の読書限界を考慮して、今後は3千字以内の内容を週二回に渡って掲載することとしました。これまでは「モメンタム」の書籍を発行する関係上、研究論文的に根を詰めて7千文字を超える内容でしたが、出版も果たされ、そう急ぐ必要もないので、ゆっくりとお話をしていきたいと思います。

それでは次回もよろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?