人や組織の行動に影響を与えるパワーとその本質について考える

~リーダーシップとパワーの関係について~

経営学の中で中核的な一角を担う「リーダーシップ論」ですが、リーダーシップを考えるときに絶対に外せないのが「パワー」についてです。パワーとは文字通り「力」のことですが、ここでは「影響力」と云った方が分かりやすいかもしれません。「人に何らかの影響を与えるエネルギー源」と云ったところです。リーダーシップはパワーとインテンション(意図した方向づけ)の複合体のようなものです。欧米では両者を合わせて「フォース」と呼んでもいます。

空軍などは「US Air Force」と称しますし、映画「スター・ウォーズ」における「フォースの恵みがあらんことを」といったフレーズなどは有名なところです。確かに人の行動にとって何らかの有益なことに役立たない力は意味ありませんし、一方で有益なことに役立つ行動も力不足では結果が出ません。また、力が有り余って制御できなくなっては害を呈してしまします。

 

さてこのパワーですが、リーダーシップの研究では人の考えや行動に影響する源泉として現在七種類のパワーが認められています。それは、①専門力、➁情報力、③人間力、④公権力、⑤報奨力、⑥関係力、⑦強制力です。専門力とは問題解決に直結する論理的な力、情報力はそれを補強すると同時に人間力以下の力を論理的に支援する力です。

人間力は別名カリスマとも称しますが、論理と感情の両者を前向きに起動させて積極的に活用する力です。公権力はやや後ろ向きな感情も伴いますが、当然これには従わなければならないと論理的に判断させる力です。報奨力も公権力に近いですが、軸は利害に対する論理的な判断を形成する力です。関係力は一見人間力にも似ていますが、別名コネとも称して、誰という個よりは様々な利害関係に軸を持つより感情的な力と云えます。

そして最後の強制力は、自己防衛に立脚して仕方がなく従うといった非常に感情的かつ後ろ向きな力です。これらの意味合いを見るにおいて、殆どの読者の方はお気づきになられるでしょうが、順次情動的な力になると同時に後ろ向き(ネガティブ)に作用する力になっていきます。また利他的から利己的に作用する力になっていきます。

これらの力は数字の若い方になるに従い、成長過程として知性的に熟成された人が反応する力であり、順次数字が下るにつれて知性的に未熟な人が反応するとされています。つまり①に近いほど論理的な人が影響され、⑦に近いほど感情的に影響されるということです。

要は①に近いほど大人が反応し、⑦に近いほど子供が反応するということで、このことは大人ほど自立して自己判断が出来るので積極的な力に反応するし、また利他的に反応するので内的要因で行動するが、子供ほど受動的で自己中心的であり、自己判断力も弱いので外的な要因で行動を促さなければならないということに繋がります。但し決めつけてならないのは、誰しもが七つの力全てに影響はされますし、それは状況次第で変わるということです。例えば前回の集団思考(集団浅慮)の状態では知的な人が驚くほど情的な方の力に影響されることが分かっています。

 

一方、経営学の世界では組織運営における人間の相互影響として三つの仕組みが重要視されています。これは、そもそもは最近日本でも良く名の出るMITスローンスクールの教授E.シェーン氏の師匠格に当たるR.ベックハード名誉教授が提唱した考えです。その内訳はⅰ生産活動としての合理的仕組み、ⅱ人間関係としての社会的仕組み、ⅲ集団統治としての政治的仕組みの三つです。

ⅰの仕組みは人が組織を作って実際に何らかの問題解決を行い、課題達成することから成果を導き出す主流的な仕組みで、知を中心とした論理的な世界です。ⅱは好き嫌いのような感情を中心とした対人関係や集団力学的な世界です。主に集団維持に関係してきます。そしてⅲは知的でもあるし情的でもある動物本能に根差す権力構造的な世界です。課題達成的な論理要件と集団維持的な感情要件を繋いで執行していく要件と云えます。

ベックハード教授は、組織はこの三つが揃ったときに始めて有効に起動すると云い、中でも政治的な仕組みが最も大きく他の仕組みに影響する要件であると述べました。重要なのはこの二つの理論を有機的に組み合わせるということです。先の七つの力をこの三つの仕組みに融合させると、経営の実践においてパワー問題が見逃せないことが分かってくるのです。

三つの仕組み全てに七つの力が絡んでくるのは前提として、合理的仕組みの中核を担うのは主に専門力と情報力であり、社会的仕組みは主に関係力と強制力、そして政治的仕組みは残る人間力、公権力、報奨力が大きく関わっているのは自明の理と云えます。このことは組織の中でアンコンシャス・バイアス的にどの力に反応して物事を見、判断しているかを観察していると浮き彫りになってきます。

専門力や情報力に重きを置いて組織活動を見る人、強制力や関係力に重きを置いて組織活動を見る人様々ですが、明らかに外目で見ていますと無意識なお好みが出て来ます。まず見方としてお好みでない方の力を忌諱しますからそこに関心を持とうとしません。また介入もお好みの力にバイアスした手を打ちたがります。前者は制度やルールに傾斜した依拠をしますし、後者は触れ合いや飲みにケーションに傾斜します。

面白いのは組織自体がその成熟度合いによる風土規範で、動きに組織的なバイアスが掛かるということです。そしてどちらも自分のバイアス(アイデンティティ)の反対を牽制し嫌います。しかし本来重要なのはバイアスをトリートメントして効果的なアプローチをすることです。それには自分がアイデンティティと考えるバイアスを知らなければなりません。

 

ところで実践の場にいて不思議に思うのは、どちらの立場にいる人も何故かパワーの段階における真ん中の力、人間力や公権力、報奨力を取りこぼすことが良くあるということです。いわゆる政治力です。こちらから話題に上げるとどちらの側の人もその重要性は認識しているし、ある程度自分は行使していると認知しているようです。しかしながらどちらの側から見ても隣にある力関わらず、重視した認識や関心が行動に出てこないのです。でもベックハード教授の言のように組織を動かすのに最も大きな力を発揮するのは政治力です。

~組織の問題解決と政治力~

実践としての政治力には三つの力があります。a.予算統制、b.人事統制、c.人間力に紐づく情報です。当然この力を持つ人に組織人は逆らえません。まさに公権力、報奨力、そして人間力と情報力の融合です。こういった政治力を抜きにして組織の実践統制は為しえません。これを持った人は絶大です。

ところがパワーエリートや知的にバイアスが掛かった人は、自分のパワーの源泉は専門力や情報力による論理だと無意識的な反応をします。そして自分が組織をうまく動かせているのは仕組みややり方をうまく教えたからであると公言して、うまく説諭すれば人は動くと主張します。一方で現場一筋の経営者や情的にバイアスが掛かった人は、自分のパワーの源泉は人間力(実は自分を前向きに見たいが故に強制力を錯覚して捉えている)や関係力による情の厚さだと無意識的な反応をします。

そして、俺が面倒見てやっているから人は動くとか、人は無理にでもやらせないと動かないと主張します。皆さんは如何でしょうか。これは対する個々人の成熟次第です。相手も知的水準が高い人であれば「話せばわかる」「ルールを設ければ従う」でしょう。しかし教養のない人や粗野な人はそんなことは通じません。

幾ら言っても理解できないレベルの人や「頭が悪い人が馴れ合う集団」といった空気に浸っている場合では、集団浅慮の作用で聞く耳が端からありません。そういった場合は四の五の言わせずに従わせなければ駄目ということもあります。感情には感情で対するしかない場合も多々あるわけです。

またこういった人の中には「何を云うかよりも誰が云うか」がものをいう時も多々あります。理屈よりも「誰」という人情がアンコンシャス・バイアスとして絶対的な力を持つからです。そういう人は無理が通れば道理が引っ込むわけですから道理は通用しません。同じように知的水準が高い人に感情をぶつけても拉致が飽かない場合も多々あります。

特に頭が良いからと云って自分の利益にしか関心のない「ソシオパス(反社会的人格)」な人であれば、人格障害者であったり、人の気持ちが今一つ分からない感情障害者であったりする場合は猶更です。最近情操教育不足から知に偏重した後天的で疑似的な感情障害者が非常に多く出現し始めました。

 

このことは集団単位でも起きます。というよりも相乗的に苛烈になります。「頭が悪い人が馴れ合う集団」のみならず「頭が良い人たちがいがみ合う集団」でも一見意見が食い違うように見えて、実は感情的なマウンティング的せめぎ合いが起きているわけで、そういった集団に幾ら論理を伝えルールを作っても面従腹背するだけです。時にはそれに対してすらも屁理屈を弄し始めます。

個としては成熟していても集団としては未成熟で、そこに属しているかが故にアンコンシャス・バイアス的に未成熟な思考状態に陥ることもあるわけです。日本人は壮大な集団思考の民族ですから、古からの風土としてアンコンシャス・バイアスに染まっている面が多々存在しています。こういった風土においては、

ダイバシティはなかなか浸透しません。それ自体が日本の文化が持つ闇の領域です。全くソリューションなど彼方の話と云えます。

 

話がややそれました。ともあれアンコンシャス・バイアスは他のアイデンティティや筋道に覆いをかけてしまいます。知的な人は知的を肯定させようとバイアスを無意識に掛けますし、情的な人も同様です。その際両者の狭間で両者から道理の筋道の中で最も飛ばされるのが政治的な力の領域なのです。触れたくないのか当たり前として抜けるのか、最も重要な要素であるのに最も配慮されないのが政治力の取り扱いなのです。

現場で、この政治力を軽視するがゆえに影響力を構築できずに実践で失敗する人を多く見かけます。でもそれ以上に、私たちコンサルタントはこの面への現場の見識不足に最も苦しめられます。何故コンサルタントを入れても上手くいかないのか。答えは簡単。コンサルタントは政治力を持たないからです。その力は持つ側から権威付けされない限り無と同じです。

それを理の問題や情の問題にすり替えられて語られたり、評価されたりすることほど無体なことはありません。これはパワーエリートや農協でよく見る組織に無教養な経営者を問わず、どのような組織にもある非常に理不尽なところです。これに未成熟集団に理を期待する上層部や、成熟集団に情を求める担当者などのアンコンシャス・バイアスが加わると目も当てられません。端から答えは見えているからです。

組織を扱う人たちは再度組織に内在する政治力の与える影響の大きさやその構造、そして効果的な取り扱い方、出来ればコンサルタントへのバックアップを考えて頂けますと、投資対効果は数倍に跳ね上がると思います。皆さんはそういった組織におけるパワー問題を真摯に捉えて、様々な問題解決にアプローチされていますでしょうか。

 

さて、皆さんは「ソモサン」