• ソモサン第169回目 「閑話休題。セルフコンパッションと防衛機制、過誤記憶を考える。」

ソモサン第169回目 「閑話休題。セルフコンパッションと防衛機制、過誤記憶を考える。」

ショートソモサン(1)あなたが思い出す「嫌なこと」の記憶は本物か?

皆さん、おはようございます。

前回、今回はセルフコンパッションの具体的プログラムをお話しするとご案内させて頂いたのですが、最近このセルフコンパッションの重要性を象徴する出来事がありましたのでちょっと閑話休題したいと思います。

皆さんは過誤記憶という言葉をご存知でしょうか。別名虚偽記憶とも称されますが、悪意が伴わない記憶としては私は精神科医の斎藤学先生の訳の方が適していると見ていますのでこの言葉を使っています。

過誤記憶とは、「相手に嘘をつくといった悪意がなく、誤った記憶を主張してしまう行為」という認知心理学における語義です。

過誤記憶は、例えば植え込まれた記憶を本当の記憶だと思い込んだり、過去のトラウマ(強迫観念)によって無意識下に封印された記憶が何らかの近似現象によって引き出され、あたかもそこで同様なやりとりが為されたかのように信じ込んでしまうような状態です。聞いてもいないのに近似された状況(ネガティブな状況や追い込まれた状況)や物言いによって抑圧された記憶が呼び起こされて、そのトラウマ時に受けた言葉を聞いたかの如く思い込むといった現象です。

ノーベル賞受賞者の利根川進教授はこの研究の第一人者でもありますが、「ヒトは高度な想像力を持った動物です。私たちが遭遇する”嫌な”あるいは”快い”出来事は、そのときまでに獲得した過去の経験と関連付けられる可能性があり、それで過誤記憶が形成されるのです」と述べています。

過誤記憶は犯罪心理学でよく目にします。犯人の誤謬などがその典型です。見ていないのに見たとか、似ていないのに似ているといった証言は冤罪の原因にもなっています。生物学的に見ると、生物の記憶は神経細胞が集まりである「記憶痕跡(エングラム)」によって蓄えられ、何かを思い出そうと思うと、脳が断片的な記憶を集めて、それを再構築するのですが、その際一部を変化させたり、変形させてしまうことが多々あり、その結果、記憶を頼りにすることができなかったり、その不正確な記憶により、思いもよらない事態を引き起こすなどといったことも起こりうることが知られています。米国で事件捜査にDNA鑑定が導入されたことで冤罪が晴れた最初の250人のうち、約75%は誤った目撃証言による被害者であるといった報告もあるくらいです。

ところで私たちも日常この過誤記憶には結構遭遇しています。その一例ですが、以前私は同窓会で仲間たちと当時の話で盛り上がったことがあります。その集まりに私は参加していなかったのですが、場を壊さないようにさも一緒にいたかの如く適当に相槌を打ったりしていました。面白かったのは、仲間たちは私の対応が全く気にならないようで、途中私がその集まりに参加していないと言っても、まったく受け入れてくれなかったことです。私は確実に参加していないのですが、仲間は実際には起こっていないことを起こったと信じて疑わないのです。

物事は正確に記憶できるものだと言われれば、そんなことはないと多くの人が思うでしょう。しかしこれまでの記憶に関する認知心理学研究は、私たちの記憶は驚くほどあてにならず、あいまいで、時には本人も気がつかないうちに偽の記憶を作り出すことを実証してきています。

中でも出来事についての記憶、心理学でエピソード記憶と呼ばれる記憶が容易に変化してしまうということが分かっています。このことは私たちがありもしない出来事について、ありありとした鮮明な記憶を持ってしまうことがあり得るのだ、ということを物語っています。

心理学者のロフタスは、誤導情報パラダイムと呼ばれる方法を用いて、エピソード記憶の歪みについて研究しています。それは、このような手続きです。まず、実験への参加者に動画や小芝居を見てもらいます。その後参加者に聞き取りをして、どれだけ見た出来事について正しく記憶しているのかをテストします。例えばある実験では、交通事故の動画を見せた後に「現場に、割れたガラスは落ちていましたか」と尋ねます。正解は「落ちていなかった」なのですが、当然見落としによって「落ちていた」という回答も起きてきます。しかしそれはただの記憶違いでしかありません。

この実験の重要性はその先にあります。実験で回答者はランダムに2つのグループに分けられていたのですが、このグループによって、回答がまったく違ったのです。一方のグループでは50人中7人が「落ちていた」と回答したのに対して、もう一方のグループでは実に16人が「落ちていた」と回答したのです。

何がこれほどの差を引き起こしたのでしょう。実は2つのグループは、ガラスについての質問の前に「ぶつかった」車の特徴について、わずかに異なる質問をされていました。変えられていたのは、この「ぶつかった」に当たる単語です。一方では「当たった」、もう一方では「激突した」でした。ここでどちらがないはずのガラスを見たと思い込んだのか、想像がついた人もいるのではないでしょうか。そう事故車が「激突した」という文章を読んだグループの回答者たちが「落ちていた」と回答したのです。

では何故このような現象が起きるのでしょうか。これまでの様々な研究から、記憶の内容を思い出したときに、脳の中で起きている反応が、その理由のひとつになっていることがわかっています。人の頭の中で出来事の記憶を思い出すときに起きていることは、パソコンに保存した動画の再生とはまったく異なります。動画の再生であれば、動画の中身はまったく変わることなく、何度でも再生ができます。一方、脳の中での記憶が再生されるとき、人の頭の中では、記憶の中身はいったん失われてしまうということが起きるのです。

その理由は、私たちの頭の中で今読んでいるページを写真のように記憶できるのは数ミリ秒(1ミリ秒=1000分の1秒)、聞こえる音をそのままの音として記憶できるのは数秒程度というのが限界というところにあります。物理的に存在する情報をそっくりそのまま記憶できる期間はあまりにも短く、すべての情報を覚えることは驚異的な記憶の持ち主でもない限り不可能です。そのため、覚えたい情報のみを取り出し、その情報には何らかの意味づけを行う必要があるのです。

実際の話、私たちは何かを思い出す端からその中身を忘れてしまうというようなことはありません。そこでは私たちが思い出すのと同時に、改めてその中身を記憶し直すという活動が行われています。しかし意味づけられた情報も時間とともに詳細が思い出せなくなり、大まかな粗筋だけが残留することになります。こういった状態の中で再生が行われるわけです。この時、最初にその出来事を覚えたときには知らなかった、新しい情報が加わってくることがあります。この新しい情報が出来事の解釈にかかわる内容のとき、私たちは出来事の再評価を実際に行い、記憶を修正していくという無意識な活動を脳内で行うのです。

質問の中で、事故車が「当たった」と読んだときと「激突した」と読んだときとでは、私たちがイメージする事故の内容は変わります。そのイメージのなかで、割れたガラスが落ちていそうに感じるのはどちらでしょう。もちろん「激突した」ときです。こうしてできた新しい解釈に沿うように、記憶の中に割れたガラスが挿入されていくというわけなのです。

ロフタスたちは、この方法で、自分が事件に巻き込まれたとか、怪我をしたとか、かなり「深刻」で感情を伴うエピソードでも作れることを繰り返し明らかにしました。この事実は、犯罪捜査の現場で重要な意味を持ちます。

ショートソモサン(2)あなた自身の過誤記憶にはどんなものがあるか?

このことは別の実験によって後から与えられた情報によっても起こることが分かっています。後からの情報による記憶の変化は「事後情報効果」と呼ばれ、記憶は後から与えられた情報と辻褄が合うように変化することを示しています。そして多くの場合、記憶の変化は意識せず生じます。

この実験は実際に車が衝突するビデオをみせ、その事実についての評価が変わったというだけの実験ですが、心理学者はこのような記憶の変容だけでなく、ちょっとした情報を与えるだけで、まったく経験しなかった記憶が形成されることも明らかにしています。

また人が経験していない出来事を記憶していることがあり、かつその経験していない記憶を思い出す回数が多いほど虚偽記憶が鮮明になることも分かっています。これまでの実験から、人は与えられた事後情報によって、例えば溺れて死にかけたがライフガードに助けられたとかディズニーランドでバッグス・バニーと握手した(バッグス・バニーはワーナー・ブラザースのキャラクターなので、ありえない話です)といった、さまざまな経験していない記憶が形成されることが示されています。

私も学生時代、ジャズトランペットの天才奏者であるマイルス・デイビス氏がFMラジオの中でギターを爪弾いたという記憶で友人に話したところ、そんなはずは無いと言下に否定され、挙句こいつは嘘つきだ、信用できないというレッテルを貼られて孤立を味わった経験がありますが、私的にはそう聞いたのだから仕方がないと困惑した経験を持っています(未だ不明ですが)。

さてこのような錯誤記憶ですが、幼児期における記憶の影響だけでなく、後から情報を加えることで、トラウマになるほどの出来事、例えば、虐めや脅し、ネグレクト、海外では捕虜となり暴力や尋問を受けた相手の顔や言動すらも、確信をもって誤った選択をすることが示されています。またその後においてそれに触れるような状況があった場合では、そこでは無かったことがまるであったかの如く、聞こえたかの如く想起してそれを思い込んでしまうことも分かっています。

アメリカ海軍の訓練で戦争捕虜となることを経験するものがあります。30分の間、尋問者から一人で尋問を受けるのですが、訓練の一環とはいえ、尋問者の質問に答えなかったり、要求に従っているように見えない場合は、顔面を叩かれたり、腹部にパンチを受けたり、無理な体勢を強いられたりと身体的懲罰をも伴います。

尋問の間は尋問者の質問を聞きながら正面から尋問者の目をみることが求められ、尋問される側は確実に尋問者の声を耳にしながら顔を眺めることになります。尋問が終わった後、独房に隔離され、顔写真を渡され写真を見るように指示を受けます。写真をみている間に、「尋問者があなたに食べ物を与えましたか?」など尋問に関する質問を行います。渡された写真は尋問者とは違う人物のものです。

その後、尋問者の写真を選択するよう求められると、9割の人は後でみせられた偽物の写真を選びました。偽の情報や特定の行動へと誘導するプロパガンダに対して抵抗できるよう、訓練を受けた兵士でさえも、虚偽の情報に晒されることで誤った記憶を簡単に作り出すのです。

過誤記憶は記憶力が低下していなくてもみられるということも分かっています。パティス博士は、1987年10月19日の出来事を尋ねられると、「月曜日で株式市場の暴落の日だった」というように、すぐに何が起こったのかを思い出せるような極端に優れた自伝的記憶の持ち主20名と、平均的な記憶力を有する38名の対照群に対して、虚偽の情報によって記憶の歪みが生じるのかを検討する実験を行いました。

その結果、驚異的な記憶の持ち主でも、一般的な記憶力の持ち主である対照群と同じように誤情報によって誤った記憶を想起したと述べています。

ショートソモサン(3)あなたがしている無意識の防衛は何か?その原因となる記憶(思い込み)は何か?

このような過誤記憶ですが、これがセルフコンパッションとどのような繋がりがあるのでしょうか。

こういう事例があります。

新入社員でお客さんから大切な資料を預かる仕事がありました。大切なものとして厳重な管理をしていましたが、慢性的に人手不足な中で目まぐるしい日々が続いていて、ある日時間が空いたので、この機会に資料を確認しておこうと作業を始めました。

ところがその資料が見あたりません。「そうだ。別の部署に頼まれて渡したことがあった」と思い出してその部署担当に連絡したところ、「資料が見つかりません」と返事が来ました。ゾッとして「もう一度探してみて」と頼んでみたのですが、方々に問い合わせて探してくれた結果は「すみません、やはりありませんでした」という回答です。一気に血の気が引きました。

「どうしてもっとちゃんと管理しないのか。お借りした資料をなくしたら言い訳ができない」と当該部署に怒ってはみたところで、新人としては平謝りする以外に術がありません。仕方ない。多部署の失態も含めて全て自分が被ることにして、いざとなったらいさぎよく謝ろうと腹を括った次第です。結局、後日資料はあっけなく出てきました。資料を保管しておく別の箱に大切にしまってあったのです。箱の中に資料を見つけた時の衝撃と言ったら。その瞬間、「大切な資料だから」と通常の手順を変更して、とにかく資料を別の保管箱にしまった記憶が蘇りました。あんなに必死に資料を探していたときに、何故これを思い出さなかったのか。

「物忘れ」で済ませるにはあまりにも見事な記憶違いです。多部署の担当に投げつけた「どうしてもっとちゃんと」の言葉が、そのまま自分に突き刺さりました。資料は進行中の他の資料と一緒にあって使われているはずという思い込み、そこに無ければ必要とする部署かその担当の手元にあるはずという思いこみ、それらが私の記憶を撹乱したという次第です。「絶対に」あそこにある「はず」という根拠のない確信の恐ろしさ。

人の記憶はかくもあやふやなもので、自分にとって都合のいいように、自分を正当化するストーリーやエピソードに従っていつの間にかすり換えられてしまうのです。そんな「はず」はない、とどんなに主張したところで、記録がなくては根拠を示すことができず、こうなると立証は不可能です。ましてこれが言動の場合録音でもしていない限り濡れ衣は常に起こるのです。

この事例の肝は急迫状態に陥った時の心理状態との関係です。人が追い詰められた時にどういった心理状態が起きるかの好例です。

人は急迫不正の心理状態に陥ったときに「防衛機制」という無意識的な心理反応を発動させます。防衛機制はだいぶ古いソモサンでもご紹介させて頂きましたが、「受け入れ難い状況や潜在的な危機に晒されたときに、それによる不安を軽減しようとする無意識的な心理的メカニズム」のことです

状況から目を逸らし認めない「否認」とか自分の都合に合わせるように外部の現実を再構成する「歪曲」、受け難い感情や欲動を自分の問題とせずに外部に妄想的に転嫁させる「投影」など様々なパターンがあります。その中には自分の意思に合わない状態を都合よく理論化して考えることによって自分を納得させる「合理化(自己正当化)」という防衛機制も存在します。

自己防衛による無意識的な機制反応は頭の良し悪しとは関係しません。まさに意が知を凌駕する瞬間で、知的に優れていても無意識が思考を歪めるという心理反応なのです。

(次回に続く 3/4 続きは近日公開)