• ソモサン第168回目 「組織道を支える力理という考えについての理解を深めていく、その七。」

ソモサン第168回目 「組織道を支える力理という考えについての理解を深めていく、その七。」

ショートソモサン(1)修羅場を超えて成長する人とつぶれる人の違いは何か?

皆さん、おはようございます。

数学ではプラス×プラスはプラスです。そしてプラス×マイナスはマイナスです。ところでマイナス×マイナスはプラスになるのですが、実際の組織における人の関係はどうでしょうか。プラスの人とプラスの人が関わればプラスになりますし、どちらか片方がマイナスの人であれば、プラス側がよほどの度量でない限り、影響されて結果はマイナスになることでしょう。

ここまでは数学に似ています。では同じようにマイナスの人とマイナスの人が関わるとプラスになるのでしょうか。ここが数学のようには行かないところです。結局一人でもマイナスの人がいる限り、掛け算はプラスになりません。組織開発を手掛ける私が何故個人の開発に傾倒するかの真意がここにあります。特に影響力が強いリーダーがマイナスならば尚更です。集団力学で個人を転換させるなど実践では目にすることなどありません。学者の頭の中の戯言としか云えないのが現場の実態なのです。

アダム・カヘン氏等によって南アフリカのアパルトヘイト問題を解決に導いたダイアローグ手法などはこの好例で、長い間恨み合っていた敵同士の民族を、両者に利他心を目覚めさせることからポジティブ心理に転換させて、まさにプラス×プラス状態にしたあと話し合いによって国ぐるみの組織開発に成功させたのは特筆すべきと言えます。では具体的にはどのようにアプローチしていけば良いのでしょう。

もう5年以上も前になるでしょうか。禅宗の僧侶であり精神科医でもある川野先生とレジリエンスのプログラムを開発中に「PTG」と「セルフコンパッション」なる用語を知ることになります。PTGとは「ポスト・トラウマティック・グロース」の略で(心的)外傷性成長、つまり深い心の傷から返って大きく成長する現象をいいます。これはレジリエンス研究の端緒にもなったフランクルによる「夜と霧」でも象徴された現象で、ナチスの過酷な収容所において、なお人間性を失わず生還した人たちの中で、強く社会貢献活動に従事した人たちが登場します。日本でも被爆体験によって反原水爆運動に身を投じた人たちやアメリカで子供を射殺されたことをきっかけに銃規制に関わったご両親など様々な例が見られています。

このレジリエンスときっても切れない関係にあるPTGですが、傷ついた人が単に回復するのではなく、経験後により肯定的で強い変化が見られるのがポイントです。「自己の強さ(自信や技能)」「死への態度の変化」「人間関係の重要性認識」「生に対する謙虚や感謝の念」「ライフスタイルの変化」「人生での希望や目標の取得」といったことの啓発が大きく見られるのです。言わば人としての深い成長と言えるでしょう。

私たちの身の回りでも「修羅場の経験」とか「逆境体験」「獅子は千尋の谷に子を落とす」といったPTGを意味する言葉を時折耳にします。おそらくは一時的には大きく傷ついても時と共に「これには何らかの意味があった」と思えるようになるのでしょう。まさに人の本質はポジティブである、という証です。

ただ私的にはそこに更にエンジンとしてバレンシーが大きく影響していると考えています。要するにバレンシーが「挑戦」であると言う条件があってこそ、始めてそれが原動力になってレジリエンスを起動させることになると考えるのです

ショートソモサン(2)人間の本性はネガティブ?ポジティブ?

そしてその燃料源の役割を担っているのがセルフコンパッションという存在です。セルフコンパッションはマインドフルネスと一緒に日本に渡来した言葉ですが、マインドフルネス同様に逆輸入されたものです。元は禅宗で発達した人間性を高める修行法ですが、体感技法として効果が顕著なことから、アメリカの医学会で精神疾患の治療用に仏教的な思想を外して、あくまでも技法として進化的に開発されて日本に帰ってきました。しかしながらセルフコンパッションはマインドフルネスよりは理屈を伴うアプローチのため、本来の禅の思想色が拭いきれず、それがマインドフルネスよりも展開を鈍くする状況になっているようです。

また古くはインドからの伝来ですが、東洋ではマインドフルネス技法が中心の展開で、西欧は大航海時代を経てセルフコンパッション技法が直接に入っていったのも影響のあるところです。

セルフコンパッションとは、一言で云うならば「自愛する」「自分を大切にする」という慈悲的な心意気のことで、ポジティブ心理を誘導させる挑戦的バレンシーにとっての燃料源と言えます

人間は本来はポジティブなのですが、それだけでは太平楽に寄り過ぎて、危機に対して不用心になります。ちょうど子供が無垢にライオンに近づいていく姿を想像していただければ宜しいかと思います。人間社会ではそうした様々な艱難辛苦の経験を経て、学習の積み上げから人間は遺伝子レベルで回避モチベーションという習性を身につけています。例えば臭いものには近づかないといった本能レベルのものから経験的に身につけた警戒心のようなものまでその反応は幅広いのですが、こういった行動はどちらかというとネガティブ心理に帰属する意識行動といえます。それ故人は誰しもポジネガ双方の意識を心中に備え、常にそのバランスをとっている存在であるといえます。しかし過去の体験や教えによってそのバランスはどちらかによっているのが実際で、多くの場合経験学習や生存本能に基づいてネガティブ心理に傾いた意識を働かせるのが常態になっていると言えます。そして無意識ではポジティブなのに意識ではネガティブという二律背反によって人はストレスを抱えることになります。両者のバランスは人それぞれです。それらはその人の性質や人生経験、そして周りとの関係による教えや感覚によって原体験的に形成されています。

例えば一つの事象や発言に対して、本来は何でもないことでも、時にはポジティブな発言や事象であっても意識的にネガティブな受け止め方をする心理形成をされている人は、本来有する無意識層でのポジティブでありたい自分との間に葛藤を起こし、それが強いストレス因子となって、心身を侵食することになることがあります。これが適応障害などの原因になっていると言えます。

適応障害にも色々なパターンがあります。実際に周りからネガティブにアプローチ、それも当事者としてアプローチされたのならばいざ知らず、周りは普通に会話し、誰もが気にかけないような話や関わりの中で、「自分は悪口を云われている」「陰口を叩かれている」と内向的ネガティブ心理に基づいた妄想を喧伝され始めたら周りは目も当てられないことになります。それは周りの問題ではなく、本人のセルフエスティーム、自己肯定感の問題だからです。それでもそのマイナスは対人間や組織に大きく影響をもたらします。人の自己肯定感を高めるセルフコンパッションは組織において大きな取り組み課題なのです。特に日本人は集団主義の思想により個人の我慢を礼賛する傾向が強いので、日本人は外国人よりもネガティブ発想する意識の強い国民性があります。本来は日本人こそ積極的にセルフコンパッションを取り入れる必要性が高いと云えます。

ショートソモサン(3)落ち着いて、冷静に考えることで、自己肯定感はどれ程高まるのか?

人が自分の自己肯定感を高める方法が二通りあります。一つは人を蔑むことで溜飲を下げる。人をレバレッジする事で自分の肯定感を揚げるという動物でもできる安易な方法です。

昨今のSNSなどの誹謗中傷や虐めはその典型ですね。人としてだらしないやら情けないやら哀しいやら、といったあまりに低俗な解消方法なのですが、現状それが溢れかえるように横行している社会状況です。間違いないのは日本国中に自己肯定感の喪失現象が起きているということです。

もう一つが本来あるべき方法です。それがセルフコンパッションです。自分で自分の肯定感を高めようとする取り組みです。実は自分で自分を高めようとする取り組みはこれまでもありました。その一つに「合理的思考法」というのがあります。これは自分の思考や感情を観察して、その思考の根拠や反証となる事実を探して、認知の元になる考え方や捉え方を修正するアプローチです。しかしこのアプローチは認知を修正しようとする動機の維持が難しく、しばらくすると再び批判的な思考がぶり返しやすいのが欠点で、根っこにある批判的思考自体を修正するアプローチが必要であると云われてきていました。また認知修正はそもそも何故そうなるのかの問題を突き止めることが難しく、一時期に問題解消が出来ても問題自体がなくならないと再発する可能性が高いということも問題になっていました。特に適応障害の場合は、頭では分かっているが、気持ちが追い付かないというケースが多く、合理的思考法のような「知」だけのアプローチでは理解までのアプローチは出来ても、感情を揺るがす得心までは至らず、感情が付いていかないというケースや、そもそもの批判的習性が直らず、モグラ叩きになるケースも多いなど実践に問題がありました。これは後に出てきたレジリエンス向上のためのアプローチも同様の問題を抱いていました。そう、欲しいのは批判的思考への執着と云う問題そのものに対する自分の考え方や受け止め方を変える、目的的な発想としてのアプローチだったのです。

そこに登場したのがセルフコンパッション・アプローチでした。セルフコンパッションはマインドフルネス同様に元々は仏教の考えが応用された取り組みです。仏教では、人の苦悩は欲求に対する不満足から生じると説いています。人は強い欲求を持つと、それに対して常に渇望状態に陥ったり、他者と比べて劣等意識に苛まれるなどの原因で不満足を抱えて生きることに流されるようになり、やがては疲れはてて来ます。ここで重要なのは欲求が高いことがいけないということではありません欲求はエネルギー源です。欲求が低い人は向上心がなく、モチベーションが低位に維持され、その為にストレス耐性も弱いというデメリットがあります。また欲求は目標意識とも繋がっていますが、目標意識がない人は人生を迷走してやはり不満足を抱えて生きることに繋がります。いずれにしても欲求自体に問題があるわけではないわけです。しかし自分の満足を追い求める気持ちは、返って否定的な感情を生み出し続けるという、欲求と苦悩が表裏一体の関係にある以上、何とか折り合いをつける必要があることだけは確かです。

 

ショートソモサン(4)自分の組織にマインドフルネス&セルフコンパッションはあるか?

仏教では、満足とは「現在自分にあるものをそのまま受け入れれば、人は肯定的な感情を体感できる」という安定感や安心感を得ることを意味しています。そこでまず生み出されたのが、マインドフルネスでした。これは合理的思考法のように、考え方を変えようと意識しても、返ってそのことが気になったり、感情を抑制しようとしても、その衝動性に支配されてうまくいかなかったりするという状況を、まず集中することで心をニュートラルにし、物事に対して判断をすることなく、渦巻く考えや感情の起伏を感覚の変化の如く達観的に受け止めようとする取り組みです。その中核を為すのが瞑想法です。瞑想法は、今この瞬間に判断するのではなく、その感覚に気づき、それをイメージして受け入れることで心が揺り動かされなくなるアプローチを常態化させる技法です。仏教の歴史は集中をすることとそれを持続し続ける技能を身に着けるための瞑想的境地を会得する歴史に他なりません。

この効能は、医学的にも「瞑想によって、雑念が頭に浮かんで疲れやすくなる脳内のデフォルト・モード・ネットワークの活動が普段よりも低下して心が平静になる」ということが実験によって証明されています。また同時に達観的な気づきによって肯定的・否定的な思考の流れが収まることも証明されています。更に医学では、瞑想をすると身体的な部位や内臓で生じた反応も気づきとして活性化し、否定的な情報を見ても感情に囚われることなく、達観的な気づきが生じるようになるということも分かってきています。

マインドフルネスの目的は、自分の欲求に気づき、生じてくる感情に支配されるのではなく、平静でいられる状態を作ることが第一義です。ネガティブな声は「音」。自己批判的思考は「考え」。怒りは「感情の昂揚」として、現実をありのままに受け入れれば、落ち込みが長引いたり、感情が煽られることはないというのが趣旨になります。

セルフコンパッションとは仏教でいう慈悲喜捨の精神をより近代的な形で取り込むことから、自己肯定観の向上に役立て、それを通して対人関係を良好にし、引いては組織の活性化に生かそうという取り組みです鍵は「利他精神」の啓発にあります。現代人が失おうとしている、あらゆる人の幸せを願い、あらゆる人の苦しみがなくなることを願い、あらゆる人の幸せを喜び、偏りのない平静で落ち着いた心を持つという人の幸福における基本前提を復興させる仏教の真理を現代に活用すると云う意味において、「自利」を究める取り組みとしての智慧と双璧を成しているのがセルフコンパッションの心臓たる「利他」の精神といえます。利他精神の再考は組織開発にとっては重要な課題の一つでもあります。セルフコンパッションは、「人は自己と他者の苦しみを感じ、それを取り除くべく他者に愛情を示し助けようとすることで、内面の強さが増し、恐れをなくしていく。他者に何かをしようとするならば、まずは自分が安全で、健康でなければ、それは為し得ない」というのが本来の趣旨です。セルフコンパッションで示される、自分の内面にある優しく安全に繋がっている感覚に気づき、そういった優しさを自分に向けることで、恥や罪悪感といった強い否定的感情は和らいでいくという体感は、自己肯定感向上にとってとても重要なことですが、その本質は仏教の教えの中核である利他の精神にあると云うことは絶対に外してはならない考え方です組織開発にとってはましてやそれが目的だと云えます。

 

ショートソモサン(5)今あなたが感じる悲劇(ネガティブな出来事)はあなただけのものか?

マインドフルネスとセルフコンパッションは本来二人一組の関係にあります。マインドフルネスが「判断することなしに様々な感覚を受容し、自己の感情や思考を優しく受け入れ、他者との共通性を認識する 」という自分に向けた中立的な心構えを生み出す前提的な取り組みであるのに対して、セルフコンパッションは「浮かび上がる否定的な思考や感情を、もう一人の自分が優しく丁寧に自分の感覚に気づくように促していく。恐怖や怒りを感じている自分を観察し、その感情や思考に優しく気づくことから、他者に対しても心からの慈悲の心で接していく」という仏教的には本質的な利他に向けた取り組みに位置づけられます。仏教ではそれぞれ前者がサマタ瞑想。後者がヴィパッサナー瞑想という瞑想法として紹介されています。

後者でいう「一人の自分をメタ認識する」には、まず今の自分を、特に感情を前者の方法でニュートラルにする必要があります。両者は補完関係にあり、技法的に繰り返すことで相乗性が出てきます。セルフコンパッションを行うには、マインドフルネスと一対にするだけでなく、もう一つ大切なポイントがあります。それは「共通の人間性の認識」です。困難に直面した時、「起きる苦しみは自分だけではなく、人であれば全ての人類に共通している」ということを認識することです。失敗や困難は人間である以上誰にも共通してある話です。ところがネガティブな真理に塗れると自虐的になり、そのことを失念してしまい、泥沼に嵌まることが多々あります。それこそが最も危険な状況です。それに嵌まらないためには、また早期に抜け出すには、常に自分は他者と繋がっている感覚を持ち続けているということが重要になります。様々な精神療法で他者と交わったり、対話療法や集団療法のように他者からの関りを取り組みに入れているのもこういった背景があるからです。「自分だけではない」という感覚は非常に重要です。

さて「まずは隗より始めよ」です。皆さんも早速セルフコンパッションに取り組んでみませんか。まず最初は日常的な内観です。毎日夜寝る前に、瞑想までしなくても目を瞑った時に一日を思い起こしてみてください。その時「自分の悪い面だけではなく、良い面にも目を向ける。自分だけでなく周りにも目を向ける。自己批判せず自己賛美をする」という考えで振り返って見て下さい。間違いなく翌朝の目覚めは良いと思います。お試しあれ。

ここで誤解無きように、言葉の意味合いを説明させておいて頂きます。それは自己肯定感に対して昨今同じような表現が他出してきており、ごちゃ混ぜに捉える人がいるからです。まず自尊感です。自尊感とはあくまで他者と比較して自分が優位であるという評価です。他者からの直接的な肯定的評価によって高まる特性とも言えます。自己存在感、自己効能感の二つの感情が代表です。セルフコンパッションはそうではありません。他者の存在は関係ありません。寧ろ他者は邪魔な存在です。セルフコンパッションは、自分をあるがままに受け入れると云う感情です。また自己愛と云う言葉もよく聞かれます。でも自己愛は過剰な欲求感情をコントロールできない人に対して使われる利己的な言葉で利他であるセルフコンパッションとは対極にあり言葉です。。

セルフコンパッションが高まれば、対人関係が前向きになり、関係が促進されます。そして感謝や楽観度が高まります。またストレスが減少し、否定的な思考が抑制され、合理的な思考になります。それによって最終的にはレジリエンスが高まります。こういったマインドフルネスやセルフコンパッションの技法をビジネスマンのストレスマネジメントやモメンタム開発、そしてレジリエンス開発に応用し、チーム作りやポジティブ組織開発に適応させた概念がLIFTであり、実践技法がコギャル法なのです。次回は具体的なプログラムについて言及していこうと考えています。それでは次回も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて皆さんは「ソモサン」?

 

(本記事 5/5 )

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